現代社会における万能チートの正しい使い方 作:寸劇の小人
2週間ほど出社して抱えている作業を片付けながら引継ぎのベースを作り、翌月から課長と話していた通り基本リモートになった。
「通勤なし、昼休み完全自由、サイコー。リモートはいいね。人類の生み出した文化の極みだよ」
リモート初日の朝、PCを付けたあと、成実は能力を使った。
現在の案件状況、今後の予定、引継ぎ先の知識を前提として、有休期間から正式退職までに、自分へ問い合わせが発生する可能性のある問題を洗い出す。
未来を直接見られるわけではないが、すでに決まっている作業予定や、残された資料、誰が何を知っているかが分かれば、ある程度の予測はできる。
画面には候補と一緒に、発生する可能性、起きた場合の影響、成実本人でなければ解決しにくい度合いが表示された。
上の方に出たのは、進行中の案件で近いうちに聞かれそうな確認事項だった。
その程度なら後輩か間藤でも処理できる。逆に目についたのは、発生可能性はそれほど高くはないが、影響と本人依存度が高い項目だった。
ある顧客の月次データ連携では、先方の確認が終わるまで自動送信を止め、承認メールを受け取ってから手動で実行する暫定運用が残っている。
設計書だけを読めば通常どおり自動処理されるように見え、変更理由は三年前のメールにしか書かれていなかった。
次に処理が動くのは、成実が有休へ入った後になる。
「これは来るな……。有給を邪魔する可能性のある問題は全部駆逐してやる」
問い合わせが来た場合、電話で状況を聞きながら古いメールの場所から説明する羽目になる。
自分だけが作業するなら能力によりすべてほぼ秒殺だが、他人に引き継ぐとなればそうもいかない。
成実は当時のやり取りを探し、暫定運用になった理由、処理を止める条件、承認後の手順を一つにまとめた。
関連する設計書からもたどれるようにリンクを追加し、後任と間藤へ確認を依頼する。
ほかの候補も、発生確率だけでなく、起きたときに困る順で片づけていった。
「さて、リモート中は能力全開で行くぞ」
ルーティンとして朝と昼に、その日の問い合わせが発生しそうか能力で確認する。
必要なメールやログを開いて準備だけしておき、実際にTeamsが届いてから返す。
ある日は、後輩が確認環境で見つけるエラーについて、午前中に問い合わせてくる可能性が高いと出た。
予定されている作業と後輩の知識から予測しただけなので、作業が延期されれば外れる。
十時を過ぎた頃、Teamsの通知が鳴った。
『すみません、確認環境でエラー出たんですけど、見てもらえますか』
能力で解決方法を確認するのに時間はかからなかったが、その答えをそのまま返しても、なぜそう判断したのかを説明できない。
通常のログと過去メールを開き、後輩が再現できる手順へ直してから返信した。
『自分で調べたところまで情報共有してくれるとこっちとしてもやりやすくて助かる。調査は半分当たってるよ。残りはこれから送る手順で直したあと、もう一回同じ操作を試してみて』
『ありがとうございます!』
『次困った時も同じ感じで頼む。あ、ただ自分で頑張るのに固執すると解決が遅れちゃうから、30分とか時間決めて進展がない時間が続いたら聞いちゃって大丈夫だからね』
後輩が思ったより頑張っているのもあって、引継ぎは順調に進んだ。
必要な仕事を能力で瞬殺したあとも、すぐに提出することはせず、不自然ではないくらいに時間を空けてから送る。
PCを横目に洗濯機を回し、昼に食べるものを作り、掃除をする。
勤務時間中に買い物へ出るのは気が引けたし、問い合わせへすぐ返せなくなるので、外出は正式な昼休みに近所を歩く程度に留めた。
「昼寝もできるけど、ちょっともったいないよな。体重も89.5kgだったし……。さすがに90kgには乗りたくない」
昼休みなら誰に遠慮する必要もない。歩いて帰ると汗を流し、その後またPCの前へ戻る。
通勤がなく、人に見られながら能力を隠す必要もないため、出社していた頃より時間も気力も残った。
「あとは8割くらいやることがない午前と午後の勤務時間か、どうすっかな……」
一応勤務時間である。(ほぼ確率がゼロであると確認できたとしても)急に連絡が来る可能性がある以上は遠くへ出かけるのは気が乗らず、ゲームをやってもそれほど集中できない。
