ハードモードで始めるVtuber事務所経営物語 作:天ケ谷いろは
あれから、仕事を終えて家に帰ってからも、凛は昨日見つけた金策についてずっと考えていた。
けれど結局、これといった答えが出ないまま一夜が明けて。
ちゅんちゅんと小鳥の囀りが聞こえる雨上がりの朝。
もう少しこの暖かさにくるまっていたいと思いながら、凛は布団に顔の半分をうずめて木目の天井を見つめていた。
――Vtuber事務所を作りたい。
つまるところ、凛がお金を稼ごうとしている理由はその一言に詰まっているのだが、そもそもどうしてVtuber事務所を作りたいと思ったのか。
ただVtuberになりたいだけなら、きっとそこまでのお金はいらない。
もちろん、モデルや機材を用意するためのお金は必要だろうが、それでも会社を作って、人を集めて、何人ものVtuberを支えていくことに比べればずっと少なくて済むはずだ。
なにより、今の凛には前世とは違って健康な身体がある。
前世では憧れることしかできなかったVtuberに、自分自身がなることだってできるのだ。
それなら、わざわざ事務所を作る必要なんてないようにも思える。
声は出るし、身体だって自由に動く。
好きなように喋れるし、歌だって歌える。
けど――
「違うんだよね……」
凛がやりたいことは、きっとそれではなかった。
前までは、自分でもどうしてVtuberがあんなに好きだったのかわかっていなかった。
可愛かったから、面白かったから、歌が好きだったから、自分にはできなかったことを楽しそうにやっていたから。
どれも間違ってはいない。
けれど、死ぬ直前。
もう二度とあの人たちを見ることもできないのだと思った時になって、ようやく少しだけ分かった気がした。
何もできない一日があった。
身体が動かなくて、ベッドの上からほとんど動けなかった日。
誰とも話すことが出来ず、ただ時間だけが過ぎていく……そんな日でも、画面を開けばいつも通り賑やかに騒いでいる人たちがいた。
ゲームに負けて叫んで、くだらない企画で大笑いして。
それを見て凛も笑っていた。
声にはならなかったけど、確かに笑っていた。
何もなかった一日が、それだけで楽しい一日に変わったのだ。
それを、きっと何度も貰っていた。
だからなのだと思う。
こうしてVtuberがまだ生まれない時代に来て、
自分がVtuberになるよりも、その人たちを支える側になりたいと思ったのは。
もちろん、自分がVtuberとして活動するのもきっと楽しい。
今の身体なら、前世ではできなかったことをいくらでもやれるだろう。
でもそれ以上に――凛は誰かを笑わせている人を見るのが好きだった。
その人が楽しそうに笑って、それを見た何千、何万という誰かまで笑っている。
画面の向こう側から、それを受け取っていた自分もその一人だった。
だから……。
「今度は、わたしが届ける側に回りたいんだ」
自分が画面の真ん中に立つ必要はない。
面白い人を見つけて、その人が思い切り活動できるように支える。
そして、かつての自分がそうだったように、画面の向こうにいる誰かへその楽しさを届ける。
そんなことが出来たら、きっと楽しい。
――それが、わたしがVtuber事務所を作りたい理由だ。
自分がVtuberになるのではなく、Vtuberを支える側になる。
それが凛のやりたいことだった。
改めて考えてみても、その気持ちは変わらない。
できることなら妥協なんてせず、所属する人たちがやりたいことを思い切りできるような事務所を作りたい。
そして……
「そのために、お金がいるんだよねぇ……」
結局のところ、何も解決していない。
どれだけ夢について考えたところで、それを実現するためにお金が必要なことには変わりなかった。
「……起きよ」
いつまでも布団の中で考えていたって仕方ない。
凛は名残惜しさを感じながら暖かな布団を押し退け、今日も仕事へ向かうために起き上がった。
現実逃避はやめてさっさと動こう。
◇ ◇ ◇
「……何かないかなぁ」
いつも通りパン屋へ向かう道を歩きながら、凛はぽつりと呟いた。
雨はすっかり上がっていたものの、道路はまだところどころ濡れている。
朝の日差しを反射して光る小さな水たまりを、凛はひょいと飛び越えながら昨日思いついたスタンプのことを考えていた。
やはり自分で絵を描けない以上、誰かに頼むしかない。
問題は、その相手に凛の依頼を受けるだけの理由がないことだった。
「お金を多めに払う……いや、それじゃ意味ないし……」
