異世界帰還者は迷宮を喰らう   作:ぽんたぬ

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第7話 知らなかった幼馴染

 

「……あなたは、本当に皇牙様ですの?」

 

 詩乃は床へ座り込んだまま、拾い上げた黒い金属杖を両手で握っていた。

 

 眠らせる前と比べて顔色は戻っている。

 しかし、紫がかった瞳は明らかに俺を警戒していた。

 

 当然だろう。

 詩乃が最後に見たのは、アスモダイの赤黒い結晶(デーモンコア)が俺の胸へ入り込み、俺の身体を奪ったと宣言するところだ。

 

 

「俺だよ」

 

「……そう言うと思っておりました」

 

「まあ、そうだよね」

 

 俺が一歩近づくと、詩乃の肩がわずかに揺れた。

 そのまま反射的に後ろへ下がろうとして、すぐに動きを止める。

 

 俺の視線が、自分の首元へ向いたことに気づいたらしい。

 細い喉には、俺が指をかけた時の赤みがまだ薄く残っていた。

 

「あの時は怖がらせたね。悪かった」

「……皇牙様が、それをおっしゃるのですか?」

 

「俺だって謝ることくらいあるよ」

「でしたら、もう少し申し訳なさそうなお顔をしてくださいませ」

 

「難しい注文だな」

 

 詩乃は呆れたように俺を見たものの、警戒はまだ解いていない。俺が本人かどうか確かめる方法を考えているのだろう。

 

 

「じゃあ、俺たちしか知らないことを話そうか」

 

「わたくしたちしか?」

 

「八歳の時。ウチの庭にあった池に、君が落ちたこと覚えてる?」

 

 詩乃の表情が固まった。

 

「……なぜ、よりにもよってそのお話を選びますの?」

「詩乃が鯉に餌をあげようとして、身を乗り出しすぎて落ちたやつ」

 

「違います。皇牙様が後ろから急に声をかけたからです」

「それで泣きながら、俺に助けてって手を伸ばしてきた」

 

「泣いておりません!」

「その後、着物が透けてるから誰にも見せたくないって言ってさ。乾くまで俺の上着を着たまま一緒にくっついていたよね」

 

「もう結構です!」

 

 詩乃の頬にさっと朱が差した。

 

 

「その話を知っているのは、皇牙様とわたくしだけです。お父様やお母様にも、池へ落ちたことしか話しておりませんもの……」

 

「じゃあ信じてもらえた?」

 

 詩乃はしばらく俺の顔を見つめてから、ようやく杖を下ろした。

 

「……はい。悪魔が記憶まで読み取っていない限りは」

 

『随分と疑り深い娘だな』

 

 頭の中から不機嫌な声が響いた。

 

(お前のせいだろ)

『黙れ。次は必ず殺す』

 

 元気なことで何よりだ。

 

 

「そういえば、あの者はどこへ……?」

 

 詩乃が辺りを見回す。

 広間には俺たち以外の人影はなく、巨大なアーマービートルの焼けた死骸が転がっているだけだ。

 

「あぁ、アスモダイのこと? 躾けて飼っているよ。俺の中で」

「……はい?」

 

「だけど、さっきからずっと喋っててうるさいんだ。あの悪魔が」

『誰が飼われているだと!? それに我は奪い返す機会を窺っているだけだ!』

 

「今も、自分は吸収されたんじゃないって怒ってる」

「少々お待ちくださいませ」

 

 詩乃が(ひたい)を押さえた。

 

 

「悪魔が皇牙様のお身体を奪おうとして……逆に皇牙様が取り込んでしまった、ということですの?」

 

「だいたい合ってる」

 

「だいたいで済ませてよい出来事ではございませんわよ!?」

 

 思ったより大きな声が返ってきた。

 

「わたくしが眠っている間に何があったのですか!?」

「戦った」

 

「悪魔と?」

「うん」

 

「どちらが勝ったのです?」

「俺がここにいるだろ?」

 

「……聞いたわたくしが馬鹿でしたわ」

 

 詩乃は深く息を吐いた。

 けれど、当然これだけでは終わらない。

 

 

