あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う 作:カズヤミサワP
ラケオンへ向かうことになってから、さらに六日が過ぎた。
その間に景色は大きく変わった。どこまでも続いていた草原は次第に少なくなり、起伏の激しい土地が増えていった。遠くには山々が連なり、その間を縫うように道が続いている。集落の数も増えたが、これまで見てきたものとは少し様子が違っていた。
まず、男が少ない。畑で働いているのは老人や女、それに真継たちと同じような奴隷らしき者が多かった。若い男を見かけても農具ではなく槍を持っていることが多く、集落の近くには必ずと言っていいほど訓練場があった。少年たちまで木製の槍と盾を持ち、大人に怒鳴られながら隊列を組んでいる。
道を行く荷車にも特徴があった。穀物や野菜を積んだものより、槍や盾、矢、革、木材を運んでいるもののほうが目につく。大協定による百年の停戦が終わるまで、もう一月もない。国全体が戦争へ向けて動き始めているのだろう。
「随分と分かりやすい国だな」
真継が言うと、隣を歩いていたダモンが嫌そうな顔をした。
「だから言ったでしょう。ラケオンは戦争ができる日を待っているんです」
「百年も待ったのなら、楽しみにもなるか」
「なりませんよ、普通は」
「そうか?」
「そうです」
真継にはいまひとつ納得できなかった。戦争が良いものだとは思わない。長く生きてきたぶん、それがどれほど人を殺し、国を滅ぼすのかも知っている。真継自身、戦争によって何度死んだのか数えることさえできない。それでも、戦が始まる前の空気には覚えがあった。武器が作られ、食料が蓄えられ、兵が集まり、道を軍勢が行き交うようになる。人々は不安を口にしながら、どこか落ち着かなくなる。戦争を望んでいない者でさえ、何か大きなことが始まる予感に呑まれていく。時代が変わっても、その辺りは同じらしい。
ただしラケオンの場合、その熱気が露骨だった。道沿いにはアレスを祀る小さな祠がいくつもあり、槍や盾を供えて祈る兵士の姿を頻繁に見かけた。大きな集落へ入れば神像まであり、筋骨隆々とした男神が槍を手にして敵を踏みつけている。
「アレスか」
真継が呟くと、ダモンが振り返った。
「知っているんですか?」
「名前はな」
「アテナ様もデメテル様も知らなかったような顔をしていたのに?」
「知っていたから驚いたんだ」
「よく分かりません」
「俺にも分からん」
地球に存在した神話と、この世界の神々。その関係については、いまだに何一つ分かっていない。ただ、ラケオンがアレスを信仰していることについては妙に納得できた。
「戦の神だったな」
「戦と勇気を司る神です」
「その割には、ずいぶん働かせる」
真継は畑を指した。日に焼けた男たちが黙々と土を耕している。首には奴隷であることを示すらしい輪があり、その近くでは槍を持った監督役が立っていた。
「アレス様を信仰するのは、ほとんどラケオンの戦士ですよ」
「奴隷には関係ないか」
「むしろ戦士が戦うために、私たちが働くんです」
「なるほど」
真継はもう一度畑を眺めた。
「よくできている」
「奴隷の前で言うことではありませんよ」
「俺も奴隷だ」
「あなた、ときどき忘れてませんか?」
真継は否定しなかった。
♢
山間の道を抜けた先で、ラケオンの中心部が見えた。真継が最初に抱いた印象は、質素な国だというものだった。
高い城壁に囲まれた巨大都市を想像していたが、実際には低い石造りの建物が広い範囲に連なっている。目を引くほど華美な建物は少なく、装飾も控えめだった。ただし、至るところに兵士がいる。広場では数十人の男たちが槍と盾を持って訓練し、掛け声に合わせて盾を並べ、槍を突き出し、前進しては止まる。同じ動作を何度も繰り返していた。別の場所では少年たちが走らされ、転んでも誰も助けず、自分で起き上がって列へ戻る。道を歩く成人の男たちもほとんどが武装しており、槍を持っていない者でも腰には短剣を下げていた。
