『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――鬼のいない世界。
戦いが終わってから、しばらくの時が流れた。
蝶屋敷にも、以前とは比べものにならないほど穏やかな時間が流れている。
庭では花が咲き。
縁側では少女たちが笑い。
食事の時間になれば、皆で食卓を囲む。
かつて鬼殺隊の本部として緊張感に包まれていた場所も、今ではすっかり「普通の家」のようになっていた。
ただし。
一人だけ。
「…………」
庭の中央で、十兵衛が腕を組んでいた。
「これは困ったな」
「どうしました?」
しのぶが声をかける。
「道が分からない」
「……」
しのぶは目を細める。
「ここ、蝶屋敷の庭ですよ?」
「そうだ」
「目の前に屋敷がありますよね?」
「ああ」
「では、なぜ迷うんです?」
「庭が広い」
「……」
しのぶは深いため息をついた。
「本当に、あなたは最強の軍師なんですか?」
「もちろんだ」
「では、どうして自分のいる場所が分からないんです?」
「戦場では迷わない」
「戦場じゃなくて庭です」
「……」
十兵衛は真剣に考えた。
「なるほど」
「何がなるほどなんですか?」
「庭は戦場ではないからだ」
「屁理屈ですよ、それ」
◇
そこへ。
「十兵衛さーん!」
蜜璃が走ってくる。
「ここにいたんですね!」
「ああ」
「探しました!」
「なぜ?」
「だって、お昼ご飯ですよ!」
「……」
十兵衛の表情が変わった。
「昼食か」
「はい!」
「それなら急ごう」
「ふふっ」
蜜璃は嬉しそうに笑う。
「十兵衛さんって、ご飯の時だけ反応が早いですよね」
「食事は重要だからな」
「軍略みたいに言わないでください!」
◇
食堂。
すでに全員が揃っていた。
カナエ。
しのぶ。
蜜璃。
真菰。
カナヲ。
禰豆子。
冨岡蔦子。
産屋敷四姉妹。
そして十兵衛。
「いただきます」
全員が箸を取る。
「……」
十兵衛は料理を一口食べた。
「美味い」
蔦子が嬉しそうに笑う。
「本当ですか?」
「ああ」
「よかった」
すると蜜璃が。
「私が作ったおかずも食べてください!」
「分かった」
カナエも。
「こちらもどうぞ」
「ありがとう」
しのぶも。
「十兵衛さん、これも」
「……」
十兵衛の前に次々と料理が並ぶ。
「皆、今日は随分と食べさせようとするな」
少女たちが顔を見合わせる。
「……」
真菰が小声で言った。
「みんな、考えることは同じなんだね」
カナヲが頷く。
「……はい」
禰豆子も。
「ん」
産屋敷四姉妹も微笑む。
十兵衛はそんな少女たちを見て。
「仲が良くて何よりだ」
「…………」
しのぶが額を押さえた。
「まだ気づかないんですね」
「何が?」
「なんでもありません」
◇
午後。
産屋敷家。
今日は久しぶりに、十兵衛が産屋敷邸を訪れていた。
「十兵衛さん」
産屋敷耀哉が穏やかに笑う。
「こうして平和な時間を過ごせることが、何より嬉しいですね」
「ああ」
十兵衛は頷く。
「だが」
「はい?」
「一つ気になることがある」
「何でしょう?」
十兵衛は屋敷の庭を見渡す。
「以前より人の動きが増えている」
「……」
「警備の必要はない世界だが、癖で周囲を分析してしまう」
耀哉は微笑んだ。
「それも十兵衛さんらしいですね」
「軍師だからな」
「戦いが終わっても?」
「ああ」
十兵衛は真面目に答えた。
「戦いが終わったからこそ、守るべきものを見失ってはいけない」
「……」
耀哉の表情が柔らかくなる。
「あなたがいてくれて、本当によかった」
「俺もそう思う」
「自分で言いますか?」
隣にいたしのぶが思わず突っ込む。
「事実だからな」
