『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――鬼がいなくなってから、さらに数日。
朝の蝶屋敷には、以前とはまるで違う空気が流れていた。
かつては負傷した隊士たちが運び込まれ、薬の匂いと慌ただしい足音が絶えなかった。
任務帰りの隊士。
傷を負った柱。
眠れない夜。
次の戦いへの備え。
そんな緊張感に包まれていた場所が――。
今では。
「おはようございます!」
「おはよう、カナヲ」
「今日もいい天気ですね!」
「はい」
穏やかな笑い声に包まれている。
庭では真菰が花に水をやり。
縁側では錆兎と義勇が将棋を指している。
蔦子は朝食の準備。
蜜璃は厨房で料理を手伝い。
煉獄は朝から大声で笑っている。
そして――。
「……十兵衛さん」
「なんだ?」
「どうして庭の真ん中で地図を広げているんですか?」
胡蝶しのぶが呆れた顔で尋ねた。
「蝶屋敷の改築案だ」
「……改築?」
「ああ」
十兵衛は真剣な表情で地図を指差す。
「診療所として使っていた部屋を、一般の医療施設として再整備する」
「なるほど」
「それから、この空き地には薬草園」
「はい」
「こちらには子供たちの学習施設」
「……」
「さらに裏手には運動場」
しのぶはしばらく黙っていた。
「十兵衛さん」
「なんだ?」
「戦争が終わって、まだ何日だと思っています?」
「……数日だな」
「少し休んでは?」
「休んでいる」
「どこがですか?」
十兵衛は首を傾げた。
「鬼がいないから、戦術を考える必要が減った」
「だから施設の設計を?」
「ああ」
「……」
しのぶは小さく笑った。
「本当に、あなたらしいですね」
◇
「十兵衛さん!」
そこへ蜜璃がやってきた。
「朝ご飯、できました!」
「分かった」
十兵衛は地図を畳む。
「今日は何だ?」
「お味噌汁と焼き魚と卵焼きです!」
「美味そうだな」
「本当ですか?」
蜜璃が嬉しそうに笑う。
「本当だ」
「じゃあ、いっぱい食べてくださいね!」
「分かった」
しのぶがその様子を見ながら微笑む。
「蜜璃さん」
「はい?」
「十兵衛さんを甘やかしすぎでは?」
「えっ!?」
蜜璃の顔が赤くなる。
「そ、そんなつもりは……!」
「そうですか?」
「は、はい!」
十兵衛は二人を見比べる。
「何の話だ?」
「なんでもありません」
「そうか」
――やはり気づかない。
◇
朝食。
全員が一つの食卓を囲んでいる。
「いただきます!」
蜜璃が元気よく手を合わせる。
「いただきます」
みんなも続く。
煉獄が焼き魚を口にする。
「うまい!」
「煉獄さん、朝から元気ですね」
しのぶが笑う。
「朝だからこそ元気なのだ!」
「なるほど」
錆兎が笑う。
「相変わらずだな」
義勇は黙って食べている。
蔦子が弟を見る。
「義勇、美味しい?」
「……うん」
「ならよかった」
その隣では、真菰が味噌汁を飲んでいる。
「……なんだか夢みたい」
「何が?」
錆兎が尋ねる。
「こうやって、みんなで朝ご飯を食べられること」
真菰は微笑んだ。
「昔は、最終選別で生き残ることだけを考えていたから」
「そうだな」
錆兎も頷く。
「任務に出れば、誰かが死ぬかもしれなかった」
「……」
「今は、その心配がない」
真菰は庭を見る。
「うん」
カナヲも静かに頷いた。
「……幸せですね」
その言葉に。
十兵衛が箸を止める。
「そうだな」
「十兵衛さんも?」
「ああ」
「何が一番嬉しいですか?」
カナヲが尋ねる。
十兵衛は少し考えた。
「みんなが笑っていること」
「……」
カナヲの頬が少し赤くなる。
「そうですか」
「ああ」
十兵衛は自然に笑った。
◇
朝食後。
庭では、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「十兵衛さん!」
蜜璃が木刀を差し出す。
「稽古しましょう!」
「稽古?」
「はい!」
「もう鬼はいないぞ?」
「分かっています!」
蜜璃は元気よく答える。
「でも、身体を動かすのは楽しいですから!」
「なるほど」
十兵衛は木刀を受け取る。
そこへ錆兎が入ってくる。
「俺もいいか?」
「もちろん」
義勇も立ち上がる。
「俺も」
真菰が笑う。
「じゃあ私も」
「……」
しのぶが呆れる。
「鬼がいなくなっても、結局みんな稽古するんですね」
カナエが微笑む。
「身体に染み付いているんでしょうね」
