あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う   作:カズヤミサワP

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第2話 腹の薬ではなかった

 富士での役目を終えた一行は、来た道を引き返して都を目指していた。

 

 山を下りてからすでに数日が経っている。あれほど遠く感じた富士も、振り返れば山々の向こうに白い頂を見せるだけになっていた。朝からよく晴れており、街道の左右には秋を迎えた草木が広がっている。風は涼しく、歩くには悪くない日だった。

 

 真継の腹も、それ以来すっかり調子がよかった。

 

 あの日はどうなることかと思ったが、富士で飲んだ薬がよほど効いたらしい。下山してから一度も痛んでいない。原因と思われる干し魚もすでに食べ尽くしてしまったので、今さら気にすることでもなかった。

 

 もっとも、あの薬の名を聞くことだけは忘れていた。

 

 山を下りれば宿の手配や食料の調達があり、護衛である真継にも仕事があった。そのうち薬のことなど頭から消えてしまったのである。

 

 任務そのものは無事に終わった。

 

 帝から預かった手紙と不死の薬は、国で最も天に近い富士の頂で焼いた。あとは都へ戻り、石笠が帝へ報告すればすべて終わる。

 

 行きと比べれば、一行の空気も明らかに軽かった。

 

 帝から直々に預かった品を運ぶというのは、それだけで気を遣う。盗まれることはもちろん、失くすことも壊すことも許されない。道中で何事か起これば、護衛である真継たちにも責任が及ぶ。

 

 今はもう、その心配がない。焼くべきものは焼いた。奪われて困るものもない。真継にしてみれば、あとは都まで歩くだけだった。

 

「帰ったら何をする」

 

 隣を歩いていた兵に尋ねられ、真継は少し考えた。

 

「まず身体を洗いたい」

 

「それから?」

 

「酒だな」

 

「女ではないのか」

 

「酒を飲んでから考える」

 

「順番が逆だろう」

 

「酔っていたほうが細かいことを気にしなくて済む」

 

 相手が笑った。真継も笑いながら歩き続けた。何事もなければ、あと何日かで都へ帰れる。そう思っていた。

 

 その日の昼を少し過ぎたころ、一行は山間の街道へ入った。

 

 道の片側には木々の生い茂った斜面があり、反対側は浅い谷になっている。人家はしばらく見ていなかった。行商人や旅人ともすれ違わず、聞こえてくるのは鳥の声と、草を踏む自分たちの足音ばかりだった。

 

 真継は何となく周囲を見回した。兵として長く働いていれば、こういう場所では自然と警戒するようになる。見通しが悪い。逃げ道も少ない。人を襲うには都合のいい場所だった。

 

 腰に下げた反りのほとんどない刀へ手を添えたところで、前を歩いていた石笠が立ち止まった。

 

 道の先に男たちがいた。五人か。いや、左右の木々の間にも人影がある。

 

 真継はすぐに数えるのをやめた。十人を超えている。

 

 着ているものに統一はなく、手にしている武器も刀、槍、棍棒とばらばらだった。身なりもよくない。

 

 何者なのか考える必要もなかった。

 

「面倒だな」

 

 隣にいた兵が小さく呟いた。

 

「まったくだ」

 

 真継も答えた。

 

 前方にいた男たちが道を塞ぐように広がった。その中央から、一際大柄な男が出てくる。髭を伸ばし、肩に大きな刀を担いでいる。周囲の者たちが一歩下がったところを見るに、どうやら頭らしい。

 

 男は石笠たちを見回した。

 

「ずいぶん大勢で旅をしているな」

 

 石笠は答えなかった。護衛の兵たちが自然と前へ出る。真継もその中に混じった。

 

 こちらが武装していることは相手にも見えている。それでも退かないのだから、戦うつもりなのだろう。

 

 大男は口元を歪めた。

 

「命までは取らん。荷と銭を置いていけ。そうすれば――」

 

 最後まで聞く必要はないと真継は判断した。刀を抜き、男との距離を一気に詰める。大男の顔から笑みが消えた。

 

「おい、待――」

 

 真継は振り下ろした。刃が頭へ食い込み、大男の身体が崩れ落ちた。

 

 周囲が静まり返った。真継は倒れた男から刀を引き抜いた。

 

「真継」

 

 後ろから呆れたような声がした。

 

「何だ」

 

「まだ話の途中だったぞ」

 

「荷を置いていけと言っただろう」

 

「その後に何か言おうとしていた」

 

「聞く必要があるか?」

 

 真継は刀についた血を振り払い、目の前の盗賊たちを見た。

 

「続け!」

 

 真継が叫ぶと、兵たちも諦めたように武器を抜いた。

 

 盗賊たちは一瞬遅れた。

 

 頭がいきなり斬り倒されるとは思っていなかったのだろう。だが、呆然としていたのはほんのわずかな間だった。

 

「頭!」

 

 誰かが叫んだ。

 

「殺せ!」

 

 盗賊たちが一斉に動いた。真継も駆けた。

 

 刀を振り上げてきた男の懐へ入り、先に斬る。倒れるのを待たずに身体をかわすと、横から突き出された槍が目の前を通り過ぎた。

 

 柄を掴んで引く。槍を持っていた男が体勢を崩した。真継はその顔を刀の柄で殴り、さらに肩口を斬った。

 

 周囲でも兵と盗賊が入り乱れていた。もはや隊列も何もない。

 

