現代社会における万能チートの正しい使い方 作:寸劇の小人
調査が始まって一週間もすると、人事から来る確認もだいぶ具体的になってきた。
「この日、19:12に勤怠上は退勤になってるんですけど、その後の21時前に客先へメール送ってますよね」
「あー……これか」
会議室のテーブルに置かれたノートPCを覗き込み、成実は表示されたメールを読む。
覚えている。
正確には、メールを見るまで忘れていた。
帰宅途中に客先から電話があり、家に着いてから確認して返事をした。時間そのものは能力を使えばすぐに分かるが、そこで27分13秒ですなどと言っても不自然である。
「電話が15分くらいで、その後PC開いて……全部で30分くらいだと思います」
「分かりました。こっちでも接続記録確認します」
そんなやり取りを何度か繰り返した。
メールやTeamsだけなら本人でも見られるが、PCの接続記録や会社側に残っているログまで含めると人事の仕事になる。客先側に作業記録が残っているものもあり、後から見れば思ったより色々なものが残っていた。
成実のぶんについては、確認が進むにつれて金額も最初に能力で見た数字へ近づいていった。
34万円を超えたあたりから大きくは変わらない。
どうやら、346,820円という数字はかなり近い形で貰えそうだった。
そして当然、調べられているのは成実だけではない。
数万円程度の人間もいれば、20万円、30万円と増える者もいる。さらに過去の勤務記録まで遡り始めると、今はもう会社にいない名前も出てきた。
その日の帰り、駅へ向かって歩いている途中でスマートフォンが震えた。
表示された名前を見て少し懐かしくなる。
多井中(たいなか)。
同期入社だった男だ。
同じ現場だった時期もあるが、特別仲が良かったというほどではない。ただ、新人研修から何年か一緒だったこともあり、辞めた後も連絡先だけは残っていた。最後にやり取りしたのは退職したときだったかもしれない。
『久しぶり。急にすみません。今ちょっと大丈夫ですか?』
昔からこんな感じだった。
『大丈夫。どうした?』
『今日、会社から連絡がありまして。昔の残業について確認したいと言われたんですけど、何かあったんですか?』
「ああ」
それしかないよな、と思う。
『今、過去の勤怠を全社で調べてる。労基が入ったわけじゃないけど社長が急に気にしだしたみたい。俺も確認されてるよ』
しばらくして返事が来る。
『そうなんですね。自分がいた頃の分も調べているとは思いませんでした。……正直、結構ある気はします』
成実もそう思う。
多井中が辞める前はかなり忙しかった。成実自身も同じ案件へ少しだけ入っていた時期があり、夜遅くまで残っている姿を何度も見たことがある。このあたりは案件次第な部分と上司次第な部分があって正直運の部分が大きい(辞めるような場合はその両方だと思う)。
『金額とかもう出た?』
『まだです。確認したい日付だけ何件か言われました。……もし会社側の計算がおかしそうなら、一度専門家に相談しようと思っています』
丁寧だが、言っていることははっきりしている。
まあ、自分の金なのだから当然だろう。
『それでいいと思う。個人的には今のところ会社の対応ちゃんとしてて正直びっくりしてる。とりあえず金額見てからでいいんじゃない』
『ありがとうございます。逢河くんも対象ですか?』
『うん、結構あった。1か月分の手取り超えるくらいかな。もらえるならありがたい』
『お互い大変ですね』
そこまで読んで、成実は少し笑った。
辞めた人間に前の会社から突然連絡が来たのだから、多井中の方が大変だと思う。
その後も調査は続いた。
現役社員だけなら、一人あたりの金額は大きくても数十万円というところだったが、退職者には百万円前後になる人間が何人かいた。
多井中もその一人だった。
昔、会社が今よりずっと忙しかった時期に働いていた人間ほど金額が大きい。
経営側も、そこまで出てくるとは思っていなかったらしい。
翌週、社内向けの説明が行われた。
過去分については現在在籍している社員だけでなく、退職者も含めて確認し、未払いと判断されたものは支払う。途中で区切って終わらせず、今回の調査で一度全部整理する。
それだけでも1200万円を超える。
会社の規模からすれば払った翌日に潰れるような金額ではない。それでも、無視出来る額でもなかった。
