魔法生物飼育員は今日もかわいいに忙しい ~大学教授に紹介された最初の担当は、手のひらサイズの小竜でした~   作:パラレル・ゲーマー

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第8話 手のひら小竜をようやく撮影できるようになったのに、まともな写真が一枚も撮れないらしい

 火曜日。午後四時過ぎ。

 午後からの講義を終えた拓海は、足早にキャンパスを抜け、一目散に榊原研究室へと向かっていた。

 研究室のドアをノックして中に入ると、榊原が自分のデスクでコーヒーを飲みながら、拓海を待っていた。

 

「水野君。来たよ」

 

 榊原が指さしたデスクの上には、黒い艶消しの、小さな耐衝撃ケースが一つ置かれていた。

 

「…………何がですか?」

 拓海は心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、あえて期待しすぎないように、抑揚のない声で尋ねた。

「君がこの二週間くらい、事あるごとに『まだ届かないんですか』ってうるさく欲しがってたものだよ」

 榊原がケースのラッチを外す。

 

 パカッ。

 

 中に収められていたのは、少し無骨なデザインの小型デジタルカメラだった。

 スマートフォンのような薄型ではなく、しっかりとしたグリップとレンズを備えた、片手サイズの機器だ。

 

「……認可撮影端末!」

「そう。ようやく君の申請が下りて、八咫烏からの貸与品が届いた」

 

 拓海は、まるで宝物でも扱うかのように、そっとカメラを手に取った。

 ずっしりとした重み。

 裏返し、液晶画面を確認し、また表を見る。

 

「…………やっと、来た」

 

 拓海の口から、深い実感がこもった声が漏れた。

 

「そんなに待ち遠しかった?」

「先生、ルリが初めて水浴びみたいなことをしたの、一昨日ですよ?」

「ああ。記録は読んだよ」

「ああ、じゃないですよ! 鼻の先に、水滴が一個だけ付いてたんですよ!? あの時、俺がどれだけ写真撮りたかったか……」

「それは確かに、撮りたかったねぇ」

「でしょう!?」

 拓海は力強く同意を求めた。

 

 しかし、榊原はそこで少しだけ真面目な顔になり、言葉を継いだ。

「でも、水野君」

「はい?」

「一昨日の段階で、このカメラが届いていなくて良かった面もあるんだよ」

 

 拓海は首を傾げた。

「なんでですか?」

「ルリにとって、初めて浅い水皿を提示した日だったよね。そこへさらに、初めて見る黒い四角形の物体――カメラまで同時に近くに出していたらどうなる?」

「……あ」

「ルリが警戒して水に入らなかったかもしれないし、逆にカメラに興味を示して水皿を無視したかもしれない。最初の水場利用を観察する日に、未知の要素を二つも同時に追加したら、ルリが何に反応したのか正確に分からなくなるでしょ」

 

 拓海は息を呑んだ。

 確かに、その通りだ。ルリの行動観察が第一目標であるならば、環境への新規刺激は一つずつ与えるのが鉄則だった。

 

「記録を残すことと、記録を残すために条件を変えることは別だからね」

 榊原は研究者としての眼差しで拓海を見た。

「そして、これが今回のカメラ使用の最大の注意点だ。『撮るために行動させないこと』」

「……はい」

「自発的に起きた行動を撮る。写真が欲しいからといって、その行動を意図的に起こさせるような誘導はしてはいけない。あと、レンズや機械音そのものに反応する個体もいる。最初は距離を取り、フラッシュと補助光は使わない。いいね?」

「分かりました」

 

 拓海は深く頷いた。

 その後、榊原から正式な撮影ルールの説明が行われた。

 

 許可されるのは、飼育・研究・健康記録を目的とした静止画および動画の撮影。ケージや設備の状況、個体の外見的な変化、そして自発的な行動の記録だ。必要に応じた固定カメラでのインターバル撮影も可能。

 

 禁止事項は多岐にわたった。

 私物のスマートフォンでの撮影は当然禁止。この認可端末から私物端末へのデータコピーも不可能に設定されている。SNSへの投稿、家族や友人への送信、一般のクラウドサービスへのアップロード、個人的な印刷もすべて禁止。

 撮影データは暗号化された内部ストレージに保存され、指定の記録システムへだけ、安全な経路で転送が可能となっている。

 

