「じゃあ、何ができるのか試してみようか」
新しく開いた通路を前にして、俺はアスモダイから流れ込んできた情報へ意識を向けた。
今までもダンジョンを【解析】すれば、空間の異常くらいは読み取れた。
だが今は明らかに違う。
眼前にどれだけの
さらに、その
もう一度別の壁へ意識を向ける。
今度は動かすのではなく、そこへ流れる虚素を減らしてみた。
壁の表面に生えていた青白い苔の光が弱くなる。
逆に虚素を集めると、数秒もしないうちに
「虚素そのものも動かせるのですか?」
「この辺りならね。ダンジョン全体を好きにできるわけじゃないみたいだけど」
俺の力不足なのか、管理権限が及ぶ範囲も、使える虚素にも限界がある。
だが、それでも十分すぎる。
『だから勝手に触るなと言っているだろう!』
頭の中で怒鳴るアスモダイを無視し、俺はさらに意識を広げた。
周囲の通路。
そこを徘徊しているモンスター。
少し離れた場所には、人間らしい反応まで存在する。
「探索者の位置も分かるな」
「どちらにいらっしゃるのです?」
「あっち。結構離れてるから、ここまでは来ないと思う」
俺が石壁の向こうを指差すと、詩乃が何とも言えない顔をした。
「皇牙様が探索者側なのか、ダンジョン側なのか分からなくなってまいりましたわ」
「今日登録したばかりの新人探索者だよ」
『どの口が言う!』
アスモダイと詩乃がほとんど同時に反応した。
「……今、あの悪魔も同じようなことを申しておりませんでした?」
「気のせいじゃない?」
「本当ですの?」
詩乃が疑わしそうにこちらを見ている。
首元には、さっき俺が作った黒いチョーカーがある。
本人は気に入ったらしく、時々そこへ指を添えては嬉しそうにしていた。この調子だと、外した方がいいと言っても嫌がりそうだ。
次に目を向けたのは、広間に転がっているアーマービートルの死骸だった。
黒い甲殻は【獄炎】で焼け焦げ、内部まで完全に炭化している。
(これも管理対象になってるな)
『待て』
(今度は何?)
『嫌な予感がする。貴様、何を試すつもりだ』
(これ、片づけられないかなって)
『おっ、おい!? それは……』
死骸へ命令を送る。
すると巨大な甲虫の身体が端から崩れ始めた。
「皇牙様?」
詩乃が杖へ手を伸ばしかける。
「大丈夫。片づけてるだけ」
炭化した甲殻も肉も、細かな光へ変わりながら空気へ溶けていく。
やがて三メートルを超えていた巨体は跡形もなく消え、その代わりに周囲の虚素濃度がわずかに上昇した。
「倒したモンスターを虚素へ戻してるのか」
『迷宮内の生命は、死ねばその大部分が再利用される。そうでなければ、延々と魔物を生み出せるものか』
「なるほど。ちゃんと循環してるんだな」
「アスモダイが何か教えてくださったのですか?」
「死んだモンスターは再利用されるんだって」
「先ほどから普通に会話なさっていますけれど、わたくしには皇牙様が時折黙り込んでいるようにしか見えませんのね」
「聞こえるようにしてみる?」
「結構です」
即答された。
さすがに悪魔との会話までは望んでいないらしい。
俺は床へ視線を落とした。
モンスターを戻せるなら、逆もできるのではないか。
管理情報を探ると、この領域に登録されている植物や鉱石、モンスターの情報がいくつも見つかった。
その中から植物を一つ生やそうとして、ふと手を止める。
(登録されてるものしか作れないのか?)
