現代社会における万能チートの正しい使い方   作:寸劇の小人

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第2話 ざまぁ展開はバランスが難しい(後編)

翌火曜日。

 

昼休みになると、成実は午前中に届いていた仕出し弁当を机の上へインスタントの味噌汁と合わせて移動させた。今日のメインは鯖の塩焼きで、脇には卵焼きと漬物、それに人参や里芋の煮物が入っている。煮物は昨日も似たようなものだった気がするが、会社にいる日はほとんど毎日頼んでいるので、献立表でも見ないかぎり昨日だったかその前だったかまでは覚えていない。

 

外へ食べに行く人も少なくないが、昼休みにわざわざ店まで歩き、混んでいれば並び、その上会社へ戻る時間まで気にすることを考えれば、成実にはこのくらいで十分だった。値段も安い。

 

割り箸を手に取る前にスマートフォンを操作し、朝にも一度見た証券口座を表示する。

 

「増えるなあ」

 

317,000円を少し超えていた。

 

元手が30万円なのだから金額だけ見ればまだ大したことはない。実際、これまで一日に増えた額も、新作ゲーム一本分にもならない日がほとんどだった。

 

しかし率で考えると話は別だ。

 

そんなことを考えながら電卓を開き、一日0.5%として計算してみる。日本株の年間営業日は年によって多少違ったはずだが、確か240日前後だったと思うので、とりあえず240日。増えた分もそのまま翌日の元手にする。

 

「……3倍?」

 

表示された数字を見て、成実はまだ割っていなかった箸を机に置いた。

入力を間違えたかと思い、もう一度。

 

約3.4倍。

 

では1%なら、と数字を入れ替える。

 

「11倍……?」

 

さすがにこれはおかしいだろう。

いや、計算がおかしいのではなく、この結果をそのまま将来の利益として考えることがおかしい。

 

今は30万円しかないので、能力が選んだ銘柄へ全額入れても成実の売買など市場からすればほとんど影響はない。これが3000万円、1億円と増えていけば出来高の少ない株なら自分が買うこと自体で値段を動かす可能性も出てくる。そもそも毎日のように都合のいい銘柄が見つかる保証もない。

 

能力が未来をそのまま見ているわけではないのはここまでの経験からも分かっている。

 

現時点で存在する情報を元に予測することなら出来る。その精度が人間の分析とは比較にならないというだけで、これから起きる偶然まで最初から決まっているわけではない。

 

今日買った会社で、午後になって社長が突然倒れるかもしれない。海外で事件が起き、その会社とは直接関係のない理由で市場全体が下がることもある。

 

買う時点までにその兆候があれば能力は拾える。

何もなければ、無理だ。

 

それでも今の資金なら、一日平均で0.5%から1%くらいを狙うこと自体はそれほど無茶ではないらしい。

 

だったら、もう少し現実的な条件ならどうなるのか。

 

レバレッジは使わない。失敗する取引もある。資金が増えたことで今と同じ率を維持出来なくなることも考慮し、会社を辞めた後も、今と同じ程度の生活を投資だけでかなり安全に続けられるところまで資産を増やす。

 

その条件で調べてから、成実はようやく手にしていた割りばしを割った。

 

「5年くらいか」

 

鯖を一口食べる。

 

30歳なので、その頃には35歳。

普通に考えれば十分過ぎるほど早い。

 

今の会社で60歳まで働くのか、それともその前に転職するのかは分からないが、少なくとも能力を手に入れる前なら、あと5年働くだけでその後は生活のために仕事をしなくていいと言われれば何の文句もなかっただろう。

 

「5年あったら堅実にFIREできるけど……」

 

味噌汁の蓋を開け、一口飲む。

 

別に豪邸に住みたいわけではない。

高級車にも興味はないし、時計に何十万円も出す人の気持ちもよく分からない。ゲームや漫画なら好きなだけ買えるくらい、家電なんかを買い替えるときケチらないで済む金は欲しいが、それなら今の生活費に少し余裕がある程度でもかなり満足出来ると思う。

 

大きな買い物があるとすれば結婚して家とか、子供ができて車(軽か買ってもワゴン車)とか、それくらいはあるかもしれないが。

 

だから金額そのものに不満があるわけではなかった。

ただ、ほぼ何でも出来るらしい能力を手に入れて、その使い道が株を売買しながら5年待つだけ、というのも何か違う。

 