「確かに兵の国だな」
「でしょう?」
「悪くない」
「私は何も嬉しくありません」
ダモンはすっかり諦めた様子だった。
真継は訓練する兵士たちを眺めた。装備も戦い方も、真継が生まれた時代よりさらに古い。だが、兵士としての練度は低くなさそうだった。個人の武勇ではなく、集団で動くことを徹底的に叩き込んでいる。盾を並べ、隣の者を守りながら前へ進む。単純だからこそ、崩すのは難しい。
長い年月の間に、真継は数え切れないほどの軍隊を見てきた。鉄製の武器を使う軍勢から、銃を持つ兵士、空を飛ぶ兵器、最後には人間が直接戦場へ出る必要すらなくなった時代まで知っている。武器は変わる。だが、兵士を集団として動かすという考え方は、驚くほど長く残った。
真継たちは都市の中心には向かわず、外れにある大きな石造りの施設へ連れていかれた。高い壁に囲まれ、中にはすでに何十人もの男女が集められている。
「市場か?」
「違うと思います」
ダモンが周囲を見回した。
「選別する場所でしょう」
「何を選ぶ」
「私たちをですよ」
真継は納得した。奴隷にも向き不向きがある。
♢
翌朝から選別が始まった。奴隷たちは一人ずつ呼び出され、年齢、出身、職業、技能などを尋ねられた。その後で身体を調べられ、最後に恩寵の有無を確認される。文字を書ける者は別の列へ移され、鍛冶や大工の経験がある者も分けられていった。身体の弱い老人や怪我人は残され、若く健康な者ほど早く行き先が決まっていく。
「合理的だな」
真継が言った。
「何がです?」
「使える場所へ回している」
「物みたいに言わないでください」
「向こうはそのつもりだろう」
「それはそうですけど」
ダモンは溜息をついた。やがてダモンの番が来たので、真継は少し離れた場所からその様子を見ていた。
「名は」
「ダモンです」
「歳は」
「四十三」
「仕事は」
「農夫です」
「恩寵は?」
一瞬、ダモンが黙った。
「ないのか?」
監督役がもう一度尋ねる。ダモンは真継のほうを見た。目が合ったが、真継は何も言わなかった。隠したければ隠せばいい。自分で決めることだ。
しかし、ダモンは少し考えた末に答えた。
「あります」
監督役の表情が変わった。
「何の恩寵だ」
「デメテル様の恩寵です。地中から少量の水を引くことができます」
「見せろ」
ダモンは地面へ手をついた。しばらくすると乾いていた土が湿り、小さな水溜まりができた。監督役が別の男を呼び、二人で何かを話したあと、木の板へ印をつける。
「農園」
それだけだった。ダモンは別の列へ移された。
真継は少し安心した。本人が言っていたとおり、戦える恩寵ではない。少なくとも戦場へ送られる可能性は低いだろう。
しばらくして、今度は真継が呼ばれた。
「名は」
「真継」
記録を取っていた男の手が止まった。
「もう一度」
「真継」
「……出身は」
「日本」
「どこだ」
「遠い」
「どの国の近くだ」
「もうない」
男が真継を見た。
「滅びたのか?」
「そうだ」
嘘ではない。男はそれ以上聞かなかった。
「歳は」
真継は困った。
「分からん」
「分からない?」
「忘れた」
男の眉間に皺が寄った。
「見たところ三十前後だな」
「好きに決めてくれ」
木の板に何かが書かれた。
「仕事は」
「色々した」
「何ができる」
真継は考えた。答えようと思えば、いくらでも答えられる。兵士、農夫、鍛冶、大工、船乗り、商人。医者の真似事もした。機械を扱ったこともあれば、遥か昔には文字を教えて暮らしていたこともある。だが、この世界で通用する技能となると話が違う。
