『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――朝。
無惨が消えた世界に、静かな朝が訪れていた。
鬼殺隊の隊士たちは、まだ完全には現実を受け入れられていなかった。
千年以上。
人々を喰らい続けた鬼舞辻無惨。
その恐怖が、今はもう存在しない。
「……本当に、終わったんだな」
錆兎が朝日を見ながら呟く。
「うん」
真菰も頷いた。
「もう、夜を怖がらなくてもいいんだね」
その言葉に、義勇が静かに目を閉じる。
「……そうだな」
隣にいた蔦子が、弟の肩へそっと手を置いた。
「義勇」
「何?」
「これからは、夜に外へ出てもいいのよ」
「……」
義勇は少しだけ考え。
「そういうものなのか」
「ふふっ」
蔦子は笑った。
「そういうものよ」
その光景を少し離れた場所から見ていた十兵衛は、静かに頷いていた。
「……平和になったな」
「ええ」
隣には、しのぶ。
「ですが」
しのぶの表情が、少しだけ曇る。
「鬼が消えたからといって、すべての傷が消えるわけではありません」
「そうだな」
十兵衛は即答した。
「心に刻まれたものは、刀では斬れない」
「……はい」
しのぶは胸元に手を当てた。
姉を失う恐怖。
鬼への憎しみ。
自分もいつか死ぬという覚悟。
それらは、一晩で消えるものではない。
だが。
「でも」
しのぶは顔を上げる。
「もう、憎しみに縋って生きる必要はありません」
十兵衛は微笑んだ。
「ああ」
「それが、一番嬉しいです」
◇
その頃。
産屋敷邸では、鬼殺隊の今後について話し合いが行われていた。
「無惨が滅びた以上」
産屋敷耀哉が穏やかな声で告げる。
「鬼殺隊の存在理由も、終わりを迎えます」
柱たちが静かに聞いている。
「……長い戦いでした」
悲鳴嶼が目を閉じる。
「はい」
耀哉は頷く。
「ですが、これでようやく――」
一度、言葉を止める。
「子供たちを、戦場へ送らなくて済みます」
その言葉に、誰もが黙った。
これまで。
鬼殺隊は多くの少年少女を戦場へ送り出してきた。
家族を失った者。
鬼に人生を奪われた者。
復讐を胸に抱いた者。
そして。
未来を奪われた者。
その連鎖が。
今日、終わる。
「……呪いのようでしたね」
カナエが静かに言う。
「え?」
蜜璃が振り向く。
「鬼と戦うことだけではありません」
カナエは目を伏せる。
「憎しみが、次の憎しみを生んでいたんです」
鬼に家族を殺される。
復讐する。
その復讐のために命を懸ける。
そして誰かが死ぬ。
残された者がまた憎しみを抱く。
「それが、ずっと続いていた」
しのぶも黙って聞いている。
「けれど」
カナエが十兵衛を見る。
「もう終わります」
十兵衛は静かに頷いた。
「終わらせる」
「……はい」
「鬼がいなくなったから終わるんじゃない」
十兵衛は言った。
「憎しみを次へ渡さないことで、本当の意味で終わる」
全員が彼を見る。
「誰かを失ったからといって、その悲しみを別の誰かへぶつける必要はない」
「…………」
「死んだ人間は戻らない」
十兵衛は拳を握る。
「だからこそ、生きている人間が幸せにならなければならない」
その言葉に。
しのぶの瞳が揺れた。
「……十兵衛さん」
「なんだ?」
「あなたは、本当に……」
「?」
「いえ」
しのぶは小さく笑う。
「なんでもありません」
◇
そして。
一人の少女が、静かに手を挙げた。
カナヲだった。
「……私は」
全員が彼女を見る。
「これから、何をすればいいんでしょう」
その問いに。
誰もすぐには答えなかった。
カナヲはこれまで。
命令されるままに生きてきた。
鬼を殺す。
任務を遂行する。
生き残る。
それだけだった。
けれど。
鬼がいなくなった。
命令される理由もなくなった。
「……分からない」
カナヲは呟く。
すると。
十兵衛が歩み寄った。
「なら、自分で決めればいい」
「……自分で?」
「ああ」
十兵衛は微笑む。
「これからは、自分が何をしたいのかを考えればいい」
カナヲは黙って十兵衛を見る。
「……何をしてもいいんですか?」
「もちろんだ」
「……隣にいても?」
「ん?」
カナヲの顔が少し赤くなる。
「十兵衛さんの……隣に」
