魔法生物飼育員は今日もかわいいに忙しい ~大学教授に紹介された最初の担当は、手のひらサイズの小竜でした~   作:パラレル・ゲーマー

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【挿絵の軽量化について】
これまで掲載した挿絵を、読み込みやすいよう軽量化しました。
画像を開くのに時間がかかっていたことに今まで気づかず、申し訳ありませんでした。
少しでも快適に、魔法生物たちの姿を楽しんでいただけたら嬉しいです。





第24話 手のひら小竜にトンネルを用意したら、出口から顔だけ出してきたらしい

 日曜日の朝、午前八時過ぎ。

 カーテンの隙間から差し込む冬の柔らかな日差しの中で、水野拓海はいつものように飼育ケージの前に立ち、朝の環境点検を行っていた。

 

 温湿度計の数値よし、マナ簡易測定器のランプよし。

 そしてケージの上部、高所休息棚の屋根の上に目を向けると、そこには赤銅色の小さな身体がちょこんと丸まっている。

 昨日の土曜日、研究センターの屋外区画へ出かけた時には、自分の前脚で地面の土を掘り、鼻先から頬まで茶色い泥だらけになったルリだ。

 しかし、一晩明けた今朝のルリは、どこにも土の跡など残っていない綺麗な姿で過ごしている。艶のある細かな赤銅色の鱗に、わずかに覗くクリーム色の腹面。そして、朝の光を受けて澄み渡る大きな瑠璃色の瞳。

 

「……昨日はあんなに顔中泥んこだったのにな。今朝はすっかり綺麗なお澄まし顔じゃないか」

「きゅ?」

 

 ルリが屋根の上から、不思議そうに首をこてんと傾げる。

 

「いや、泥がついてない普段の顔も、もちろんめちゃくちゃかわいいけどさ」

 

 拓海は思わず頬を緩めながら、ケージの中と部屋の周囲へと視線を巡らせた。

 高所休息棚のすぐ横に増設した宝物箱には、いびつなコルク片と、白い丸石と、どんぐりの帽子の三点が今日もきちんと収まっている。

 学習机の右脇を見れば、十八センチ×十四センチの小さな専用席があり、机の下の引き出しには、先日ころころと転がし合って遊んだ無塗装の木球がしまってある。

 

 少しずつ、この部屋の中にルリが自分の意思で選んで使える場所や道具が増えてきていた。

 そんな部屋を見渡しながら、拓海はふと顎に手を当てて考えた。

 

「……今度は、今までとちょっと違うタイプの場所を作ってみるか」

 

 これまでに用意してきた設備を振り返ると、高所休息棚にせよ、室内の安全着地点にせよ、基本的には「上へ登って見渡す場所」や「平らな面の上で休む場所」ばかりだった。おもちゃも、転がしたり運んだりするものが中心だ。

 もちろん、昨日土を掘ったからといって、ルリが狭い穴ぐらを求めていると短絡的に結びつけるつもりはない。そもそも最初は、床に置いたドーム型の寝床には入らず、見晴らしのいい屋根の上を選んだ個体だ。

 ただ、行き止まりの閉鎖空間ではなく、屋根の下を自分の足で通り抜けられるような『通路』が机の上に一つくらいあっても、新しい探索の選択肢として面白いかもしれない。

 

「……よし。今日は日曜日で時間もあるし、小さなトンネルでも作ってみるか」

 

***

 

 朝食と洗濯を済ませた拓海は、机に向かってノートを開き、簡単な設計図を描き始めた。

 

 まず一番に考えなければならないのは、ルリの身体に対する余裕だ。

 ルリの全長は、鼻先から尻尾の先まで十から十二センチほど。ただ、四本の脚だけでなく、背中には一対の皮膜翼が畳まれている。

 身体がギリギリ通るだけの狭い筒にしてしまえば、大切な翼膜が内壁に擦れてしまうし、途中で向きを変えられずに詰まってしまったらパニックを引き起こす危険がある。

 

