『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――藤襲山、最終選別六日目。
夜明け。
薄紫色の空が、藤襲山の木々を静かに照らしていた。
最終選別も残すところ、あと一日。
本来ならば、参加者たちは一人でも多く生き残るため、鬼との戦いを続けているはずだった。
しかし――。
「……静かだな」
錆兎が呟いた。
隣を歩く真菰が首を傾げる。
「そうだね」
「鬼の気配が少ない」
「うん」
そして。
二人の前を歩く竜牙十兵衛は、いつも通りだった。
一定の呼吸。
一定の歩幅。
周囲への警戒。
だが――。
「……」
錆兎は十兵衛の背中を見つめていた。
何かがおかしい。
昨日からずっと。
いや。
もっと前から。
「……十兵衛」
「なんだ?」
「少し聞きたいことがある」
「ああ」
十兵衛が振り返る。
「どうした?」
「お前は……」
錆兎は言葉を選ぶ。
「この最終選別で、何をするつもりなんだ?」
「鬼を倒す」
「それだけか?」
「それ以外に何かあるのか?」
「……」
錆兎は黙った。
やはり。
何かがおかしい。
◇
少し前。
錆兎が十兵衛と初めて出会った時。
その男は強かった。
異常なほどに。
剣技。
体術。
判断力。
呼吸。
どれを取っても、最終選別に挑む少年とは思えない。
だが。
それだけなら、まだ理解できた。
問題は――。
「お前は、鬼の動きを先読みしすぎる」
「そうか?」
「ああ」
錆兎は真剣な表情になる。
「昨日の鬼もそうだった」
「……」
「俺たちが見つける前に、お前は鬼の位置を知っていた」
「音を聞いただけだ」
「それだけじゃない」
錆兎は続ける。
「鬼の攻撃パターンを見ただけで、次の動きを予測していた」
「戦いでは普通だ」
「普通じゃない」
即答だった。
「少なくとも俺にはできない」
十兵衛は少し考える。
「経験の差だろう」
「……」
「俺は君より長く戦っている」
「それも気になっている」
「何が?」
「お前の戦い方だ」
錆兎は刀を抜いた。
「剣士の動きじゃない」
十兵衛の眉が僅かに動く。
「……ほう」
「剣術だけじゃない」
錆兎が続ける。
「投げ。
関節技。
急所への打撃。
足払い。
相手の視界を潰す動き。
全部使う」
「武術だからな」
「鬼に対しても?」
「ああ」
「刀がなくても?」
「倒せる」
即答。
錆兎の顔が引きつった。
「……やっぱり」
「何がだ?」
「お前は普通じゃない」
「よく言われる」
「誰に?」
「真菰に」
「…………」
後ろから。
「ふふっ」
真菰が笑った。
「だって、本当に普通じゃないもの」
「真菰まで……」
錆兎はため息をついた。
◇
昼。
三人は川辺で休んでいた。
真菰が水を汲み。
十兵衛が食事を作る。
錆兎は少し離れた場所に座っていた。
そして。
じっと十兵衛を見ている。
「……」
「……」
十兵衛も気づいていた。
「錆兎」
「なんだ?」
「さっきから俺を見ているな」
「ああ」
「何かついているか?」
「そういう問題じゃない」
「では?」
錆兎は腕を組んだ。
「お前は、何者なんだ?」
空気が止まった。
真菰も手を止める。
「……」
十兵衛は黙っていた。
やがて。
「竜牙魁陣」
「え?」
「俺の本名だ」
錆兎が目を見開く。
「竜牙……魁陣」
「ああ」
「じゃあ、十兵衛っていうのは?」
「通称だ」
「なぜ?」
「ある場所で、そう呼ばれるようになった」
「ある場所?」
十兵衛は少しだけ空を見た。
「遠い場所だ」
「……故郷か?」
「そうとも言える」
「随分と曖昧だな」
「説明が難しい」
十兵衛は困ったように笑った。
「俺自身、どう説明すればいいのか分からない」
これは嘘ではない。
並行世界を渡ったことを。
異世界で生きてきたことを。
すべて話すわけにはいかない。
錆兎は十兵衛を見つめる。
「……そうか」
それ以上は追及しなかった。
だが。
違和感は消えない。
むしろ。
大きくなった。
◇
夕方。
三人は山道を歩いていた。
すると。
「――助けて!」
悲鳴。
「行くぞ!」
錆兎が走り出す。
真菰も続く。
しかし。
「待て」
十兵衛が止めた。
「え?」
「罠だ」
「罠?」
錆兎が耳を澄ます。
「悲鳴が一度しか聞こえない」
「……」
「本当に襲われているなら、もっと物音がする」
十兵衛が地面を見る。
「足跡もない」
「……!」
「鬼が人間の声を真似ている」
直後。
木の上から。
「ケケケケ……!」
鬼が飛び降りた。
「よく分かったなぁ!」
錆兎が驚く。
「……」
十兵衛は刀を抜く。
「簡単だ」
「どこがだ!」
鬼が襲いかかる。
錆兎も構える。
「俺も戦う!」
「任せる」
「え?」
十兵衛は一歩下がった。
「この鬼は君に任せる」
「……!」
錆兎は刀を構え直す。
「分かった!」
鬼が突進。
錆兎が迎え撃つ。
「水の呼吸――」
――ザンッ!