「能力あるんだし、もうちょい欲張りたいよな」

 

競馬にも使ったし会社の仕事もかなり楽になった。

調べようと思えば他の人間の考えていることまで分かるし、その気になればそこへ干渉することも出来る。

 

そもそも能力を手に入れてからまだ2週間程度しか経っていない。何が出来るかについても、最初にある程度調べたが思いついたことをその都度試しているだけである。

 

その辺は週末にでも考えればいい。

 

そんな風に思いながら卵焼きへ箸を伸ばしたところで、視界の端に通知が現れた。

 

「あ」

 

山朽が連絡を取っていた相手から、返信が来ていた。

 

     ◇

 

息子のことは気の毒だと思う。

昔のことは覚えている。

ただ、今も山朽を許してはいない。

 

届いた文章はそれほど長くなかった。

 

山朽は帰宅して夕食を済ませた後、リビングのソファで何度もその文面を読み返していた。息子は食事は一緒に取るがすぐに部屋に戻ってしまっていて、妻はダイニングテーブルで何か書類を広げている。

 

成実は能力越しにその様子を確認しながら、まあそうだよな、と思った。

 

十五年前だからもういいだろう、とはならない。

山朽の息子が今いじめられていることと、山朽が昔やったことも本来なら別の話である。

成実自身は、夢を見せたことで昔のことについてはかなりどうでもよくなった。

(常人には絶対に手に入らない力を手に入れて、本気になれば相手をどうとでもできるというのも効いているかもしれない)

 

だからといって、他の人まで同じである必要はない。

 

しばらくして山朽がスマートフォンを操作する。

 

返事をしてくれたことへの礼。

昔のことについて謝る文章。

息子のことで昔の相手を思い出したというところまでは書いたが、自分も親になったから分かったなどという話にはしなかった。

 

許してほしいとも書かない。

 

一度文章を読み返した後、そのまま送信した。

そこでやり取りはいったん途切れた。

 

次に山朽がメッセージを送ったのは翌日だった。

 

昔のことを話したくなければ無視してほしい。

十五年も経ってしまい、自分が何をやったのか曖昧になっていることもある。もし話してもいいと思えるなら、当時何をされたのか教えてほしい。

 

書いては消し、途中で一度スマートフォンを伏せ、それでも最後には送った。

最初の返事までには時間が掛かったが、それから少しずつ話が続くようになった。

 

成実も何度かは内容を確認した。

自分が覚えているものもあるし、知らない話もあった。

 

同じクラスにいたからといって、一日中、山朽たちを見ていたわけではない。成実が教室にいなかった時に起きたこともあれば、逆に被害を受けた本人があまり覚えていない出来事を成実の方が記憶していることもあった。

山朽も同じだった。

相手から言われてすぐ思い出すものもあれば、本当に何も覚えていないものもある。

 

最初は気になって見ていた成実も、そのうち確認するのをやめた。

自分がきっかけを作ったとはいえ、十五年前にいじめていた人間といじめられていた人間がする話を、能力を使って毎晩横から読むのは趣味が悪い。

 

(山朽が、自分の知らなかった重要なことを知ったら通知)

 

条件をそう変えて、ゲームの日課へ戻った。

 

次に通知が出たのは木曜日だった。

ベッドに寝転がり、スマートフォンを横持ちにしてイベント周回をしていた時である。

 

「何だ?」

 

画面を一度止める。

 

山朽が知らなかったのは、相手が中学時代から病院へ通っていたということだった。

学校を休んでいたこと自体は知っている。

しかし、その間に親に連れられて通院していたこと、さらに卒業後までそれが続いていたことは知らなかった。

 

高校へ進学し、山朽たちと顔を合わせなくなってからも、近くで誰かが笑っていると自分のことを笑われているように感じる時期がしばらく続いたという。

 

山朽はメッセージを開いたまま、動かなかった。

 

成実も初めて知った。

自分も多少なりともターゲットにはされていた。

 

ただ、教師の介入があった夏休み以降はほとんどなくなっていたし、高校へ進学して山朽たちと会わなくなったことは成実にとってかなり大きかった。昔のことを完全に忘れたわけではないが、学校へ行ってもそこに山朽がいないというだけで、日常の中で思い出す機会はほぼなくなった。

 

相手はそうならなかったらしい。

 

翌日、山朽は返信した。

 