「翼を畳んだ状態でも上に十分な隙間があって、しかも途中で気が変わったら中でくるっとUターンできるくらいの幅が要るよな……」

 

 シャープペンシルを走らせ、具体的な寸法を書き出していく。

 全長は、ルリの体長の二倍近い約二十二センチ。長すぎて内部が真っ暗になるのではなく、入り口から向こう側の出口の明かりがちゃんと見える長さだ。

 内側の幅は約十三センチ、天井までの高さは約九センチ。これだけ空間があれば、背中の翼が少し浮いても天井には当たらないし、通路の真ん中で方向転換することもできる。

 

 構造は、両端が完全に開いた四角い屋根付きの通路――つまり、左右の側壁と平らな天井だけがある形にした。

 底面はあえて作らない。いつも机の上に敷いている観察マットの上にそのまま被せるように置けば、足元の感触は普段と変わらず、入り口の段差につまずく心配もないからだ。

 材質には、以前大学の工作実習室から譲り受けた、安全確認済みの無塗装の軽量板材の残りを使う。角や縁はすべて紙ヤスリで丸く削り、外側の下端には滑り止めを設けて、ルリが前脚で触れたり寄りかかったりしても動かないようにする。

 そして万が一、ルリが中で動けなくなったり異常が起きたりした際には、拓海が外側から覆いごと真上に持ち上げて、即座に取り除ける構造にしておく。

 

 図面を描き終えた拓海は、そこに記された箱型の通路を見て、ぽつりと呟いた。

 

「……これ、トンネルっていうか、小さな屋根付き通路だな」

 

 そして、そこまで考えたところで、ふと過去の記憶が脳裏をよぎった。

 かつて、半開放型の木製シェルターを作ってケージに設置した日のことだ。あの時、拓海は当然ルリが「中」に入って休むものだと思っていたのに、ルリは中を一度覗いただけで、そのままよじ登って「屋根の上」を寝床にしてしまったのである。

 

「…………」

「……これ、せっかく通路として作っても、また上に乗られて終わったらどうしよう」

 

 拓海は一人で苦笑いを浮かべた。

 もちろん、ルリが天井の上を新しい展望台として使うなら、それはそれで安全な選択肢の一つとして構わない。どこをどう使うかはルリ自身が決めることだ。

 ただ、これから板を切ってヤスリがけをする制作者のささやかな本音としては、やっぱり一度くらいは「中」を通ってみてほしいという願いもあった。

 

 工作を始める前に、拓海はスマートフォンを取り出し、八咫烏指定の暗号化アプリで榊原教授に設計案の確認メッセージを送った。

 

『先生、お疲れ様です。今日、室内用の新しい選択肢として短いトンネルを用意しようと思うんですが』

 日曜日の昼前だったが、数分で榊原から返信が返ってきた。

『トンネル?』

『完全な筒ではなくて、両端が開いた屋根付きの通路みたいなものです。全長二十二センチ、内幅十三センチ、内高九センチで、中で方向を変えられるくらいの幅は取ります』

『なるほど。材質と設置方法に問題がなければ、短時間の提示ならよさそうだね』

『底面は作らず観察マットの上に置く形にして、もし中から出てこなくなったら、覆いはそのまま上に外せます』

『うん。無理に通らせないことと、出入口を塞がないことには気をつけてね』

『了解です』

 

 実務的な確認を終えたあと、拓海は思わずもう一文だけ付け加えて送信した。

『ちなみに、前に寝床を作った時は屋根の上に寝られました』

 すると、すぐに返信が来た。

『ははは。今回も上を選ぶかもしれないね』

『先生までそれ言います!?』

 

 軽いやり取りで笑いつつスマホを置き、拓海は部屋の隅に新聞紙を広げて、丁寧な工作作業へと取り掛かった。

 

***

 

