『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』   作:夜幻

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第5話 鬼たちの恐怖

 ――藤襲山、最終選別四日目。

 

 夜が来た。

 

 だが。

 

 今夜の藤襲山には、これまでとは違う空気が漂っていた。

 

「……来るぞ」

 

 森の奥。

 

 一体の鬼が、鼻をひくつかせる。

 

 血の匂い。

 

 人間の匂い。

 

 そして――。

 

 それとは別の、奇妙な気配。

 

「……あいつだ」

 

 鬼の顔から笑みが消えた。

 

「竜牙十兵衛……」

 

 その名前を口にしただけで。

 

 鬼の背筋に悪寒が走った。

 

 ◇

 

「おい」

 

 別の場所。

 

 三体の鬼が集まっていた。

 

「聞いたか?」

 

「何をだ?」

 

「赤髪の剣士だ」

 

「……竜牙十兵衛か?」

 

「ああ」

 

 一体の鬼が唾を飲み込む。

 

「昨日、あいつに遭遇した鬼が七体いた」

 

「七体?」

 

「全員――死んだ」

 

「…………」

 

「一体も逃げられなかった」

 

 沈黙。

 

 鬼たちは互いの顔を見る。

 

 やがて。

 

「……なら、近づかなければいい」

 

 誰かが呟いた。

 

「そうだ」

 

「人間なんて、他にもいる」

 

「わざわざ危険な奴を狙う必要はない」

 

「竜牙十兵衛には近づかない」

 

 その言葉に。

 

 全員が頷いた。

 

 ――それは。

 

 鬼たちが自発的に作った、最初の禁忌だった。

 

 ◇

 

 森の中。

 

 十兵衛は歩いていた。

 

「……妙だな」

 

 周囲に鬼の気配がある。

 

 しかし。

 

 近づいてこない。

 

「昨日までなら、向こうから襲ってきた」

 

 十兵衛は立ち止まる。

 

「今日は逃げている」

 

 少し考える。

 

「警戒されているのか」

 

 彼は自分の刀を見る。

 

「……そうか」

 

 十兵衛は納得した。

 

「昨日の戦闘が原因だな」

 

 その結論に。

 

 特に感慨はない。

 

 ただ。

 

「なら、こちらから行くか」

 

 十兵衛は歩き出した。

 

 ◇

 

「……来る」

 

 一体の鬼が震えた。

 

「何が?」

 

「竜牙だ!」

 

 森の向こう。

 

 木々の隙間から。

 

 赤い髪が見える。

 

「逃げろ!」

 

「待て!」

 

「でも!」

 

「散れ!」

 

 三体の鬼が一斉に逃げる。

 

 しかし。

 

 そのうち一体が足を止めた。

 

「……待て」

 

「どうした?」

 

「三人で逃げれば、目立つ」

 

「だから?」

 

「一人が囮になれば――」

 

 鬼は振り返る。

 

「俺が時間を稼ぐ」

 

「お前……」

 

「安心しろ」

 

 鬼は笑った。

 

「俺は強い」

 

 その自信は。

 

 わずか数秒で砕かれた。

 

 十兵衛が現れる。

 

「……」

 

「竜牙十兵衛!」

 

 鬼が拳を構える。

 

「来い!」

 

 十兵衛は首を傾げた。

 

「君は逃げないのか?」

 

「俺は他の鬼とは違う!」

 

「そうか」

 

「俺には血鬼術がある!」

 

「なるほど」

 

「お前を殺して――」

 

 十兵衛の姿が消えた。

 

「――え?」

 

 次の瞬間。

 

 鬼の腕が落ちる。

 

「な……」

 

「雷の呼吸」

 

 十兵衛の刀が閃く。

 

「弐ノ型――稲魂」

 

 斬撃。

 

「参ノ型――聚蚊成雷」

 

 さらに斬撃。

 

「肆ノ型――遠雷」

 

 鬼の身体が切り刻まれる。

 

「ま、待て!」

 

「何を?」

 

「話を――」

 

「戦闘中に話す余裕はない」

 

「そんな……!」

 

 十兵衛の刀が赫く染まる。

 

「日の呼吸――」

 

「ひっ……!」

 

「円舞」

 

 ――ズバッ!

