「ちゃんと見せてあげるよ、詩乃。異世界の魔法っていうものを」
俺が右手を向けると、周囲を漂っていた
「
「見せるって言っただろ。すぐ終わるから、そこで見てて」
アーマービートルが太い角を下げ、石床を蹴った。
三メートルを超える巨体が、一気にこちらへ迫ってくる。
「皇牙様!」
詩乃の叫びを聞きながら、【
異世界では何度使ったか覚えていない程度の炎魔法だ。
この世界の虚素でも問題なく【構築】できる。
「【
突き出した手の先で、赤黒い炎が膨れ上がった。
アーマービートルの巨体が正面から呑み込まれる。
分厚い甲殻が熱で赤く染まり、次の瞬間には内側から炎が噴き出した。
勢いを失った巨体が俺の数メートル前で倒れ、そのまま動かなくなる。
(少し威力を出しすぎたか)
異世界なら雑魚だった相手だ。
久しぶりだったので加減を間違えたらしい。
「……嘘」
後ろから詩乃の声が聞こえた。
振り返ると、黒い金属杖を握ったまま固まっている。
「今のは……固有能力ではありませんわよね?」
「うん。だから言っただろ。異世界の魔法だって」
「異世界……? 先ほどの『向こう』というのは、本当に異世界のことでしたの?」
「その話は帰ってからゆっくりしよう。今はそれどころじゃないみたいだ」
「え……?」
アーマービートルは死んでいる。
それなのに、周囲の虚素濃度が急激に上がり始めていた。
広間が低く震える。
壁や床を巡っていた虚素が、奥の一点へ吸い寄せられていく。
(さっき感じた、こちらを覗いていた奴か)
この場所そのものを変えた存在が、ようやく出てくるらしい。
空間の奥に赤黒い結晶が現れた。
人の頭ほどだったものが急速に膨らみ、やがて俺の身長を超える。
その表面から虚素が溢れ、人型を作り始めた。
男とも女とも言い切れない、美しく妖しい姿だった。
そして、その存在が目を開いた瞬間。
「ひっ……」
詩乃が息を呑んだ。
金属杖が手から落ちる。
「詩乃?」
「な、なんですの……これ……見ては……いけない……逃げないと……でも、どこへ……?」
様子がおかしい。
呼吸が急激に荒くなり、紫がかった瞳の焦点も合っていない。
自分の腕を爪で掻き始めたところで、すぐに理解した。こいつの存在そのものに、人間の精神が耐えられていない。
「詩乃」
「いや……いや……来ないで……皇牙様、逃げて……あれは、あれは……」
「悪いね。少し寝てて」
「こう、が……さま……?」
催眠魔法を構築し、詩乃へと放つ。
意識だけを静かに刈り取るように調整すると、彼女の身体から力が抜けた。
崩れ落ちる身体を抱きとめ、そのまま壁際へとそっと横たえる。その頬へ落ちていた黒髪を払ってやると、背後から声が響いた。
『正しい判断だ』
振り返る。
『あと僅かでも我を認識し続けていれば、その娘の精神は壊れていた。狂乱し、そのまま命を落としていた可能性もある』
「随分迷惑な奴だな。女の子の前に出るなら、もう少し加減くらい覚えた方がいいよ」
『……ほう』
そいつの視線が俺へ集中する。
『我を前にして正気を保つか。やはり、
「へぇ、俺の家を知ってるの?」
『知っているとも。我と貴様らの家は、いにしえより因縁がある』
気になる言い方だった。
「名前くらい聞いておこうか」
『我が名はアスモダイ。今の人間どもが【悪魔】と呼ぶものの一柱だ』
「アスモダイ……悪魔……」
聞いたことはある。
ソロモン七十二柱に数えられる悪魔。
もっとも、目の前にいるものを妄想話の悪魔と同じ存在だと考えるには、違和感が大きすぎた。
「その悪魔が、どうしてダンジョンにいる?」
『問いの順序が逆だ。なぜダンジョンがこの世にあると思っている?』
「……まさか、悪魔がダンジョンを作ったとでも?」
『そうだ。遥か昔……我らがまだ神と呼ばれていた時代にな』
アスモダイによれば、今の人間がダンジョンと呼んでいるものは、かつて神々が利用していたものらしい。
だが後に異世界から別の神たちが現れ、両者の間で争いが起きた。
敗れた側は地上を追われ、その名も立場も奪われた。
『そして勝者たちは【天使】と名乗り、我らを【悪魔】と呼んで
「それ、負けた側が自分に都合よく言ってるだけかもしれないよね?」
一瞬の沈黙の後、アスモダイが笑った。
『面白い。無条件に信じる愚か者より、その方がよい』
「信用してほしいなら証拠を出してよ」
『必要ない。証拠は、お前自身の中にある』
不敵な笑みを浮かべながら、話を続ける。
『
アスモダイの視線が、俺の身体を上から下まで確かめる。
『その中でも
陰陽師。
預言者。
念動能力者。
歴代の天御門に現れた異能者たちのことだろう。
つまり当時から先祖たちはダンジョンに潜っていたのか?
(おそらく創作話にあるような“異界”や“妖怪との戦い”は、ダンジョンでモンスターと戦ったことを描いたものなのだろうな)
『なかでもお前は素晴らしい。これほどの才を持つ者は、長い時を探しても見つからなかった』
「それで?」
アスモダイの声から笑みが消える。
『そのために、貴様には犠牲になってもらう』
「つまり、俺の身体を奪って復讐するってこと?」
『理解が早くて助かる』
「断ったら?」
『貴様に断る
「……っ!?」
俺は試しに虚素を集めようとした。
何も起こらない。
広間全体の虚素が、アスモダイの支配下へ置かれている。
『喜べ。お前の身体は今日より、天使への復讐を成す器となる』
アスモダイの胸部が割れ、赤黒い結晶が露出した。
さっきまで人型を作っていたものとは比較にならないほど濃密な虚素が詰まっている。
あれが本体か。
そう理解した瞬間、結晶が飛んできた。
俺の胸へ沈み込む。
「っ……!」
肉体へ何かが入った感触ではない。
虚素の流れを通じ、精神そのものへ大量の情報が押し寄せてくる。
視界が暗くなった。
指先の感覚が薄れ、腕も脚も、自分のものではないように遠ざかっていく。
『素晴らしい……これほどの器とは。我の力を十分に受け入れておる!!』
頭の中でアスモダイの声が響く。
気絶した詩乃を見下ろしながら、俺の声でアスモダイが告げる。
『ようやく我は、再び地上へ戻れる。天御門 皇牙。この身体は、今より我のものだ!!』
全身の力が抜け、膝が床についた。
最後に聞こえたのは、勝利を確信した悪魔の声だった。
そのままどれほど経ったのか。
俺の身体が立ち上がった。
右手を開き、指を一本ずつ動かす。
首を回し、胸へ手を当てる。
俺の口元が、ゆっくりと笑った。
「……なるほど。これは面白い」