 日曜日の夜、午後七時前。

 夕食と片付けを終えた拓海は、室内の安全確認を一通り済ませてから、完成したばかりの『小型探索トンネル・試作一号』を机の上へと運んだ。

 

 机の中央には、幅四十センチ、奥行き二十センチの観察マットが敷かれている。

 拓海はそのマットの長辺に沿うような向きで、中央にトンネルをそっと設置した。

 椅子に座った拓海から見て、左側に一つ、右側に一つ、四角い出入口が開いている配置だ。トンネルの周囲にはルリが歩ける十分な余白があり、机の縁からも安全な距離を確保してある。右脇にある十八センチ×十四センチのルリ専用席への移動経路も一切塞いでいない。

 

 上から指で軽く押してみるが、下端の滑り止めのおかげでピタリと安定しており、揺れや傾きもなかった。

 

「……よし。これなら右からでも左からでも、どっちからでも入れるな」

 

 机の左側に固定した認可撮影端末のレンズ位置も調整する。

 覆いがあるためトンネルの内部すべてを映すことはできないが、外側の様子と、左右の出入口から出入りするルリの動きは一台でしっかりと記録できる角度だ。

 

 録画を開始し、いつもの手順でケージのスライド窓を開け、短い固定足場を設置した。

 

「さて、ルリ」

 

 拓海はケージの中を見上げた。

 

「……今日は机の上に、ちょっと新しいものがあるぞ」

 

 高所休息棚の屋根の上にいたルリが顔を上げ、枝を伝って降りてくる。

 とて、とて。

 固定足場を歩いて机の上へ出てきたルリは、中央に置かれた見慣れない屋根付きの通路をちらりと見たが、すぐには近づかなかった。

 そのまま手前側を通り過ぎ、まずはいつもの右脇の専用席へと向かい、マットの上に四脚を乗せて一度身体を低くした。

 

「……まずはそこなんだな」

 

 拓海は椅子に座りながら、小さく笑った。

 新しいものがあっても慌てず、いつもの習慣から始めるのがルリのペースだ。拓海は手を伸ばして誘導したりせず、静かに見守った。

 

***

 

 数分後。

 専用席で落ち着いていたルリが、すっと四脚を立てて立ち上がった。

 専用席のマットから降り、とて、とてと机の中央へ向かって観察マットの上を歩き始める。

 そのすぐ前方にあるのは、新しく置かれた木製のトンネルだ。

 

 ルリがトンネルの手前でピタリと立ち止まった。

 

「……お?」

 

 拓海は姿勢を変えずに視線を向ける。

 ルリはまず、トンネルの手前側の側壁へと小さな鼻先を寄せた。

すん。

 見慣れた無塗装の木の匂いを確かめるように鼻を動かし、右の前脚を持ち上げて、壁の表面を、ちょい、と軽く突く。

 壁面に触れるが、もちろん動かない。

 するとルリは、首をぐっと上へ持ち上げ、天井の端を見上げるように頭を動かした。

 

「……上じゃないぞ」

 

 拓海は思わず小声で呟き、すぐに付け加えた。

 

「いや、別に上でもいいんだけどさ」

 

 幸い、ルリはそのまま屋根へよじ登ろうとはしなかった。

 壁際からトテトテと左へ数歩移動し、左側の開口部へと向かう。

 四角く開いた入り口の前で立ち止まり、少し影になっている内部へと鼻先を近づけた。

 

すん、すん。

 そして、四本の脚は入り口の外に残したまま、首だけをすっと前へ伸ばして――。

 

ひょこ。

 

 小さな頭だけを、トンネルの中へと入れた。

 

「…………おお」

 

 拓海が息を潜める。

 ちょこんと生えた二本の小さな角と、赤銅色の頭。

 その後ろには背中に畳まれた翼と、踏ん張っている小さな四脚、そして短い尻尾。

 ルリの顔だけが、すっぽりと屋根の下へ消えている。

 

「……入るか?」

 

 拓海が期待して見守った、次の瞬間だった。

 