そんな中、能力のおかげで余裕があるからか体型の解消に挑戦しようという気持ちが出てきた。
「長年の課題をそろそろ解決すっか……。できるかな……? さて何から始めるか」
PCの近くで身体を動かせるものはないかと考え、エアロバイクを思いついた。
通販サイトを見ていると、価格も大きさもかなり違う。
最も運動効率のよい機種を選んでも、うるさかったり邪魔だったりして使わなくなれば意味がない。
そう考えて今これを買って一年間使った場合、自分の総合的な満足度がもっとも高くなる商品を能力で探した。
「結局大手メーカーに落ち着くのね」
成実の性格や生活習慣、続けやすさ、騒音、置き場所、耐久性、ゲームや動画を見ながら使えるかどうか。
現在分かる条件から予測された一台を、そのまま注文する。
届いた日の仕事が終わった後、動画を見ながら漕いでみた。
最初は様子を見るだけのつもりだったが、気づくと二十分以上経っており、しばらく続けてもそれほど苦にならなかった。
「これなら続くかな?」
運動だけを目的に三十分頑張れと言われれば面倒だが、ついでなら話は別だった。
(やっぱり能力めっちゃ便利。買い物で失敗すること、基本なくなるな)
エアロバイクを何日か続け、昼休みのウォーキングも習慣になったところで、食事にも能力を使うことを考え始める。
歩く時間を増やしたとはいえ、食べる量が以前と同じなら減る速度にも限度があるからだ。
「通勤無くなってるもんな、やっぱり食う方減らさないとダメか」
余分な脂肪を直接消すことはできるか調べてみたところ、できることが分かった。
ただ、人体にそのまま手を入れるとなると、安全かどうかを成実自身では判断できない。
「能力の確認はするけど身体のことだしそれだけだとちょっと怖いもんな。医者に相談とか……。そこまではまだいいか」
能力で確認すると、脂肪だけを急に消すより、食事量や活動量を調整し、身体が本来持っている働きを補助する方が負担も小さいと出た。
「知り合いに急に痩せたのとか説明できないし。能力で記憶書き換えとかはちょっとな。あとやっぱり何でも直接介入は良くないってことなんかな」
食べ物をまずくしたり、好物を禁止したりするのは続かない。
そこで一口目を普段よりおいしく感じ、食べ進めるほど満足感が落ち着いていくように調整した。
「制約と誓約みたいなもんだな。一口目の満足感を2倍に。二口目は元のまま。その後は徐々に低下。さて、どうだ」
最初に試した食事では、一口目がはっきりとうまかった。
二口、三口と進めても味が嫌になるわけではないが、半分を過ぎる頃には、まだ食べられるという感覚と、もう十分だという感覚が一緒に出てくる。
皿に残った分を見ても惜しいとは思わず、無理に箸を置いた感じもなかった。
「便利だな、これ。美味いもの食った結果、量が減るのがいい」
翌日も同じように食べられたので、そのまま続けることにした。
一口を味わうためよく噛んで食べるようになったのが思わぬ副産物だった。
そんな感じで、ダイエットは順調にスタートを切った。
リモートが開始して半月ほど後。成実は友人の蔵多鷹之(くらた たかゆき)と街中華の店に入っていた。
蔵多は大学時代からの友人で、卒業後も連絡が途切れず、ときどき二人で飯を食う。
現在でも仕事終わりに都合が合えばこうして待ち合わせることも珍しくない。
「俺はこの牛肉とにんにくの芽のオイスターソース炒めと、塩焼きそばお願いします」
店員に注文を伝えた蔵多は、相手が離れるまで丁寧な口調を保ち、見えなくなった途端に椅子の背へ身体を預けた。
「疲れた」
「お疲れ」
蔵多がワイシャツの首元を緩めて、水で乾杯する。
お互いそれほど酒は飲む方ではない。
「あー、水うめー。……今日は朝から外だったんだよ。暑いし、客の上司が出て来ちゃってすげえ時間かかってんの」
「営業も大変ネ」
「ちょっと一昔前の中国人キャラっぽくてウケる」
そんなことを言いながらしばらく近況報告やとりとめもない話をしていると、少しずつ注文した品が届き始める。
「そういえば、退職する話ってしたっけ?」
「マジで? 初耳だわ。何かあったのか?」
「いや、最近ちょっと自信ついて今の会社に何も考えず居続けるのもなって思ってさ」
