デート当日。
青空が広がる絶好の行楽日和の中、俺は約束の二十分前に駅前で待っていた。
「カイト、待たせたな!!」
人混みの向こうから駆け寄ってきたあまねちゃん。
前回のデートと同じようにおしゃれをした姿は、いつもより少し大人っぽく見える。
「いや、俺も着いたばかりだから、その……今日もすごく似合ってるよ」
「ふふ、ありがとう。今日は絶対に君を楽しませてみせるからな!!」
自信満々に胸を張るあまねちゃんに導かれ、電車に揺られて向かった先は――大きな水族館だった。
「水族館?」
「幼い頃、君が家族と水族館へ行った時のことを、実に楽しそうに話していたことを思い出してな、君と一緒に行ってみたいと思ったんだ」
そう言われて、昔そんな話をしたような記憶がうっすらと蘇ってきた。
自分でも忘れかけていたような他愛もない会話を、覚えていてくれたんだと思うと、胸の奥が温かくなる。
館内に入ると、青く澄んだ幻想的な世界が広がっていた。
巨大な大水槽を優雅に泳ぐ大きな魚や、見たこともない珍しい深海魚。
ペタペタと愛らしく歩くペンギンに、水面を元気に跳ねるイルカショー。
「見てくれカイト、あのイルカのジャンプを!!」
少女のように目を輝かせるあまねちゃんと並んで、俺たちは時間を忘れてはしゃいだ。
「水族館に来るなんて小さい頃以来だったけど……すごく楽しかったよ。誘ってくれてありがとう、あまねちゃん」
「そうか!!君に喜んでもらえて何よりだ」
あまねちゃんは嬉しそうに、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
お昼になると、水族館の近くにある緑豊かな公園へ移動した。
ベンチに腰掛けると、あまねちゃんが「口に合うといいのだが」と重箱を取り出した。
中には綺麗に切り揃えられたサンドイッチが並んでいる。
「うまそうだな……いただきます!!」
一口頬張ると、絶妙な味付けとふんわりとしたパンの食感が広がった。
前に食べさせてくれたサンドイッチも美味しかったけれど、今回はさらに腕を上げている。
「うまい!!すごいよあまねちゃん、お店のやつみたいだ」
「本当か!? よかった……」
あまねちゃんはパッと顔を輝かせると、嬉しさを噛みしめるように小さく拳を握った。
「カイトのためにもっと料理の練習をして、次は何を作ろうか……」
「気持ちはめちゃくちゃ嬉しいけどさ、あまねちゃんは受験生なんだから、それは受験が終わってからにしような?」
「む……そうだな。カイトにそう言われては焦るわけにもいかないな」
苦笑いする俺に、あまねちゃんも少し照れくさそうに頷いた。
午後はおいしいと評判のカフェへ入った。
運ばれてきた特大のフルーツパフェを前に、あまねちゃんの目がきらきらと輝く。
「おいしい!!甘さと酸味が絶妙で、実に見事なハーモニーだ!!」
一口運ぶたびに、あまねちゃんは心底幸せそうに目を細めていた。
普段の生徒会長らしいキリッとした表情はどこへやら、本当に愛おしそうにパフェを味わっている。
その無防備で可愛らしい姿があまりにも微笑ましくて、俺は自分の手を止めてずっと見惚れてしまっていた。
しかし、夢中で頬張っていたせいだろう。
あまねちゃんの白い頬に、ちょこんと真っ白な生クリームがついてしまっていた。
当の本人は全く気づいておらず、嬉しそうに次のひとすくいを口に運ぼうとしている。
注意してあげようかと思ったが、俺はテーブルの上の紙ナプキンを一枚手に取り、そのままそっと身を乗り出した。
「あまねちゃん、ちょっと動かないで」
「ん? どうした、カイ――っ!?」