「それより先ほどの炎です。あれは本当に……異世界の魔法なのですか?」

 

「本当だよ」

 

 ここまで見せた以上、中途半端に隠す意味もない。

 

「俺は少し前まで、別の世界にいた」

 

「ですが皇牙様は、高校にも普通に通っておられましたわ」

 

「地球で経った時間と向こうで過ごした時間が違うんだ。こっちでは大した時間じゃなかったけど、向こうではずっと長かった」

 

 魔法が存在する世界だったこと。

 そこで多くの敵と戦ったこと。

 

 最後には世界を滅ぼそうとしていた存在を倒し、地球へ帰ってきたこと。

 

 一つずつ話していく。

 詩乃は最初こそ何度も目を瞬かせていたが、やがて何も言わなくなった。

 

 

「じゃあ……皇牙様は、本当に一つの世界を救ったのですか?」

「結果だけ言えばね」

 

「そのようなことをしておいて、どうして第五等級の新人探索者として登録なさっているのです?」

「異世界帰りなんて言っても、信じてもらえないだろ」

 

「今のわたくしでも、まだ夢を見ている気分ですわ」

 

 それはそうかもしれない。

 

「それと、【解析】も本当の能力じゃない」

 

「……まだございますの?」

 

「【解析】は【データ化】って能力のごく一部。解析したものを情報として読み取って、保存したり、虚素から構築したりできる。さっきの【獄炎】も、異世界で保存した魔法を地球の虚素で再現したものだよ」

 

 詩乃の【言実化】も、すでに保存してある。

 今それまで言えば余計に話が(こじ)れそうなので、黙っておいた。

 

 

「だから、詩乃が思っていたよりは色々できる」

 

「色々という範囲を完全に超えておりますわ……」

 

 詩乃はしばらく呆然としていたが、やがて何か思いついたように自分の喉元へ指を添えた。

 

「ちなみに皇牙様。異世界の魔法には、人を縛るようなものもございますの?」

「縛る?」

 

「約束を破れなくする魔法です。契約魔法、とでも申しましょうか」

「あるよ。条件を決めて、違反した時に罰を与えるものなら何種類か知ってる」

 

 答えると、詩乃は迷うことなく俺を見た。

 

「でしたら、わたくしに使ってくださいませ」

 

「何のために?」

 

「皇牙様が異世界から帰還されたことも、【解析】以外の力をお持ちであることも、魔法を使えることも、許可なく他人へ話せないようにしてください」

 

 思わず詩乃の顔を見る。

 

 

「いいの?」

「もちろんですわ」

 

「契約内容によっては、破れば本当に命に関わるよ」

「わたくしのせいで皇牙様へご迷惑をおかけするくらいでしたら、死ぬ方がましですもの」

 

 詩乃は笑顔だった。

 冗談を言っている顔ではない。

 

 白い指先で、先ほど俺が掴んでいた自分の喉をゆっくりとなぞる。その頬はわずかに上気していた。

 

 

「それに……あの時、魂で感じましたの」

「あの時?」

「皇牙様に首を掴まれた時です」

 

 詩乃はうっとりと俺を見上げる。

 

「怖かったですわ。本当に。この方なら、わたくしが約束を破れば迷わず殺すのだろうと……でも、それと同時に思いましたの」

 

 喉へ添えられた指へ、少しだけ力が入る。

 

「死ぬのなら、この手で殺されたい……わたくしの身と心、すべてを捧げたいと」

 

「……そっち(ドM)に目覚めたの?」

 

「何のことでしょう?」

 

 満面の笑顔だった。

 本人に自覚があるのかないのか分からない。

 

 

『この娘も大概ではないか?』

 

(お前に言われたくないと思うよ)

 

 とはいえ、ここまで覚悟を決めているなら拒む理由もなかった。

 

「分かった。じっとしてて」

 

 詩乃の喉元へ指を触れる。

 保存していた契約術式を地球の虚素へ合わせ、【構築】する。

 

 黒い光が細い首を一周し、艶のある黒革にも似た細身のチョーカーへ変わった。中央には小さな赤い紋章が浮かんでいる。

 

 