謝って終わりにしていい話ではないと思う。

今からでも何か出来ることがあるなら教えてほしい。

 

返事は短かった。

 

『別に今さら何かしてほしいわけじゃない』

 

山朽はその日は何も返さなかった。

 

土曜日も動きはない。

 

そして日曜の午後。

 

何度かスマートフォンを手に取っては置いた後、山朽はもう一度だけ文章を送った。

 

当時の通院費など、自分たちが原因で必要になった金で、今からでも払えるものがあるなら負担させてほしい。

 

「金か」

 

成実は漫画を膝の上に置き、背もたれに体を預けた。

 

夢を見せた翌朝にいきなりここまで言い出していたら、能力を使った本人である成実から見ても気味が悪かったと思う。

 

だが、すでに2週間近く経ってその中でやり取りをいろいろしている。

 

山朽は一度連絡をやめた。

謝罪を送り、許していないと言われ、それでも何度か話す中で、自分が知らなかったことまで聞いた。

その上で出てきた話なら、少なくとも今の山朽自身が考えて決めたことなのだろう。

 

相手は最初、その申し出も断った。

 

それでもやり取りはそこで終わらず、当時掛かった治療費などを確認しながら、最終的には35万円を山朽が払うことで話がまとまった。

 

十五年前の領収書が全部残っているわけではないし、裁判で決められた慰謝料でもない。

結局は、当時掛かった金額と、山朽が今出せる額を元に双方で決めたものだった。

 

問題は、金額や金を払うという行為そのものではなかった。

 

     ◇

 

「……それ、どこから出すの?」

 

山朽が妻に話をしたのは、その日の夜だった。

 

 息子はすでに自分の部屋へ戻っており、ダイニングテーブルの上には夕食で使った食器がまだいくつか残っている。妻はシンクへ運びかけていた茶碗を手にしたまま足を止め、山朽の方を見た。

 

「どこからって、貯金からになるけど」

「家の?」

「うん」

「ちょっと待って」

 

持っていた茶碗をテーブルへ戻し、妻は椅子を引いて座った。

 

「前に話した、中学の時の人だよね」

「そう」

「謝ったっていう」

 

妻がそう言うと、山朽が向き直って言葉を引き取った。

 

「向こう、当時病院にも通ってたらしくてさ。俺、そこまでは知らなくて。それで治療費とか、全部じゃないけど少しでも払わせてもらえないかって話して……」

「それで35万?」

「……うん」

 

正確な金額を聞いた妻の眉間に皺が寄る。

 

成実は何とはなしに見ていた動画を映すPCの音量を少し下げた。別に山朽夫妻の家庭内の会話を全部聞きたいわけではないが、自分がきっかけになって金の話まで進んでしまった以上、ここはさすがに放置するわけにもいかない。

 

「謝るのは別にいいよ。前もそう言ったじゃん」

「分かってる」

「お金払うのも、まあ……それで向こうが納得してるなら、私が駄目っていう話でもないと思う。でも何で家のお金から出すの?」

 

完全な否定ではないことに安堵しながらも、山朽は多少の引っ掛かりを解消しようと口を開いた。

 

「俺がやったことだから、俺が払うんだよ」

「家の貯金から出したら、話が違くない!?」

 

山朽は何か答えようとして、そのまま口を閉じた。

 

「今だってあの子、学校行けてないんだよ。病院行くかもしれないし、このままだったら転校とかも考えなきゃいけないかもしれない。何にいくら掛かるか分かんないのに、そこから35万も出すの?」

「それは分かってるけど」

「分かってるなら、そんなこと言わないでしょ!?」

 

妻の声は自然と大きくなっていたし、さっきまで洗い物をしていた時より明らかに速くなっている。山朽はテーブルの上へ置いていたスマートフォンを一度手に取り、画面を見るでもなくまた伏せた。

 

「……これは奥さんの方が普通に正しいな」

 

成実は小さく呟いた。

 

十五年前、山朽はまだ中学生だった。当然今の妻とは結婚していないし、息子も生まれていない。

 

その時に自分がやったことについて金を払いたいという山朽の考えがおかしいわけではない。むしろ今さら何も出来ないと言われた後で、自分なりに出来ることを考えた結果なのだから、そこまで成実が止める理由もなかった。

 

ただし、結婚して十年以上同じ財布で暮らしていれば、銀行口座に入っている金を自分が稼いだものと考える感覚もあるのだろうが、少なくとも妻の側からすれば夫が中学生の頃にしたことの慰謝料を今の家計から出すことになる。

