『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――蝶屋敷。
朝。
障子の向こうから差し込む柔らかな日差しが、部屋を静かに照らしていた。
「……朝か」
竜牙十兵衛は目を覚ました。
布団から起き上がる。
顔を洗い。
髪を整え。
隊服を着る。
そして。
「……」
廊下へ出たところで。
十兵衛は立ち止まった。
「……」
右を見る。
左を見る。
「……」
十兵衛は真剣な表情で考え込む。
「食事処はどこだ?」
――また迷っていた。
「十兵衛さん?」
「……しのぶ」
後ろから声をかけてきたのは胡蝶しのぶだった。
「朝食でしたら、こちらですよ」
「そうか」
十兵衛は素直についていく。
「昨日も言いましたが、蝶屋敷はそれほど広くありませんよ?」
「分かっている」
「本当ですか?」
「ああ」
「では、どうして迷ったんですか?」
「……」
十兵衛は少し考える。
「昨日と廊下の景色が違って見えた」
「景色は変わっていません」
「そうか」
しのぶは小さく笑った。
「ふふっ。本当に不思議な人ですね」
◇
朝食の席。
「おはよう、十兵衛くん」
「おはよう」
胡蝶カナエが柔らかな笑顔で迎える。
朝食が並ぶ。
味噌汁。
焼き魚。
漬物。
そして。
「おにぎりもありますよ」
「……!」
十兵衛の目が僅かに輝いた。
「おにぎりか」
「ええ。好きなの?」
「ああ」
十兵衛は素直に頷く。
「携帯性に優れている」
「……」
しのぶが微妙な顔をする。
「そういう理由なんですか?」
「食べやすい」
「まあ、確かにそうだけど……」
カナエが楽しそうに笑う。
「あらあら。十兵衛くんは実用性を重視するのね」
「そうだ」
「でも、美味しいから好きでもいいのよ?」
「……」
十兵衛はおにぎりを見る。
一口。
「……美味しい」
カナエが微笑む。
「でしょう?」
「うん」
「それなら、それでいいの」
その穏やかなやり取りを。
しのぶは静かに眺めていた。
◇
朝食後。
カナエは庭で薬草の手入れをしていた。
「カナエ」
「何かしら?」
「何をしている?」
「薬草のお世話よ」
「手伝おう」
「まあ」
カナエは少し驚いた。
「ありがとう、十兵衛くん」
二人で庭へ入る。
十兵衛は薬草を観察する。
「これは?」
「薬効の強い薬草よ」
「こちらは?」
「傷薬に使うもの」
「なるほど」
十兵衛は頷く。
「蝶屋敷では、かなり多くの薬を扱っているんだな」
「ええ」
「戦闘部隊の後方支援として重要だ」
「……」
カナエの手が止まる。
「後方支援?」
「ああ」
十兵衛は淡々と語る。
「戦闘員がどれだけ強くても、負傷者を治療できなければ継戦能力は落ちる」
「……」
「だから」
十兵衛は薬草を見る。
「カナエたちの仕事は、鬼殺隊にとって非常に重要だ」
カナエは目を細める。
「……ありがとう」
「なぜ礼を言う?」
「私たちの仕事を、そんな風に見てくれる人は少ないから」
「そうなのか?」
「ええ」
カナエは微笑む。
「多くの人は、鬼を倒す剣士の方が凄いと思うでしょう?」
「それは間違いだ」
十兵衛は即答した。
「戦う者だけでは組織は成立しない」
「……」
「食事を作る者」
「薬を作る者」
「情報を集める者」
「負傷者を運ぶ者」
「刀を作る者」
「全員が必要だ」
カナエはしばらく黙っていた。
そして。
「……本当に優しいのね」
「?」
「なんでもないわ」
◇
昼。
蝶屋敷へ負傷した隊士が運び込まれてきた。
「お願いします!」
「腕を負傷しています!」
「こちらへ!」
屋敷内が一気に慌ただしくなる。
しのぶが指示を出す。
「こちらへ運んでください!」
「はい!」
カナエも動く。
「止血を!」
「分かりました!」
十兵衛は少し離れた場所から状況を見ていた。
「……」
そして。
「しのぶ」
「はい?」
「この患者は右腕の骨折だけではない」
「え?」
「左脚にも損傷がある」
しのぶが確認する。
「……本当です」
「それと」
十兵衛は患者の顔を見る。
「呼吸が浅い」
「……!」
カナエがすぐに対応する。
「しのぶ、肺の確認を」
「はい!」
十兵衛は負傷者の肩を支える。
「大丈夫だ」
「……う……」
「ここは安全だ」
その声は。
戦場で鬼を斬る時とは違って。