金策のために始めるのに、最初から大金を使っていては本末転倒だ。
そもそも今の所持金は生活費を除けばおそらく二万円も残っていない。
新生活を始めるにあたって色々と買い揃えたうえ、ノートパソコンやスマートフォンまで購入したのだから、正直なところかなり心許なかった。
「売り上げを分けるとか……」
それなら一度きりの依頼料よりは魅力的かもしれない。
ただ、自分で販売できる相手なら、わざわざ凛と利益を分けるより全部自分のものにした方がいい。
やはり、それだけでは凛と組む理由にならなかった。
「うーん」
他にも思いつくままに考えてみるものの、少し掘り下げればどこかしら問題が出てくる。
最近、いつも何かに悩んでいる気がする。
未来を知っているはずなのに、どうしてこうも毎回うまくいかないのだろう。
創作の中なら未来知識一つであっという間に大金持ちになっていてもおかしくないのに。
現実の自分はといえば、二万円にも満たない手持ちでどうにか金策をひねり出そうとしながら、今日もパン屋へ向かって歩いている。
「……世知辛い」
思わずそんな言葉が漏れた。
まあ、未来を知っているからといって、何もかも都合よくいくわけではないということなのだろう。
そんな当たり前の現実を改めて噛みしめながら歩いていると、やがて見慣れたパン屋の看板が見えてきた。
とりあえず、今は仕事だ。
凛は小さく息を吐くと、見慣れたパン屋の裏口へと足を向けた。
「いらっしゃいませ!」
棚から減ったパンを補充し、レジに客が並べばそちらへ向かい、合間を見て売り場を整える。
働き始めた頃と比べれば仕事にも随分慣れ、忙しく動いている間は余計なことを考える暇もなかった。
商品の場所もほとんど覚えたし、客に声を掛けられても以前ほど慌てることはない。
こうして普通に働いている自分にも、少しずつ慣れてきた気がする。
もっとも、白い髪に赤い瞳という見た目まで周囲に馴染んだわけではないらしく、店に立っていると今でも客からちらちらと視線を向けられることは多かった。
とはいえ最初こそ人の視線が気になっていたものの、最近では凛の方もすっかり慣れてしまい、よほど露骨に見られない限りは気にしなくなっている。
そんな中、何度か店を訪れて顔を覚えてくれた常連客も少しずつ増えていた。
特に年配の女性客からは、小柄な体格もあってか妙に可愛がられることが多い。
いつもパンを買いに来てくれるおばあちゃんからは「凛ちゃん、今日も頑張ってるわねぇ」なんて声を掛けられたり、会計のついでに世間話へ付き合わされたりすることも珍しくなかった。
……なぜか孫を見るような目を向けられている気がするのは、たぶん気のせいだと思いたい。
「すみませ~ん」
少し離れた棚の前から声を掛けられ、凛は手にしていたトレーを置いてそちらへ向かった。
声の主は三十代くらいの女性で、並べられたパンを前にどれを買おうか迷っていたらしい。凛が近づくと、その中から見た目のよく似た二種類を指差した。
「これって、中に何が入ってるんですか?」
「こっちはカスタードですね。隣の方がチョコです」
「あ、じゃあカスタードにしようかな」
「ありがとうございます!」
そう答えた女性は一つをトレーへ乗せ、そのまま別の棚へ歩いていった。
以前なら念のため確認しに戻っていたかもしれないが、今では商品の中身や場所くらいなら大体頭に入っている。
こういう何気ないところでも、自分が少しずつ仕事に慣れているのだと実感できた。
その後も客に呼ばれれば対応し、減ってきた商品があれば補充する。
昼前の忙しい時間が続いている間は、目の前の仕事をこなすだけであっという間に時間が過ぎていった。
けれど、その忙しさもずっと続くわけではない。
昼を過ぎた頃には客足も少しずつ落ち着き、店内にも先ほどまでにはなかった余裕が生まれてくる。
こうして忙しくしている間はいいのだ。
ただ、少し手が空いてしまうと……。
「うーん……」
売り場のパンを整えながら、気付けばまた昨日のスタンプについて考えていた。
朝から散々頭を悩ませているのに、いまだにいい方法は思いついていない。
どうすれば、イラストを描いてくれる人に凛の依頼を受けてもらえるのか。
何か他にありそうな気はするのだが、その何かがどうしても見つからなかった。
と、そんなことばかり考えていたせいか、周りへの注意もすっかり疎かになっていたらしい。
「凛ちゃん?」
「わっ」
後ろから声が聞こえたので振り返ると、すぐ近くに千夏が立っていた。