鬼の腕を斬る。
「いいぞ!」
十兵衛が声をかける。
「右へ!」
「――!」
錆兎が右へ跳ぶ。
鬼の爪が空を切る。
「今だ!」
――ズバッ!
錆兎の刀が鬼の首を斬った。
鬼が崩れ落ちる。
「……やった」
「見事だ」
十兵衛が頷く。
錆兎は息を整えながら十兵衛を見る。
「お前……」
「なんだ?」
「わざと俺に戦わせたな?」
「ああ」
「なぜ?」
「君なら勝てると思ったからだ」
「……」
錆兎は刀を握る。
そして。
気づいた。
十兵衛は。
自分を強くしようとしている。
ただ鬼を倒すだけではない。
仲間が自分の力で鬼を倒せるように。
そのために。
十兵衛は戦場を選んでいる。
「……そういうことか」
「何が?」
「いや」
錆兎は笑った。
「お前が何を考えているのか、少し分かった気がする」
「そうか」
◇
夜。
焚き火。
真菰が薪を入れる。
錆兎は十兵衛の隣に座った。
「十兵衛」
「ああ」
「一つ約束してくれ」
「何を?」
「無茶をするな」
「……」
「お前は強すぎる」
錆兎は真剣だった。
「だから、自分一人で全部背負おうとするな」
「俺は――」
「分かってる」
錆兎が遮る。
「お前が俺たちを守ろうとしていることは」
「……」
「でも、俺たちもお前を守る」
真菰も頷く。
「うん」
「だから」
錆兎が手を差し出す。
「三人で生き残ろう」
十兵衛はその手を見る。
そして。
「……ああ」
手を握った。
「約束する」
真菰も二人の手に自分の手を重ねる。
「三人で」
「三人で」
◇
だが。
その夜。
十兵衛が眠った後。
錆兎は真菰に話しかけた。
「真菰」
「なに?」
「俺はまだ、十兵衛のことが分からない」
「うん」
「でも」
錆兎は焚き火を見る。
「あいつは悪い奴じゃない」
「私もそう思う」
「むしろ……」
錆兎は少し笑う。
「俺たちより、ずっと優しいのかもしれない」
真菰は十兵衛を見る。
眠っている。
それでも。
呼吸は一定だった。
すう――。
はあ――。
全集中・常中。
「でも」
真菰が小さく呟く。
「私は十兵衛が何者でもいいよ」
「……」
「十兵衛は十兵衛だから」
錆兎はその言葉を聞いて。
「……そうだな」
頷いた。
その時。
十兵衛が目を開けた。
「……二人とも」
「「えっ?」」
「何の話をしている?」
「……」
「……」
錆兎と真菰は顔を見合わせる。
「起きてたのか?」
「ああ」
「いつから?」
「最初から」
「全部聞いてたのか!?」
「何か問題が?」
「……」
錆兎は頭を抱えた。
「やっぱり、お前は分からん!」
「そうか?」
「そうだ!」
真菰が笑う。
「ふふっ」
十兵衛は不思議そうに二人を見る。
「……?」
――天才軍師。
異世界の武術を極めた達人。
雷と日の呼吸を操る剣士。
その実力は疑いようがない。
しかし。
人の感情だけは。
恐ろしいほどに鈍い。
それが。
錆兎が感じた、もう一つの「違和感」だった。
そして。
この違和感こそが。
後に胡蝶しのぶたちをも大いに悩ませることになる。
――竜牙十兵衛。
彼は。
戦場では誰よりも鋭い。
なのに。
恋心だけは。
誰よりも鈍かった。