『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』   作:夜幻

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第119話「しのぶの願い」

――夜。

 

蝶屋敷は静かだった。

 

昼間まで聞こえていた少女たちの笑い声も、今はない。

 

皆が眠りについた屋敷の縁側で、胡蝶しのぶは一人、月を見上げていた。

 

鬼はもういない。

 

姉・カナエも生きている。

 

カナヲも、真菰も、錆兎も、蔦子も。

 

誰も失われていない。

 

あの日々を思えば、奇跡のような未来だった。

 

「……」

 

それでも。

 

しのぶには、一つだけ胸の奥に残っている願いがあった。

 

「十兵衛さん……」

 

小さく名前を呼ぶ。

 

「私は……欲張りなんでしょうか」

 

答える者はいない。

 

しのぶは膝を抱えるように座った。

 

「みんなが生きている」

 

「鬼もいない」

 

「戦う必要もない」

 

「それだけで、十分幸せなはずなのに……」

 

胸に手を当てる。

 

「それでも私は……」

 

少しだけ頬を赤くする。

 

「あなたの一番近くにいたい」

 

それが。

 

しのぶの願いだった。

 

 

「眠れないのか?」

 

「……!」

 

突然、背後から声がした。

 

しのぶが振り返る。

 

そこにいたのは――十兵衛だった。

 

「十兵衛さん?」

 

「ああ」

 

「どうしてここに?」

 

「水を飲みに来た」

 

「……そうですか」

 

十兵衛はしのぶの隣に座る。

 

「何か考え事か?」

 

「……少し」

 

「話したくなければ、話さなくてもいい」

 

「……」

 

しのぶは少し迷った。

 

けれど。

 

今なら。

 

言えるかもしれない。

 

「十兵衛さん」

 

「なんだ?」

 

「一つ、お願いがあります」

 

「願い?」

 

「あまり大したことではありません」

 

「俺にできることなら聞こう」

 

しのぶは月を見る。

 

「これからも……私の隣にいてくれますか?」

 

十兵衛は一瞬だけ黙った。

 

「……それだけか?」

 

「え?」

 

「もっと難しい願いかと思った」

 

「……」

 

しのぶは苦笑する。

 

「十兵衛さんらしいですね」

 

「?」

 

「でも」

 

しのぶは改めて彼を見る。

 

「本当に、約束してくれますか?」

 

十兵衛は迷わなかった。

 

「ああ」

 

「……」

 

「これからも隣にいる」

 

「ずっと?」

 

「ずっとだ」

 

その言葉に。

 

しのぶの胸が大きく鳴った。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言うことじゃない」

 

「でも、嬉しいんです」

 

しのぶは微笑む。

 

「とても」

 

 

十兵衛はしのぶの表情を見る。

 

いつもの笑顔。

 

けれど。

 

その奥に、少しだけ寂しさがある。

 

「しのぶ」

 

「はい?」

 

「何か他にもあるのか?」

 

「……」

 

しのぶは少しだけ迷う。

 

「あります」

 

「言ってみろ」

 

「……笑わないでくださいね」

 

「笑わない」

 

しのぶは深呼吸する。

 

「私の……一番の願いです」

 

「……」

 

「これから先」

 

「うん」

 

「誰かを守るために、自分を犠牲にするのではなく」

 

「……」

 

「自分自身も幸せになりたいんです」

 

十兵衛は黙って聞いている。

 

「姉さんが生きている」

 

「はい」

 

「カナヲもいる」

 

「うん」

 

「みんなが笑っている」

 

「そうだな」

 

「だから私も」

 

しのぶは胸に手を当てる。

 

「笑って生きていたい」

 

十兵衛は静かに頷いた。

 

「それがいい」

 

「……」

 

「しのぶは、もっと自分のために生きていい」

 

その言葉に。

 

しのぶの瞳が少し潤む。

 

「……本当に?」

 

「ああ」

 

「私が、自分の幸せを願っても?」

 

「当然だ」

 

「わがままでは?」

 

「違う」

 

十兵衛は真っ直ぐに答える。

 

