現代社会における万能チートの正しい使い方 作:寸劇の小人
だいぶ長くなってしまったのと後半導入をノリで書いてしまって評価が不安すぎる(意味付けはあるけど)。
第7話 ログインボーナスを、君に(後編)
「どう!? できてたでしょ!?」
何度か逆上がりを成功させた後、けい君は元気に亮太さんの方に駆け寄っていった。
「……うん、見てたよ。ずっと頑張ってたもんね。できるようになってよかった」
さっきまで寝ていたからだろうか、元々の性格的なものか亮太さんは落ち着いて返したがけい君はどこか不満そう。
「え~いつものやつは~」
口を尖らせたそんな声を聞いて、亮太さんは一瞬人差し指を曲げて鼻筋を抑えるような仕草。
それからぱっと表情を明るくしてけい君を高く抱きかかえた。
「……え~ら~い~ぞ~。良く頑張った!!」
その場でくるくると回り、肩車したりしてひとしきり喜ぶと亮太さんはけい君を優しく慎重に地面に下した。
むふー、と満足げな表情のけい君。その姿はどこかいつか見た姉に似ていた。
「ご迷惑をおかけしました。ケイのこと、見てくださってありがとうございます。そろそろみんな戻ってくる頃だと思うので、僕たちも帰りましょうか」
けい君が亮太さんと似ているかどうかは、顔のつくり以外では俺にはまだよくわからなかった。
夕飯のテーブル。
椅子が足りないので亮太さんとけい君がお風呂に入っている間に姉と俺の部屋から持ってきて準備。
昼に話していた通り、母が作った稲荷ずしと父が捌いたイカで作った大根の煮物と、それからいくつかの総菜やサラダ、乾き物やちょっとしたお菓子が並んでいた。
サラダは葉物だけのパックに入ったシンプルなやつに、切ったトマトと生ハムが載せられている。
こういうちょうどいい手の抜き方は改めて見るとダイエットの参考になる。
「でねでね、なるにいに教えてもらって逆上がりできるようになったの!」
「成実がなあ、案外気づいていなかっただけで先生とか向いてたのかもなあ」
酒が入っているせいかすぐ大げさに涙を流す父であった。
しょーもなギャグといい昔からずっとこんな感じだ。
けい君が教えられたオーバーヘッドペンギン、変身、マンマミーアの一連の流れを身振り手振りをしながら説明する。
それを聞いて姉は軽く、ぷ、と笑った。
「何それ、変なの」
「亮太さん、食べてますか? 余らせてももったいないからどんどん食べてくださいね」
前なら成実がもっと食べたんだけれど、と母が言う。
最近ダイエットしてて食べ過ぎは気を付けてるからと言うと、そう、無理してはだめですよ、といつもの調子。
「そうだなあ、若い人はあんまり飲まないのかもしれんが、せっかくだからもう一杯」
そんなことを言いながら父が台所から日本酒の瓶とぐい吞みを引っ張り出してきてこちらに差し出してくる。
(乾杯で男3人は缶ビール2本を分け、母と姉は常備している安めの白ワイン、けい君はファンタを飲んでいた)
しょうがなくそれを受け取る亮太さんと俺なのだった。
「……だからぁ、逆上がりは僕が教えてあげたかったんですよぉ」
しばらくそんな感じで父に酒を飲まされた亮太さんは15分後にはすっかり出来上がっていた。
姉の手をアイドルの握手会のように握って可愛い可愛い連呼したり、けい君の頬にすりすりしたあとチューしたりして、パパお酒くさーいなどと言われている。
俺の方もちょこちょこ絡まれて、食べようとした煮物を取り上げられてサユリちゃんが食べるから! などと意地悪をされた。
「普段飲まないから余計に酔っぱらってるのかな。この頃大変みたいだし」
「男は仕事からは逃げられんからなあ。……配慮不足か? 最近だとこういうの」
父の問いかけをいつもの調子でスルーする母。ちゃっかり日本酒を取り上げて自分が飲んでいる。
俺もそこそこ強いが我が家で酒に一番強いのは実はなにげにこの人だと思う。