 

しかも、自分たちの子供が現在いじめで学校へ行けなくなっている時期である。

 

さて、どうするか。

 

山朽に金を払うのをやめさせることも出来るし、妻の方へ納得するよう手を入れることも出来る。

出来るが、そこまでする話だろうか。

 

成実は能力を使って、二人が今考えていることをもう少し詳しく出した。

 

妻は謝罪そのものには反対していない。昔の相手に金を払うことについても、本人の責任の範囲なら好きにすればいいという考えが元からある。

 

一方で山朽も、家族へ自分の責任を負わせたいわけではなかった。

 

「なるほどね」

 

そこまで見て、成実はテーブルに置いていたペットボトルへ手を伸ばした。

 

山朽には毎月決まった額の小遣いがあり、ボーナスの時にも家計へ入れる分とは別に多少は自分で使える金を残している。趣味や飲み会などはそこから出しているので、今までなら一年ほど掛けて趣味に使っていた額を、今回の支払いへ回せばいい。

 

その間、何か新しく買うのを諦めたり、飲みに行く回数を減らしたりすることにはなるだろうが、家の貯金も息子のために取ってある金も減らない。

 

能力などなくても、もう少し落ち着いて話せばそのうち出てきそうな案だった。

 

ただ今は、片方が「自分が払う」、もう片方が「家の金を使うな」というところで引っ掛かり、お互い同じ話を繰り返している。

 

「このくらいなら……まあ」

 

二人の中にない考えを作る必要はない。

 

山朽には、自分の責任なら自分だけが自由に出来る金から払う、という考えを。妻には、夫が自分の小遣いを何に使うかまでは止めない、という元からある考えを、それぞれほんの少し意識を向けさせる。

 

それだけ手を加えた。

 

「……じゃあさ」

 

 山朽が伏せていたスマートフォンを指で二度ほど叩いてから顔を上げた。

 

「これ、俺の小遣いから払うなら?」

「え?」

「貯金は使わない。子供の分も触らないし、ボーナスも今まで家に入れてた分はそのまま入れる。残りと、毎月の小遣いから出す」

 

妻はすぐには答えず、山朽の顔を見た後、テーブルの端に置かれているスマートフォンへ視線を落とした。

 

「それで払えるの?」

「一回じゃ無理。何回かに分けてもいいって話にはなってるから、たぶん1年くらい」

「……1年?」

「まあ、その間ほとんど何も買えないけど」

「この前欲しいって言ってたやつとかも?」

「買わない」

「飲み会は」

「会社の付き合い以外は減らす」

「ほんとに家から出さない?」

「出さないよ。それじゃ意味ないだろ」

 

妻は椅子の背にもたれてしばらく黙っていたが、やがて息を吐いて立ち上がった。

 

「だったら、もう好きにしたら。自分のお金なんでしょ」

「……悪い」

「私にじゃないでしょ、それ」

「ああ、うん」

 

妻は途中だった洗い物へ戻り、蛇口から水が流れ始めた。

 

その後も多少、二言三言(ふたことみこと)は話していたが、さっきまでのように同じところをぐるぐる回ることはなくなった。

 

成実も能力の表示を消し、PCの音量を戻す。

数分ほどそのまま見ていた成実は、ふとマウスを弄っていた指を止めた。

 

「……あれ?」

 

山朽たちの話が特殊に見えるのは内容が十五年前のいじめだからで、互いに本当に欲しいものを確認してみたら、言っていることほど対立していなかった、という状況だけなら会社でも珍しくない。

 

客は今日中と言う。

開発は無理だと言う。

 

話を聞いていくと、客が今日必要なのは完成品ではなく上司へ見せる資料だけだった、くらいのことは実際にある。

 

今まではそれを何とかして聞き出すことこそが仕事だった。

能力があれば、最初から分かる。

 

     ◇

 

「いや、だから水曜までに欲しいんですよ」

 

翌日の午後、成実は会議室のモニターに映っている客先担当者の顔を見ながら、昨日のことを思い出していた。

 

追加機能の納期について始まった打ち合わせは、予定していた別の話を一通り終えた後、この話だけですでに10分近く使っている。

 

「水曜は無理ですね。最低でも金曜になります」

 

斜め前に座っている開発担当が答える。

 