「生きている人間が幸せを願うのは、わがままじゃない」

 

「……」

 

「むしろ、それを願ってほしい」

 

しのぶは俯く。

 

そして。

 

小さく笑った。

 

「……ずるい人ですね」

 

「なぜ?」

 

「そんなことを言われたら」

 

「?」

 

「もっとあなたの隣にいたくなるじゃないですか」

 

「……」

 

十兵衛は少し考える。

 

「それなら、いればいい」

 

「……」

 

しのぶは目を丸くする。

 

「本当に……鈍感なんですね」

 

「?」

 

「なんでもありません」

 

 

そこへ。

 

「……しのぶ?」

 

廊下から声がする。

 

二人が振り返る。

 

カナエだった。

 

「姉さん?」

 

「こんな時間に何をしているの?」

 

「少し話をしていました」

 

カナエは二人を見て。

 

微笑んだ。

 

「そう」

 

「……姉さん?」

 

「何でもありませんよ」

 

カナエは楽しそうに笑う。

 

「しのぶ、顔が赤いですよ」

 

「……!」

 

「月が綺麗だからでしょうか?」

 

「姉さん……」

 

「ふふっ」

 

十兵衛は二人を見比べる。

 

「姉妹というのは仲がいいんだな」

 

「……」

 

カナエとしのぶが同時に思う。

 

――本当に、この人は。

 

 

翌朝。

 

蝶屋敷の庭。

 

しのぶは花壇の手入れをしていた。

 

「しのぶちゃん!」

 

蜜璃が駆け寄ってくる。

 

「昨日、十兵衛さんと二人で何を話していたんですか?」

 

「……」

 

「何かありました?」

 

「特には」

 

「本当ですか?」

 

「ええ」

 

蜜璃がじっと見る。

 

「……顔、嬉しそうです」

 

「そうですか?」

 

「はい!」

 

しのぶは少し考えて。

 

「……願いを聞いてもらったんです」

 

「願い?」

 

「はい」

 

「どんな?」

 

しのぶは微笑んだ。

 

「秘密です」

 

「えぇー!」

 

蜜璃が頬を膨らませる。

 

そこへカナエがやってくる。

 

「蜜璃さん、あまり聞いてはいけませんよ」

 

「でも気になります!」

 

「ふふっ」

 

しのぶは花を見る。

 

その表情は穏やかだった。

 

「……私は」

 

小さく呟く。

 

「これからも、みんなと一緒に笑っていたい」

 

そして。

 

もう一つ。

 

胸の奥にしまっている願い。

 

――十兵衛の一番近くで。

 

同じ未来を見ていたい。

 

 

昼。

 

十兵衛が庭にやってくる。

 

「しのぶ」

 

「はい?」

 

「昨日の約束だが」

 

「……」

 

しのぶの心臓が跳ねる。

 

「何でしょう?」

 

「今日は薬草園の整理をする予定だ」

 

「はい」

 

「手伝ってくれるか?」

 

「……もちろん」

 

「助かる」

 

十兵衛は笑う。

 

「これからも一緒にやろう」

 

「……はい」

 

しのぶも笑う。

 

その笑顔は。

 

復讐のための笑顔ではなかった。

 

姉から受け継いだ、誰かを安心させるためだけの笑顔でもない。

 

自分自身が。

 

心から幸せだからこそ浮かべる笑顔。

 

「十兵衛さん」

 

「なんだ?」

 

「私、今……とても幸せです」

 

「そうか」

 

「はい」

 

「なら、よかった」

 

十兵衛はそれだけ言って、薬草園へ向かう。

 

しのぶはその背中を見つめる。

 

そして。

 

小さく呟いた。

 

「……これからも、よろしくお願いします」

 

――戦いは終わった。

 

鬼もいない。

 

復讐する理由もない。

 

だからこそ。

 

しのぶはこれから、自分自身の幸せを探していく。

 

そしてその隣には――。

 

いつだって、竜牙十兵衛がいる。

 

それが。

 

胡蝶しのぶが願った未来だった。

 

 

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