まったく顔色が変わっていない。
亮太さんがそのまま寝てしまったので、食事もお開きになり姉が客間に布団を敷いて俺が運ぶ。
そのまま寝かせておこうということになった。
移動もあったしけい君も疲れたのか歯を磨いたらすぐとてとてやってきて亮太さんの横で寝てしまった。
片付けは母が熟練の貫禄で秒殺。
父が風呂に入っている間、リビングで母と姉とぽつぽつ話しながらテレビを見ていると、突然能力が警告を告げてきた。
亮太のストレス値の1か月での平均値、危険水準に到達。
このままの状況が3か月継続すると、適応障害もしくはうつ病になる可能性が30%を超過。
半年継続で50%超過を予測。
息を大きく吐き出して、一度冷蔵庫から麦茶を取り出して飲んでから努めて冷静に口を開く。
「酔い覚ましにちょっとその辺歩いてくる。いつもより食べちゃったし」
「夜だから気を付けるんですよ」
空には半分より少し太った月が輝いている。
都内ほどではないが街灯もそれなりにあり手元が良く見える。
夏の暑さはあるがここ数年のような理不尽さはない。
歩くペースを少しずつ上げ、じっとりと汗をかきながら能力と一つずつ確認していく。
「ストレスの原因は?」
職場での問題が80%
具体的な問題のある案件が複数件あることもあるがそれ以上に、主査に昇進し、上と下の板挟みにあっている。
福祉課として淡々と仕事をこなすには相手のことを考えすぎるきらいがある。
一例として生活保護の不正受給は割合としては非常に少ないのだが、逆に厳しく見過ぎて体調を考えると支援対象にするべきと考えた相手が対象外になったり、区議会議員が窓口に来て無理筋の要求を通そうとすることなどがある。
現場寄りの考えを持っているがものの見方を変える必要に迫られている。
「……仕事の問題ね、まあ影響範囲の調整大変だけど能力使えばたぶんいけるか。残りは?」
家族のことが20%
亮太の価値観は本来、家族の生活のためなら何でも(
大学でサユリ以外の女性に浮気を持ちかけられたことが4回、社会人になってから2回あったがすべて波風を立たないように、しかし断固とした意思で絶対にありえないと完全に切り捨てている。
それは野球ですらあと少しの所で埋めきれなかった自身の欠落を埋めてくれたサユリへの誠意であり、執着であり、愛である。
裏返せば自分がちゃんとした夫や父親になれるのかという心配や不安でもある。
今回の帰省で1か月ほど付き合ったのにできなかった息子の逆上がりの件が解決されたことと仕事のストレスが重なり最後の一押しとなった。
割合としては低いが問題の本質はこちらである。
「待て待て待て待て」
慌ててそれ以上の深堀りをいったん止める。
どう考えてもいきなり踏み込み過ぎだ。
「聞きたくなかった……。いやある意味で姉と甥のこれからは安心かもしれんけど」
義兄の姉と甥への愛が重すぎる件。
なんだこれ、レディコミか??
まあ確かに顔良いしなんか男なのに未亡人っぽい雰囲気あってモテそうなのはわかる。
とりあえずここはこれ以上は掘らんでおこう。
「でもさあ……。知らねえ~、俺は悪くねぇっ! ……いや、ホントに別に悪いことしてないし」
衝撃すぎて思わずネタに走ってしまった。
ネットミームカルタとかでしか会話できないオタクを優しく殺してくれ。
「はあ~、どうしよう。記憶消して見なかったフリしたいけど問題解決しないといけないし……」
愚痴りながら歩くペースが上がる。
コンビニを過ぎ、けい君と昼に来た公園を通り過ぎる。
「……そもそも、なんで俺こんなに一生懸命になってるんだろう」
バス停を過ぎ、車線数の多い国道に出る。
夏の湿度に行き交う車のテールライトが残像を少しだけ残している。
無心でかつて通いなれた歩道を半ば自動的にペースを上げて歩く。
「動機の言語化か……。あんまりしてこなかったな。就活でもやったけどなんかしっくりこなかった気がする」