 狭い街道で十数人ずつが入り乱れ、互いに近くの敵へ武器を振るっている。真継は自分の横を通り抜けようとした盗賊の背中を斬り、そのまま次の相手へ向かった。

 

 数では盗賊のほうが多い。だが、戦い慣れているのはこちらだった。

 

 真継たちは帝の命を受けた一行を守るために選ばれた兵である。寄せ集めの盗賊に遅れを取るつもりはなかった。

 

 実際、戦いは次第にこちらへ傾いていた。一人が逃げた。それを見て、別の盗賊も後ろへ下がり始める。

 

「逃がすな!」

 

 誰かが叫んだ。真継は逃げようとした男を追った。

 

 そのときだった。

 

「こいつだ!」

 

 背後から声がした。振り返る。三人の男がこちらへ向かってきていた。全員が槍を持っている。

 

「頭の仇だ!」

 

「そうか」

 

 真継は刀を構えた。一人なら問題ない。二人でもどうにかなる。三人となると少し面倒だった。

 

 最初の槍を刀で払った。続けて突き出された二本目を身体を捻って避ける。その動きに気を取られ、三人目への注意が遅れた。脇腹に強い衝撃を感じた。何が起きたのか理解するより先に、息が詰まった。見ると、槍が自分の腹へ深く突き刺さっている。

 

「真継!」

 

 遠くで誰かが呼んだ。槍を抜こうとした。

 

 その前に、別の槍が胸へ入る。今度は痛みをはっきり感じた。身体から力が抜ける。膝をついたところへ、さらにもう一本が突き出された。三人がかりだった。

 

「頭の仇だ!」

 

 先ほど聞いた。そう言い返したかったが、声が出なかった。

 

 真継は地面へ倒れた。視界が揺れている。胸から血が流れ、身体の下へ広がっていくのが分かった。息を吸おうとしても、うまく吸えない。

 

 これはまずい。そう思った。

 

 何度も戦った。人が死ぬところも見てきた。どのような傷を負えば助からないのかも、それなりに知っている。今の自分は、おそらく助からない。

 

 自分は死ぬのか。そう考えた途端、急に怖くなった。

 

 これまで死について考えたことがなかったわけではない。兵として働いている以上、いつか戦いで死ぬかもしれないとは分かっていた。

 

 だが、分かっていることと、実際に死ぬことはまるで違った。

 

 都のことを思い出した。暮らしていた家。よく酒を飲んだ店。顔馴染みの者たち。子供のころに過ごした土地や、もう死んだ父母のことまで、なぜか次々と思い出した。

 

 人は死ぬ前に昔のことを思い出すのだろうか。そんなことを考える余裕が自分に残っているのが不思議だった。

 

 もっと生きたかった。酒も飲みたかった。女も抱きたかった。うまいものも食いたかった。

 

 死にたくない。素直にそう思った。

 

 視界が暗くなっていく。戦っている者たちの声も遠ざかった。最後に何かを考えたような気がしたが、それが何だったのかは分からなかった。

 

 真継の意識は途切れた。

 

 

 

 

 次に目を開けたとき、空が見えた。木々の枝の向こうに、青い空が広がっている。

 

 真継はしばらく瞬きをした。何が起きたのか分からなかった。身体を起こそうとする。

 

「おい」

 

 すぐ近くから声がした。見ると、同僚の兵が立っていた。刀を持ち、服にも顔にも血がついている。男は真継を見下ろしていた。ひどく驚いた顔をしている。

 

「真継?」

 

「……何だ」

 

「生きていたのか?」

 

 妙なことを言う。真継は身体を起こした。

 

 周囲を見る。戦いは終わっていた。

 

 街道には盗賊たちが何人も倒れている。生き残った者は逃げたらしく、仲間たちが怪我人の手当てをしたり、死体を調べたりしていた。

 

 真継は自分の身体を見た。服が血で濡れている。三か所も穴が空いていた。それを見て記憶が戻った。三人の盗賊に槍で刺されたのだ。

 

 同僚が近づいてきた。

 

「てっきり死んだと思ったぞ。三本も食らっていたからな」

 

 真継は答えなかった。

 

「当たりどころがよかったんだろう。大したものだ」

 

「……そうだな」

 

「浅かったのか? 運のいい奴だ、立てるか?」

 

「ああ」

 

 手を借りて立ち上がった。

 

 痛くない。胸も腹も、何ともなかった。それがおかしかった。

 

 真継は自分が一度死んだことを知っていた。あれは気絶ではない。息が止まり、身体から力が抜けていく感覚を覚えている。何より、三本の槍が身体へ入った。当たりどころがよかったなどという傷ではなかった。

 

 真継は周囲を確認した。誰もこちらを見ていない。少し離れた木の陰へ移動し、血に濡れた服をめくった。胸にも腹にも傷がない。指で触ってみた。血はついている。だが、その下には何の傷跡もなかった。

 

「……何だ、これは」

 

 真継は自分の身体を何度も確かめた。間違いない、傷が消えている。

 

 そこで、ふと思い出した。

 

 富士での腹痛。荷の中にあった小さな包み。見慣れない薬。そして山頂で石笠が火の中へ入れた、どこかで見たことのある包み。あのときは気にも留めなかった。だが今なら分かる。同じものだった。

 

 真継は血に濡れた腹を見下ろした。かぐや姫が帝に残したという、飲めば死ななくなる薬。自分はあれを飲んだのだ。真継はしばらく動かなかった。

 

 やがて、ゆっくりと服を戻した。

 

 あれは腹の薬ではなかった。

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