すぽっ。

 

 ルリがあっさりと首を引き、頭をトンネルの外へと引っ込めた。

 

「…………」

 

 拓海は机の前で固まった。

 

「……顔だけ?」

 

 ルリは入り口の前で一度だけ首を動かすと、何事もなかったかのようにくるりと向きを変え、側壁の方へと数歩移動してしまった。

 

「…………」

「……まだお試しなのか」

 

 いきなり通り抜けてくれるわけではないらしい。ただ、頭だけ突っ込んで引っ込めただけなのに、その慎重なんだかマイペースなんだか分からない仕草がすでに愛らしかった。

 

***

 

 ルリはしばらくトンネルの側面に沿って歩いたあと、もう一度くるりと向きを変え、再び左側の入り口へと向かった。

 

すん。

 入り口に鼻先を入れる。

 今度は頭だけでなく、右の前脚も一歩、内部へと踏み出した。

 

ぺた。

 続いて左の前脚も屋根の下へ続く。

 

「……お?」

 

 拓海は机に両肘をつかず、少し離れた位置からじっと見守った。

 ルリの小さな上半身がトンネルの中へと入っていき、そのまま後ろ脚も前へと進む。

 背中に畳まれた翼が壁に触れることなく通過し、短い尻尾が後に続く。

 そして最後に、その尻尾の先が――。

 

すぽん。

 

 トンネルの暗がりの中へと、完全に消えた。

 

「…………入った」

 

 拓海は思わず呟いた。

 

「……全部入った!」

 

 今まで机の上に見えていた小さな竜が、視界から完全に姿を消した。

 もちろんトンネルは両端が開いており、危険な隙間へ入り込んだわけではない。いつでも上から覆いを外せる安全設計だ。

 それでも、机の上の探索中にルリの姿が人間の目から完全に隠れるというのは、それだけでとても新鮮な光景だった。

 

 左側から入ったのだから、そのまま歩けば右側の出口へと抜けてくるはずだ。

 拓海は視線を右へと移し、トンネルの右側の出口を見つめた。

 

「……こっちへ出てくるかな?」

 

 数秒が過ぎる。

 しかし、右側の出口からは何も出てこない。

 

「…………」

 

 さらに数秒。

 静かな部屋の中で、トンネルの内部から、かすかに小さな爪先が観察マットへ触れるような音が聞こえてきた。

 

とて。

とて。

 

 中で歩いている。

 そして、右側の出口の暗がりの奥に、何かがちらりと見えた。

 赤銅色の、小さな鼻先。

 

「…………!」

 

 拓海は思わず息を呑んだ。

 

***

 

 右側の出口。

 薄暗いトンネルの奥から、ルリの鼻先が少しずつ、ゆっくりと現れる。

 まず、赤銅色の小さな鼻の頭。

 次に、丸みのある額と、屋根の下に収まった二本の短い角。

 そして――。

 

ひょこっ。

 

 大きな瑠璃色の瞳が、出口の外へと現れた。

 

「…………」

 

 拓海は、完全に沈黙した。

 ルリは身体の大部分をまだトンネルの中に残したまま、頭だけを出口からひょっこりと突き出している。

 暗い通路の中に浮かび上がる赤銅色の小さな顔。外のデスクライトの光を受けて、大きな瑠璃色の瞳がきらりと鮮やかに輝いた。

 

 

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「…………っ!」

 

 拓海の口元が、どうしようもなく緩んでいく。

 

「……ルリ」

「きゅ?」

 

 屋根の下から響く声は、いつもよりほんの少しだけこもって聞こえた。

 

「…………」

「……それはずるい」

 

 何がずるいのか、自分でもよく分からない。ただ、あまりにもかわいすぎた。

 ルリは頭を出したまま、右の前脚を少しだけ前へ出した。

ふみ。

 開口部のすぐ縁のマットへ、小さな前脚を乗せる。だが、後ろ脚はまだ通路の中にある。顔と片方の前脚だけが外に出て、身体の残りはすっぽりトンネルの中だ。

 その状態で、ルリは頭を少し左右へ動かして、外の様子をキョロキョロと見渡している。

 

