『赫き日輪と紫電の如く〜最強無双の天然軍師、並行世界を征く〜』 作:夜幻
――藤襲山、最終選別五日目。
夜明け前。
森の中に、静かな呼吸音が響いていた。
すう――。
はあ――。
すう――。
はあ――。
木の根元に座る竜牙十兵衛は、目を閉じていた。
刀は脇に置いてある。
身体には一切の力が入っていない。
しかし。
その胸郭は一定の間隔で動き続けていた。
呼吸。
心拍。
血流。
筋肉。
すべてが乱れない。
「……」
十兵衛は目を開いた。
「全集中・常中」
静かに呟く。
この世界の剣士たちにとって、それは容易な技術ではない。
常に全集中の呼吸を維持する。
戦闘中だけではない。
歩いている時も。
眠っている時も。
食事をしている時も。
意識せずに呼吸を続ける。
極めれば、身体能力そのものが大きく向上する。
だが。
十兵衛にとっては――。
「……これが普通だな」
あまりにも自然なことだった。
異世界で武術を極めた彼にとって、呼吸の制御は基礎中の基礎。
だからこそ。
鬼殺隊に入る前から、すでに全集中・常中を体得していた。
「……十兵衛」
声がする。
木の向こうから錆兎が現れた。
「起きていたのか」
「ああ」
「また呼吸の鍛錬?」
「鍛錬というほどでもない」
十兵衛は立ち上がる。
「呼吸しているだけだ」
「いや、それが難しいんだろ」
「そうなのか?」
「そうだ」
錆兎は呆れた。
「お前は何でも簡単に言いすぎる」
その後ろから真菰も現れる。
「おはよう、十兵衛」
「おはよう」
「今の呼吸……」
真菰が十兵衛を見る。
「ずっと続けていたの?」
「ああ」
「寝ている時も?」
「ああ」
「……本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「寝ている間は自分で確認できないからな」
真菰が思わず吹き出した。
「ふふっ」
「何がおかしい?」
「なんでもないよ」
◇
朝。
三人は山を歩いていた。
最終選別も五日目。
参加者の数はかなり減っていた。
だが。
十兵衛たちの周囲には、まだ何人もの参加者が生き残っている。
その理由は明白だった。
十兵衛が鬼を倒し続けているからだ。
「……」
十兵衛が突然足を止める。
「どうした?」
錆兎が尋ねる。
「鬼がいる」
「どこだ?」
「南東」
「距離は?」
「約四百」
真菰が目を細める。
「見えないよ?」
「音だ」
「音?」
「木々の間を歩いている」
十兵衛は耳を澄ます。
「二体」
そして。
「いや、三体」
「……三体」
錆兎が刀を握る。
「行こう」
「ああ」
◇
森の中。
三体の鬼が、一人の参加者を追っていた。
「逃げろ!」
「喰わせろ!」
「その足を止めろ!」
参加者は必死に走る。
しかし。
体力が限界に近い。
「もう……駄目だ……」
木の根に足を取られ、転倒する。
鬼が飛びかかる。
――その瞬間。
「雷の呼吸――」
紫電が走った。
「壱ノ型――霹靂一閃!」
――ズバァッ!
一体目。
「ぎゃあ!」
二体目。
「な……!」
三体目。
「待――」
――ズバッ!
すべての鬼が倒れる。
「……」
参加者は呆然とする。
「三体……一瞬で……」
十兵衛は刀を納める。
「怪我は?」
「ありません……」
「なら立てるか?」
「はい」
「よし」
十兵衛は歩き出す。
「……あの」
「なんだ?」
「どうして、そんなに速く動けるんですか?」
「呼吸だ」
「呼吸?」
「ああ」
十兵衛は説明する。
「身体へ酸素を取り込み、血流を制御する」
「……」
「筋肉の働きを最大限に引き出す」
「そんなことが……」
「できる」
十兵衛は淡々と答えた。
「ただし、常に維持する必要がある」
「常に?」
「そうだ」
参加者は目を丸くした。
「戦っている時だけじゃなく?」
「歩いている時も」
「食事中も?」
「ああ」
「寝ている時も?」
「おそらく」
「……すごい」
十兵衛は首を傾げた。
「そうか?」
参加者は思った。
この人。
本当に自分が凄いことをしている自覚がない。
◇
その日の昼。
小さな川のほとり。
十兵衛は水を汲んでいた。
「……」
水面を見る。
自分の顔が映る。
赤い髪。
整った顔。
鋭い瞳。
「……髪が長くなったな」
十兵衛はそう呟く。
しかし。
自分の顔には興味がない。
背後から。
「十兵衛」
真菰が声をかける。
「なんだ?」
「……顔を見ていたの?」
「髪の長さを確認していただけだ」
「そう」
真菰は微笑む。
「綺麗な顔なのに」
「そうか?」
「うん」
「戦闘には関係ない」
「……そこなんだね」
真菰は苦笑した。
◇
夕方。
鬼が現れた。
今までとは違う。
異様な殺気。
「……」
十兵衛は立ち止まる。
「来る」
錆兎が刀を抜く。
「強いか?」
「かなり」
「なら、俺も――」
「いや」
十兵衛が手を上げる。
「今回は俺が戦う」
「一人で?」
「ああ」
真菰が心配そうに見る。
「気をつけて」
「分かった」
十兵衛は歩き出した。
森の奥。
そこにいたのは。
巨大な鬼だった。
「……お前か」
鬼が笑う。
「竜牙十兵衛」
「そうだ」
「お前を殺せば、他の鬼たちから認められる」
「そうか」
「俺は強いぞ!」
「知っている」
「なら、なぜそんな顔をしている!」
十兵衛は答える。
「君が強いことと、俺が勝つことは別問題だ」
「何だと!」
鬼が突進。
――ドゴンッ!