「要するに、『可愛いから友達に見せたい!』という個人的な欲求で共有してはいけないということだ」

「……分かってます」

 少しだけ残念そうに答える拓海に、榊原はさらに追い打ちをかけた。

「あと、記録写真と『かわいい写真』は分けて考えようね」

「えっ」

「研究記録として必要なのは、個体の健康状態や、環境との関わりが正確に分かる写真だ。真正面でバッチリとカメラ目線を決めていなくても、背中の鱗の状態や、脚の接地状況が分かれば、それで記録としての価値はある」

「……カメラ目線、欲しいですけど」

「それは水野君の個人的な欲望でしょ」

 

 以前にも似たようなことを言われた気がする。

 拓海は反論できず、カメラを専用ケースに収めた。

 

 ***

 

 帰宅。

 手洗いうがいを済ませ、拓海は一直線にケージの前へと向かった。

 ルリはいつもの高所休息棚の屋根の上に座り、こちらを見ている。

 

 拓海は机の上に、ケースから出した黒いカメラをごとりと置いた。

 ルリを見る。カメラを見る。もう一回ルリを見る。

 

「ルリ」

「きゅ?」

「今日から、お前を撮れるぞ」

 

 拓海は満面の笑みを浮かべた。

 しかし、すぐにはカメラを構えない。

 まずは『カメラという新しい物体』に慣れてもらう必要がある。いきなりケージのアクリルガラス越しにレンズを突きつけたりはしない。

 

 机の上、ルリの視界に入る位置にカメラを静かに置く。

 数分間、そのまま反応を観察する。

 ルリは屋根の上から、机の上の黒い物体に頭部を向け、首を少しだけ動かした。その後も同じ位置に留まり、後退や急な姿勢変化は確認されなかった。

 

 拓海はバインダーに記録する。

『16時48分、認可撮影端末をケージ外の机上に設置。個体、端末方向へ頭部を向ける行動あり。後退・急な姿勢変化等は確認されず』

 

 よし、と拓海はカメラを手に取った。

 記念すべき、第一撮影の開始だ。

 

「一枚目、行くぞ」

 

 ファインダー代わりの液晶画面を覗き込む。

 ルリはちょうど屋根の上で、球体のように丸くなっていた。

 大きな瑠璃色の瞳。赤銅色の鱗。完璧なフォルムだ。

 かわいい。

 

(今だ!)

 

 シャッターボタンを押し込む。

 カシャッ。

 電子音が鳴った。

 

 拓海はウキウキしながら、プレビュー画面を確認した。

 

 そこに写っていたのは、見事なまでの『後頭部』だった。

 シャッターを切るほんの一瞬前に、ルリがくるっと後ろを向いてしまったのだ。

 赤銅色の背中、綺麗に畳まれた翼、短い尻尾。

 顔は一ミリも写っていない。

 

「…………一枚目」

 

 拓海は脱力した。

 だが、削除はしない。これも立派な記録の一つだ。背面の鱗の状態確認用、と言い張ればいける。

 

「次。第二枚」

 

 ルリが屋根から降りて、太い枝の上を歩き始めた。

 綺麗な横顔がフレームに収まる。

 

(今!)

 

 カシャッ。

 画面を確認する。

 

 ブレていた。

 ルリが移動中だったため、頭の部分だけがブレて残像のようになっている。翼と胴体はそこそこに写っているが、顔は判別不能だ。

 

「速い……!」

 別にルリが超高速移動したわけではない。ただ、元々が手のひらサイズと小さいため、少し頭を動かしただけでも、写真上でのブレ幅が大きくなってしまうのだ。

 

「次こそ。第三枚」

 

 ルリが枝の中央で立ち止まった。

 今度こそ。フォーカスを合わせる。

 カシャッ。

 

 画面を見る。

 枝の表面の木目が、恐ろしいほどくっきりと高解像度で写し出されていた。

 肝心のルリは、その後ろでピンボケしてぼんやりとした赤銅色の塊になっている。

 

「なんで枝にピント負けるんだよ……!」

 

 拓海の戦いは続く。

 

 第四枚。

 ついにルリがこちらを向いた。瑠璃色の大きな瞳がレンズを捉える。

(よし!)