 人間からすれば、ただの小さな板の囲いに過ぎない。

 けれど手のひらサイズのルリにとっては立派な屋根付き通路であり、その四角い出口が、まるでルリの顔だけを飾る小さな額縁のようになっていた。

 

「……あの」

 

 拓海は思わず、小声で問いかけた。

 

「……そこから出てこないの?」

 

 ルリが屋根の下で、少しだけ首を傾げる。

 

「きゅ?」

「…………」

「……いや、別に出てこなくてもいいんだけど」

 

 もう笑いがこみ上げてきて止まらなかった。

 

(……なんだこれ)

(ただ出口から顔を出してるだけなのに、めちゃくちゃかわいいぞ)

 

 手のひらに乗っている時とも、専用席にいる時とも違う、隠れ家から顔だけ覗かせる小動物のような愛らしさ。

 

「……そんなところから見上げられたら、俺、何もできないだろ」

 

 もちろん、拓海が何もできなくなっているのは完全に拓海本人の問題であり、ルリはただ普通に出口で立ち止まっているだけだった。

 

***

 

 右側の出口から顔を覗かせていたルリだったが、しばらくすると、縁に乗せていた前脚をすっと奥へ引っ込めた。

そして。

 

すぽっ。

 

 出ていた頭までが、そのままトンネルの中へと消えた。

 

「あっ」

 

 拓海が思わず声を漏らす。

 

「……もう戻るの?」

 

 右側の出口には、もう何も見えない。

 拓海は無理に上から覗き込んだりせず、少し離れた位置のまま待った。

 すると、トンネルの内部で何かが小さく動く気配がした。

 

とて。

とてとて。

 

 中で足音が移動している。

 数秒後。

 

「…………ん?」

 

 今度は、拓海から見て左側の開口部の奥に、赤銅色のものが見えた。

 

「……え?」

 

そして。

 

ひょこっ。

 

 ルリの小さな顔が、今度は左側の出口から現れたのだ。

 

「…………!」

 

 拓海は勢いよく左へと視線を向けた。

 

「……そっち!?」

 

 ルリは左側の出口から頭だけを出し、大きな瑠璃色の瞳で周囲を見ている。

 

「お前、さっき右から出てきただろ!?」

「きゅ?」

「……今度は左なの?」

 

 ルリは少しだけ頭を動かす。

 拓海は思わず右の出口を見た。当然、何もいない。

 もう一度左の出口を見る。ルリの顔がある。

 

「…………」

「……中で向きを変えたのか?」

 

 トンネルの内部での動きは外からは見えない。だが、左側から入り、右側で顔を出したあと、今度は左側から顔を見せたということは、通路の中で方向転換したのは明らかだった。

 そもそも、内部で無理なく向きを変えられるようにと幅十三センチで作ったのだ。

 

「……ちゃんと中で動けるんだな」

 

 設計通りに機能していることに少し安心し、それから拓海は再び頬を緩めた。

 

「……それにしても、こっちから出てきてもかわいいな」

 

***

 

 左の出口から顔を出しているルリの様子を見ながら、拓海はすっかり笑顔になっていた。

 

「……いやあ、いいもの作ったなあ」

 

 我ながら大満足の出来栄えだ。

 しかし、拓海が悦に入っていると、ルリはまたしても、すぽっ、と頭をトンネルの中へと引っ込めた。

 

「……あっ」

 

 再び机の上からルリの姿が見えなくなる。

 左から引っ込んだということは、次はまた右へ行くかもしれない。拓海は視線を右側の出口へと戻した。

 

 しばらくして。

 右側の出口の暗がりで、何かが動いた。

 

「……お?」

 

 赤銅色の、小さく細長いもの。

 

ぴこっ。

 