「……」
カナエが笑う。
「十兵衛さんらしいですね」
◇
その日の夕方。
庭で、真菰が十兵衛を呼び止めた。
「十兵衛さん」
「真菰か」
「少しだけ、付き合ってもらえますか?」
「構わない」
二人は庭を歩く。
「……」
真菰は少し緊張していた。
「どうした?」
「いえ」
「何か相談か?」
「……そういうところです」
「?」
真菰は苦笑する。
「十兵衛さんは、どんな時でも冷静ですね」
「そうか?」
「はい」
「戦場ではな」
「今は?」
「……?」
「今も、です」
真菰は笑う。
「でも」
少しだけ十兵衛に近づく。
「私は、そんな十兵衛さんが好きですよ」
「そうか」
「……」
真菰が止まる。
「それだけですか?」
「ありがとう」
「……」
「嬉しい」
「……もう」
真菰は笑った。
「本当に鈍感なんですね」
◇
夜。
十兵衛は一人、縁側に座っていた。
月を見上げる。
「……」
しのぶがやってくる。
「また一人ですか?」
「ああ」
「寂しくありません?」
「別に」
「そうですか」
しのぶは隣に座る。
「今日は、みんなと一緒にいたでしょう?」
「ああ」
「楽しかったですか?」
「もちろん」
「……」
しのぶは微笑む。
「それならよかったです」
「しのぶ」
「はい?」
「俺は思うんだ」
「何を?」
「俺がこの世界に来た理由は、戦うためだけじゃなかったのかもしれない」
しのぶは静かに聞く。
「鬼を倒す」
「はい」
「誰かを守る」
「はい」
「そして」
十兵衛は屋敷を見る。
そこには。
笑っている少女たちがいる。
カナエがいる。
蔦子がいる。
産屋敷四姉妹がいる。
そして、しのぶがいる。
「みんなが笑っている未来を見るためだったのかもしれない」
しのぶの目が優しくなる。
「……そうですね」
「だから」
十兵衛は笑う。
「俺は今、かなり満足している」
「……」
「戦いがなくてもいい」
「はい」
「刀を振らなくてもいい」
「はい」
「ただ」
十兵衛はしのぶを見る。
「みんなが幸せなら、それでいい」
しのぶは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……十兵衛さん」
「なんだ?」
「あなたは、本当に優しい人ですね」
「そうか?」
「はい」
「なら、よかった」
◇
翌朝。
「十兵衛さん!」
蜜璃の声。
「朝ご飯ですよ!」
「分かった!」
十兵衛が屋敷から出てくる。
「今日は迷わなかったんですね!」
「当然だ」
「すごい!」
十兵衛は得意げに頷く。
「昨日、庭の地形を完全に把握した」
「……」
しのぶが呟く。
「一晩かけて庭を攻略したんですね」
「当然だ」
「軍師の使い方、間違ってません?」
「何を言う」
十兵衛は真剣な顔で答える。
「未知の地形を攻略するのは軍師の基本だ」
「ここは庭ですよ」
「庭も地形だ」
「……」
カナエが笑う。
「ふふっ」
真菰も笑う。
蜜璃も笑う。
カナヲも。
禰豆子も。
産屋敷四姉妹も。
そして。
しのぶも笑った。
戦場を支配した最強の軍師。
数十手先を読み、上弦の鬼すら圧倒し、無惨を打ち破った男。
その男が今。
たった一つの庭を攻略するために、一晩かけて地図を作っている。
――それが。
竜牙十兵衛だった。
最強無双。
天才軍師。
そして。
誰よりも天然な男。
「さて」
十兵衛が歩き出す。
「朝食へ行くぞ」
「はい!」
少女たちが後を追う。
平和な朝。
笑い声。
穏やかな時間。
もう、誰も戦わなくていい。
誰も死ななくていい。
そして十兵衛はまだ知らない。
そんな平和な世界で。
自分を巡る「恋の戦い」が。
これからさらに激しくなっていくことを――。