「そこを何とかならないですかね」

「テストまで考えると無理です。木曜でもかなり厳しいです」

 

同じやり取りはこれで三度目だった。

 

客先の担当者とは付き合いが長く、最初に少し厳しめの日程を言ってくること自体は珍しくない。こちらから無理だと説明すれば、ではいつなら出来るのかという話へ移るのが普段なのだが、今回は金曜と言っても引かなかった。

 

成実はノートPCの端に置いていたボールペンを転がしながら考える。

 

水曜までに、何が必要なのか。

能力で調べればすぐに分かった。

 

木曜の朝、客先社内で今回の機能追加について説明する場がある。

担当者がそこで見せたいのは、新しい画面だった。

登録まで出来る必要はない。説明を聞く側からすれば、どのような画面になるかさえ分かれば足りる。

 

ただ、画像だけだと格好がつかないし今までの経験上も反応が悪い。

それっぽく見せられる状況に仕上がっている必要はある。

 

逆に開発担当が金曜と言っている理由は、表示だけではなく登録処理まで完成させ、テストをした状態で渡す前提だからだった。画面だけなら水曜夕方までに出せるが、完成させるにはとてもじゃないが時間が足りない。

 

「すみません」

 

成実が声を入れると、モニターの向こうの担当者と開発担当が同時にこちらを見た。

 

「水曜って、画面を見られればひとまず大丈夫です?」

「画面?」

「登録まで動かなくてもいいなら、確認環境に表示部分だけ先に出して、ちゃんと動くのは金曜っていうやり方なら出来ると思うんですけど。正式なリリースは早くて来月とかになるっていうのがいつもの流れですよね? それにこっちだけ残業めっちゃ頑張って間に合わせようとしても、途中そちらで確認必要な部分もあるじゃないですか」

 

開発担当が一度成実を見て、それから手元の資料へ目を落とした。

 

「……表示だけなら、まあ。水曜夕方ですね」

「なるほど、ちょっとこっちで相談させてください」

 

客先側の担当者が画面から外れ、隣にいるらしい誰かと小声で話し始める。

成実はその間にペットボトルの水を一口飲んだ。

 

「提案していただいた内容で大丈夫です」

 

戻ってきた担当者が言った。

 

「木曜の説明で画面だけ見せたかったので。登録は金曜でも問題ないです」

「あ、じゃあこっちもいけます」

 

開発担当が椅子へ座り直しながら答える。

 

「ただ水曜に出すやつは本当に今時点で頂いてる情報での見た目だけですよ。やり取り次第で後で若干変わる可能性もあります」

「それは説明しておきます」

 

そこから確認環境へ反映する時間だけ決めると、あれほど揉めていた話は数分で終わった。

予定より20分ほど早く会議が終了し、モニターから客先の映像が消える。

 

成実がノートPCを閉じかけたところで、一緒に参加していた後輩が首を傾げた。

 

「逢河さん、何で画面だけでいいって分かったんですか?」

「ん?」

「俺、普通に水曜までに無理しても全部なんとかしろって意味だと思ってました」

「あー……」

 

成実は閉じかけたPCをそのまま押さえ、少しだけ考える。

 

「あの人とは結構長いから。いつもより水曜にこだわってたし、何かあるのかなって」

「それであそこまで当たるんすね……」

「そこはまあ、勘」

「俺も勘ほしいっす」

「長くやってるとそういうのも身につくんだよ」

 

チートの結果である。

 

適当なことを言いながら立ち上がり、電源ケーブルを抜いて鞄へしまう。

後輩はまだ納得していない顔をしていたが、それ以上は聞いてこなかった。

 

     ◇

 

山朽が金を振り込んだことを成実が確認したのは、その週の半ばだった。

 

分割で払うことになった最初の分で、金額そのものは特別大きくない。相手からも入金を確認したという返事はあったが、もちろんそれで昔のことを許すというような話にはならなかったし、山朽もそれを求めてはいなかった。

 

その後のやり取りまで逐一見るつもりもない。

 

「まあ、こっちはもういいか」

 

自宅でPCを触っていた成実は、山朽本人について設定していた通知を減らした。

 

あとは、息子の方である。

 

学校へ行けなくなった原因についてはすでにある程度調べていたが、改めて今のクラスの状態を確認してみる。

 

いじめの中心になっているのは一人の男子生徒だった。

 