 それが出口の端で小さく揺れた。

 拓海が思わず身を乗り出しかける。

 

「……来た?」

 

 もう一度。

ぴこ。

 

「…………」

 

 拓海は目を凝らしてよく見た。

 大きな瞳もない。角もない。

 右側の出口からちょこんと外へ覗いていたのは、ルリの『短い尻尾の先』だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…………」

 

 数秒間の沈黙のあと、拓海は声を上げた。

 

「……そっちは尻尾かよ!」

 

 もう笑うしかなかった。

 トンネルの全長は二十二センチあるため、左から顔を出したまま右から尻尾が出ることはない。どうやらルリは、内部で右側の出口近くまで移動し、そこで反対側(左向き)を向いて立ち止まったらしい。その結果、身体はまだ通路の中にあるのに、お尻の先の短い尻尾だけが右の開口部からぴこっと覗く状態になったのだ。

 拓海が期待して待っていた瑠璃色の瞳は、右側のどこにも見えない。

 

「……いや、尻尾だけでもかわいいけど!」

 

 拓海が笑いながら突っ込むと、その尻尾の先が、すっと中へ引っ込んだ。

 

「……あっ」

 

 右側の出口が空になる。

 拓海は慌てて左側の出口を見た。しかし、左からもまだ顔は出てこない。

 右を見る。左を見る。

 

「…………」

「……俺、どっち見てればいいんだ?」

 

 拓海はもう一度二つの出口を見比べた。今度はどちらから何が現れるのか、さっぱり見当がつかない。

 

***

 

 トンネルの右端と左端を交互に見比べる拓海。

 右を見る。何もいない。

 左を見る。やはり何もいない。

 

「…………」

 

 拓海は小さく息を吐いた。

 

「……今度こそ、顔が出てくるかな」

 

 通路の中から、時折小さな足音が聞こえる。ルリが今どちらを向いているのかは、外からは分からなかった。

 

 そんなことを考えていると。

 左側の開口部から。

 

ひょこ。

 

 またしても、小さな赤銅色の顔が現れた。

 

「…………あ」

 

 ルリが頭を上げる。

 大きな瑠璃色の瞳が、真っ直ぐ拓海の方を向いた。

 

「きゅ?」

「…………」

 

 拓海は片手で口元を押さえた。

 

「……だから、それ、かわいすぎるって……」

 

 しかし、今度のルリは顔を出しただけでは止まらなかった。

 右前脚を前へ出し、左前脚を踏み出す。

 続いて、クリーム色の腹面と、背中に畳まれた翼、後ろ脚、そしてさっき右側から覗いていた短い尻尾までが、順番にトンネルの外へと出てくる。

 

「……おお。やっと全部出た」

 

 ルリは左側の入り口のすぐそばで一度立ち止まった。

 それから、とて、とて、とて、といつもの落ち着いた足取りで観察マットの上を歩き始める。

 向かった先は、机の右脇。

 いつもの十八センチ×十四センチの専用席だった。

 マットの上へ四脚を乗せ、くるりと向きを変えると、ぺたん、と身体を低くする。

 

「…………」

 

 拓海は、中央に残されたトンネルと、右脇のルリの席を交互に見た。

 

「……終わり?」

「きゅ」

「…………」

「……えっ、もう?」

 

 ルリは専用席で身体を低くしたまま落ち着いており、再びトンネルへ戻ろうとする様子はない。

 拓海は思わず笑ってしまった。

 

「……俺、まだ右からも左からも顔出してほしかったんだけど」

 

 しかし、ルリがこれで満足して終わりにしたのなら、それでいい。無理にトンネルの前へ戻したりはしない。

 

「……まあ、そうだよな。お前のトンネルだもんな」

 

 本来はルリのために用意した通路だ。どれだけ入って、いつ出るかはルリ本人が決めることである。

 拓海は最後にもう一度だけ、机の上のトンネルを見た。

 並んだ二つの出口。もちろん、もうどちらの暗がりにも小さな顔はない。

 

