現代社会における万能チートの正しい使い方 作:寸劇の小人
最初は、何が払われていないのかよく分からなかった。
給与明細を見ても、基本給や手当がおかしいわけではない。残業代も普通に付いている。今月だけ何か計算を間違えたという話でもなく、能力で出てきた答えはもっと前からのものまで含んでいるらしい。
条件を細かくして再度調べてみると、結局は残業関連だった。
「確かに『払ってない金』って意味だと正しくはあるな」
成実はスマートフォンから顔を上げた。
残業といっても、常態として毎日一時間も二時間もサービス残業をしているということではない。
(忙しい時期に上限に近づいた残業時間を多少誤魔化したことはあったかもしれないが)
退勤した後に客先から連絡がきて、そのまま二十分くらい話した。家に帰ってからTeamsを見たら後輩から質問が来ていたので返した。休日に障害連絡が入り、とりあえずPCを起動してログだけ確認した。
そういった種類のものだ。
もちろん、間藤から残業を付けるなと言われたことはない。むしろここ最近は残業時間が増えると、今日やらなくていいなら帰れ、と言われる。
では昔はどうだったかというと、よく覚えていない。
会社に入った頃は今よりもっと仕事が遅かったし、周りの人間が帰宅後にメールを返していれば、自分もそういうものだと思っていただろう。三十分のために勤怠を直すのも面倒で、翌日になればそのこと自体忘れている。
思い返してみれば心当たりはいくらでもあった。
次の営業日。
能力のおかげで仕事の時間は最近いかに時間をつぶすかという状況になっている。
しばらく余裕がある時間を見計らって過去の情報を能力を使わずに調べてみる。
昔のメールを検索すると、土曜日の日付で自分から送った障害対応の報告がすぐに見つかった。
「あったな、これ」
確か、一時間も使っていない。
朝起きてPCを繋ぎ、処理を流して結果を確認して、その後にメールを送った。それだけだったはずだ。申請の方が面倒だったので勤怠には何も付けなかった。
似たようなものは他にもある。
夜の十時近くに、
『そのSQLだと対象外まで取るからwhere見直して』
と後輩へ返しているチャットを見つけ、自分で書いた文章なのに少し考えた後でようやく思い出した。
後輩が翌朝使うと言っていたので、風呂に入る前だったか後だったかに確認したのだ。
当時はそれで終わった。
しかし、働いていたかと聞かれれば働いている。
主にメールとチャット。探してみると、自分が覚えていないだけで後から確認出来るものもかなり残っていた。
能力で金額だけ分かっても、会社に超能力で調べましたとは言えない。それ以前に、言ったところで何の証拠にもならないだろう。
どの程度あるのか。
現時点で請求出来るものだけ、と条件を付けて確認する。
346,820円。
「…………マジ?」
思っていたより多かった。
34万円あれば、ガチガチに高性能なPC以外は自分が今欲しいものはすべて買える。
続けている能力での投資に元手として追加すれば単純に増えていく金額もほぼ倍になる。
いや、そういう話ではない。
そう思ってはいるが、数字を見て最初に浮かんだのがそれだったので仕方ない。
何年分かを積み上げて34万円。
手取り一ヶ月分くらいと考えればもちろん安くはないが、それでも一回ごとは二十分、三十分というものが多い。自分が申告しなかった分もあるし、会社が最初から払うつもりがなかったという感じでもない。
総額を見ると結構な額だが、積み重ねの内訳を見るとちょっと会社に確認するには悩ましい。
そこで成実は、開いたままになっていた過去のTeamsを何となく眺めた。
自分が後輩へ返しているのであれば、その後輩も別の日には誰かへ返している。昔一緒に仕事をしていた人間が休日に障害対応したこともあった。もう辞めた人間もいる。
自分だけなのだろうか。
そう思って調べてみる。
違った。