別に山朽の息子を心の底から嫌っているわけではないらしい。最初にちょっとした失敗をからかったところ周囲が笑い、別のことを言っても笑った。本人が嫌そうな反応をすることも含めて面白くなり、いつの間にか何かあるたびにそちらへ話を振るようになっている。

 

近くにいる数人も積極的に何かするというより、そいつが言ったことに乗って笑うことの方が多い。残りの子は関わらない。

 

良くないと思って教師へ話した生徒もいるし、単純に興味のない生徒もいる。面倒なことに巻き込まれたくないので見ないようにしている者もいて、成実の記憶にある小学校の教室とその辺はあまり変わらなかった。

 

学校も何もしていないわけではない。

 

山朽夫妻から相談を受けた担任はクラス全体へ注意し、中心になっている生徒とは何度か個別に話している。その直後は大人しくなるのだが、何日かすると教師のいないところでまた同じことが始まり、それを繰り返している間に山朽の息子は学校へ行くこと自体を嫌がるようになっていた。

 

「うーん」

 

成実は椅子の上で少し身体をずらし、机に肘をついた。

 

出来るだけ小さく変えるならどこだろう。

 

中心の生徒へ強い罪悪感を持たせることも出来るし、山朽の息子に対して好意を持つよう認識を変えることも出来る。そうなれば、少なくとも表立って何かすることはなくなるだろう。

 

だが、そこまでやるとやりすぎだと思う。

 

最小限の介入で上手く収めるには。

 

「これならどうだろ」

 

家で動画を見ている時、たまたまいじめが問題になったニュースを目にする。その下にあった「今はネットに出たら一生残るから、いじめてる方の人生がむしろ終わる」というようなコメントが妙に気になり、似た事件をいくつか調べてみる。

 

そこまで。

 

見た上でどう思うかは本人に任せる。

 

その程度なら、成実にも特に迷う理由はなかった。

 

山朽に夢を見せたのを応用して、実際にいじめが拡散されて大変なことになる夢を見せようかとも一瞬考えたが、さすがにやりすぎかなと思ったのでやめた。いじめの度合いも山朽が中学生のときにやっていた方がひどかったし、相手は因縁も何もない小学生だ。

 

実行する。

 

翌日も山朽の息子は学校を休んだ。その次の日も、さらに次の日も。

それについては成実も、まあそうだろうと思う。

 

いじめをしていた側の認識を変えたところで、休んでいる本人にはそんなことは分からない。何週間もかけて学校そのものが嫌になったのに、原因を取り除いた翌日から元気に教室へ戻る方がおかしいだろう。

 

一方で学校から山朽夫妻へは、ここ数日で他の子に対する悪口やからかいがかなり減っているという連絡が来ていた。

担任は、これまで繰り返してきた指導がようやく効き始めたと考えているらしい。

 

「それでいいなら、それでいいな」

 

わざわざ訂正するようなことでもない。

 

それからさらに数日が経った。

 

夜、山朽の家について設定していた通知が一つだけ出たので確認すると、母親と話していた息子が、少し長い沈黙の後で口を開いていた。

 

『……放課後なら、ちょっと行ってみてもいい』

 

朝から教室へ戻るという話ではない。

 

他の生徒がほとんど帰った時間に学校へ行き、まずは別室で担任と話をする。それでも両親が無理に連れていこうとした結果ではなく、本人の方から出した話だった。

 

「お」

 

それなら、しばらく様子を見ればいいだろう。

 

成実は山朽一家について細かく設定していた通知を開き、ほぼ全部を消していく。息子が学校へ行ったか、山朽が昔の相手へ連絡したかといったことまで今後ずっと知り続けるつもりもない。

 

何か大きな問題が起きた時だけ分かればいい。

いや、もう完全な無関係に戻ってもいいかもしれない。

 

全部消すか少し考えているところで、指が止まった。

 

「……そういや、うちは何もやってないな」

 

山朽の家で大きなことが起きれば分かるようにしていたのに、自分の家族については今のところ何もしていない。

 

別に両親や姉夫婦の生活を覗きたいわけではなかった。今この瞬間に何をしているか調べれば簡単に分かるが、父親が昼に何を食べたとか、姉が夫婦喧嘩したとか、そんなことまで知り始めるとキリがない。

 

ただ、命に関わる病気や大きな事故、重大な犯罪の被害に遭うようなことについては別だった。

 

