あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う 作:カズヤミサワP
翌朝、真継は村長の家に呼ばれていた。昨日の話し合いで、ミュレアの水不足を解決できるかもしれない人物としてダモンの名が挙がった。問題は、そのダモンがどこにいるのか、真継自身も知らないことだった。
村長の家には真継のほか、ガレネとテロンも集まっている。ガレネはいつものように蝋板を手にしていた。
「それで、そのダモンという男について、分かっていることをもう一度聞かせてください」
「ああ」
真継は記憶を辿った。
「名前はダモン。農民だ。歳は四十三だったな」
「他には?」
「デメテルの恩寵を持っている。地中の水を引き寄せて、地表へ湧かせることができる」
「それは聞きました。居場所についてです」
「ラケオンにいる」
ガレネは蝋板に何かを書き込んだ。
「ラケオンのどこです?」
「知らん」
「送られた農園の名前は?」
「知らん」
「農園の持ち主は?」
「知らん」
「場所は?」
「知らん」
ガレネの手が止まった。
「……それで、どうやって探すつもりだったんです?」
「ラケオンへ行けば何とかなると思っていた」
テロンが呆れた顔で真継を見る。
「ラケオンがどれだけ広いと思ってるんだ」
「知らん」
「知らないことを堂々と言うな」
「知ったところで、広さは変わらんだろう」
「そういう問題じゃない!」
村長も難しい顔をしていた。真継がダモンと別れたのは、ラケオンへ到着した直後だった。奴隷として売られた者たちは用途によって分けられ、農民だったダモンは農園へ送られた。真継自身は倉庫仕事を経てガレー船へ回されたため、その後の行き先など知る機会もなかった。
「ラケオンへ行って農園を一つずつ回るのは無理だろうな」
村長が言った。
「それに、今も同じ場所にいるとは限らん」
「死んでるかもしれんな」
真継が言うと、ガレネが顔をしかめた。
「そういうことをさらっと言わないでください」
「可能性はあるだろう」
「ありますけど」
ガレネは蝋板へ視線を落としたまま、しばらく何も言わなかった。やがて何かに気づいたように顔を上げる。
「待ってください。ダモンさんは、デメテル様の恩寵を持っているんですよね?」
「ああ」
「それなら、デメテル様の神殿に行ってみればいいんじゃないですか?」
真継は首を傾げる。
「神に聞くのか?」
「まず神官に聞きます」
「神に直接聞いた方が早いだろう」
「神様を人探しに使おうとしないでください」
「駄目なのか?」
「少なくとも、そんな気軽に呼びつけるものではありません」
テロンが笑った。
「お前なら本当に『ダモンはどこだ』って聞きそうだな」
「聞けば分かるなら聞くぞ」
「神様相手でもそれか」
ガレネは額に指を当てたが、すぐに表情を戻した。
「でも、試してみる価値はあります。恩寵は神から直接授けられるものです。普通の人よりは、デメテル様との繋がりが強いはずですから」
「神殿なら居場所が分かるのか?」
「分かるとは言ってません。ただ、何か手掛かりを得られるかもしれません」
「十分だ」
真継は立ち上がった。
「行ってくる」
「今からですか?」
「ああ」
ガレネも立ち上がる。
「では、私も行きます」
「そうか」
「もう驚かないんですね」
「最近は大体ついてくるからな」
「あなたを一人にすると心配なんです」
「俺が?」
「周りがです」
テロンが大きく頷いた。
「今回は俺は行かんぞ」
「何も言ってない」
「先に言っとくんだよ。お前と出かけると大体何か起きる」
「今回は神殿ですよ」
ガレネが言うと、テロンは一瞬考えた。
「それなら余計にマツグを一人にしない方がいいな」
「俺は神殿で何をすると思われてるんだ」
「分からんから怖いんだよ」
真継には納得できなかった。
♢
準備を整え、真継とガレネがミュレアを出たのは、日がまだ高くなる前だった。いつものように真継が前で手綱を取り、ガレネが後ろに乗る。アテライまでの街道は、もう何度も往復した道だった。
夏の日差しは朝から強く、街道脇の草は乾き、馬が進むたびに細かな土埃が上がる。途中で見かけた小川も、以前より水量が減っていた。
「ミュレアだけではないみたいですね」
後ろからガレネが言った。
「ああ」
「雨が欲しいところですね」
「雨を降らせる恩寵の奴はいないのか?」
「いるかもしれませんけど、知りませんよ」
「便利そうだな」
「恩寵を便利かどうかで判断するの、やめません?」
「便利なものは便利だろう」
「そうですけど」
ガレネは諦めたようだった。しばらく馬を進めたあと、今度はガレネの方から口を開く。
「ダモンさんって、どんな人なんです?」
「農民だ」
「それは知ってます」
「四十三だ」
「それも聞きました」
「他に何がいる」
「性格とかです」
真継は少し考えた。
「穏やかな男だったな」