伸ばした指先で、ナプキン越しにあまねちゃんの頬に触れる。
柔らかい感触とともに、ついたクリームを優しく拭い取ってあげた。
あまりに距離が近くなったせいか、あまねちゃんは瞳を大きく見開き、そのままピシッと固まってしまった。
「よし、取れた。クリームがついてたぞ」
ナプキンを見せながら俺が席に戻ると、あまねちゃんは数秒間呆然とした後、一気に顔を耳まで真っ赤に染め上げた。
「〜〜〜っ!?わ、私としたことが、なんという不覚っ!!」
両手で真っ赤になった頬を隠しながら、あまねちゃんは恥ずかしそうに下を向いてしまう。
「あ、ごめん。勝手に触られて嫌だったか?」
「い、嫌なわけがあるか!! ただ……その、急だったから、驚いてしまっただけだ」
指の隙間からちらりとこちらを伺うあまねちゃんの視線があまりにも愛らしくて、俺は思わず吹き出してしまった。
「ははっ、ごめんごめん。でも、すごくおいしそうに食べるからさ。あまねちゃんとここに来られて良かったよ」
俺が優しく笑いかけると、あまねちゃんはまだ顔を赤くしたまま、けれど嬉しさを隠しきれない様子で「……私もだ」と小さくつぶやくのだった。
次にあまねちゃんが「君に見せたい景色があるんだ」と案内してくれたのは、おいしーなタウンを一望できる高台の展望台だった。
「すごいな……ここからだと、街全体が小さく見えるよ」
隣に立つあまねちゃんに目を向けると、彼女もまた街を見つめながら、どこか愛おしそうな表情を浮かべていた。
「カイト……君はこの街が好きか?」
その問いに、俺は少しだけ驚いてまばたきをした。
かつての俺なら、皮肉混じりに「最悪な街だよ」と吐き捨てていたかもしれない。
誰も俺を信じてくれず、一人ぼっちで暗闇の中にいたあの頃なら。
けれど、不登校だった俺の手を引いて暗闇から引っ張り出してくれたあまねちゃんがいて、和実たちのような温かい仲間ができて、学校に戻ることができた今の俺には、迷う理由なんてなかった。
「……前はさ、自分の居場所なんてどこにもない気がして、大嫌いだったんだ」
俺があまりに素直に本音をこぼすと、あまねちゃんは少し心配そうにこちらへ顔を向けた。
俺はその瞳をまっすぐに見つめ返し、心の底からの笑みを浮かべる。
「でも、今は好きだよ。……だってこの街には、あまねちゃんがいるからさ」
すると、あまねちゃんは瞬く間に耳まで真っ赤になった。
「ずるいぞ、カイト。急にそんなことを言うなんて……」
気まずそうに横を向いてしまう、そんなあまねちゃんがかわいくて……たまらなく愛おしかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、空は美しい茜色に染まり始めていた。
街を歩きながら最後に辿り着いたのは、幼い頃に俺とあまねちゃんがよく駆け回っていた小さな公園だった。
夕日を受けたブランコや滑り台が、橙色の影を長く伸ばしている。
「ここでよく、カイトと遊んでいたな」
懐かしそうに遊具を見つめながら、あまねちゃんが柔らかく目を細めた。
「ああ。あの頃は、毎日がただただ楽しかったな」
「……今はどうなんだ?」
ふいに立ち止まり、あまねちゃんがこちらを振り返る。
その問いに、俺は迷うことなく微笑みを返した。
「もちろん、今だってめちゃくちゃ楽しいよ……あまねちゃんが、俺の隣にいてくれるんだから」
不意を突かれたあまねちゃんは、一瞬で耳まで真っ赤になり、照れくさそうに視線を泳がせた。
だが、その唇には隠しきれない嬉しさが滲み出ている。
「今日は本当に楽しかった。最高の休日だったよ、ありがとうあまねちゃん」