あとから知って、能力があったのに何で気付かなかったんだと思うくらいなら、先に条件だけ決めておいた方がいい。

金銭についても同じで、少しくらい無駄遣いで損をしたという話なら本人の問題だが、生活が壊れるほどのものなら知らせる。

 

両親と姉夫婦を対象にして、その程度の条件だけ設定する。

 

ひとまず現時点では何も表示されなかった。

 

「よし。これでひとまずこの件はおしまい」

 

あ、と。

そのまま画面を消す前に気づいた。

 

「……つーか、今さらだけど、最初ちょっと悩んだやつ」

 

背筋にピリピリとしたものが走る。

 

「殺すかどうかで悩む必要なかったな……。動けなくするとか、考えをちょっと変えるとか、他にいくらでもあったじゃん。せっかく何でもできるっぽいんだからさ。急な思い付きに引っ張られ過ぎだ」

 

マジで殺さなくて良かった、と心の中で呟いた。

 

     ◇

 

金曜日、17時32分。

 

成実が開いていたファイルを閉じ、退勤前にメールだけ確認していると、少し離れた席から間藤が声を掛けてきた。

 

「逢河、帰らないのか」

「今帰りますよ」

「ならいい」

 

間藤はそれだけ言って自分のモニターへ視線を戻した。

成実はPCの終了処理を始め、鞄へ入れ忘れていた充電ケーブルを電源タップから取り外す。

 

「課長、最近俺を帰すことに命かけてません?」

「誰のせいで先月の残業増えたと思ってんだ」

「課長たちでは?」

 

 間藤の手が止まった。

 

「早く帰れ」

「はい」

 

それ以上余計なことを言う前に鞄を閉じる。

 

2週間前なら、17時半に一つ仕事が終わっても、周囲がまだ残っていれば何となく別の資料を開いていた。明日の朝でも構わないメールへ返信し、翌週使う資料を少し直しているうちに18時を過ぎる。忙しい時期にはそんなことを考える余裕すらなかったが、暇になっても一度ついた習慣はあまり変わらない。

 

最近は間藤の方から帰れと言われることも増え、仕事そのものも能力を使えば以前より早く終わる。

会社を出た時にはまだ外も明るかった。

 

駅へ向かう途中、信号待ちでスマートフォンを取り出して証券口座を確認すると、残高は33万円を少し超えている。

 

「……増えたな」

 

以前昼休みに複利を計算した時ほどの驚きはないが、それでも30万円から始めたことを考えるとこの短期間では十分な増え方だった。

 

今くらいの利益率を仮にずっと維持出来るわけではないにしても、能力を使いながら何年か運用すれば会社を辞められるところまでは届く。

 

5年。

 

悪い話ではない。

 

ただ、この短い期間だけでも、株以外に随分いろいろなことを試した。

それこそ競馬だけでも毎週1,2レースずつ確率が高いのを数千円ずつ賭けるだけでも年間でひと月分くらいの給料には余裕で届くだろう(どちらかというと手間の方が気になるかもしれない)。

 

その辺を考えると、株を中心にまじめに5年働き続けるというのはだいぶもったいない。

 

改札を抜けようとしたところで、スマートフォンに会社から通知が入った。

 

「あ、給料か」

 

そういえばそんな時期だった。

人の流れから少し外れながら画面を開く。

 

基本給にいくつかの手当、残業代。先月はかなり残業したこともあり、手取りは普段より多い。

一方でサブリーダーになってから仕事は確実に増えた。

 

自分の担当だけ見ていればよかった頃とは違い、後輩の進捗を確認し、場合によっては客先との調整にも入り、何かあれば間藤と一緒に話を聞く。給料については一応昇給しているが微々たるもので、まあ会社員なんてそんなものだと思っていた。

 

そこで何となく気になった。

 

今までは給与明細を見ても、書いてある数字が合っているかどうかまで細かく確認したことはない。残業時間についても、勤怠に入力した時間と大体同じならそれで終わりだった。

 

だが今なら、一つ聞くだけで済む。

 

(この会社、俺に払ってない金ある?)

 

特に疑っていたわけではない。

給与明細を見ていて思いついただけだった。

 

すぐに答えが表示される。

 

成実は改札を出たところで足を止め、後ろから歩いてきた人を避けるように通路の端へ寄った。

 

一度消して、条件を少し変えてもう一度確認する。

同じ結果だった。

 

「……あるんだ」

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