視界の端をいくつかの店が通り過ぎていく。
ファミレス、家電量販店、大型スーパー、紳士服店、靴屋、ホームセンター……。
交差点を信号で渡り、足は自然といつかの道へ。さらにペースが上がる。
能力をこういう風に使ったことは無かったな、と考えながら発動する。
瞬間、成実の脳内に溢れ出した、存在
幼稚園から帰って来た自分は母と姉と一緒に、祖母の病院に向かう。
母は折り目正しくじっと椅子に座って何かを待っている。
姉が自分の隣で絵本を読んでいる。
宮沢賢治だ。
小学校低学年が読むには難しいそれを、何度も何度も、何日も何日も繰り返し読み聞かせてくる。
ただそれだけの記憶だ。
頑張って就活したが中々結果が出なかった大学4年の頃。夏休み。
今日と似た食事がテーブルに並んでいる。
俺は気持ち身を縮めて遠慮がちに食事を進めている。
既に何年か働いてた姉が、母に仕事を見つけることと働くことの大変さを淡々と訴えかけている。
父が酒を飲みながらそれを見てどこか嬉しそうにうんうんと頷いている。
ただそれだけの記憶だ。
中学3年の頃、山朽に標的にされていた時期だ。
ストレス解消に何かしようと思い、コンテンツを消費するだけは飽きたので、受験勉強もせずに小説を書いてみたが笑えるほど全然才能が無いのが不思議と分かってしまった。
そんな中、姉に無理矢理に部屋から引っ張り出されて一緒にスマブラをしている。
「私だってさあッ、何もしてないのに告られてッ、男ウケ狙いすぎとかッ、女子にハブられるの意味分からなくてッ、本当に腹立ってるんだけどッ!!」
今まで聞いたことが無い口調で大きな声を出してめちゃくちゃに切れている。
手加減した俺のガノンドロフが姉のデデデ大王のハンマーに何度もぶっ飛ばされている。
最後に姉が何かを口にした。
能力をもっと強く使わないと思い出すことができない言葉だ。
ただそれだけの記憶だ。
意識を取り戻すと、そこはかつて通っていた中学校の前だった。
フェンス越しにグラウンドが見える。
校舎から距離を取った少しガタついた白線の野球部の練習場所。
自分には縁の無かった場所だ。
そして姉の夫は自分にとってかつて縁の無かった人間だ。
だが、今はそうではない。
姉があの時口にしていたのは。
『知ったことか! 私は私の好きにする!』
そう、そんな姉に俺は、ただ幸せになってほしかっただけなのだ。
亮太は気づくとかつて慣れ親しんだ都立高校のグラウンドに立っていた。
昨日のことのように思い出せる練習の日々や勝利や敗北のことは、不思議と今まで一度も夢に見ることは無かった。
これは夢だ、と直感的に理解できていたが、こんな経験は初めてのことだった。
あの頃と同じユニフォームを着てヘルメットを被り、バットを握ってバッターボックスに立っている。
マウンドには着慣れないユニフォームに身を包み、グローブを付けた成実が立っていた。
「成実君、これは一体?」
思わず当惑の声を上げた亮太に答えず、成実はヤケクソ気味にグラウンドに響き渡る大声で叫んだ。
「領ォ域展開!!」
阪 神 甲 子 園 大 球 場
世界が一瞬にして塗り替わるとそこは内野の土がひどく黒く見える広いグラウンドだった。
抜けるような青空と白い雲と外野の芝の緑のコントラスト。
遠くにはスポンサーの看板と自分が経験したことのない超々満員のスタンド。
かつて憧れて、野球だけの学校を選ぶことはできなくて、それでも仲間と本気で挑んで、そしてあと2歩で届かなかった場所。
一拍遅れて大歓声が耳に飛び込んでくる。
唖然とした亮太が何か言おうと逡巡していると、成実が手を上げて球場がぴたりと静まり返る。
「術式の開示を行います!!」
成実が宣言し、さらに言葉を続ける。
「この空間で起きたことは目が覚めると両者ともに思い出すことができない!
この空間は主体となる人間の問題を解決するために作られている!