奴隷狩りに捕まった直後、真継はこの世界についてほとんど何も知らなかった。神々が本当に存在することも、大協定のことも、恩寵のことも知らなかった。その多くを教えてくれたのがダモンだった。
「奴隷になった直後なのに、妙に落ち着いていた。俺が何も知らんから、色々教えてくれた」
「マツグがこの土地に来て、最初に仲良くなった人ですか?」
「仲良くなったのか?」
「私に聞かないでください」
「話はよくしたな」
「それを普通は仲が良かったと言うんですよ」
「そうなのか」
「たぶんダモンさんも苦労したんでしょうね」
「俺は何もしてないぞ」
「今のやり取りだけで少し分かりました」
真継は前を向いた。ダモンと過ごした時間そのものは長くない。それでも、この世界に来て初めてまともに話をした相手の一人だったことは確かだった。生きているなら助けたい。もっとも、今はそれだけではない。ミュレアには水が必要だった。
♢
昼前にはアテライへ着いた。門を通り、市場の賑わいを横目に進む。以前なら真継は市場や鍛冶屋くらいしか用がなかったが、今回はガレネの案内で神殿の多い一角へ向かった。
アテライには多くの神を祀る場所がある。その中でもデメテルの神殿は、交易で賑わう中心部から少し離れた場所に建っていた。他の大きな神殿ほど威圧的ではなく、石造りの柱の間には麦の穂を模した飾りがあり、入口近くには穀物や果物が供えられている。農民らしい格好の者や、籠を抱えた女たちの姿も多かった。
「ここです」
ガレネが言った。
「そうか」
真継はそのまま入ろうとした。
「待ってください」
「何だ」
ガレネの視線が真継の腰へ向く。
「剣」
「これがどうした」
「預けてください」
「なぜだ」
「神殿の中へ武器を持って入らないでください」
「神は剣が嫌いなのか?」
「そういう問題ではありません」
「アレスの神殿でも駄目なのか?」
「今はデメテル様の神殿です」
「なるほど」
「本当に分かってます?」
分かっているつもりだった。
入口近くで曲刀を預けると、真継とガレネは神殿の中へ入った。内部には外の暑さとは違う、ひんやりとした空気が漂っている。香の匂いに混じって、乾いた麦や土の匂いがした。
ガレネが神官の一人に声をかける。相手は五十歳ほどに見える男だった。事情を聞くと、最初は穏やかに頷いていたが、ダモンの恩寵について話したところで表情が変わった。
「地中の水を引き寄せ、地表へ湧かせる、と?」
「ああ」
真継が答える。
「本人はデメテルの恩寵だと言っていた」
「名はダモン?」
「そうだ」
「どこでその者と?」
「奴隷として一緒に運ばれていた」
神官が一瞬黙った。
「あなたも奴隷だったのですか?」
「少し前までな」
「……そうですか」
神官はそれ以上聞かなかった。
「確かに、その力であればデメテル様の恩寵である可能性は高いでしょう。しかし、私どもがすべての恩寵持ちの居場所を知っているわけではありません」
「神に聞けば分かるか?」
真継が尋ねると、隣でガレネが小さく息を吐いた。神官は怒ることもなく、少し困ったように笑う。
「女神は、人の問いすべてに答えるためにおられるのではありません」
「そうなのか」
「そうです」
「だが、そのダモンに恩寵を与えたのはデメテルなんだろう?」
「もし本当にそうであれば」
「なら、生きているかくらいは分からないのか?」
神官はしばらく真継を見ていた。
「……願いを捧げることはできます」
ガレネが顔を上げる。
「神託を?」
「そこまで大げさなものになるかは分かりません。ですが、女神が恩寵を授けた者であれば、何らかの兆しを示してくださる可能性はあります」
「やってくれ」
「マツグ」
「何だ」
「もう少しお願いする態度というものが」
神官が手を上げ、ガレネを止めた。
「構いません。ただし、答えが得られる保証はありません」
「それでいい。何もしないよりはましだ」
♢
祈りの準備には少し時間がかかった。供物として麦と葡萄酒、それに香を用意することになり、神殿への寄進も必要だと言われた。金額を聞いた真継は当然のようにガレネを見る。
「高いか?」
「神殿でも聞くんですか?」
「分からんものは分からん」
ガレネは金額を確認した。
「……普通だと思います」
「なら払う」
「こういうときだけ素直ですね」
「高くないんだろう?」
「そうですけど」
真継は金を渡した。神官は何とも言えない顔をしていた。
準備が整った頃には、日が西へ傾き始めていた。案内されたのは神殿の奥にある小さな祭室で、中央の祭壇には土を入れた浅い器が置かれ、その周囲を麦の穂と果実が囲んでいる。先ほどの神官のほかに、白い衣をまとった年配の女神官が一人いた。
「探している者を思い浮かべてください」
女神官に言われ、真継は目を閉じた。
ダモン。奴隷隊商の中で隣を歩いていた男。疲れた顔をしながらも、真継の質問に一つずつ答えていた。デメテルの恩寵について話すときだけ、少し誇らしげだったことも覚えている。
