あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う 作:カズヤミサワP
夕方頃。アテライへ魚を運んでいた村人たちが、馬に荷車を引かせてミュレアに帰ってきた。売れ残った魚はほとんどなく、代わりに荷台には塩や油、布、それにいくつかの道具が積まれていた。いつも通りの光景だったが、その日の村人は荷を下ろすより先に真継を探していた。
「マツグ。鍛冶屋から伝言だ」
特にすることがなく、広場でのんびり座っていた真継が顔を上げる。
「鍛冶屋?」
「アテライでお前が頼んでたやつだよ。できたから取りに来いってさ」
真継はそれを聞いて立ち上がった。
「できたか」
馬に向かって歩き出した真継の肩を、テロンが掴んだ。
「おい。どこへ行く気だ」
「どこって、アテライだが」
返事を聞いたテロンは、呆れたように額を押さえた。
「アテライに着く頃には夜だ。門は閉まる。中には入れんぞ」
「そうなのか」
真継は素直に諦めた。再びその場に座た。
「明日の朝、馬に乗って取りに行ってこい」
「そうする」
その会話を聞きつけたのか、ガレネが蝋板を片手に歩いてきた。
「何かあったんですか?」
「剣ができた」
「剣ですか?」
「お前を買った時に鍛冶屋で頼んだ」
「買ったって言わないでくださいって言いましたよね?」
「すまん」
真継は素直に謝った。
「はあ……それで、いくらなんですか?」
「知らん」
ガレネの動きが止まった。
「……いくらなんですか?」
「知らん」
「二回聞いたのは聞き間違いだと思ったからです」
「そうか」
「いくら払う約束をしたんですか?」
「覚えていない」
「なぜですか」
「剣の話をしていたから」
「普通は値段の話も一緒にすると思うのですが」
「したと思う」
「でも覚えていないんですよね?」
「ああ」
ガレネは額に指を当てた。テロンが真継を見る。
「ガレネ。お前もマツグについていけ」
「そうします」
ガレネが即答した。
「なぜだ」
二人が同時に真継を見る。
「お前一人で行かせたら、言われた額をそのまま払ってきそうだからだ」
「金が足りるならいいだろう」
「よくないです」
今度はガレネが言った。
「払えることと、適正な額かどうかは別です」
「面倒だな」
「その面倒なところを私がやります」
「なら頼む」
あっさり任せられ、ガレネは一瞬言葉に詰まった。
「……そう素直に言われると、怒りにくいですね」
「怒っていたのか?」
「少し」
「そうか」
真継は家に戻ろうと立ち上がった。
「明日の朝出る」
「はい」
こうして、翌日はガレネもアテライへ同行することになった。
家に戻った二人は簡単な夕食を済ませた。ガレネがこの家で暮らすようになってから何日か経っていたが、特に何かが変わったわけではない。ガレネは蝋板を眺め、真継は明日のことを考える。必要なことを話し終えれば、それぞれ眠るだけだった。
明日は朝からアテライへ向かう。
二人はいつもより少し早く床に就いた。
♢
翌朝。真継とガレネは日の出から少ししてミュレアを出た。馬は一頭しかいないため、今回も二人乗りだった。真継が前で手綱を取り、ガレネが後ろに乗る。以前よりは慣れたのか、ガレネも真継の腰へしがみつくほどではなくなっていた。
「慣れたな」
「何がです?」
「馬だ」
「少しだけです」
「なら次は一人で乗れる」
「急に難しくなりません?」
「落ちなければいい」
「その落ちない方法を教えてほしいんですけど」
「身体で覚えろ」
「マツグの教え方って、だいたいそれですよね」
真継は少し考えた。
言われてみればそうかもしれない。
アテライまでの道はもう何度か通っている。海沿いの街道を進み、草地や畑の間を抜ける。ところどころで人とすれ違い、荷車を追い越し、逆に商人の一団に追い越された。ここまでは、特に何事もない道中だった。
日が高くなりきる前には、アテライの城壁が見えてきた。
♢
鍛冶屋へ入ると、炉の熱気が店の中に満ちていた。弟子らしき男たちが道具を手に、忙しく動き回っていた。槌を振るっていた鍛冶屋が真継を見た。
「やっと来たか」
「昨日聞いた」
「できたのは三日前だ」
鍛冶屋は槌を置き、奥へ入っていった。しばらくして、布に包まれた一本の剣を持って戻ってきた。
「注文通りにはした。できる範囲でな」
鍛冶屋が布を開いた。
現れたのは、アテライでよく見かける曲刀を、そのまま長くしたような剣だった。刀身は前方へ緩く湾曲し、切っ先へ近づくほど幅を増している。通常のものよりかなり長い。柄も長く取られており、片手だけでなく両手でも握れる。