 カシャッ。

 画面確認。

 ルリが、ちょうど瞬きをした瞬間だった。見事なまでの『半目』である。

 

「…………」

 拓海は無言で画面を見つめた。

(いや待て。これはこれで……なんか変な顔で可愛いな)

 完全に『かわいい』の基準が崩壊し始めている。普通なら削除対象の失敗写真すら、愛おしく見えてきた。

 

 第五枚。

 ルリが枝の上で、ぐーっと身体を伸ばした。

 背中の翼が一枚ずつ、少しだけ開く。

(来た、決定的瞬間!)

 カシャッ。

 

 しかし、拓海はルリを大きく撮ろうと寄りすぎていた。

 ルリの翼の先端が、フレームの外へとはみ出してしまっていた。

 全長十から十二センチしかないのに、まさかのフレームアウトである。

 

「近づきすぎた……」

 

 後頭部、ブレ顔、ピントの合った枝、半目、翼切れ。

 写真としては見事なまでの大失敗の連続だ。

 だが、拓海は一枚一枚を確認するたびに、「いや、これもかわいいんだよな……」と呟き、結局一枚も削除できなかった。

 

 ***

 

 少し時間が経過した。

 午後五時半。予定していた、短い『ケージ外探索(机上限定)』の時間だ。

 写真を撮るために外へ出すわけではない。元々、前回の初回探索に続く、環境適応テストとしてスケジュールに組み込んでいたものだ。

 

 安全確認。スライド窓を開ける。固定足場を設置。

 ルリは今回、拓海の掌を待つことなく、自発的に固定足場を使って机の上へと降り立った。

 

 とて。

 とて。

 

 カメラは、ストラップを外したうえで、机の端に置いた滑り止め付きの固定台へしっかり据えられている。

 ルリが、机の上の観察用マットを歩きながら、ふとその黒いカメラに頭を向けた。

 

(気づいた)

 拓海は息を殺した。

 ルリが、とてとてとカメラの方へ近づいていく。

 拓海は、より良い構図にしようとカメラへ手を伸ばして位置を変えたりはしなかった。まして、レンズをルリの顔へ近づけるようなこともしない。

 ただ、その場で待った。

 

 ルリが、カメラのレンズの黒い円へ顔を近づけてくる。理由までは分からない。

 すん。

 一歩。

 また一歩。

 鼻先が、どんどんレンズに近づいてくる。

 

「近い近い近い」

 拓海は小声で呟きながら、横からそっと手を伸ばし、置いたままのカメラのシャッターボタンへ指をかけた。

 

 ルリがレンズの直前で立ち止まる。

 画面いっぱい、いや、画面をはみ出すほどの巨大な瑠璃色の瞳。そして、鱗の質感まで分かりそうな鼻先。

 

 カシャッ。

 

 撮れた写真を確認する。

 画面の半分が、巨大な瑠璃色の眼球で占められていた。残りの半分は、鼻と、ピントの合っていない鱗のドアップ。

 全体像など全く分からない。

 

「…………これ、何の生物だよ」

 

 写真だけ見たら、絶対にドラゴンだとは分からない。深海魚か何かのドアップだと言われても信じそうだ。

 でも、猛烈に可愛い。拓海は一人でニヤニヤと笑った。

 

 その後も、撮影は続いた。

 尻尾の先だけの写真。翼膜の一部だけが大写しになった写真。お腹のクリーム色の鱗だけの写真。顔が見切れている写真。枝しか写っていない写真。

 

 気がつけば、撮影枚数は三十枚を突破していた。

 拓海はカメラの再生画面をスクロールさせながら、ため息をついた。

 

「…………まともなのが一枚もない」

 

 ケージ外探索の時間が終了し、ルリは再び自力で固定足場を使ってケージの中へ戻り、いつもの高所休息棚へと移った。拓海は帰還を確認してスライド窓を静かに閉め、ロックを戻した。

 

 拓海は、ここでやらかしかけた。

 屋根の上で背中を向けているルリに対し、カメラを構えながら声をかけたのだ。

 

「ルリ」

 ルリが頭を向ける。

 撮る。しかし、シャッターが遅れてまたブレる。

「ルリ、もう一回、こっち向いて」

 また呼ぶ。ルリが振り向く。撮る。また違う。

「ルリ」

 また呼ぶ。

 