この空間で両者の合意によって決めたことは遅滞なく履行される!」
成実の言葉にはいくつかのフェイクが含まれている。
当然ながら、この世界は呪術廻戦の世界ではない。
呪力もなければ呪霊もいない。
成実が持つ能力以外に何か超常と言える事象が存在しないことはこれまでに確認済みである。
成実はゼロから新しく何かを生み出すことが決定的に苦手であった。
だからそのことを理解してからはときに批評をすることはあっても創作に関しては一貫して消費者であることを胸に生き、何かを生み出せる人間を尊敬している。
卒論や仕事などではそれでは困るかもしれないと思ったが、意外と既存のパーツの組み合わせや今ある物から演繹的に考えた次の一手を進めるだけで普通の生活には困らなかった。
しかしながら能力を手に入れ、その使い道のあまりの広さに自分の発想が追いついていないことはなんとなく理解していた。
そんな中でいくつかの経験を経て成実がたどり着いた答えは、無いものは外から持ってくればいい、だった。
「成実君??」
亮太が当惑の声を上げた。当たり前である。
しかし成実は何も答えなかった。
特徴の無いスマイリーフェイスの亜種のようなお面を付けた選手たちが守備位置に着く。
アナウンスが流れ、着々と試合の準備が進んでいる。
(俺だってもっといいアイデアがあればそっちが良かったけど、今回は事情が事情だからな……)
かつてiPhoneを発明したスティーブ・ジョブズのプレゼンの場は現実歪曲フィールドと呼ばれていたと漫画で読んだことがある。
それはもしかしたら領域展開のようなものかもしれない、と亮太の問題を解決する案を模索する中で成実は考えた。
それが有名人であれ現実の人間ができるのなら、能力があれば自分にもできるだろうという認識。
仮にも現実でやるなんて馬鹿なことはリスクやコスト的にもしないが、夢の中なら話は別だ。
同じ夢を見ているだけのこの空間のコストはほぼゼロに近い。
もし能力に一番良い解決法をストレートに聞いたらもっとスマートなものがあったかもしれない。
だが、それを推し進めて行ったらどこかで自分は能力の奴隷になるかもしれないという思いがずっと引っかかっていた。
だからこそ、格好悪くても、支離滅裂でも、自分で考えた方法で問題を解決しようと思ったのだった。
(とはいえ今から行うことで効果があるかは確認しているし、どうせ記憶を実質的に消せるという前提も当然かなり影響はしている)
少なくとも、今回の件は相手の内面にあまりに密接に関わる物であり、自分一人で進めるべきではないと成実は考えた。
相手の本音を引き出すにはそれが夢であるという意識を強めるためにも荒唐無稽な方が都合が良かったのである。
(「納得」はすべてに優先する……! 今回は事故みたいなもんだから、これっきりにしたいけどな……!)
あるいは酒に酔っているのか、父親の久しぶりに聞いたギャグをはじめとした妙なセンスに影響されている可能性も否定はできなかった。
「プレイボールッ!!」
いつの間にか現れた審判が低い声で叫んだ。
成実がぎこちない仕草で大きく振りかぶる。
ブランクがあっても亮太の身体は精密な機械のように反射的に機能する。
まったくスムーズではない一連の成実の動作から放り投げられた球は、現役ではない自分でもいともたやすく打ち返せる。
はずだった。
「ットライーッ!!」
誇張されたストライクのカウントが響いた。
ブンッと派手に空を切ったバット。
「……今、球が消えたように見えたんですが……?」
キャッチャーから返された球を弾いてお手玉する成実。
ようやく落ち着いてグローブに納めてから亮太に答える。
「そりゃ夢ですからね。球ぐらい消えますよ」
成実が振りかぶり、2球目を投げる。
1球目に引き続いて動作は素人丸出しだ。
女の子投げでないだけまだマシだが、そもそもマウンドから届くかどうかすら怪しい。
亮太があえて球を見送ると、今度はヘロヘロの球筋がワンバウンドすると思いきや突然軌道を変えてど真ん中に納まった。
「……今途中で浮きましたよね?」
キャッチャーから返された球を取れず後逸し、少し考えてから取りに行かずに手元に引き寄せてから成実が答える。
「夢ですからね。なんでもありですよ」
思わず亮太は高校時代までに一度もしたことのない抗議の声を産まれて初めて上げた。
「さっきのといい、ありなんですか!?」
審判はゆっくりとうなずく。