 

 鬼の首が落ちる。

 

 消滅。

 

「…………」

 

 十兵衛は刀を納める。

 

「……弱かったな」

 

 その呟きが。

 

 遠くにいた二体の鬼にも聞こえていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 互いに顔を見合わせる。

 

「……逃げよう」

 

「同意する」

 

 二体は全力で走った。

 

 ◇

 

 別の場所。

 

 鬼たちが集まっていた。

 

「駄目だ」

 

「何がだ?」

 

「もう、この山に安全な場所がない」

 

「どういう意味だ?」

 

「竜牙が動いている」

 

 鬼の一体が地図を見る。

 

「南で一体」

 

「西で二体」

 

「北で三体」

 

「……全部、竜牙が倒した」

 

「ありえない」

 

「事実だ」

 

 沈黙。

 

 やがて。

 

「なら……」

 

 若い鬼が呟いた。

 

「奴を倒せばいい」

 

 周囲がざわめく。

 

「馬鹿!」

 

「無理だ!」

 

「だが、いつまでも逃げられるわけじゃない!」

 

「じゃあどうする!」

 

「…………」

 

 誰も答えられない。

 

 鬼は。

 

 人間を恐怖させる側だった。

 

 人間が鬼から逃げる。

 

 それが当たり前だった。

 

 なのに。

 

 今夜は違う。

 

 鬼が。

 

 人間から逃げている。

 

 その異常事態が。

 

 藤襲山全体に広がっていた。

 

 ◇

 

「十兵衛」

 

 木の上。

 

 錆兎が声をかける。

 

「どうした?」

 

「鬼が逃げている」

 

「ああ」

 

「お前が怖いんだろうな」

 

「そうらしい」

 

 十兵衛は真面目な顔で答えた。

 

「でも、それは困る」

 

「困る?」

 

「鬼が逃げると、参加者が戦う機会を失う」

 

 錆兎は頭を抱える。

 

「……お前、そこまで考えるのか」

 

「最終選別だからな」

 

「でも、普通は鬼を倒したいと思うだろ」

 

「倒している」

 

「そうだけど!」

 

 真菰が笑う。

 

「十兵衛らしいですね」

 

「そうか?」

 

「はい」

 

 十兵衛は少し考えた。

 

「では、鬼を参加者のところへ誘導するか」

 

「それは危険じゃない?」

 

 真菰が尋ねる。

 

「もちろん危険だ」

 

「なら――」

 

「だから、強い参加者のところへ誘導する」

 

 錆兎が目を丸くする。

 

「……なるほど」

 

「俺たちがすべて倒してしまえば、他の参加者は成長できない」

 

 十兵衛は地図を広げた。

 

「なら、鬼の動線を操作する」

 

「鬼まで戦術に組み込むのか……」

 

「敵も駒だ」

 

「鬼を駒扱い……」

 

 錆兎は呆れたように笑う。

 

「本当に軍師なんだな」

 

 十兵衛は頷く。

 

「ああ」

 

 その時。

 

「十兵衛様!」

 

 遠くから声がした。

 

 一人の参加者が駆けてくる。

 

「どうした?」

 

「鬼が……!」

 

「数は?」

 

「三体です!」

 

「位置は?」

 

「西の沢!」

 

 十兵衛は即座に立ち上がる。

 

「錆兎、真菰」

 

「ああ!」

 

「はい!」

 

「君たちはここで待機」

 

「また一人で行くのか?」

 

「今回は違う」

 

 十兵衛は参加者を見る。

 

「君を連れて行く」

 

「俺を?」

 

「ああ」

 

 十兵衛は地図を指す。

 

「君はこの三日間、生き残っている」

 

「……」

 

「なら、十分に戦える」

 

 参加者は拳を握った。

 

「……はい!」

 

 十兵衛は頷く。

 

「行こう」

 

 ◇

 

 西の沢。

 

 三体の鬼が人間を追い詰めていた。

 

「喰わせろ!」

 

「逃げても無駄だ!」

 

 その時。

 

