翌日の夕方。
薄暗い部屋の中で、俺は一人ゲーム画面に向かっていた。
コントローラーのボタンを無機質に叩く音だけが響く。
両親がほとんど帰ってこない静まり返った家は、いつもの日常だった。
生活費だけは振り込まれるが、そこに血の通った温もりはない。
(今日も、終わりか……)
そんなことを考えていた時だった。
ピンポーン――。
静寂を切り裂くように、家のチャイムが鳴り響いた。
「ん?」
通販の配達を頼んだ覚えはないし、親なら鍵を開けて勝手に入ってくるはずだ。
不審に思いつつ玄関へ向かい、ドアを少しだけ開ける。
そこには――制服姿で背筋をピンと伸ばした、菓彩あまねが立っていた。
「やあ、急に押しかけてすまない」
あまねは俺の顔を見ると、どこか緊張した面持ちで手に持っていた紙の束を差し出してきた。
「学校からのプリントを持ってきた。受取ってくれ」
「プリント?今まで誰かが持ってくることなんて一度もなかったけどな。それに……なんで学年もクラスも違うお前が持ってくるんだよ?」
当然の疑問をあまねにぶつける。
「それは……私が見回りも兼ねて、生徒会長として届けるのが適切だと判断したからだ」
「いやいや……生徒会長だからって他学年の不登校の家に直接プリント届けるとか、さすがにその理由は厳しすぎるだろ」
俺にそう言われると、あまねはぐっと言葉に詰まった。
彼女は視線を彷徨わせると、意を決したように深く息を吐き、視線を真っ直ぐ俺の瞳へと向けた。
「ふぅ、観念したよ。プリントはただの口実だ。一文字……いや、カイト、君に大事な話がある」
その場の空気が一瞬で張り詰めた。
大事な話――。
そのフレーズを聞いた瞬間、俺の脳裏にあの一年前の胸糞悪い記憶がフラッシュバックする。
『告白』され断ったら、階段から勝手に落ちて自分に濡れ衣を着せられた、あの事件。
(おいおい、嘘だろ。まさかまたアレか?)
一瞬で身体が硬くなり、警戒心全開で身構えた。
だが、目の前のあまねはどこか様子が違った。
凛としたいつもの態度はどこへやら、彼女の耳の先端がみるみるうちに朱に染まっていく。
俯き加減になり、制服の裾を両手でギュッと握りしめていた。
「けっ……こ……ん……」
あまねが消え入りそうな小さな声で何かを呟く。
「なんだ?声が小さくて聞こえねえよ」
警戒したまま俺が尋ねると、あまねは顔を真っ赤にしながら、決心したようにバッと顔を上げた。
その瞳には、溢れんばかりの強い感情と熱が宿っている。
「け……結婚しようと!!私と約束したのを、覚えているか!?」
「は?」
思考が完全にフリーズした。
結婚――約束――。
昨日の洋食屋での会話。
パフェになりたいと言っていた少女。
そして、夕方の夢で見た誰よりも可愛らしかった幼馴染の姿。
バラバラだった記憶のピースが、いま激しく音を立てて一つに繋がった。
「まさか……お前っ!?」
目の前にいる凛々しく、頑固で、生徒会長をやっているこの少女が……。
かつて、おいしーなタウンの公園で、自分の手を握り返して笑っていた――あの『あまねちゃん』だということに気づいてしまった。
「ほ、本当にあまねちゃんなのか?」
目の前の少女の姿と、記憶の中にいる小さくて守ってあげたくなるような少女の姿が、どうしてもすぐに重ならなかった。
あまねは耳まで真っ赤にしながらも、意を決したようにコクリと頷いた。
「……ああ、私だ」
照れくさそうに、しかしどこか誇らしげに答える彼女を見つめながら、俺は頭を抱えた。
「いや、変わりすぎだろ。あんなに可愛らしかった天使みたいなあまねちゃんが、なんでこんな凛とした生徒会長になってんだよ!!」
あまりの衝撃と落差に、思わず本音が漏れ出る。
するとあまねは不満そうに眉をひそめ、ビシッと俺を指差して反論した。
「あれから何年経ったと思っているんだ!!私だって成長する!!そういうカイトだって随分とかっこよ…大人っぽくなったじゃないか!!」
(確かに変わったのは俺も同じか)
あの頃の純粋で、正義感に溢れていて、まっすぐに夢を語れた自分はもういない。
今あまねの目の前にいるのは、学校にも行かず、他人に裏切られた傷を抱えて斜に構えているだけの惨めな自分だ。
玄関で立ち話をするのもなんだと思い直し……。
「とりあえず、入れよ。立ち話もなんだろ」
「あぁ、お邪魔する」
自室へ案内すると、あまねは部屋を見渡して小さく苦笑した。
転がったゲーム機、雑然と置かれた漫画や衣服。
一人暮らし同然の荒れた生活が透けて見える部屋だったが、あまねは俺を責めるようなことは言わなかった。
「カイト。私は……君と、また昔のように友達になりたいと思っている」
あまねの澄んだ瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「……無理だ」
俺はあまねから目をそらし、力なく首を振った。
「俺はもう、あの頃の俺じゃない。学校にも行かず、ただ毎日を空っぽに過ごしてるだけのクズなんだよ」
自分の中にある黒い感情が溢れ出すように言葉になっていく。
「あの時の約束も……覚えているさ。『相応しい男になる』なんて……ハハッ、笑わせるよな。
今の俺じゃ、あまねちゃんに相応しい男になんて、逆立ちしたってなれっこない!!」
「……カイト」
あまねはその場から一歩踏み込むと、俺の両肩をぎゅっと掴んだ。
俺が驚いて顔を上げると、そこには一切の迷いもない凛とした表情のあまねがいた。
「だったら……だったら私がカイトを鍛え直す!!」
「はっ!?」
唐突すぎる宣言に、俺は目を丸くした。
「な、何を言ってるんだ、お前……」
「聞こえなかったのか? 私はあの日、君の言葉を信じた。そして昨日、君はボロボロになりながらも私を助けてくれた!!
君の根底にある優しさと強さは、今も昔も何も変わっていない!!」
あまねは俺の肩を掴む手にさらに力を込める。
「腐っている暇があるなら立ち上がれ!!私がカイトをみっちり鍛え直してやる!!絶対に逃がさないからなっ!!」
「ちょ、待てって!!あまねちゃん、強引すぎるだろっ!?」
こうして俺は菓彩あまねに……あまねちゃんに鍛え直されることになるのだった。