「それもそうですね」
十兵衛が構える。
「では、軽くやるか」
「お願いします!」
――そして。
数分後。
「……」
蜜璃は地面に座り込んでいた。
「強すぎます……」
錆兎も息を切らしている。
「相変わらず規格外だな」
義勇は黙って木刀を見つめる。
「……勝てない」
真菰が笑う。
「十兵衛さん、本気じゃなかったよね?」
「ああ」
「……ですよね」
十兵衛は首を傾げる。
「みんな強くなったと思うぞ」
「それ、慰めになってませんよ……」
蜜璃が頬を膨らませる。
しのぶはその光景を見ながら笑っていた。
「平和ですね」
カナエも頷く。
「ええ」
◇
昼過ぎ。
蝶屋敷の庭。
カナヲが花壇の手入れをしている。
その隣に十兵衛がしゃがみ込んだ。
「何をしている?」
「花を植えています」
「なるほど」
「手伝いますか?」
「ああ」
十兵衛も土を掘る。
二人で黙々と作業する。
しばらくして。
カナヲが口を開く。
「十兵衛さん」
「ん?」
「私は……ここにいてもいいんでしょうか?」
「もちろん」
「鬼殺隊もなくなりました」
「ああ」
「私には、もう役割がないような気がして」
十兵衛は手を止める。
「カナヲ」
「はい」
「役割がなくても、生きていい」
「……」
「誰かの役に立つためだけに生きる必要はない」
カナヲは黙って聞く。
「花を育ててもいい」
「……」
「料理をしてもいい」
「……」
「遊んでもいい」
「……」
「何もしなくてもいい」
カナヲの目が少し潤む。
「……何もしなくても?」
「ああ」
「それでも……ここにいていい?」
「当然だ」
十兵衛は笑う。
「ここはもう、戦場じゃない」
カナヲは小さく笑った。
「……はい」
◇
夕方。
縁側。
蜜璃が大量の団子を並べていた。
「今日は団子祭りです!」
「団子祭り?」
十兵衛が首を傾げる。
「はい!」
「なぜ?」
「平和だからです!」
「……」
十兵衛は真剣に考える。
「平和と団子に、どんな因果関係が?」
「気持ちの問題です!」
「なるほど」
しのぶが笑う。
「十兵衛さん」
「なんだ?」
「深く考えなくていいですよ」
「そうか」
十兵衛は団子を一つ取る。
「美味い」
「ですよね!」
蜜璃が嬉しそうに笑う。
真菰も一つ取る。
「平和っていいね」
錆兎が頷く。
「本当にな」
禰豆子は十兵衛の隣に座っている。
「ん」
「禰豆子も食べるか?」
「ん!」
十兵衛が団子を渡す。
禰豆子は嬉しそうに受け取った。
しのぶがそれを見る。
「……」
カナエが隣で笑う。
「しのぶ?」
「何でもありません」
「ふふっ」
◇
夜。
蝶屋敷は静かだった。
誰も怪我をしていない。
誰も任務に出ていない。
誰も死を恐れていない。
ただ、穏やかな夜。
十兵衛は縁側に座り、星空を見上げていた。
「……」
そこへ、しのぶがやってくる。
「隣、いいですか?」
「ああ」
しのぶが座る。
「今日は楽しかったですね」
「ああ」
「朝ご飯を食べて」
「うん」
「稽古をして」
「ああ」
「花を植えて」
「そうだな」
「団子を食べて」
「ああ」
しのぶは笑う。
「……それだけです」
「それがいいんだ」
十兵衛が答える。
「え?」
「何も起こらない一日」
「……」
「誰も傷つかない」
「……」
「誰も死なない」
「……」
「それだけで十分だ」
しのぶは静かに微笑む。
「そうですね」
二人は黙って星空を見る。
しばらくして。
しのぶが小さく呟いた。
「……昔の私に、見せてあげたいです」
「何を?」
「この景色を」
「……」
「鬼のいない世界」
「……」
「姉さんが生きていて」
「……」
「カナヲも、真菰も、錆兎も」
「……」
「みんなが笑っている世界」
十兵衛は静かに頷く。
「きっと喜ぶだろうな」
「はい」
しのぶは微笑む。
「だから」
「?」
「この日々を、大切にしたいです」
十兵衛は答えた。
「ああ」
「ずっと」
「ああ」
「守っていきましょう」
「……もちろんだ」
夜空に星が瞬く。
蝶屋敷の中からは、みんなの笑い声が聞こえてくる。
戦いは終わった。
鬼もいない。
刀を抜く必要もない。
だからこそ。
今度は。
この穏やかな日々を守る。
それが――。
戦いを終えた彼らに与えられた、新しい使命だった。
「……おやすみなさい、十兵衛さん」
「ああ。おやすみ、しのぶ」
静かな夜。
平和な蝶屋敷。
そして。
誰も失わない朝が、またやってくる。