役員賞与の一部返納と、一定期間の役員報酬減額も決まったらしい。
「だいぶ大事(おおごと)になりましたね」
説明の後、成実がそう言うと、隣にいた間藤が小さく息を吐いた。
「社員のボーナス削って払います、なんて言ったら余計揉めるだろ」
「そりゃ、それやったら何もしない方が感情的にはマシになると思いますよ」
「今回、俺ら管理職も結構怒られてるからな」
「課長も?」
「管理職は自分の労働時間というよりも部下の労働時間だな。炎上した現場でどうしようもない場合は結構あるが、そのときの対応が雑で人が辞めてたりするとまあ、その、なんだ」
「大変っすね……」
間藤は他人事に聞こえたのか顔をしかめた。
「だから今後は十分でも十五分でも仕事したら付けろ。面倒なら仕事するな。明日でいいなら明日やれ」
「ここんとこ課長がそれ結構言ってくれるので、こっちとしては後輩に同じこと言いやすくて助かりますよ」
「とはいえ最近のお前は全然手がかからんからな……。 何か言われたら俺はちゃんとしてたって言えよ」
「そりゃもう」
勤怠の入力方法も変わった。
休日に短時間だけ対応した場合、家からメールやTeamsを返した場合、そのあたりについても具体例が追加され、PCの利用記録と勤怠が大きく食い違っていないか定期的に確認することになった。
そのあたりが厳密化したのもあるし、そもそも残業は極力減らそうという意思が全社的にかなり強く感じられるようになった。
数日前、終業間際に後輩から質問されたときも、間藤は時計を見て、
「それ明日の朝でいいだろ」
と帰らせたりもした。
以前なら、そのまま十五分くらい画面を覗き込んでいたかもしれない。
成実は帰宅途中の電車の中でスマホから自分の勤怠画面を開き、残業時間がきちんと付いているのを確認した。
(とはいえ先月の能力手に入れた日の残業以降は、俺個人の残業はほぼないんだよな……)
ここ最近の残業は本当に少ない。
定時間際に問い合わせがきたもの、後輩のヘルプが必要になったものの対応が数回あったくらいだ。
どちらも能力によって本来ならほぼ一瞬で解決できるが、不自然なので多少の時間を使っている。
勤怠はグレーというよりだいぶホワイトになった。未払い分も支払われることになったし、会社が何も変わらないままであれば今後どうするかも分かりやすかったのだろうが、実際にはその逆だった。
「労働環境は良くなってるのに、リーマン辞めたいって気持ちはむしろ強くなってる気がする」
能力を得て投資で稼ぎ始めてから何回か開いた転職サイトを斜め読みしながらつぶやく。
会社が悪いからというより、一度考え始めてしまったせいなのだと思う。
「時間を拘束されるのが本当にキツい。能力で勉強したり誤魔化しは効くけど、秒で終わる仕事がまだ終わりませんよって待たせるのとか誰も得しないだろこれ」
自分が二十分働いたことが仕事になるのかどうかも会社の仕組み次第で、どの案件を担当するのか、いつまでに何を作るのかも基本的には自分で決めることではない。それは会社員なのだから当たり前で、それで毎月決まった給料を貰っている。
今までなら、それで良かった。
「何でもできちゃうと考え変わるよな」
さすがに、そこまで出来るのに定年まで今と同じように働く、というのも変な話に思える。
個人でアプリを作って売るとかも、前から一度くらいやってみたいとは思っていた。
仕事を辞めるという選択肢が急激に自分の中で大きくなっていく。
そうなると今度は、辞めたあとで失敗したときのことが気になった。
「こういうときこそ能力の使い時だよな。自分のことだけだと気楽だ」
その夜、成実は能力で求人を本格的に探した。
応募出来る会社は無数にある。現在より年収が上がり、残業が少ないところに絞っても相当数ある。
そこからさらに条件を絞り込んでいく。
能力で確認すると、人の紹介でしか採用ルートがない条件の良い会社もすぐ見つかる。さらに数字からは見えない実体としてその会社が良いかどうかも簡単にわかる。
「今の会社が全体で見ると上位20%、ここ最近だと15%くらい? ホントにホワイト寄りになったんだな……」
今の会社の立ち位置を知ったところで、95%以上の確率で入社でき、その中で自分基準で直属の上司との相性や仕事の覚えやすさ、有給の取りやすさ、通勤時間等を含めた条件の良い会社を見繕ってみる。