「私はどちらの味方でもないただのこの状況のシステムであることをまず念頭に置いて聞いてほしい。ピッチャーは野球の細かいルールを把握していない。
君の知識から言うと、ボークとかインフィールドフライとかその程度で既に曖昧というレベルだ」
審判の言葉を聞き入る亮太を見て、成実はむしろ少し心配になった。
(何も疑ってなくてチョロすぎる……。審判もこっちが生み出してるのに。いや、夢だと思ってたらこんなもんか)
「パワプロを多少やっていてカウントとか基本的なルールは分かっている程度だと思ってくれ。
他に質問が無ければ続けたいのだが良いだろうか」
仕方なくうなずいてバットを握り直す亮太。
そもそも彼はアニメや漫画に詳しくなく、呪術廻戦すら基本知らない。
ジャンプでやってる作品? 何かの動画でキャラの容姿が使われてて何となく見たことあるかも程度である。
領域展開という単語ですら初耳であった。
状況がまったく飲み込めていなかった。
キャッチャーが投げるふりだけするとボールが瞬間移動して成実のグローブに納まる。
亮太がぎょっとしていると、成実はさっきまでとは全く異なる、あまりにも完成された全くブレの無い芸術品とすら思えるフォームから腕を振り抜いた。
「ットライーッ、バッターアウト!!」
光の矢のような軌道でキャッチャーが構えた位置に寸分たがわず剛速球が突き刺さり、亮太はあんぐりと口を開ける。
電光掲示板に球速表示が165km/hと表示されている。
「今のは大谷翔平のマネ。夢だから何でもありなんで。せっかく頑張れば打てる球投げたのに」
「次のバッターも君だ!! その次も! その次の次も! 終わるまでずっと!!」
低い声の審判が訳の分からないことを告げていた。
「あの、これどうやったら終わるんですか……?」
その後、6球が投じられ、亮太は2球ほど見に回り、3球は振って、1球はバントを試みたがすべて三振となった。
カウントが3アウトになったが特に状況は変わらずまた亮太の打順が続いていた。
「最初に言ったじゃないっすか。亮太さんの問題を解決するために作られた空間だって。
目的が達成されるまでずっとこのままですよ」
少し考える動作をしてから亮太は口を開いた。
「いや、特に問題とかないです……」
「嘘だッ!!」
成実がものすごい目力(めぢから)で叫ぶと亮太は少しだけ気圧された。
「内にため込んでること、あるんじゃないですか?」
落ち着いた口調に戻って聞き返す成実に、しばらく黙り込んだ後、亮太は答える。
「いや、仮に問題があったとしても君には関係の無いことでしょう……」
予想されていた答えだった。
そろそろ本題の流れに入れそうだ。
「負けてもいいんすか?」
「勝ち負けとかあるんですか? 別にいいですよ。僕の負けで」
絶好球だった。次の球はちょっと効くぞ。
「じゃあ、姉さんと別れてもいいんすね?」
「何言ってるんですか!?」
それまで困惑した表情しか見せていなかった亮太が、はじめて強烈な感情を表に出した。
「なんでそうなるんですか!? 全然関係ないことじゃないですか!?」
「家族を幸せにできない人には任せておけないですもん」
言い返そうとして、言葉に詰まる。
なぜこのあまり良く知らない義弟は自分の一番弱いところを的確に突いてくるのだろう。やはり夢だからだろうか。
「次、投げますよ。打てたら勝ちでもいいですけど」
そう言うと、亮太の表情が先ほどまでとは一変した。
バットを短く構え、顎を引き、瞳孔が開ききって成実の一挙手一投足を捉えるように焼き付けている。
投げられた球に、はじめてバットがかすった。
塁審が両手を上げてファウルボールを宣言する。
「他のことはどうだっていい、でも僕から家族を奪おうって言うなら話は別です」
次の球は160kmを超える剛速球。
現実の打席では見たことが無いが、それでも亮太は驚異的な集中力でまたしてもバットに当てる。またファウル。
「次は打ちます」
一転して途中で消えるありえない球。
しかし亮太の動体視力を超えた直観は球がミットに納まる前にまたしてもバットにかすらせる。
観客席に切れてまたしてもファウル。
「今度こそ!」
「打てないですよ、自信が無い人には!」
またしても剛速球。
今度は前よりもバットのいい場所に当たるがタイミングが今一つ。またファウル。
亮太は思った。
これが夢だとしたら、単純な技術の問題ではなく、イメージや気持ちの強さが結果に影響しているのではないか、と。
ちらりと視線を向けると審判が深くうなずいている。