彼女はこちらの様子を窺うように、少しだけ心配そうな表情を浮かべている。
「今日、なんかずっと考え事してない?」
思いがけず図星を突かれて、凛は一瞬言葉に詰まった。
自分ではそれなりに仕事へ集中していたつもりだったのだが、思い返してみれば客足が落ち着くたびに同じことを考えていた気がする。
「……そんなに分かりやすいです?」
「分かりやすいよ。暇になるとすぐ難しい顔してるもん」
思わず自分の頬に触れてみる。
ほっぺたをむにむに触っていると、千夏さんが可愛らしいものを見るような目でふふっと笑った。解せぬ。
そこまで露骨に顔へ出していたつもりはなかったのだが、朝から何度も同じことを考えている以上、知らないうちに表情まで固くなっていたのかもしれない。
「実は、ちょっと悩んでることがあって……」
「そっか、あんまり無理しないでね?」
そう言って、千夏はそれ以上詳しく聞こうとはしなかった。
何に悩んでいるのか気にはなっているようだったが、凛が自分から話さない以上は無理に踏み込まないつもりなのだろう。
「ありがとうございます」
その気遣いをありがたく思いつつ、凛も今度こそ仕事へ意識を戻した。
その後は客足も再び増え、考え事をする暇もないまま時間が過ぎて行った。
そうしているうちに、気付けば今日の勤務も終わりを迎えていた。
◇ ◇ ◇
「凛ちゃん、一緒に帰ろー」
仕事を終え、帰る準備をしていたところ千夏から声を掛けられた。
ちょうど着替えを済ませ、あとは荷物を持って店を出るだけのところだった。
「いいですよ」
凛がそう答えると、千夏は嬉しそうに笑って自分の鞄を手に取った。
その動きに合わせて、肩から流れる長い髪がふわりと揺れる。
二人で一緒に店を出ると、朝まで濡れていた道路はすっかり乾いていた。
日も傾き始め、薄い雲の隙間から差し込む夕日が街並みを淡く照らしている。
けれど、冬の空気まで暖かくなったわけではない。
店内との温度差に思わず首をすくめながら、凛は千夏と並んで帰り道を歩き始めた。
「今日は結構忙しかったねー」
「ですね。お昼前とか、ずっと動いてた気がします」
今日の仕事を振り返りながら歩いていると、千夏がふと凛の方へ視線を向ける。
「でも凛ちゃん、ほんと仕事に慣れたよね。最初の頃なんて、お客さんに声掛けられるたびにちょっと固まってたのに」
「……それは忘れてください」
「あはは、可愛かったのになー」
楽しそうに笑う千夏を横目に、凛は少しだけ頬を膨らませる。
どうやら千夏の中では、働き始めた頃の自分は完全に可愛がる対象として記憶されているらしい。
なんとも不本意である。
そんな他愛もない話をしながら歩いていると、しばらくして千夏が何かを思い出したように「あ、そうだ」と声を上げた。
「凛ちゃん、このあと時間ある?」
「特に予定はないですけど」
「じゃあ、ちょっと付き合ってほしいところがあるんだよね」
そう言って千夏が指差した先には、通り沿いに建つ小さなお店があった。
ガラス越しに見える店内は明るく、入口の前に置かれた看板には色とりどりのパフェやケーキの写真が並んでいる。
どうやらスイーツを中心に扱っている店らしい。
「ここ、前から気になってたんだー」
嬉しそうに店先を見つめる千夏の横顔に、凛は思わず小さく笑った。
甘いものが好きなのは前から知っていたが、こうして見るとよほど気になっていた店らしい。
「美味しそうですね」
「でしょ? せっかくだし寄ってこ」
店先に並ぶ写真を眺めてみれば、たっぷりのクリームと果物が乗ったパフェや、色鮮やかなケーキがいくつも載っている。
凛としても特に断る理由はない。
このまま家に帰ったところで、待っているのは答えの出ない金策についてもう一度頭を悩ませる時間くらいだ。
たまにはこういう寄り道も悪くないだろう。
そう思っていると、千夏が何でもないことのように続けた。
「あ、今日は私がおごってあげるね」
「えっ……いや、それは悪いですよ!」
店に入ること自体は構わないが、それとこれとは話が別だ。
凛がすぐに断ると、千夏は気にした様子もなく「いいのいいの」と笑う。
夕日に照らされた長い髪を揺らしながら、そのままこちらへ手を伸ばしてきた。
「先輩なんだから、たまには格好つけさせてよ。ほら、行こ!」
「いや、でも……ちょ、千夏先輩!」
言い切るより先に腕を取られ、そのまま店の方へ引っ張られていく。
普段は穏やかなのに、こういう時だけ妙に押しが強い。
そうして勢いに押し切られる形で、凛は千夏と一緒に店へ入ることになった。