 かつて、この子の日常の呼称を『ルリ』に決めた日の失敗の再来だった。

 三回、四回と無意味に名前を呼ばれ続けたルリは、やがて呼びかけても頭部を向けなくなり、前脚を舐めたり鱗の表面を整えたりし始めた。

 

「…………」

 拓海はカメラを構えたまま、動きを止めた。

 

(リンゴでも見せれば、確実に視線がこっちを向くかも……)

 

 一瞬、そんな考えが頭をよぎり、冷蔵庫の方へ視線が向いた。

 だが、すぐに思い直す。

「……いや、それは違うな」

 

 食べ物を使って、写真のために視線や姿勢を誘導する。

 安全上必要な誘導でも、健康管理上必要な誘導でもない。ただ、自分が欲しい写真のためだけにルリの行動へ介入することになる。

 拓海はカメラを下ろし、ケージの中のルリを見た。

 

「俺、何やってんだ」

 

 別に、研究記録として『完璧な正面写真』を今日中に提出しなければならないわけではない。

 今の自分が躍起になって撮ろうとしていたのは、単なる『俺がかわいいと思う写真』だ。

 それ自体は悪いことではない。

 しかし、そのためにルリに何度も呼びかけ、自分が欲しい構図へ向かせようと誘導するのは間違っている。

 

 榊原の言葉が蘇る。

『撮るために行動させないこと』

 

「…………やめよ」

 

 拓海はカメラの電源をオフにした。

 自分でカメラを構え、ルリを追うような撮影は、ここでおしまいにした。

 

 でも、落ち込んではいなかった。

 後頭部、ブレ顔、ピントの合った枝、半目、翼のフレームアウト、巨大な眼球、尻尾のアップ。

 写真として使えるかどうかは別として、どれもその瞬間のルリだった。そして、今日の撮影で自分が何をし始めていたのかに気づけたことも、無駄ではなかった。

 

 ***

 

 拓海は気持ちを切り替え、大学生としての日常のタスクに戻った。

 ノートパソコンを開き、動物行動学のレポート課題に取り掛かる。

 

 カメラは机の端に置いたままだが、ふと思いついて、榊原から説明を受けていた『固定撮影機能(インターバル撮影)』を試してみることにした。

「……これなら、俺が構えてプレッシャーをかけることもないか」

 

 ルリを追うのではなく、カメラを『ケージ全体と、よく使う枝・屋根が写る固定位置』に設置する。

 設定は、三十秒ごとに自動で一枚撮影。

 拓海はカメラの撮影開始ボタンを押し、あとは完全に放置した。もう画面すら見ない。

 

 十分。二十分。

 拓海はひたすらキーボードを叩き、課題に集中している。

 ケージの中では、ルリがカメラを意識しているのかどうかは不明だが、いつも通りの日常を送っていた。

 屋根で休み、枝を歩き、水を舐め、また枝へ。

 

 そして。

 ルリが太い枝の中ほどで、一度立ち止まった時だった。

 身体の向きは、真正面ではない。少し斜めだ。顔だけが、わずかに拓海のいる机の方向を向いている。

 翼は背中に自然に畳まれ、短い尻尾が枝に沿っている。

 赤銅色の全身。お腹のクリーム色の鱗がほんの少しだけ覗く。

 大きな瑠璃色の瞳。

 背景には、いつもの屋根、水皿、ケージのアクリル壁。

 

 カシャッ。

 

 固定カメラが、機械的に一枚の写真を撮影した。

 拓海はレポートに夢中で、その音にも気づかなかった。

 

 数十分後。

 レポートが一段落し、拓海はインターバル撮影を停止した。

 カメラを手に取り、画像を確認していく。

 

 屋根だけの写真。ルリがいない空の枝の写真。尻尾の先だけが写った写真。水皿の写真。丸まって寝ている写真。

 延々と続く無機質な記録写真をスクロールさせていき――。

 

 拓海の指が、ピタリと止まった。

 

「…………あ」

 

 その写真は、決して完璧なものではなかった。

 ルリは画面の中央にいない。少し斜めにズレている。

 片方の後脚は枝の陰に隠れているし、尻尾の先も一部見えにくい。

 カメラ目線ですらない。

 

 でも。

 拓海が毎日、自分の目で見ている『ルリ』が、そこには写っていた。

 人間が撮ろうとした『写真用のルリ』ではない。

 普通に、ただ枝の上にいる、ありのままのルリ。

 