なら、自分は。
少なくとも2人に対する気持ちだけは。
この世界の誰にも。
「負けない!」
「まだ足りない!」
ファウル。
「2人のためなら死んだっていい!」
「それが思い上がりだって言ってるんだよ!」
ファウル。
「家族を思う気持ちのどこが!?」
「あんたが幸せじゃなさそうだから!」
ファウル。
「家族さえいれば僕は幸せです!!」
「姉さんとけい君が幸せになるにはあんたが我慢してたら駄目って言ってんだよ!!」
成実の投げた球が初めてストライクゾーンから外れ、ボールが宣告された。
「僕の幸せが2人の幸せ……?」
「当たり前じゃないっすか。少なくとも姉さんはそういう人だってあんたは知ってるはずだ」
言われてはじめて気づいたといった亮太に、成実がやれやれと息をはいた。
「じゃあいったいどうすれば……?」
「言ってるじゃないですか、問題を解決するって。困ってること全部吐き出してくださいよ」
今まで自分の思っていることを本当の意味で話したことは両親を含めて、サユリに対してを除いてほとんどなかった。
だがお互いに剥き出しで気持ちをぶつけあったせいかなぜかこの義弟には話してもいいと思えた。
それから亮太は今までずっと押し込めていたことを少しずつ話した。
仕事のこと。家族のこと。
どういう理屈かは知らないが、仕事のことはいくつか確認されたが自然な範囲で気持ちの持ちようの部分以外は解決がされると言われた。
これは夢だ。現実にはそんなことは起こりえないと分かっていたが、それでもなぜかもう大丈夫なような気がした。
(これから3か月、朝の勤務開始時の時点で亮太さんのストレス値を確認、その主要な原因が人間の認知の歪みによるもの起因であれば!
特定の誰かだけが集中して損をしない形で、関係者の意識を、事態が改善する方向へ少しだけ誘導する!
物理的な問題であれば、当人や関係者をはじめとし、区役所の他の職員や議員の意識、その他のリソースが合法かつ適切な範囲でその解決に使われるよう誘導する!
これらに対する解決策は、亮太さんが無意識にこうなったらいいのになと立案し、俺にリクエストされ、俺はそれを承認し、具体的な準備を整えたあと!
最終的に亮太さんのエネルギーを使って能力を発動し実行される!)
能力はほとんど何でもできる。
だがやりたいことによってコストがかかる(家族に付けた検知アラートも含めて)。
だから使い方は多少なりとも考える必要がある。
そういった制約を成実視点では実質的にある程度踏み倒せる可能性を今回の件を通じて思いついたのだった。
ITエンジニアとして働いてきた知識の応用。
複雑な処理は役割に応じて分散させればよい。
ただそれだけのことだ。
能力が何でもできるなら、これもまた問題なくできるはずであった。
少なくとも、能力にエネルギー保存則があるとしたらそれは負担している誰かがいる以上は守られており、やろうとしていること自体に矛盾は発生していない。
(人は勝手に一人で助かるだけ。誰かが誰かを助けることなんてできない。今回のはあくまで俺は力を貸すだけってことで)
「じゃあ、最後っす。幸せになる準備はできましたか?」
「当然!」
審判がプレイをコールし、再び成実が大きく振りかぶる。
投げられた170kmを超える白球は、綺麗な放物線を描いてスコアボードに突き刺さった。
翌日の昼前。
家族総出で墓参りに出かけていた。
花を供え、水をかけ、線香に火を灯す。
しばらく静かな時間が流れ、やがてぎゅうっと目をつむって手を合わせていた息子にもういいよ、とサユリが声をかける。
その帰り道、亮太は静かに口を開いた。
「あのさ、来週末で小学校の夏休みも終わりだけど、チケット取って3人でエスコンに行かない?」
「北海道? はじめてじゃない、野球のこと自分から言い出すのって」
「うん、ケイに押し付けるの嫌だったから言わなかったんだけど、ちょっとくらいいいかなって」
少しだけ口元を緩め、サユリは亮太の顔をじっと見つめた。
「いいと思う。あ、でも夏休みだしチケットとかホテルとかもう取れないんじゃない?」
「ああ、そうかも。どうしようかな」
「遠くじゃなくてもいいよ。車で行ける場所でお弁当作れば。ね、ケイ、パパとキャッチボールしたいよね?」
「うん!」
グローブ買いにいかないとねと話す妻と息子を見て亮太は一度空を仰ぐ。
やがて義母の日傘を持つ義父の後ろに続く義弟の方を見て、何となく一度頭を下げた。