驚くほど穏やかだった。
やがて。
患者の呼吸が安定する。
「……助かった」
隊士が呟く。
カナエは十兵衛を見る。
「ありがとう」
「俺は何もしていない」
「いいえ」
カナエは微笑む。
「あなたが気づいてくれたから、この人を救えたのよ」
「……そうか」
十兵衛は少し照れたように視線を逸らした。
それを見たカナエは。
少しだけ笑った。
◇
夕方。
庭。
カナエは一人で空を見上げていた。
「……」
その隣に十兵衛が立つ。
「何か悩み事か?」
「……」
カナエは驚く。
「分かるの?」
「顔を見れば分かる」
「……」
「違ったか?」
「いいえ」
カナエは微笑む。
「少しだけ」
「話せるなら聞く」
「……」
カナエは空を見る。
「しのぶのこと」
「しのぶ?」
「ええ」
カナエの声が少しだけ寂しくなる。
「しのぶは、とても頑張っているでしょう?」
「ああ」
「でも」
カナエは胸元に手を置く。
「私のように鬼の首を斬れないことを、ずっと気にしているの」
「……」
「だから、いつか」
カナエは笑った。
「しのぶが無理をしなくてもいい方法を見つけたいの」
「もう見つけ始めている」
「え?」
「毒だ」
十兵衛は静かに答える。
「しのぶは、剣で鬼の首を斬れない」
「ええ」
「なら別の方法で倒せばいい」
「……」
「それは弱さではない」
十兵衛はカナエを見る。
「自分に合った戦い方を選んでいるだけだ」
カナエは目を見開く。
「……十兵衛くん」
「しのぶは強い」
「……」
「だから、守ってやってくれ」
カナエは少し驚いた。
「私が?」
「ああ」
「あなたではなく?」
「俺も守る」
「……」
「でも、姉にしかできないこともある」
カナエの目が潤む。
「……本当に」
「?」
「あなたは優しいのね」
「そうか?」
「ええ」
カナエは笑う。
「とても優しい人よ」
◇
その夜。
しのぶは姉の部屋を訪れた。
「姉さん」
「どうしたの?」
「……今日、十兵衛さんと何を話していたんですか?」
「しのぶのこと」
「私?」
「ええ」
カナエは笑う。
「十兵衛くん、あなたのことを強いって言っていたわ」
「……」
「それから」
「それから?」
「私に、あなたを守ってほしいって」
「……!」
しのぶの頬が僅かに赤くなる。
「どうして……」
「さあ?」
カナエは微笑む。
「でも、あの人は本気だったわ」
「……」
しのぶは俯く。
「変な人です」
「そうね」
「戦場では、あんなに恐ろしいのに」
「うん」
「なのに」
しのぶは小さく笑う。
「普段は道に迷ったり、おにぎりを食べて嬉しそうにしたり……」
「ふふっ」
「……本当に変な人」
カナエは妹の横顔を見る。
「しのぶ」
「はい?」
「あなた、十兵衛くんのことを気に入ったの?」
「……!」
「顔に出ているわよ?」
「姉さん!」
カナエは楽しそうに笑う。
「ごめんなさい」
「もう……」
しのぶは頬を膨らませる。
しかし。
その表情には。
ほんの少しだけ。
嬉しそうな色があった。
◇
翌朝。
「十兵衛くん」
「カナエ」
庭で会う。
「昨日はありがとう」
「何のことだ?」
「しのぶのこと」
「ああ」
十兵衛は頷く。
「俺は何もしていない」
「いいえ」
カナエは優しく微笑む。
「あなたは、私たち姉妹に大切なものをくれたわ」
「大切なもの?」
「未来よ」
「……」
「だから」
カナエは頭を下げる。
「ありがとう」
十兵衛は少し考え。
そして。
「こちらこそ」
「え?」
「カナエがいるから、しのぶも安心して戦える」
「……」
「俺も助かっている」
カナエは目を細める。
「本当に、不思議な人ね」
「また言われた」
「ふふっ」
カナエが笑う。
その笑顔は。
春の日差しのように暖かかった。
――優しい姉。
胡蝶カナエ。
彼女と竜牙十兵衛の出会いは。
やがて。
本来ならば失われるはずだった命を救う、大きな運命の転換点となっていく。
そして。
その傍らで。
胡蝶しのぶは静かに十兵衛を見つめていた。
「……十兵衛さん」
「なんだ?」
「今日も迷子にならないでくださいね」
「善処する」
「……ふふっ」
蝶屋敷に。
三人の笑い声が響いた。
まだ誰も知らない。
この穏やかな日々が。
鬼殺隊の歴史を大きく変える始まりになることを。