現在いる社員だけでも、同じような未払いはかなりある。一人一人で見れば数万円から、多い人間で数十万円。
さらに退職者まで含める。
表示された金額を見て、成実はしばらくその数字を眺めた。
1000万円を超えていた。
「……これはさすがに」
しかも全員が同じ金額というわけではない。
今いる社員より、すでに辞めた人間の中に金額の大きい者が何人かいたりする。目立つ額で百万円前後が2,3人。忙しかった時期に長時間働き、そのまま会社を辞めている。
その人間たちは、たぶん知らない。
自分の34万円だけなら、面倒だからいいやと諦めたとしても、それは自分が損をするだけだ。
いや、払えるなら払ってほしいが。これくらいになるともう、法律というタテマエとは別で世間一般の水準としては基本無視されている部分になる。違和感を持たせないためにそれなりの範囲で能力行使が前提になるだろう。
しかし、もう会社にもいない人間の分まで合わせて1000万円を超えているとなると、さすがに同じ話ではないように思えた。
そこまで見たところで、では何をするのかという話になる。
「課長とか人事あたりに言ってもなあ……。社長に直とかはさすがに急すぎるし」
トップに干渉するのが一番簡単なのは確かだ。
山朽のときに試したように、人間の考え方へ干渉することは出来る。それも、会社を良くしようとか社員のためにとか、そこまで大げさに変える必要もなく、何となく過去の勤怠が気になった、くらいでもいい。
ただ、それをやって会社が調べ始めた後、今度は人事が面倒だから直近だけでいいと考えたらどうするのか。役員の誰かが金額を見て渋ったら。またそこを変えるのか。
「うーん……」
出来る。
出来るのだが、外から見たら不自然さはないかなどを考え始めるとキリがない。
人間を操ること自体が絶対に嫌ということではない。山朽にも使ったし、必要なら今後も使うと思う。しかし、未払い残業というのは本当はダメだが世間一般ではグレーという部分が大きい問題でもある。1分単位で全部きちんと出している会社は始業前の準備とか昼休みにちょっとずれこむとか含んだらほぼゼロになるだろう。
いっそのこと、すべての仕事に関する法律が99%近くほぼ完全に守られる、とかの方がまだ踏ん切りがつきやすいかもしれない。
労働基準監督署へ自分で相談する方法もある。が面倒だし、話がかなり大きくなる。
会社員になってから何度か、ネットでブラック企業の記事を見るたびに労基へ行けというコメントを見た。実際に行ったことはないし、何をどこまでやってくれるのかも詳しく知らないがとりあえず管轄としてはそこに投げればいいという知識はある。
少し調べた後、成実は検索画面を閉じた。
「基本的に表に出たくないんだよな……」
だがしかし、厳密には自分たち得るはずの1200万円が会社のものになっているとなると思う所はある。
そこから考え始めると、会社そのものより、会社の外の方へ意識が向いた。
取引先、協力会社、社長や役員が付き合いのある会社。仕事をしていれば会社は一社だけで存在しているわけではない。成実自身も客先の担当者なら何人も知っているし、間藤が昔一緒に仕事をした人間と飲みに行った、という話くらいなら聞いたことがある。
社長となればもっと多いだろう。
実際に調べると、その中に一社、かなり分かりやすい会社があった。
「……こっちは完全に駄目だろ」
成実の会社とは少し事情が違う。
勤怠上では二十時に退勤しているのに、その後も二時間、三時間とPCを使っている社員がいる。それが一日だけではない。繁忙期など関係なく一年中常態化しており、社員の結構な割合が会社のやり方に不満を持っていた。
その中の一人は、労働時間について外部へ相談することまで考えていた。
まだ行ってはいない。
仕事が忙しい。面倒でもある。転職してからでもいいかもしれない。
そんな理由で先延ばしにしていた。
成実は少し考えて、その人間が今週中に相談へ行く可能性を確認する。
低い。
来月も低い、が、ほんの少し上がっている。