『当然であろう。迷宮とて、存在せぬものを無から生み出せるわけではない』
(じゃあ情報があればいいんだ)
『何?』
俺の中には異世界で保存した情報が大量にある。
そこから、一種類の薬草を選んだ。
青い葉を持ち、傷薬や回復薬の材料として向こうでは珍しくもなかった植物だ。
ただし、そのまま【構築】スキルで具現化するのでは面白くない。
地球の虚素と、このダンジョンの環境へ合わせて情報を調整する。
床へ手を向けた。
「【構築】」
石床の隙間へ虚素が集まり、小さな芽が顔を出す。
それは急速に伸び、青みがかった葉を数枚広げた。
「……皇牙様、それは?」
「異世界の薬草」
『待て待て待て!』
今まで以上に慌てた声が響いた。
『なぜ存在しない生命情報を迷宮へ登録できる!?』
(普通にできたけど)
『だから、どうしてできたのかを聞いているのだ!』
俺は生えた薬草へ触れる。
状態は安定している。
地球側の虚素を吸収して生存しており、すぐに枯れる様子もない。
「問題なさそうだな」
「異世界の植物を……こちらで育ててしまったのですか?」
「一本だけだけどね」
詩乃が青い薬草と俺を交互に見る。
「皇牙様とおりますと、いちいち驚くのが馬鹿らしくなってまいりますわ」
「慣れるの早くない?」
「幼い頃から皇牙様には振り回されておりますもの」
そう言いながら、詩乃はどこか嬉しそうだった。
少なくとも嫌ではないらしい。
まぁその方が俺も悪い気はしないけど。
そのまま管理情報を調べていると、別の流れが目に留まった。
俺たちがいるだけでも、少量ずつ虚素が迷宮側へ蓄積されている。
「……これ、俺たちから取ってるのか?」
『ようやく気づいたか』
詳しく追ってみる。
侵入者が歩く。
能力を使う。
戦う。
恐怖や興奮で身体活動が活発になる。
そうした行動によって周囲の虚素循環が変化し、その一部を迷宮が回収していた。
さらに死亡すれば、体内へ定着していた虚素を一度に大量回収できるらしい。
『ゆえに、最も手早く迷宮を成長させたいのなら、人間を大量に誘い込んで殺せばよい』
「却下」
『ほう。貴様にも人間らしい慈悲があったか』
「いや、効率が悪いだろ」
『……何?』
「一回殺したら一回分しか取れないじゃないか」
俺は蓄積量を見ながら考える。
「生きて帰せば、装備を整えてまた来る。珍しい素材があれば仲間も連れてくるし、経験を積めばもっと深くまで潜るようになる。そのたびに虚素を落としてくれるなら、何度も来てもらった方が得だろ?」
頭の中が静かになった。
隣の詩乃まで黙っている。
『……貴様、人間を養殖するつもりか?』
「言い方が悪いな。客だよ」
「どちらも発想が怖いですわ」
詩乃が真顔で言った。
「じゃあ詩乃ならどうする?」
「探索者が安全に帰還でき、それなりに利益も得られる場所にいたします」
「同じじゃない?」
「目的がまったく違います!」
怒られた。
とはいえ方針は決まった。
探索者が何度も来たくなるダンジョン。
適度に危険で、攻略する価値があり、生きて帰れる。
その方が俺にも迷宮にも都合がいい。
試しに少し離れた場所の壁を動かし、小さな区画を作ってみる。
そこへ先ほどの薬草を数本配置したところで、管理領域の端に複数の反応が現れた。
「ちょうどいいな」
「何がですの?」
「客が来た」
数人の探索者が、こちらへ近づいている。
せっかく作ったのだから、実際に人間がどう動くのか見てみたい。
俺は侵入者たちへ意識を向けた。
その中の一人を【解析】した瞬間、わずかに眉を寄せる。
「……ん?」
五人のうち、ほとんどが新人のFランク探索者。
だが一人だけ、Cランクがいる。
中堅と言われる詩乃よりも上位の探索者だ。
「どうなさいました?」
「一人だけ、妙なのが混じってる」
俺は少し笑った。
どうやら最初の客は、ただ探索しに来ただけではないらしい。