「もちろん」
十兵衛は即答した。
「仲間だからな」
「…………」
カナヲは少しだけ頬を膨らませる。
しのぶがそれを見て。
「ふふっ」
と笑った。
「カナヲ」
「はい?」
「まだまだ先は長いですよ」
「……はい」
カナヲも微笑んだ。
◇
一方。
蝶屋敷。
そこでは、竈門禰豆子が縁側に座っていた。
「……ん」
彼女は朝日を眺める。
もう。
夜を恐れる必要はない。
禰豆子は隣にいる十兵衛の袖を掴んだ。
「んー」
「どうした?」
禰豆子は首を傾げる。
そして。
十兵衛の腕に抱きついた。
「…………」
しのぶが無言で見る。
蜜璃も見る。
カナエも見る。
真菰も見る。
「……禰豆子ちゃん?」
蜜璃が恐る恐る声を掛ける。
「ん!」
禰豆子は十兵衛から離れない。
十兵衛は不思議そうに首を傾げる。
「禰豆子は今日も甘えん坊だな」
「んー」
「まあ、いいか」
しのぶの笑顔が僅かに引きつる。
「……本当に」
「?」
「本当に、鈍感ですね」
「そうか?」
「ええ」
しのぶは微笑んだ。
「呪いが終わっても、そこだけは変わらないようですね」
「何のことだ?」
「なんでもありません」
◇
その夜。
十兵衛は一人、屋敷の外へ出た。
満月が空に浮かんでいる。
これまでなら。
この時間は鬼の時間だった。
だが。
もう違う。
風が吹く。
虫の声が聞こえる。
遠くから人々の笑い声が聞こえる。
十兵衛は刀を見つめた。
「……」
そして。
ゆっくりと鞘から抜いた。
月光を受けた刃が輝く。
「長かったな」
彼は呟いた。
雷の呼吸。
日の呼吸。
何度も振るった刀。
何度も敵を斬った。
何度も仲間を守った。
そして。
今日。
その必要がなくなった。
十兵衛は刀を見つめる。
「……もう」
ゆっくりと鞘へ戻す。
「これを抜く必要はないのかもしれないな」
その瞬間。
「――そうですね」
背後から声がした。
振り返る。
しのぶだった。
「しのぶ」
「こんばんは」
「眠れないのか?」
「十兵衛さんもでしょう?」
「俺は少し考え事をしていた」
「私もです」
しのぶは隣へ並ぶ。
「今日で、本当に終わったんですね」
「ああ」
「鬼殺隊もなくなる」
「ああ」
「もう、私たちは戦わなくていい」
「ああ」
しのぶは空を見上げる。
「……少し、寂しいですね」
「そうか?」
「はい」
少し笑う。
「戦うことが好きだったわけではありません」
「分かっている」
「でも、私の人生のほとんどは、鬼と戦うためにありましたから」
「…………」
「明日から何をすればいいのか、まだ分かりません」
十兵衛は少し考えた。
そして。
「なら」
「はい?」
「一緒に考えればいい」
しのぶが目を見開く。
「……一緒に?」
「ああ」
十兵衛は笑う。
「これから何をしたいのか」
「…………」
「どんな暮らしをしたいのか」
「…………」
「誰と過ごしたいのか」
しのぶの頬が僅かに赤くなる。
「……誰と?」
「ああ」
十兵衛は何も気づいていない。
「俺は、みんなと過ごしたい」
「……みんな」
「もちろん、しのぶも」
「…………」
しのぶはしばらく黙って。
「……ずるいですね」
「何が?」
「なんでもありません」
そして。
小さく笑った。
「でも……今は、それでいいです」
十兵衛も笑う。
二人の頭上で。
月が静かに輝いている。
もう。
鬼はいない。
血に濡れた夜もない。
復讐に生きる必要もない。
憎しみを次へ渡す必要もない。
千年以上続いた悲劇は。
ここで終わった。
鬼舞辻無惨という「恐怖」が消えたことで。
人々はようやく、自分自身の人生を歩き始める。
――呪いの終焉。
それは、鬼の滅亡だけを意味するものではない。
憎しみの連鎖。
復讐の連鎖。
犠牲の連鎖。
そして。
「死ななければならない」という運命。
そのすべてを断ち切った瞬間だった。
十兵衛は朝とは違う夜空を見上げる。
そして静かに呟いた。
「……これからだな」
しのぶが微笑む。
「はい」
「俺たちの、本当の人生は」
「……はい」
月明かりの下。
二人は並んで歩き始めた。
もう、戦場へ向かうためではない。
明日を生きるために。
――千年の呪いは、終わった。
そして。
新しい時代が、始まる。