「…………」

「……あのひょっこり、もう一回見たいなあ」

 

 拓海は名残惜しそうに、二つの出口が並んだ小さな通路をもう一度眺めた。

 

***

 

 やがて予定していた夜の探索時間が終了し、ルリは専用席から立ち上がると、固定足場を通って自発的にケージへと戻っていった。

 拓海はスライド窓を施錠し、安全を確認してから、机の上のトンネルを撤去した。

 板の表面や角に傷や破損はなく、内部のマットにも異常はない。保管箱へしまう前に綺麗に拭き掃除を済ませておく。

 

 それから拓海は、机の左側に設置していた認可撮影端末を手に取り、録画データを確認した。

 画面には、トンネルが置かれた観察マットが映っている。

 左側からルリがすぽんと中へ入り、しばらくして右側の出口から、ひょこっ、と顔だけを出す。

 

「…………っ」

 

 画面越しに見ても、拓海の口元は勝手に緩んでしまう。

 次に、引っ込んだルリが反対の左側から顔を出すシーン。

 

「……うわ、こっちもかわいい」

 

 そして、右側の出口から短い尻尾の先だけが、ぴこ、と現れる場面が再生された。

 

「…………ふっ」

 

 とうとう笑いが漏れた。

 

「……これ、映像で見ると余計に面白いな」

 

 もちろん固定カメラが一台だけなので、覆われたトンネル内部での詳細な動きは映っていない。それでも、左右の開口部から顔や尻尾が現れる瞬間と、その手前で見守っている拓海の姿は、きちんと記録されていた。

 

 拓海は動画を一通り見直したあと、紙のバインダーを開いて正式な観察記録を書き始めた。

 

『提示対象:両端開放型の小型探索トンネル(全長約22cm、内幅約13cm、内高約9cm)』

『個体、机上探索中に対象へ自発的に接近。外面への鼻先接近および前肢接触を確認』

『左側開口部から頭部のみを短時間進入させた後、退出』

『再び左側開口部から進入し、四肢・胴体・尾部を含む全身が通路内へ移動』

『その後、右側開口部から頭部および前肢の一部を露出』

『いったん通路内へ後退した後、左側開口部から頭部を露出』

『さらに右側開口部から尾部先端のみが露出する様子を確認』

『最終的に左側開口部より全身退出。机上右側の既存専用マットへ移動』

『通路内での継続滞在、位置変更を確認。内部での詳細な身体動作は直接観察できず』

『個体の通路利用中、滑落・転倒・翼膜への引っ掛かり等の異常なし』

 

 備考欄には、『両端開放型の覆い付き通路への自発進入および利用を初観察。食物誘導、強制移動なし』と記した。

 

 そして枠外の個人用メモ欄には、もっと素直な言葉を書き添える。

 

『トンネルの右と左から、ルリが交互に顔を出した。暗いところから瑠璃色の瞳がひょこっと現れるのが、ものすごくかわいかった。尻尾だけ覗いたのもかわいかった。中でどんなふうに動いていたのか、もう少し見てみたい』

 

 書き終えてから、拓海は自分の文章を読み返した。

 

「…………」

「……あの尻尾だけの場面、やっぱり最高だな」

 

 その瞬間を思い返して、拓海は一人で小さく笑った。

 

***

 

 認可撮影端末から指定システムへ動画データを転送し終えた拓海は、スマートフォンの暗号化アプリを開いて榊原教授へ報告を送った。

 

『先生』

 すぐに既読がつき、返信が返ってくる。

『どうだった? トンネル』

『入りました!』

『おお、よかったね』

『しかも、左右の出口から交互に顔を出してきたんです!』

『……交互に?』

 

 拓海が映像の記録番号を伝えると、しばらくの間が空いた。

 数分後、通知が震える。

 