やがて祈りが始まった。女神官の低い声が祭室に響く。真継には祈りの作法など分からないので、言われた通り黙っていたが、しばらく待っても何も起こらない。さらに待っても同じだった。
真継が目を開く。
「駄目か?」
「静かにしてください」
ガレネが小声で言った。
その直後、祭壇に置かれた麦の穂が揺れた。風はなく、窓も閉じている。それでも麦の穂だけがゆっくりと頭を垂れ、乾いていたはずの祭壇の土が黒く変わっていく。ほんのわずかだったが、土の底から水が滲み出していた。
女神官の声が止まった。長い沈黙のあと、彼女は目を開く。
「生きています」
ガレネが息を呑んだ。
真継は女神官を見る。
「ダモンが?」
「女神が示されたものが、あなたの探す者であれば」
「場所は?」
「マツグ」
「分かるなら聞いた方がいいだろう」
女神官は気を悪くした様子もなく、再び目を閉じた。しばらくして、静かに言葉を続ける。
「戦神の地。その北西。大きな川から離れた麦の土地。三本の柏が並ぶ丘、その麓にある農園」
真継はガレネを見る。
「分かったか?」
「全然分かりません」
「そうか」
横にいた神官が考え込む。
「三本の柏……ラケオン北西の麦畑……」
やがて顔を上げた。
「おそらく、場所は絞れます」
「知っているのか?」
「直接行ったことはありません。しかし、その特徴に当てはまる大農園の話を聞いたことがあります。ラケオンから北西へ向かった土地に、丘を境に広い麦畑を持つ農園があります」
「そこに行けばいいんだな」
「女神の示された場所がそこならば」
ガレネが祭壇の水を見る。
「少なくとも、ダモンさんは生きているんですね」
「ああ」
真継は短く答えた。それだけ分かれば十分だった。
♢
神殿を出た頃には、空が赤くなり始めていた。帰りの道中、ガレネはいつもより口数が少なかった。
「どうした」
真継が聞く。
「いえ……本当に神様っているんだなと思って」
「いるんだろう?」
「知ってはいます。でも、ああやって目の前で示されると少し違います」
「そういうものか」
「マツグは何とも思わないんですか?」
「神なら昔から色々見た」
「……今、聞き流せないことを言いませんでした?」
「言ったか?」
「言いました」
真継はそれ以上説明しなかった。長く生きていれば、神と呼ばれたものも、神のように扱われたものも、いくらでも見てきた。だが、この世界の神々は少し違うらしい。少なくとも、土から水を出して人の居場所を教える神は初めてだった。
♢
ミュレアへ戻ったのは日が沈んだあとだった。村長の家ではテロンたちが待っている。
「どうだった?」
テロンが聞く。
「見つかった」
「もうか?」
「ああ」
「どうやって?」
「神に聞いた」
テロンが黙った。
「……便利だな、神様」
「テロンさんまでマツグみたいなこと言わないでください」
ガレネが疲れたように言った。
真継は神殿で聞いた内容を説明した。ダモンは生きている可能性が高く、居場所はラケオン北西部の大農園。詳しい場所も、おおよそ絞れている。
村長が頷く。
「なら次は、どうやって連れてくるかだな」
「買う」
真継が答えた。
「まずはそれですね」
ガレネも同意する。
「ただ、ダモンさんは普通の農奴隷とは違います。デメテル様の恩寵を持っているなら、農園主も簡単には手放さないと思います」
「金を増やせばいい」
「だから、どれだけ必要になるか分からないんです」
「あるだけ持っていくか」
「全部持っていくのは駄目です」
「面倒だな」
「その面倒なところを私がやるんです」
「なら頼む」
ガレネは一瞬黙り、やがて諦めたように頷いた。
「はい」
村長が真継を見る。
「無茶はするなよ」
「しない」
テロンが眉を上げる。
「本当か?」
「金で買えるなら買う」
「買えなかったら?」
真継は少し考えた。
「そのとき考える」
ガレネとテロンが同時に嫌そうな顔をした。
「何だ」
「その言い方が一番信用できないんだよ」
「まだ何もしてない」
「『まだ』って言ったぞ」
「昨日も同じこと言ってましたよ」
「そうだったか」
「そうです」
真継は覚えていなかった。
♢
翌朝にはラケオンへ向かうことになった。水にはまだ多少の余裕があるが、雨がいつ降るかは誰にも分からない。ダモンが本当に見つかるかも、農園主が売ってくれるかも分からない以上、早く動くに越したことはなかった。
真継は家へ戻ると、新しい曲刀の刃を確かめた。ガレネがその様子を横から見ている。
「今回は喧嘩をしに行くんじゃありませんからね」
「分かっている」
「ダモンさんを買い戻しに行くんです」
「ああ」
「まず話し合いです」
「分かっている」
「本当に?」
真継は曲刀を鞘へ収めた。
「まずは話をする」
ガレネが目を細める。
「その『まずは』が気になるんですけど」
「気にするな」
「気にします」
真継は答えず、明日のための荷物を確認した。ダモンの居場所は分かった。あとは、連れて帰るだけだった。