『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――鬼舞辻無惨が消滅してから、数日。
世界は、驚くほど静かだった。
鬼がいない。
夜道を歩いても、命を奪われる恐怖がない。
朝になれば、誰もが当たり前のように太陽を浴びることができる。
それは、これまでの鬼殺隊にとって――決して当たり前ではなかった。
「……静かですね」
蝶屋敷の縁側。
胡蝶しのぶが庭を眺めながら呟く。
「そうだな」
隣に座る竜牙十兵衛が答える。
「鬼の気配がない」
「はい」
しのぶは目を細めた。
「今までなら、夜が明けても『次の任務がある』と思っていました」
「俺もだ」
「でも、今日はありません」
「ああ」
「……不思議な気分です」
十兵衛は庭を見る。
そこでは、カナヲが花に水をやっていた。
少し離れたところでは、真菰と蜜璃が何かを話している。
そして。
縁側の反対側では、禰豆子が十兵衛の羽織を握っていた。
「……」
しのぶの視線が禰豆子へ向く。
「禰豆子」
「ん?」
「十兵衛さんの羽織、そんなに気に入ったんですか?」
「ん!」
禰豆子は嬉しそうに頷く。
十兵衛は首を傾げる。
「ずっと掴んでいるが、何か理由があるのか?」
「……」
しのぶは微笑んだ。
「さあ?」
「そうか」
また気づかない。
しのぶは小さくため息をついた。
「本当に、鈍感ですね」
「何の話だ?」
「なんでもありません」
――いつもの光景。
だが。
以前とは違う。
そこに「死」がない。
誰かが明日いなくなるかもしれないという恐怖がない。
それだけで。
世界はこんなにも穏やかだった。
◇
「十兵衛!」
庭から声がする。
振り返ると、錆兎が立っていた。
「どうした?」
「ちょっと来てくれ」
「分かった」
十兵衛が立ち上がる。
しのぶも後を追う。
庭の奥。
そこには、真菰、義勇、蔦子、煉獄、カナエ、蜜璃たちも集まっていた。
「何かあったのか?」
十兵衛が尋ねる。
錆兎は首を横に振った。
「いや、何もない」
「……?」
「だからこそ、見てほしいんだ」
錆兎が指差す。
そこにいたのは。
一人の少年だった。
まだ十歳にも満たないような、小さな少年。
少年は緊張した表情で十兵衛を見る。
「……この子は?」
カナエが答える。
「先日の戦いのあと、保護された子です」
「鬼に襲われたのか?」
「はい」
少年は小さく頷いた。
「家族を……鬼に……」
言葉が途切れる。
十兵衛は黙って少年の前にしゃがみ込んだ。
目線を合わせる。
「名前は?」
「……春樹」
「春樹か」
「はい……」
「怖かったな」
春樹は黙って頷く。
「……もう、鬼は来ない?」
「ああ」
十兵衛は迷いなく答えた。
「もう来ない」
「本当に?」
「ああ」
「どうして分かるの?」
「俺たちが倒したからだ」
春樹は十兵衛を見る。
「……お兄ちゃんが?」
「俺だけじゃない」
十兵衛は後ろを見る。
「ここにいる全員で倒した」
春樹は一人ずつ見ていく。
錆兎。
真菰。
義勇。
蔦子。
煉獄。
蜜璃。
カナエ。
しのぶ。
そして。
カナヲ。
みんなが生きている。
「……みんな、強いの?」
煉獄が胸を張る。
「うむ!」
蜜璃も笑う。
「もちろん!」
錆兎が笑う。
「でも、これからは戦わなくていい」
春樹が驚く。
「……戦わないの?」
「ああ」
錆兎が答える。
「鬼はいなくなったからな」
その言葉を聞いて。
春樹の目に涙が浮かぶ。
「……よかった」
小さな声。
「よかった……」
そして。
春樹は泣き出した。
声を上げて。
今まで我慢していたものを、全部吐き出すように。
「お父さん……お母さん……」
誰も止めなかった。
誰も「泣くな」と言わなかった。
カナエが静かに少年の背中を撫でる。
「泣いていいのよ」
「……うっ……」
「悲しい時は、悲しんでいいんです」
しのぶも優しく声を掛ける。
「我慢する必要はありません」
少年は泣き続けた。
十兵衛は黙って見守った。
やがて。
春樹が顔を上げる。
「……僕」
「ん?」
「これから、どうすればいいの?」
十兵衛は少し考えた。
「生きればいい」
「……生きる?」
「ああ」
「それだけ?」
「それだけでいい」
十兵衛は優しく笑った。
「君は生き残った」
「…………」
「それは、君がこれから幸せになるためだ」
春樹の瞳が揺れる。
「……幸せに?」
「ああ」
「お父さんとお母さんがいなくても?」
十兵衛は少しだけ黙った。
「……寂しいだろう」