『ああ、本当だ』

『でしょう!?』

『右から顔を出したと思ったら、次は左から出てきてるね』

『そうなんです! 右から出たと思ったら左で、次はまた右かと思ったら尻尾で!』

 

 榊原も動画を見て笑っているのが分かる文面が続いた。

『しかも、ここ』

『はい?』

『右から尻尾だけ出てきてる』

『あれ、めちゃくちゃかわいいでしょう!?』

『ははは。かわいいねえ』

 

 まずは二人で素直にその愛らしさを共有したあと、榊原が専門家として確認を入れてきた。

 

『内部で引っ掛かったり、出られなくなったりはしなかった?』

『はい。自分で入って、自分で出てきました。撤去後の状態確認も問題なしです』

『うん。それなら今回の提示は良好だね。覆われた場所でも、ルリ君が自分で動いて確かめる様子が見られた』

『はい。中で立ち止まる時間もありました』

 

 次回提示した際も同じように通るとは限らないが、安全な選択肢として問題なく機能したことは確認できた。

 すると最後に、榊原が少しからかうようなメッセージを送ってきた。

 

『ところで水野君』

『はい』

『ルリ君はトンネルを探索してたんだよね』

『そうですね』

『その間、水野君は何してたの?』

『…………』

『ずっと左右の出口を見比べてたみたいだけど』

 

 画面の手前に映り込んでいた自分の動きを指摘され、拓海は返す言葉に詰まった。

 

『……気づいたら、ずっとルリの出待ちをしてました』

『ははは。君の方が、ずいぶん一生懸命だったね』

『……だって、あんなにかわいい顔で出てくるとは思わなかったんですよ』

『それは仕方ないねえ』

 

 教授にもあっさり同意され、拓海は苦笑いしながら本日の報告を終えた。

 

***

 

 夜。

 部屋にはいつもの静けさが戻っている。

 トンネルはすでに保管箱へとしまわれており、机の中央には講義ノート、右脇にはルリの小さな専用席があるだけだ。

 ケージの中では、ルリが高所休息棚の屋根の上で丸くなっている。その横の宝物箱には三つの宝物。

 何も変わらない、いつもの夜の景色だ。

 

 拓海は机に座りながら、今日の出来事を思い返していた。

 左側の入り口からすぽんと入っていった小さな身体。

 右の出口の暗がりから現れた赤銅色の鼻先と、光を受けてきらりと輝いた瑠璃色の瞳。

 そして、引っ込んだと思ったら反対側からひょこっと顔を出した姿。

 

「……あれ、かわいかったなあ」

 

 思い返すだけで、自然と笑みがこぼれる。

 

「……また通ってくれるといいけど」

 

 拓海は机の上の観察マットを見た。さっきまであったトンネルは、もうそこにはない。それでも、あの四角い出口から小さな顔が現れた瞬間の光景は、頭の中に鮮明に残っている。

 

 拓海はケージの方へと顔を向けた。

 

「……お前、出口が二つあるだけで、あんなに面白いことになるんだな」

 

 屋根の上で休んでいたルリが、顔を少しだけ上げる。

 

「きゅ?」

「……いや、お前は普通に中を探索してただけなんだろうけど」

 

 拓海は優しく笑った。

 

「俺は、どっちからお前が出てくるのか、全然分かんなかったよ」

 

 ルリは一度だけ大きな目を瞬かせると、再び顎を低くして丸い姿勢へと戻った。

 拓海もまた、自分の講義ノートへと視線を戻した。

 

 拓海は朝、トンネルの設計図を描いていた時の心配を思い出した。

 せっかく通路を作っても、ルリはまた屋根の上を選ぶかもしれない。そんなことを考えていたのだ。

 けれどルリは、自分で中に入り、右の出口から顔を出し、左の出口からも顔を覗かせた。

 時には尻尾の先だけをぴこっと見せて、拓海の予想とは違う動きをしてみせた。

 

 屋根の上ばかり気にしていた拓海は、その下にこんなにかわいい景色が隠れているとは思いもしなかった。







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