「――そこまでだ」

 

 声が響く。

 

 鬼たちが振り返る。

 

「……!」

 

「竜牙……!」

 

 十兵衛が立っている。

 

 その隣には。

 

 一人の参加者。

 

「今度は二人か」

 

「俺たち三体だぞ!」

 

「問題ない」

 

 十兵衛は参加者へ言う。

 

「右の一体を任せる」

 

「俺が……?」

 

「ああ」

 

「でも、鬼は……」

 

「恐れるな」

 

 十兵衛は刀を抜いた。

 

「俺が残り二体を止める」

 

 鬼が襲いかかる。

 

「行け!」

 

「はい!」

 

 参加者が踏み込む。

 

 十兵衛も同時に動く。

 

「雷の呼吸――」

 

 紫電。

 

「拾壱ノ型――紫電一閃!」

 

 一瞬。

 

 二体の鬼の間を通り抜ける。

 

「な――」

 

 鬼の腕が落ちる。

 

「今だ!」

 

 参加者が斬り込む。

 

「うおおおっ!」

 

 ――ズバッ!

 

 鬼の首が落ちた。

 

「やった……!」

 

 その瞬間。

 

 残った二体が十兵衛へ襲いかかる。

 

「日の呼吸――」

 

 赫い刃。

 

「伍ノ型――火車」

 

 空中を舞う。

 

 鬼の背後へ。

 

「六ノ型――灼骨炎陽」

 

 炎のような斬撃が走る。

 

 鬼たちが崩れ落ちる。

 

「……」

 

 戦闘終了。

 

 参加者は震える手で刀を握っていた。

 

「俺……」

 

「よくやった」

 

「……俺が鬼を倒した」

 

「ああ」

 

 十兵衛は頷く。

 

「君自身の力だ」

 

 参加者の目に涙が浮かぶ。

 

「ありがとうございます!」

 

「礼はいらない」

 

 十兵衛は歩き出す。

 

「生きて帰れ」

 

 ◇

 

 夜明け前。

 

 藤襲山の鬼たちは。

 

 すでに理解していた。

 

 竜牙十兵衛は。

 

 ただ強い剣士ではない。

 

「奴は……」

 

 一体の鬼が震える。

 

「俺たちの行動を読んでいる」

 

「どこへ逃げても先回りされる」

 

「仲間を集めても、全部まとめて殺される」

 

「戦えば負ける」

 

「逃げても追いつかれる」

 

「なら……」

 

 誰かが呟く。

 

「どうすればいい?」

 

 答えは。

 

 誰にも分からなかった。

 

 鬼たちは。

 

 初めて経験していた。

 

 ――絶望というものを。

 

 そして。

 

 その中心にいる男は。

 

 そんな鬼たちの恐怖など知る由もなく。

 

「……少し疲れたな」

 

 木の根元に座っていた。

 

「団子でも食べたい」

 

「…………」

 

 隣にいた錆兎が無言になる。

 

「……お前、本当に緊張感がないな」

 

「そうか?」

 

「鬼が逃げ惑ってるんだぞ」

 

「なら、良いことじゃないか」

 

「そういうところだよ……」

 

 真菰がクスクス笑う。

 

「でも、十兵衛がいるなら安心です」

 

「そうか」

 

 十兵衛は空を見上げる。

 

 東の空が少しずつ明るくなる。

 

 あと二日。

 

 最終選別は続く。

 

 だが。

 

 この日を境に。

 

 藤襲山の鬼たちは、夜になるたびに怯えるようになった。

 

 人間が鬼を恐れるのではない。

 

 鬼が。

 

 一人の剣士を恐れる。

 

 その名は――。

 

 竜牙十兵衛。

 

 雷のように現れ。

 

 日輪の如く鬼を焼き尽くす男。

 

 そしてその夜。

 

 鬼たちの間に、一つの噂が生まれた。

 

「赤い髪を見たら逃げろ」

 

「紫の雷が見えたら終わりだ」

 

「奴に遭ったら――」

 

 ――もう、生きて帰れない。

 

 藤襲山に。

 

 新たな恐怖が刻まれた。

 

 

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