「戦える」
「それだけか」
「大抵の武器は使える」
男は真継の腰布姿を見た。
「恩寵は?」
「ない」
「本当に?」
「少なくとも、神から貰った覚えはない」
男は意味が分からなかったらしく、そのまま記録した。
次に身体を調べられた。肩、腕、背中、脚。長い宇宙漂流の末に墜落した身体とは思えないほど健康だった。不死の薬は、どうやら肉体を一定の状態へ戻すらしい。何度死んでも、目を覚ませば身体は元通りになる。
検査役が真継の腕を掴んだ。
「力を入れろ」
言われたとおりにする。
「荷運びに使えるな」
「そうか」
「港へ回せ」
真継の行き先も決まった。ダモンが遠くから同情するような顔をしていた。
♢
それから二人は別々の場所で働くようになった。
ダモンは都市の外にある農園へ送られ、真継は軍需品を扱う倉庫へ回された。完全に離れたわけではなく、数日に一度、奴隷たちがまとめて食料を受け取る場所で顔を合わせることができた。ついでに粗末な服も貰った。どうやら腰布一枚で荷物を運んでいる男は景観に悪いようだ。それでも裸足のままだが。
真継の仕事は単純だった。穀物の袋を運び、槍の束を運び、盾を運び、革袋を運び、船へ積む木材を運ぶ。朝から夕方まで、ひたすらそれを繰り返した。最初の数日は身体が痛んだ。
不死人だから疲れないというわけではない。筋肉は疲労するし、腹も減る。眠ければ眠くなる。死ねば元へ戻るというだけで、生きている間の身体は普通の人間と大して変わらない。だから最初の数日は、朝になっても身体のあちこちが痛んだ。
それでも真継は黙って働き続けた。長い年月のあいだに、身体が痛む程度のことには慣れている。毎朝何事もなかったように働く真継を見て、監督役はすぐに仕事量を増やした。
「お前、丈夫だな」
「ああ」
「これも運べ」
「分かった」
その繰り返しだった。真継は少し後悔した。手を抜けばよかった。だが、今さら急に虚弱になるのも不自然なので、そのまま働いた。
日に日に運ばれる物資は増えていった。最初は倉庫の中だけだった仕事が、やがて港まで荷を運ぶようになった。そこで真継は、この国が陸だけを見ているわけではないことを知った。
港には何十隻もの船が並んでいた。細長い船体の両側からは、何十本もの櫂が突き出し、甲板では兵士たちが槍や盾を運び込み、船大工たちが最後の補修を行っている。
「ガレーか」
真継は久しぶりにその形を見た。地球でも遥か昔に使われていた船だ。
ただし、ラケオンの船乗りたちはあまり手慣れているようには見えなかった。号令が揃わず、船同士が接触しそうになることもある。港の中で櫂を動かす訓練をしている船を眺めていると、監督役から怒鳴られた。
「何を見ている。運べ!」
「今行く」
真継は穀物袋を担ぎ直した。どうやら海でも戦うつもりらしい。
♢
日が過ぎるにつれて、ラケオンの空気は変わっていった。街道を進む兵士の数が増え、神殿へ参る者も増えた。鍛冶場は夜になっても火が消えず、武器を作る音が続いている。農園では収穫を急ぎ、倉庫には食料が積み上げられていった。
真継には分かった。戦争が近い。それも、小さな争いではない。この国は数か月の戦で終わるとは考えていない。大量の食料、武器、船材、衣服まで用意している。兵士だけではなく、それを支える人間と物資まで動き始めている。真継がこれまで見てきた戦争でも、こういう準備を始めた国は簡単には止まらなかった。
ある日の夕方、食料の受け取り場所でダモンと会った。
「随分日に焼けたな」
真継が言うと、ダモンは自分の腕を見た。
「農園ですからね。……あなたは相変わらず元気ですね」
「慣れた」
「食事は?」
「足りない」
「それで何で元気を維持できるんですか?」