心からの感謝を伝えると、あまねちゃんは少し誇らしげに胸を張った。
「ふふ、礼には及ばない。実は、ゆいたちにも相談に乗ってもらい、協力してもらったプランだったんだ」
仲間の助けを借りながらも、俺のために一生懸命準備してくれた彼女の優しさ。
それが胸の奥に溢れて、もう抑えきれなくなった。
「今日はあまねちゃんが、俺のためにたくさん頑張ってくれたろ? だから……最後に俺も、頑張ろうと思うんだ」
「カイト?」
不思議そうに首をかしげるあまねちゃんに向き直り、俺は両肩に少し力を込めて、まっすぐ彼女の目を見つめた。
逃げ出さず、飾らず、自分の誠実な気持ちを言葉に乗せるために。
「俺は、あまねちゃんのことが好きだ。……俺と付き合ってください」
夕風がふっと二人の間を吹き抜けていく。
突然のまっすぐな告白に、あまねちゃんは目を見開き、瞳を大きく揺らした。
真っ赤になった顔のまま、固まったように息を飲み込んでいる。
「カ、カイト……君は……」
震える声で言葉を紡ごうとするあまねちゃんの瞳から、ぽろりと一粒の涙が零れ落ちた。
それは悲しみではなく、温かい光を宿した愛おしい涙だった。
あまねちゃんは両手を胸の前で強く握りしめ、溢れ出る想いを噛みしめるように、ゆっくりと、けれど力強く頷いた。
「私で、よければ喜んで……私もずっと前から、カイトのことが大好きだっ!!」
涙を拭いながら見せてくれたその笑顔は、夕暮れの街のどんな景色よりも綺麗で、俺の胸をどこまでも温かく満たしていくのだった。
翌日の放課後、俺とあまねちゃんは並んで『なごみ亭』の暖簾をくぐった。
店内には、和実、芙羽、華満、ローズマリーさん、そして品田先輩の全員が揃っていた。
俺たちが入ってきた途端、全員の視線が集中する。
あまねちゃんと顔を見合わせ、コクリと一つ頷き合う。
俺は隣に立つ彼女の手をそっと握りしめ、みんなに向き直った。
「みんなに報告があるんだ。俺とあまねちゃん……正式に付き合うことになりました」
一瞬の静寂の後、店内が一気に弾けた。
「ほんとう!? やったーーーっ!!おめでとう、一文字くん、あまねちゃん!」
和実が跳びはねるようにして一番に声を上げ、満面の笑みでお祝いしてくれる。
「おめでとう、二人とも。すごくお似合いよ」
「ヒューヒュー!!あまねん、一文字くん、おめでと~っ!!」
芙羽は優しく目を細めて拍手を送り、華満はテンション高く踊り出さんばかりにはしゃいでいた。
「んもう、カイトくんったら、ちゃんと告白したのね!!やるじゃない!!本当におめでとう、二人ともお幸せにね!!」
ローズマリーさんが大げさに感極まりながら胸を叩き、品田先輩もどこか照れくさそうに口元を緩めて、俺の肩をポンと力強く叩いた。
「よかったじゃねぇか、おめでとう一文字。菓彩を泣かせるなよ」
「品田先輩、ありがとうございます」
みんなからの温かいお祝いの言葉に、俺とあまねちゃんは照れくさそうに笑い合った。
あまねちゃんの頬が綺麗な桜色に染まり、握りしめた手から温もりが直に伝わってくる。
冷え切っていた俺の日常は、学校に戻り、あまねちゃんやみんなと出会えたことで鮮やかな色彩を取り戻した。
両親のことや、これから先の進路のこと……生きていけば、きっとまた辛いことや壁にぶつかる日も来るだろう。
だけど、もう怖くはない。
あまねちゃんと二人なら、どんな困難だって乗り越えていける。
この温かい手を手放さないよう強く握り直しながら、そう信じて……。
本作はこれにて終わりとなります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでもらえたなら嬉しいです。