日の本の刀とはまるで違う。だが、それでよかった。
この土地にはこの土地の鉄があり、鍛え方がある。わざわざ昔の武器をそのまま作らせる必要はない。真継が欲しかったのは、自分の身体に合う剣だった。
柄を握り、持ち上げる。重心は前にある。片手で振るには少し重いが、扱えないほどではない。両手で持てば安定する。二度、三度と軽く振る。風を切る音が鳴った。
「軽いな」
鍛冶屋の眉が動いた。
「重くしたんだよ」
「そうなのか」
「普通の曲刀よりずっと鉄を使ってんだぞ」
「そうか」
「お前、喧嘩売ってるのか?」
「褒めている」
「どこがだ!」
後ろで見ていたガレネが苦笑する。
「たぶん、本当に褒めてますよ」
「これでか?」
「マツグですから」
真継は刃を眺めた。
鍛冶について、真継は専門家ではない。昔から様々な武器を使ってきたため、持ったときの良し悪しや、武器としての使い勝手くらいならある程度分かる。しかし、どんな鉄を選び、どう打てばこの形になるのかまでは分からない。
少なくとも、雑な仕事ではない。
「よくできている」
鍛冶屋が黙った。
「……最初からそう言え」
「今言った」
「遅い」
店の脇には、刃を試すための古い木材が置いてあった。鍛冶屋に許可を取り、その一本を立てた。
真継は曲刀を両手で構えた。一歩踏み込み、斜めに振り下ろす。乾いた音が響き、刃が木へ深く食い込んだ。完全には断ち切れなかったが、十分だった。真継は剣を引き抜き、刃を見る。
「悪くない」
「だから褒め方を覚えろ」
「十分だろう」
「こいつと話してると疲れるな」
鍛冶屋がガレネを見る。
「慣れますよ」
「慣れたのか?」
「少しだけ」
「大変だな」
「何の話だ」
「お前の話だ」
真継にはよく分からなかった。剣はできた。使い勝手も悪くない。それで十分ではないのか。
「で、代金だが」
鍛冶屋が金額を口にした。
真継はガレネを見る。
「高いか?」
ガレネが目を閉じた。
「私を連れてきて正解でしたね」
「だから連れてきた」
「今そういうことにしましたよね?」
「違うのか?」
「違います」
そこからはガレネの仕事だった。
鉄の代金、長い刀身と柄の加工、注文品としての手間。一つずつ鍛冶屋に確認し、妥当だと思えば頷き、少し高いと思えば理由を聞く。
真継は途中から話を聞くのをやめた。
分からないものを無理に自分でやる必要はない。分かる者がいるなら任せればいい。やがて話がまとまり、ガレネがこちらを向く。
「払って大丈夫です」
「分かった」
真継が金の入った袋を出す。
「貸してください」
「俺が払う」
「数えます」
「数えられるぞ」
「価値が分からないでしょう?」
「使えればいい」
「それをやめてくださいと言ってるんです」
結局、金はガレネが数えた。
真継は新しい曲刀を腰へ差した。金を数えるより、こちらの方が自分には向いている。
♢
せっかくアテライまで来たのだからと、ガレネは市場にも寄った。塩、油、穀物。それに村で必要になる細々としたものを見て回る。真継は荷物持ちになった。買ったものを馬に積みながら、ガレネが蝋板へ何かを書き込んでいる。
「少し高くなっていますね」
「何がだ」
「塩と麦です。油も少し」
「足りないのか?」
「分かりません。今すぐ困るほどではありませんけど」
ガレネは市場の方へ目を向けた。
「戦の禁が満了したから、どこかが買い集めているのかもしれません。商人が値を上げているだけかもしれませんし」
「足りなくなったら買えばいい」
「高くなったら、その『買えばいい』が難しくなるんです」
「金が足りないのか?」
「今の話を聞いてました?」
「聞いていた」
「本当ですか?」
「高くなるんだろう」
「そこまでは合ってます」
ガレネはため息をつきながら、蝋板へもう一つ印を刻んだ。
村には人が増えた。人が増えれば、食う者も増える。塩も油も必要になる。言われてみれば当然のことではある。少し前までの真継なら、人が増えれば働き手が増える程度にしか考えなかっただろう。しかし実際には、住む場所も、仕事も、食料も必要になる。人間というものは、集まれば集まるほど面倒が増えるらしい。
それでも真継にとっては、今考えても仕方のないことだった。必要になれば、そのとき考えればいい。その考えを口にするとまたガレネが何か言いそうなので、黙っておいた。
♢
アテライを出たのは、昼をだいぶ過ぎてからだった。