そこまで言うと、蔵多はしばらく成実の顔をじっと見た。
「まあでも元気そうだし、前向きな退職ならいいことなんじゃね? あ、ありがとうございます。皿も助かります」
相変わらず、人前だとパリっとする男だなと成実は思った。
「「いただきます」」
成実は半チャーハンを一口食べ、意識せずにいつもより長く噛んだ。
家で食べるときとは違うが、最初の一口を強くおいしく感じる調整は外食でも働いている。
味を確かめるうちに、向かいから蔵多がこちらを見ていることに気づいた。
「何」
「いや、めっちゃうまそうに食うじゃん」
「うまいからな」
「そりゃいいことだ。いや、何で半チャーハンなんだよ。前は大盛だっただろ」
蔵多は注文の時から若干変な顔をしていたが内容に引っ掛かりがあったらしい。
長く一緒に飯を食べているだけあって、まだそれほど変わっていない体型には気づかなくても行動の違いにはすぐ気づいたようだ。
「最近、同じものを大量に食うより、いろいろ少しずつ食べた方が満足するって分かった」
「急に女子みたいなこと言い始めたな。まあチャーハン半分になった代わりにおかずはいつもより品数多いか?」
「俺半分ずつでいいから残り食っていいよ」
「満漢全席でもやる気かよ」
「それにはもう10皿くらいほしいな」
軽口をたたきながら食事を進める。
食べ進めるにつれて最初の強いおいしさは落ち着いていくが、新しいものに移るとまた強烈な美味しさを感じる。
半チャーハンでも足りない感じはせず、家以外でもこの方法は問題なく使えそうだった。
食べ進めて、残りが少なくなってくると話の流れで蔵多が質問してきた。
「次、何食う?」
「もう次の話?」
「最近ずっと中華か焼肉じゃん」
「男同士だとそんなもんじゃね?」
「焼肉はここんとこ、誕生日の分がないからな」
彼女がいない年は、誕生日に互いに焼肉を奢る。
どちらが言い出したのかも覚えていないが、蔵多には二年ほど付き合っている彼女がいるので、ここしばらくは対象外だった。
「別に彼女がいても奢ってくれていいんだぞ」
「何で二人から祝われようとしてるんだよ」
「多い方がいいだろ。あ、そういえば夏休みに彼女連れて俺の実家に行く予定なんだよな」
友人のことは特に能力で調べてはいなかった。普通に知らない情報も出てくる。
山朽の件の後から親とかに設定していた、重大事項の通知セットだけつけておこう。
「実家か、まあそういう歳かもな」
「親が一回顔見せろって。夏帰るって言ったら、じゃあ一緒に連れて来いって言われた」
蔵多はいいやつだ。彼女とは1回しか会ったことは無いが普通に幸せになってほしい。
「話進んでるじゃん」
「進んでない。会って飯食うだけ」
蔵多の言い方としては、親に紹介したら即結婚とかそういう話ではなさそうだ。
「もう二年くらいだろ。実家まで連れていくとなると結構そういう流れな気がするけど」
「俺としては別に結婚はしてもいいんだけどな。今回はまだそういう挨拶じゃないって」
「結婚してもいいとは思ってるんだ」
「何だよ」
「いや、お前の言い方が軽いから」
「二年付き合ってるんだから、それくらいは思うだろ。でも親に会わせるのとは別の話」
蔵多はそう言って成実の残りの酢豚を取り、パイナップルだけまとめて成実の皿へ置いた。
「肉に果物許せん」
「俺もそれほど好きじゃないけど普通に食えるだろ。でも単体だとキツい」
「まあまあ、食っとけ食っとけ」
話を聞く限り、彼女を実家に連れて行く件は普通の顔見せより少しちゃんとした挨拶に思えた。
だが、蔵多本人はそれほど気にしていないようだった。
そして蔵多はそこは深堀りせず、夏休みの新幹線がどれだけ混むか、指定席が取れなければどうするかという話を始めた。
実家へ彼女を連れていくことより、座って帰れない可能性の方が本人には大きな問題らしい。
それから二週間ほどで、引継ぎはほぼ終わった。
ダイエットの方もリモート期間の一か月で三キロ進んだ。
見た目が別人になるほどではないが、ベルトの穴は一つ内側へ変わった。
会社で、後輩と作った資料を最終確認する。
過去の障害対応、顧客ごとの注意点、設計書に書かれていない判断基準。
質問に答えながら一通り見てもらったが、新しく追加するものはほとんどなかった。
