『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――鬼舞辻無惨が滅びてから、しばらくの時が流れた。
朝。
町には人々の声が響いている。
商人が店を開ける。
子供たちが走り回る。
農家が畑へ向かう。
誰もが、ごく普通の一日を始めていた。
そして――。
夜になっても。
誰も、怯えていなかった。
「……本当に、鬼がいないんですね」
街道を歩きながら、真菰が呟いた。
隣を歩いていた錆兎が頷く。
「ああ」
「なんだか変な感じ」
「分かる」
二人は夜空を見上げる。
満月が輝いている。
かつてなら、この時間帯に外を歩くなど自殺行為だった。
しかし今は。
月明かりの下を、普通に人々が歩いている。
「……平和だな」
錆兎が呟く。
「うん」
真菰も微笑んだ。
「これが、本当の夜なんだね」
◇
一方。
蝶屋敷。
「十兵衛さん!」
庭から蜜璃の声が響く。
「おはようございます!」
「おはよう、蜜璃」
十兵衛が振り返る。
蜜璃は大きな籠を抱えていた。
「今日は町へ買い物に行きませんか?」
「買い物?」
「はい!」
「何を買うんだ?」
「お菓子です!」
「……」
十兵衛は少し考えた。
「必要なのか?」
「必要です!」
蜜璃は即答した。
「人生にはお菓子が必要なんです!」
「そういうものか」
「そういうものです!」
その会話を聞いていたしのぶが、くすりと笑う。
「十兵衛さん」
「なんだ?」
「たまには軍略以外のことも考えてくださいね」
「俺は常に考えている」
「何を?」
「今日の買い物の最短経路」
「……」
しのぶは額に手を当てた。
「そういうところですよ」
「?」
◇
町へ向かう道。
十兵衛たちは大勢で歩いていた。
十兵衛。
しのぶ。
カナエ。
カナヲ。
蜜璃。
真菰。
錆兎。
義勇。
蔦子。
煉獄。
そして禰豆子。
以前なら、この人数で夜の町を歩くことなど考えられなかった。
だが今は。
誰も刀を抜いていない。
誰も周囲を警戒していない。
ただの――散歩だった。
「十兵衛さん」
カナエが隣へ並ぶ。
「なんだ?」
「こうしてみると、不思議ですね」
「何が?」
「私たちが普通に町を歩いていることです」
「ああ」
十兵衛も周囲を見る。
「確かにな」
「以前なら、任務以外で夜の町を歩くなんて考えられませんでした」
「鬼がいたからな」
「はい」
カナエは笑う。
「でも、もういません」
「そうだな」
「……嬉しいですね」
「うん」
十兵衛は素直に頷いた。
その少し後ろ。
しのぶが二人を見ていた。
「……」
蜜璃が隣に来る。
「しのぶちゃん?」
「はい?」
「どうしたの?」
「なんでもありませんよ」
「本当に?」
「ええ」
蜜璃は首を傾げる。
そして。
「もしかして嫉妬ですか?」
「…………」
「わっ!」
しのぶが蜜璃の頬を軽くつねる。
「痛いです!」
「余計なことを言うからですよ」
「ご、ごめんなさい!」
それを見ていたカナヲが、小さく笑った。
◇
町の商店。
「いらっしゃい!」
店主の元気な声。
蜜璃が目を輝かせる。
「わぁ……!」
団子。
饅頭。
羊羹。
餅。
色とりどりのお菓子が並んでいる。
「どれにしましょう!」
「全部買えばいい」
十兵衛が言う。
「えっ?」
蜜璃が振り返る。
「全部?」
「ああ」
「本当に!?」
「みんなで食べるなら問題ない」
「十兵衛さん!」
蜜璃の顔がぱっと明るくなる。
「大好きです!」
「そうか」
「……」
しのぶが固まる。
蜜璃も固まる。
カナエも。
真菰も。
カナヲも。
全員が十兵衛を見る。
「……?」
十兵衛だけが首を傾げる。
「どうした?」
しのぶが小さくため息をつく。
「なんでもありません」
◇
その日の昼。
みんなで団子を食べる。
「美味しい!」
蜜璃が幸せそうに頬張る。
真菰も嬉しそうに笑う。
「平和ですね」
「うん」
錆兎が頷く。
義勇は黙々と食べている。
蔦子が笑う。
「義勇、そんなに急いで食べなくても大丈夫よ」
「……美味しいから」
「ふふっ」
煉獄は豪快に笑った。
「うまい!」
「煉獄さん、声が大きいです」
しのぶが苦笑する。