「上位0.01%以内の会社しか残らないとか、転職コンサルも真っ青だなこりゃ。俺基準の総合評価だと大手財閥系とかより上の会社ってこんなにあるのか」
見つけること自体が入社試験のような、採用にお金をかけていないが人が集まるという会社が結構あるのが驚きだった。
能力があれば再就職は考えなくて良い。
仮に失われることがあったとしても、定期的に自分が入れる可能性の高い会社で条件や相性の良い会社をある程度ストックしておくという方法で最悪リカバリーが効く。
「ここまでやったら、やらない方が機会損失だな」
それで決めた。
100%成功することを確信したわけではないが、駄目でも今より良い状態に持っていくことができるだろうと納得できたのだ。
それなら一回くらい、自分の時間を自分のために使ってみてもいい。
◇
「課長、ちょっと相談いいですか」
「何だ?」
「ここじゃちょっと」
間藤が成実の顔を見た。
「……会議室?」
「空いてれば」
「嫌な言い方だぞ……」
十分後、小会議室で向かい合って座る。
間藤はノートPCを持ってきていたが、成実が手ぶらなのを見て机の端へ置いた。
「で?」
「あー……会社、辞めようと思ってます」
数秒、何も返ってこなかった。
「……今?」
「今ですね」
「いや、タイミングの話だよ。未払いの件か?」
「それは違います。ちゃんと払ってもらえますし」
「じゃあ何だよ。うちは元々結構良い方だと思ってるし、今回の対応見ても分かるだろ」
「それはそうですね」
「だよな」
間藤はそこで少し困った顔をした。
「前から考えてたのか?」
「個人でアプリとか作るのは一回やってみたかったんですよ。今ならしばらく仕事しなくても大丈夫そうなんで」
「転職先が決まってるってことじゃないのか?」
「決めてないです、フリーランスというか個人事業主的な?」
「は?」
「駄目だったらまた就職します」
「お前、その辺もうちょい慎重なタイプだと思ってたんだが……」
「友人の影響とかも結構あるんすよ(とか適当に言っとけばいいだろ)」
「そんなもんかねえ……」
間藤はしばらく黙った後、椅子の背にもたれた。
「まあ、辞めるって決めてるなら止めてもしょうがないけど。いつ?」
「出来れば早めで」
「それは無理」
「ですよね」
「お前しか分からんところ、相当にあるからな」
地味に直近の評価だいぶ良かったんだぞ、とこぼした言葉が印象的だった。
(それはチートのおかげだ)
そこからは退職の話というより、ほとんど仕事の話になった。
進行中の案件を誰へ渡すか。客先との定例をいつから後任へ任せるか。後輩が持っている作業で、成実が直接見なくても済むものは何か。
カレンダーを見ながら順番に確認していくと、翌月末までいれば大部分は引き継げそうだった。
「一ヶ月半か。まあ2週間前とか言われて今月末になるよりはだいぶこっちとしてはマシだな」
「最初2週間出社で残りはリモートとかでもいいっすか?」
「お前なあ……。まあ、俺からの退職祝いってことで何とかしておくよ」
「ありがとうございます」
これは素直に礼を言いたい。
「あと有休。お前、結構残ってるだろ」
言われて初めて、そのことを思い出した。
確認すると、まとまって残っている。
能力を得てから残業がほぼ無くなって仕事も余裕だったので、有給取ろうという気持ちが沸かなかったのだ。
「GWくらいまで燃えてたんで今年度はほぼまだ使ってないっすね」
「ちょうどタイミング的にも上がコンプラ気にしてるからな。フルに取れると思うぞ」
後から気づいて無視されそうだったら能力を使う所だったが使わずに済みそうだ。
数日後、人事を交えて日程が決まった。
翌月末まで引継ぎ。最初は通常通り出社し、その後は機材返却等のある最終日など必要な日以外は基本的にリモート。
その次の月は丸ごと有給休暇。原則連絡なしだが、籍は一応あるのでどうしても本人にしか分からない緊急事態だけ連絡してよいことにする、と決まった。
退職日は、その月の末日。
カレンダーに並べると、まだ二ヶ月以上先になる。
ただ、実際に仕事をするのは一ヶ月半ほどだった。
「……一ヶ月休みか」
学生の夏休み以来だろうか。
もちろん、その頃と違って給料も出る。
成実は表示された有休の日数をもう一度見てから、申請のボタンを押した。