では、今週行こうと思う程度に背中を押した場合。
そこで止めた。
これはさすがに本人への影響が大きい気がする。
もう少し迂遠な介入で済ませたい。
「うーん、関係者全員を抑える必要はたぶんないな。重要なポイントだけだと……」
最初の一つドミノが倒れやすくするだけだと今回の件は途中で止まりそうな気がする。
要所だけでの介入を考えてみる。
「まず最初、発火地点」
かなり黒めの労働環境のため、病気になったり辞めた人間も多い。
そんな人間でまだ強い不満を抱いているものの行動を少しだけ押す。
労基に複数の連絡が入る。
「んでたぶん人が死んでるとかまで深刻じゃなくてここで止まる可能性が高いから……」
職員の中でも責任者がちょうどよい調査対象が見つかったなと思うようにする。
「おまけにこれも」
さらにフォローで連絡した人間の情報は新しい職場等には漏れないようにしておく。
「よし、これでいいだろ」
数日後、その元社員は労基の窓口へ相談した。
さらに少し時間が経ち、会社には労働時間についての確認が入り、勤怠とPCの利用記録の食い違い、未払いになっている残業について調べられることになった。
成実は途中で一度だけ状況を確認したが、それ以上は何もしなかった。
そこから先は普通に進んだ。
◇
「いや、本当に参ったよ」
平日の夜、成実の勤める会社の社長は、昔から付き合いのある経営者と都内の店で食事をしていた。
仕事の話というより、年に何度かある近況報告に近い。今回は成実の会社の社長に愚痴を聞かせる会のようになっている。
「最初は大したことないと思ってたんだ。残業代は払ってるし、うちはそこまで酷くないってな」
「違ったのか?」
「働き方改革でうるさくなって、ここ10年は以前に比べたらだいぶちゃんとしてるんだぞ」
「うちもそんな感じではあるな」
「ところがだ」
相手は苦い顔でグラスを置いた。
「労基は全然話を聞いてくれないんだなこれが。法律が守られて当たり前みたいな顔をしやがる。45時間ギリギリで残業が止まってるのが多すぎるとか細かく見てくるんだよ」
「……それもか」
「しかも今いる連中だけじゃなくて、辞めた奴の分まで確認することになってる。最近だけならまだしも数年遡られるとちょっと言い訳できないのも、まあなくはない」
さすがに人が死んだりはしてないが、と付け足したあと、二人の間に沈黙が降りた。
休日の障害対応。
帰宅後のメール。
今ならTeamsもある。
自社の勤怠も基本的には社員本人が入力している。
「お前のところは大丈夫なのか?」
「……あからさまなのは基本ないと思うが、数年前とか入れるとちょっと分からんな」
「一回見た方がいいぞ。後から出ると面倒だ」
その夜の会話について、成実が知ることはなかった。
しかし三日後、人事から全社員へメールが届く。
過去の勤務実態について確認を行うため、勤怠記録以外に休日や時間外で対応した作業があれば申告してほしい、という内容だった。
「逢河さん、これ何ですか?」
後輩がメールを開いたまま声をかけてくる。
「俺に聞かれても知らんけど」
「何か急じゃないです?」
「そうだな、急だな」
実際、その日の午前中から課長以上の人間が何度か会議室へ呼ばれていた。
間藤も昼を過ぎて戻ってくると、いつもより少し疲れた顔で席に座った。
「逢河」
「はい、何でしょう」
「お前、前に休日に障害対応したことあるよな」
「あー……ありますね。毎週ってわけじゃないですけど、数か月に1回くらいですかね?」
「勤怠付けてないやつもあるよな」
「短時間で済んで申請の方が面倒だなと思ったやつとかだとありますね」
間藤が眉間に皺を寄せる。
「やっぱりか。後で人事から確認来ると思うから、メールとか残ってるなら消すなよ」
「消さないですよ」
そこまで言ってから、成実は自分の画面に戻った。
少し離れた席でも、同じメールを見ながら何人かが話している。
どうやら、自分の想定した通りに事態が動き出したらしい。