 拓海はしばらく無言で画面を見つめ、ズームし、また戻し、もう一度全体を見た。

 

「……これだ」

 

 なぜ良いのか、拓海自身もうまく説明できない。

 真正面ではないし、構図もプロのようにはいかない。

 でも、自分が何も要求していない時の、一番自然なルリの姿が記録されている。

 

 拓海はバインダーを引き寄せ、今回は写真にも観察情報を紐付けることにした。

『18時42分、固定カメラによる自動撮影』

『個体、枝上にて静止』

『撮影時、担当者による呼びかけ・誘導等一切なし』

『翼は通常の折り畳み状態。外見上の異常なし』

 

 そして。

 拓海はペンを持ったまま、一瞬だけ『かわいい』と書きそうになった。

「いかん、これは記録じゃない」

 すぐに文字を打ち消す。

 でも、自分の頭の中では、今日撮った中で、いや、今までで一番の最高の一枚だった。

 

 拓海は認可撮影端末の転送画面を開き、選んだ画像記録を指定の記録システムへ直接送信した。

 私物のスマートフォンには画像を移さない。転送完了を確認してから、スマホの専用アプリを開く。

 

 榊原へ、メッセージも添える。

『認可端末、使用しました。画像記録も指定システムへ転送済みです』

『どうだった?』

 すぐに返信が来る。

『まともな写真が、一枚も撮れませんでした』

『一枚、いいのが上がってきてるけど』

『何十枚も撮って、その最後の一枚だけです』

 

 数秒の間。

 

『……いい写真だね』

 榊原からのメッセージだった。

『ですよね』

 拓海は即答した。

 

『研究記録としても悪くない。全身の大部分と、ルリを取り巻く飼育環境が一緒に入っているし、力みのない自然な姿勢がよく分かる』

『でも、真正面を向いてないですよ』

『正面を向かせる必要がある写真じゃないからね。必要なら、標準姿勢の写真を別日に、健康管理という目的を明確にして撮ればいい。でも日常行動の記録なら、“人間に何もさせられていない時に何をしていたか”が残ることにも、大きな価値があるんだよ』

 

 拓海は、出会った日からの数々の出来事を思い返した。

 初めて出会った時、自分から触ろうとしなかった。

 初めて家に連れて帰る時、キャリーへ無理やり押し込まなかった。

 体重計へ無理に載せなかった。

 水浴びも、無理に水へ入れなかった。

 

 そして今度は、カメラのレンズへ無理に向かせなかった。

 そしてその後、人間が何も誘導していない時間に、結果として拓海が一番気に入る写真が一枚残っていた。

 

『あと、普通にかわいいね』

 榊原が最後に、研究者らしからぬメッセージを寄越した。

『先生』

『俺は記録用紙じゃないからね』

 以前のやり取りをそのまま返してくる教授に、拓海は呆れつつもキーを叩いた。

『その理屈、便利ですね』

 

 ***

 

 夜。

 拓海は認可端末の小さな液晶画面で、あの一枚の写真を何度も見返していた。

 少しだけ、切ない。

 この最高の写真を、自分の個人スマホの壁紙にすることはできない。友達に見せびらかすことも、SNSで自慢することも、家族に送ることも許されない。

 

「……壁紙にしたいなぁ」

 ぼそりと呟くが、ルールはルールだ。

 

 ケージの中では、ルリがいつもの屋根の上で丸くなっている。

「きゅ?」

「お前、自分がどれだけかわいく写ってるか知らないだろ」

 当然、ルリは分かっていない。

 

 拓海は写真の再生画面を、最初の一枚目までスクロールさせた。

 後頭部、ブレ、ピントの合った枝、半目、翼切れ、巨大な眼球、尻尾だけ。

 

 研究上不要な重複写真は後で整理する必要があるだろう。

 でも、少なくとも今日は、一枚も消す気になれなかった。

 

 巨大な眼球のドアップ写真を見直す。

「……やっぱりこれ、何の生物だよ」

 見せる相手は誰もいない部屋で、拓海は一人、声を出して笑った。

 

 ――結局、ルリが写真写りのいい小竜なのかどうかは、まだ分からない。

 ただ、拓海が一番気に入った一枚は、ルリを撮ろうとするのをやめた後に、ひっそりと撮れていた。




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