十兵衛は避ける。
続けて拳。
蹴り。
頭突き。
すべて回避。
「なぜ当たらん!」
「呼吸が乱れている」
「何?」
「怒りで呼吸が速くなっている」
十兵衛は刀を抜く。
「攻撃の精度も落ちている」
鬼が吠える。
「黙れ!」
さらに突進。
十兵衛は一歩だけ横へ。
「全集中」
呼吸が深くなる。
「常中」
身体が研ぎ澄まされる。
そして。
「雷の呼吸――」
紫電。
「拾壱ノ型――紫電一閃」
――バァンッ!
一瞬。
鬼の懐へ。
「な――」
首へ刃が入る。
しかし。
「浅い!」
鬼が笑う。
首が硬い。
「俺の首は斬れない!」
「……そうか」
十兵衛は冷静だった。
「なら、もう一度」
「何?」
呼吸が変わる。
雷のような速度。
そして。
日の呼吸の熱。
「雷・日の呼吸」
刀身が赫く輝く。
「――融合」
十兵衛の身体から。
凄まじい圧力が放たれた。
「何だ……その呼吸は……!」
「俺の呼吸だ」
十兵衛は踏み込む。
「雷で距離を詰め」
紫電。
「日の呼吸で斬る」
赫い刃。
「これで――」
刀が鬼の首へ。
「終わりだ」
――ズバァッ!
鬼の首が落ちた。
「……」
鬼は何が起きたのか理解できないまま。
灰となって消えていく。
◇
「……凄い」
戦いを見ていた錆兎が呟く。
真菰も頷く。
「呼吸が変わった瞬間……別人みたいだった」
「十兵衛」
錆兎が近づく。
「今のは?」
「雷と日の呼吸を繋いだ」
「そんなことができるのか?」
「できる」
「どうやって?」
「感覚だ」
「…………」
錆兎は黙った。
「お前に聞いた俺が悪かった」
「なぜ?」
「説明が全然説明になってない」
真菰が笑う。
「十兵衛らしいね」
「そうか?」
「あはは」
◇
夜。
三人は焚き火を囲んでいた。
十兵衛は静かに呼吸している。
すう――。
はあ――。
すう――。
はあ――。
錆兎が尋ねる。
「十兵衛」
「なんだ?」
「お前は、どうしてそこまで強くなった?」
十兵衛は炎を見る。
「……守るためだ」
「守る?」
「ああ」
少し間を置く。
「強さは目的じゃない」
「……」
「誰かを守るための手段だ」
真菰が静かに聞いている。
「だから」
十兵衛は続けた。
「俺は強くなる」
「これからも?」
「ああ」
「どこまで?」
十兵衛は空を見上げた。
「守れる人間が一人でも増える限り」
その言葉に。
錆兎は拳を握った。
「……俺も」
「?」
「俺も強くなる」
真菰も笑う。
「私も」
十兵衛は二人を見る。
「そうか」
そして。
「なら、三人で生き残ろう」
炎が揺れる。
夜空に星が瞬く。
全集中・常中。
それは単なる技術ではない。
己の身体を極限まで制御し。
己の心を乱さず。
守るべきもののために、力を使い続けるための基礎。
竜牙十兵衛は。
すでにその境地へ到達していた。
そして。
最終選別は残り二日。
彼の存在によって。
本来なら死ぬはずだった参加者たちは、一人、また一人と生き残っていく。
――運命は。
確実に変わり始めていた。