「うん」
「それでも、生きていい」
「…………」
「笑っていい」
「…………」
「好きなことをしていい」
「…………」
「誰かを好きになってもいい」
「…………」
「夢を持ってもいい」
春樹は涙を拭った。
「……僕も?」
「ああ」
十兵衛は即答する。
「君にも、その権利がある」
その言葉に。
しのぶが静かに目を伏せた。
――自分も。
かつては「復讐するために生きる」と決めていた。
姉を失う未来しか考えていなかった。
けれど。
十兵衛が現れた。
カナエが生きた。
そして。
自分も生きている。
「……救われた命」
しのぶが呟く。
十兵衛が振り向く。
「何か言ったか?」
「いいえ」
しのぶは笑った。
「少し、嬉しくなっただけです」
◇
その日の夕方。
春樹は蝶屋敷の庭で遊んでいた。
真菰が一緒に遊び。
蜜璃がお菓子を持ってきて。
カナヲが静かに見守っている。
禰豆子も嬉しそうに近くにいる。
「元気になりましたね」
カナエが微笑む。
「はい」
しのぶも頷く。
「数日前まで、あんなに怯えていたのに」
十兵衛は庭を見る。
春樹が笑っている。
その笑顔を見て。
十兵衛も小さく笑った。
「これが、俺たちが戦った理由だ」
「……はい」
「鬼を倒すことが目的じゃない」
「…………」
「こういう笑顔を守ることが目的だった」
しのぶは十兵衛を見る。
「だから……あなたは強かったんですね」
「?」
「何百人を守るために戦うこともできた」
「…………」
「でも、本当は」
しのぶは庭を見る。
「目の前にいる一人を守ることを、ずっと考えていた」
十兵衛は少し考えた。
「そうかもしれない」
「ふふっ」
しのぶは笑った。
「やっぱり、あなたらしいです」
◇
夜。
春樹は眠りについた。
布団の中で。
もう鬼が来ないと知って。
安心して眠っている。
その寝顔を見ながら、十兵衛は静かに立っていた。
「……眠ったか」
「はい」
しのぶが頷く。
「良かったですね」
「ああ」
「十兵衛さん」
「なんだ?」
「これから、こういう子が増えるんでしょうか」
「そうなるだろう」
「鬼に家族を奪われた子供たち」
「……ああ」
「その子たちを、どうします?」
十兵衛は少し考えた。
そして。
「居場所を作ろう」
「居場所?」
「ああ」
「安心して暮らせる場所を」
しのぶの瞳が大きくなる。
「学校も必要だ」
「学校?」
「読み書きや算術を教える場所」
「……」
「それだけじゃない」
十兵衛は続ける。
「武術を学びたい者には武術を」
「…………」
「医者になりたい者には医学を」
「…………」
「農業をしたい者には農業を」
「…………」
「それぞれが、自分の未来を選べるようにする」
しのぶは静かに聞いていた。
「鬼殺隊がなくなっても」
十兵衛は言う。
「俺たちがやることは、まだある」
「……救済は終わらない」
「そういうことだ」
しのぶは微笑む。
「本当に……あなたはどこまでも軍師なんですね」
「そうか?」
「はい」
「戦争が終わった後のことまで考えている」
「……」
十兵衛は窓の外を見る。
「戦いに勝つだけなら簡単だ」
「え?」
「でも、勝った後の世界を作る方が難しい」
「…………」
「だから」
十兵衛は静かに言った。
「ここからが、本当の仕事だ」
◇
翌朝。
春樹が目を覚ます。
窓を開ける。
朝日が差し込む。
「……朝だ」
昨日までなら。
夜が怖かった。
鬼が来ると思っていた。
でも。
今は違う。
朝が来る。
太陽が昇る。
そして。
「おはよう!」
庭から声が聞こえた。
春樹が窓から顔を出す。
真菰が手を振っている。
蜜璃もいる。
カナヲもいる。
禰豆子もいる。
そして。
少し離れた場所には十兵衛としのぶ。
「おはよう!」
春樹は笑った。
その笑顔を見て。
十兵衛は静かに頷く。
「……救われたな」
しのぶが隣で微笑む。
「ええ」
一人。
また一人。
救われた命が。
未来へ歩き始める。
鬼に奪われるはずだった人生。
憎しみに染まるはずだった人生。
絶望で終わるはずだった人生。
それらすべてに。
もう一度、未来が与えられていく。
――救われた命。
それは単に「生き残った」という意味ではない。
「生きていていい」と誰かに言ってもらえること。
「幸せになっていい」と教えてもらえること。
そして。
自分自身の未来を、自分で選べること。
それこそが。
竜牙十兵衛が守りたかったものだった。
長い戦いは終わった。
だが。
救済の物語は――
まだ、終わらない。