「知らん」
不死の薬の影響なのか、単に身体が労働へ適応したのか、真継にも分からなかった。
ダモンは周囲を確認してから、小声で言った。
「明日、別の農園へ移されます」
「遠いのか」
「ここから二日ほどだそうです」
「そうか」
おそらく、これが最後になる。真継は自分でも意外なほど、そのことを残念に感じた。考えてみれば当然かもしれない。ダモンは、この星で真継が最初にまともに話した人間だった。何億年もの間、誰とも言葉を交わさなかった。その後で最初に名前を教えてくれ、この世界のことを説明してくれたのがダモンである。
「水は出せているか」
「ええ。そのせいで随分働かされていますけどね」
「殺されるよりいい」
「あなたの基準は極端なんですよ」
ダモンは笑った。
「マツグ」
「何だ」
「また会えますかね」
真継は少し考えた。
「生きていればな」
「縁起でもないことを言わないでください」
「そういう意味ではない」
「では、どういう意味です?」
「深い意味はない。気にするな」
ダモンは呆れた顔をした。
やがて監督役から声がかかり、奴隷たちはそれぞれの持ち場へ戻ることになった。
「では、また」
ダモンが言った。
「ああ。またな」
真継はそれだけ答えた。
翌日、ダモンはいなくなった。
♢
さらに十日ほどが過ぎた。真継がこの星へ落ちてから、もう一月近くになる。そして、大協定第三項によって定められた百年の戦争禁止期間も、終わりが迫っていた。
その日、真継はいつものように港で荷を運んでいたが、朝から様子がおかしかった。兵士たちが普段以上に慌ただしく動き、停泊している船には次々と武器と食料が積み込まれている。岸には武装した兵士たちが集まり、神官らしき者まで姿を見せていた。
真継が船へ水の入った壺を運んでいると、監督役に呼び止められた。
「お前」
「何だ」
「荷を置け」
真継は言われたとおりにした。
監督役の隣には、見覚えのない男がいた。日に焼けた肌をしており、腕には古い傷がいくつもある。男は真継の肩や腕を見てから、腹を軽く叩いた。
「丈夫そうだな」
「そう見えるらしいな」
「船は?」
「乗ったことはある」
「漕げるか」
「昔はな」
男が監督役を見る。
「こいつを回せ」
「どこへだ」
真継が尋ねると、男は港に並んだ船を指した。
「漕ぎ手だ」
真継は船を見た。何十本もの櫂が船腹から突き出している。ここへ来てから毎日のように眺めていた船だった。
「なるほど」
荷運びより楽かもしれない。
そのときの真継は、まだそう思っていた。
夕方になると、港から都市へ戻る道の途中で、大勢の人間が足を止めていた。兵士も奴隷も、商人も職人も、皆が同じ方角を見ている。丘の上にアレスの神殿があり、夕日を背にした神殿の前には赤い外套をまとった神官たちが並んでいた。その中央には巨大な青銅の盾が吊るされている。
誰も喋らない。真継も足を止めた。
やがて、一人の神官が槌を持ち上げた。青銅の盾が打ち鳴らされ、低く重い音が夕暮れの街へ広がっていく。一度、二度、三度。音が止むと、静寂の中で神官の声が響いた。
「明日をもって、大協定第三項に定められし百年の戦の禁は解かれる」
どこかで兵士が槍を掲げた。それを合図にしたように、次々と槍が空へ突き上げられる。
「アレスに栄光を!」
誰かが叫び、数百人の声がそれに続いた。
真継はその光景を黙って眺めていた。歓声が響き、槍が掲げられ、盾が打ち鳴らされる。百年間、神々によって戦争を禁じられていた国が、ようやく鎖を解かれようとしている。
真継は何度も似た光景を見てきた。国の名も、神の名も、使う武器も違った。だが、戦争が始まる前の人間の顔だけは、いつの時代もよく似ている。
明日から戦争が始まる。そして自分は、どうやら船を漕ぐらしい。