「うまいものは、うまい!」
「それはそうですけど」
その光景を見ながら。
カナエが静かに笑う。
「……本当に、幸せですね」
十兵衛は頷く。
「ああ」
「これが、あなたが望んでいた未来ですか?」
「そうだな」
「戦わなくてもいい」
「ああ」
「誰も殺されない」
「ああ」
「誰も、復讐のために生きなくていい」
「ああ」
カナエは微笑む。
「なら」
「?」
「この世界を守っていきましょう」
十兵衛は少し驚いた。
そして。
「ああ」
力強く頷いた。
◇
夕方。
みんなが屋敷へ戻る。
その途中。
小さな子供たちが走ってくる。
「お兄ちゃん!」
「ん?」
十兵衛が振り返る。
「鬼って、本当にいなくなったの?」
子供の一人が尋ねた。
「ああ」
「もう来ない?」
「ああ」
「絶対?」
十兵衛はしゃがみ込む。
「絶対だ」
子供たちが笑う。
「やった!」
「もう夜でも外で遊べる?」
「夜遅くまで遊ぶのは駄目だ」
「えー!」
「寝る時間だからな」
「はーい!」
子供たちは走っていった。
十兵衛はその背中を見る。
しのぶが隣に立つ。
「優しいですね」
「普通だろう」
「そういうところです」
「何が?」
「……なんでもありません」
◇
夜。
蝶屋敷の縁側。
みんなで空を見上げる。
満天の星。
静かな夜。
虫の声。
「……」
しのぶが呟く。
「昔は、星を見る余裕なんてありませんでした」
十兵衛が隣を見る。
「そうだったな」
「夜が怖かったから」
「……」
「鬼が来るかもしれない」
しのぶは空を見る。
「誰かが死ぬかもしれない」
「…………」
「明日、生きている保証もない」
十兵衛は黙って聞いていた。
「でも今は」
しのぶは微笑む。
「夜が綺麗です」
「そうだな」
「月も」
「ああ」
「星も」
「ああ」
「全部、昔から同じだったんでしょうね」
「……」
「変わったのは、私たちの心なのかもしれません」
十兵衛は静かに頷いた。
「そうかもしれない」
その時。
「十兵衛さん」
カナヲがやってきた。
「どうした?」
「隣、いいですか?」
「ああ」
カナヲが座る。
その反対側には禰豆子が座る。
さらに蜜璃も座る。
真菰も。
しのぶが少しだけ目を細める。
「……」
十兵衛は気づかない。
「みんな、今日は月を見たいのか?」
「はい」
カナヲが答える。
「そうです!」
蜜璃も答える。
「うん」
真菰も笑う。
禰豆子は。
「ん!」
と元気よく頷いた。
しのぶは小さく笑う。
「……本当に幸せそうですね」
「そうだな」
十兵衛は穏やかに答える。
「俺も嬉しい」
「……」
しのぶはその横顔を見る。
以前の十兵衛は。
戦場では誰よりも冷静だった。
敵を分析し。
未来を読み。
味方を生かすために戦った。
でも今。
彼が見つめているのは、戦場ではない。
仲間たちの笑顔だった。
「十兵衛さん」
「ん?」
「これからも」
「?」
「こういう日々が続くといいですね」
十兵衛は微笑んだ。
「ああ」
「ずっと?」
「ずっとだ」
「……約束ですよ」
「ああ」
しのぶは静かに頷いた。
◇
その夜。
誰も刀を手に取らなかった。
誰も鬼の気配を探さなかった。
誰も明日の死を恐れなかった。
ただ。
大切な人たちと笑って。
食事をして。
空を見上げて。
眠る。
それだけ。
かつてなら。
そんな日常は夢だった。
けれど。
今は現実だ。
鬼のいない世界。
それは、何も特別な世界ではない。
人が朝起きて。
ご飯を食べて。
仕事をして。
誰かと笑って。
夜になれば眠る。
そんな当たり前の日々。
十兵衛が守ったかったのは。
結局――その「当たり前」だった。
「……おやすみなさい」
しのぶが言う。
「ああ。おやすみ」
十兵衛が答える。
屋敷の明かりが、一つずつ消えていく。
夜空には月。
その下に、穏やかな町。
もう鬼はいない。
もう恐怖もない。
そして。
明日の朝も。
きっと太陽が昇る。
――鬼のいない世界。
それは。
誰もが「普通の幸せ」を享受できる世界。
そして十兵衛たちは。
その幸せを、これからも大切にしていく。
――物語は。
戦いの時代から。
幸福な未来へ。
静かに歩み始めた。