来たときと同じように真継が前へ乗り、ガレネが後ろに乗る。買った荷物もあるので、馬は朝よりゆっくりと歩いていた。街道を行き交う者は少なくない。だが、アテライから離れるにつれて人影は減っていった。海から吹く風が乾き始めた草を揺らしている。
真継が異変に気づいたのは、道が低い丘の間へ入ったところだった。前方に人影がある。五人が街道の真ん中に立っていた。旅人ではない。こちらを見る目と、手にした武器で分かる。まともな用件ではない。
「止まれ」
先頭の男が言った。短い槍を持っている。その後ろには剣や棍棒を持った男が四人。
真継は馬を止めた。後ろからガレネが小さな声で尋ねる。
「知り合いですか?」
「いや」
「でしょうね」
男たちの一人が馬を見た。次に荷物を見る。最後にガレネを見た。
「馬と荷物を置いていけ。女もだ」
「嫌だ」
真継は即答した。
男が眉を寄せる。
「聞こえなかったのか?」
「聞こえたから答えた」
後ろでガレネが真継の服を軽く引いた。
「マツグ」
「何だ」
「たぶん話しても無駄な人たちですよ」
「そうだな」
「分かってるんですね」
真継は馬から降りた。少し考えてから、新しい曲刀の柄に手を置く。
ちょうどいい。試し斬りはしたが、木と人では違う。
先頭の男が槍を構えた。
「死にたいらしいな」
「いや」
真継は剣を抜いた。
「切れ味を試したい」
「は?」
男が何か言うより早く、真継は踏み込んだ。槍の穂先がこちらへ伸びる。身体を半歩ずらし、柄の近くを左手で払う。槍先が脇を抜け、そのまま間合いへ入った。
新しい曲刀を両手で握る。斜め下から振り上げた。刃が男の脇腹へ入り、肉を裂き、肋骨を断った。手応えは思った以上に軽かった。勢いのまま刃が抜ける。
男は何が起きたのか分からないような顔で数歩よろめき、そのまま道へ崩れ落ちた。
真継は血が流れている刀身を見る。刃こぼれは見えない。
「よく切れるな」
誰も答えなかった。
残った四人が真継を見ている。先ほどまでの威勢は消えていた。
真継は剣を軽く振って血を落とす。
「次は誰だ」
一人が後ずさった。それをきっかけにしたように、全員が背を向けた。
「お、おい!」
「待て!」
誰が誰に言ったのかも分からない。四人は丘の向こうへ向かって走り出した。武器を持ったままの者もいれば、棍棒を落としていく者もいる。
真継は追おうとして一歩進み、止まった。少し前なら追ったかもしれない。だが、今は馬に荷物がある。ガレネもいる。それに、倒した男の持ち物もまだ見ていない。
「追わないんですか?」
ガレネが馬上から聞いた。
「面倒だ」
「……成長しましたね」
「何がだ」
「いえ、何でもありません」
真継は倒れた男の槍を拾った。使えないものではない。腰につけていた小さな革袋も外す。
「何してるんです?」
「金があるかもしれん」
「さっきまで切れ味を試していた人とは思えない切り替えですね」
「盗賊だろう。死んだ奴には要らん」
「その理屈もだいぶ慣れてきました」
革袋には、いくらかの貨幣が入っていた。真継は中を覗き、そのままガレネへ渡した。
「ほら」
「どうして私に?」
「価値が分からん」
ガレネはしばらく黙ったあと、袋を受け取った。
「……そこはちゃんと覚えたんですね」
「使えることと価値が分かることは別なんだろう」
「誰に教わったんです?」
「テロン」
「ならテロンさんに感謝しておきます」
真継は新しい剣を布で拭った。木を斬ったときより、使い心地はよかった。少なくとも鍛冶屋に払った金が無駄ではなかったことくらいは分かる。
「これなら使える」
「鍛冶屋さんが聞いたら喜ぶでしょうね」
「そうか?」
「たぶん、言い方には怒りますけど」
真継は剣を鞘へ収めた。
馬に乗り直し、ガレネが後ろへ収まったことを確かめてから手綱を取る。
街道には盗賊が一人倒れている。残りはもう見えなかった。
「行くぞ」
「はい」
馬が歩き出す。しばらくして、後ろからガレネが口を開いた。
「そういえば」
「何だ」
「今日、剣を受け取りに行ったんですよね」
「ああ」
「剣のお金を払って、村の買い物をして、帰りに盗賊からお金を取った」
「そうだな」
「……帳簿には何て書けばいいんでしょう」
真継は少し考えた。
「収入でいいだろう」
「盗賊からですけど」
「金は金だ」
「そういうところだけ金銭感覚が雑なんですよね」
「細かいことはお前に任せる」
「便利な言葉を覚えましたね」
真継は前を向いたまま、腰の曲刀に手を触れた。
剣はできたし、切れ味も悪くない。金のことはガレネが覚えている。村へ帰れば仕事もあるだろう。そう考えれば、今日は上出来だった。
少なくとも真継にとっては。