「これで、たぶん大丈夫だと思います」
「たぶんでいいよ。分からなければ課長に聞いて」
「逢河さんには?」
「明日から有休だから、まず課長」
「本当に一か月休むんですね」
「そのために引継いだんだから」
後輩は資料を閉じてから、成実を見た。
「逢河さん、ちょっと痩せました?」
「んー、三キロくらいかな」
自分ではベルトの穴や体重計で変化が分かるが、三キロ程度で他人にも気づかれるとは思っていなかった。
「よく分かったな」
「逢河さん、前から結構見てるんで」
こいつが女子だったらよかったのだが、残念ながら男だ。
「怖い言い方するなよ」
「仕事の話です。前に、俺も勘ほしいっすって言ったじゃないですか」
「ああ」
客先が水曜までに欲しがっていたものを、話し方から画面だけでよいと判断したときのことだ。
成実自身は能力で確認した結果だったので、適当に勘だと答えていた。
「あの辺から、逢河さんが客の話聞くとき何を見てるのかとか、資料どう作ってるのかとか、気にするようになったんですよ。
今回の引継ぎ資料も、答えだけじゃなくて、どこで判断するかとかまで色々書いてるじゃないですか」
「そうだった?」
「そうですよ。自分、最近は真似できるところは真似してました」
後輩がそこまで自分の仕事を見ていたとは知らなかった。
手本を見せようとかの気持ちで働いていたわけでもないが、悪い気はしない。
一つくらい、実際に役立つものを残してもいいか。
成実は、現在の後輩の知識と経験、担当している仕事を前提に、いま読むなら何がもっとも役に立つかを能力で調べた。
白い画面に表示されたのは、市販の専門書一冊だった。
「勉強するなら、『はじめよう! 要件定義』、読んどくといいよ」
「要件定義ですか」
スマホで検索すると、すぐに本が出てくる。
「実際上流工程にすぐに入るわけじゃないけど、知識として知ってるとそのうち役立つと思う。
欲しがってた勘に近い部分も、多少は言葉で分かるかもしれない」
「メモしときます」
「面倒だろ、リンク送るわ」
「あざす!」
夕方に端末を閉じ、机の中を確認する。
私物はほとんど持ち帰っていたので、残っていたのは予備の充電ケーブルと、いつ入れたか分からない飴くらいだった。
正式な退職日は一か月先で、社員としての籍もまだある。それでも、ここへ来て仕事をするのは今日が最後になる。
仕事が全て終わると、定時後に課長を中心とした数名で送別会が開かれた。
退職理由については、個人で仕事を始めるためという説明になっている。
実際、何をするかはまだ決めていないが、能力を使って生活するので会社員を辞めますとは言えない。
「最初は何作るんですか?」
「小さいアプリからやってみようと思ってる」
「いまどき売れる勝算あるの?」
「わかんないから、出したら買ってよ」
「使うものだったら金額次第で考えときます」
ほかにも何人かから今後について聞かれ、いくつか企画書っぽいものは作ってあるので、簡単なものから進めるつもりで1年とか見て無理なら再就職予定と答えた。
曖昧な説明だったが、独立する人間がすべて決めてから辞めるとも限らないので、それ以上追及はされなかった。
「まあ、今のお前なら、個人でうまくいかなくてもどこかでやれるだろ」
隣に座った間藤が言った。
「今の俺なら、ですか」
「前までだったら正直もっと引き留めてたぞ」
「正直ですね」
「褒めてんだよ。任せられる仕事も増えたし……。普通に転職してもいいとこいけるだろ」
「自営業が失敗する前提に聞こえますけど」
「失敗しても戻れるって話だ。それくらいの逃げ道はあった方がいい」
会社へ戻ってこいとは言わないところが、間藤らしかった。
「困ったら相談くらいは乗る。仕事を回せるかは別だけどな」
「そこまで期待してませんよ」
「少しは期待しろよ」
「じゃあ、困ったら連絡します」
「有休中のこっちからの連絡は嫌がるくせに」
「緊急時はちゃんと対応しますって」
間藤は呆れた顔をしたが、否定はしなかった。
送別会が終わり、成実は自宅へ戻った。明日の予定を確認しようとして、会社へ行く必要がないことを思い出す。
スマートフォンの時計を開く。平日の朝に設定してあったアラームを、まとめてすべてオフにした。
明日からは、起きる時間を決めなくていい。