「俺の許可なく、今話した俺の秘密を第三者へ伝えようとすれば締まる。無理に話し続ければ、そのまま意識を失う」

 

 詩乃はチョーカーへ触れ、嬉しそうに微笑んだ。

 

「皇牙様からいただいた、初めての首輪ですわね」

 

「そういう言い方すると別の意味になるからやめようか」

 

「わたくしは別に構いませんけれど?」

 

 駄目だ。完全に何かがおかしくなっている。

 ただし、俺も彼女の覚悟へ一方的に甘えるつもりはない。

 

 詩乃には見えないよう、契約術式のさらに内側へもう一つ魔法を重ねる。

 

 契約を守っている限り、致命傷を一度だけ肩代わりし、肉体を生存可能な状態まで戻す守護術式。

 

 こちらについては本人に伝えない。

 自分の命まで差し出すと言ったのだから、それくらい返しておけばいいだろう。

 

 

「これで満足?」

 

「はい。これで皇牙様の秘密を、安心して抱えていられますわ」

 

 詩乃は大切な贈り物でも確かめるように、もう一度チョーカーへ触れた。その姿を見ていると、俺の方が妙な契約をした気分になってくる。

 

 しばらくして、詩乃はふっと目を伏せた。

 

「わたくしは……皇牙様のことを知っているつもりでした」

 

 声の調子が少し変わる。

 

「幼い頃からずっと一緒でしたもの。皇牙様が世間で言われているほど頼りない方ではないことも、何かを隠していることも分かっているつもりでした」

 

「詩乃は昔から妙に勘がいいからね」

 

「ですが、全然知りませんでした」

 

 黒い金属杖を握る指へ、わずかに力が入る。

 

 

「わたくしの知らない場所で、皇牙様は長い時間を過ごしていたのですね。知らない方々と出会って、戦って……わたくしが知らない皇牙様になって帰ってこられた」

 

 責めているわけではない。

 それでも寂しそうなのは分かった。

 

 俺は詩乃の前へしゃがみ込む。

 今度は逃げなかった。

 

「詩乃が知ってる俺も嘘じゃないよ」

「……本当に?」

 

「穏やかにしてるのも俺だし、詩乃と一緒にいた時間を大切に思ってるのも俺。向こうで色々あったから、前より多少変わったところはあると思うけどね」

「多少、でしょうか」

 

「そこは今後確認して」

 

 そう言うと、詩乃はようやく小さく笑った。

 

「分かりましたわ。わたくしの知らない皇牙様のことを、これから少しずつ教えてくださいませ」

 

 真っ直ぐ見つめられる。

 その言葉が単なる好奇心ではないことくらい、俺にも分かる。

 

 

「分かったよ」

「約束ですわよ」

 

「破ったら詩乃に怒られそうだね」

「当然です」

 

 詩乃は満足したように微笑んだ。

 さっきまで俺へ杖を向けていたとは思えない変わりようだ。

 

 まあ、これで秘密を共有できる相手が一人増えた。

 

 

「ああ、そうだ。もう一つあった」

 

「まだ何かございますの?」

 

「この辺り、今から俺のダンジョンみたいだ」

 

 詩乃の笑顔が止まった。

 

「……異世界を救ったというお話より、そちらの方が意味が分かりませんわ」

 

「俺もまだ全部は分かってない。だから試してみようと思ってる」

 

 

 近くの石壁へ手を置く。

 アスモダイから流れ込んだ管理情報へ意識を向け、その中から周囲の構造へ繋がっている部分を選ぶ。

 

『待て。貴様、何をしている』

 

(動かせるか確認するだけ)

 

『確認するな!』

 

 虚素を流す。

 直後、重い音を響かせながら、目の前の石壁が左右へ開き始めた。

 

 その向こうには、先ほどまで存在しなかった暗い通路が続いている。

 

 

「……皇牙様」

「うん?」

「本当に何をなさったのです?」

 

 頭の中ではアスモダイが絶叫していた。

 

『勝手に我の迷宮を動かすな!!』

 

 俺は新しく開いた通路を眺めながら笑う。

 

「じゃあ、他にも何ができるのか試してみようか」

 

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