高坂穂乃果は勇者である(再編版)   作:ZENSUN

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第一話

 

 深夜二時三十三分。

 

 部屋の中を照らしているのは、机の上に置かれた小さなスタンドライトと、穂乃果の手元にあるゲーム機の画面だけだった。

 

 画面の中央では、長い旅の果てに魔王と対峙した勇者が、最後の一撃を放っている。

 

 巨大な魔王が崩れ落ちる。

 

 それと同時に、画面いっぱいに「FIN」の文字が表示された。

 

「……」

 

 穂乃果はしばらく何も言わなかった。

 

 そして。

 

「やったぁぁぁぁ!」

 

 ベッドの上で勢いよく飛び跳ねた。

 

 危うくゲーム機を落としかけて慌てて抱え込む。

 

「やった! やったよ! クリアした!」

 

 誰もいない部屋で叫ぶ。

 

 もちろん返事はない。

 

 それでも穂乃果は満足そうだった。

 

 今回のゲームは、いわゆる王道のファンタジーだった。

 

 平凡な少年が旅に出て、仲間と出会い、いくつもの町を巡り、困っている人々を助けながら成長していく。

 

 そして最後には魔王を倒し、世界を救う。

 

 何度も使われてきたような物語。

 

 けれど穂乃果は、そういう話が嫌いではなかった。

 

 むしろ大好きだった。

 

 特に、主人公である勇者が好きだった。

 

 強いから好きなのではない。

 

 魔王を倒せるから好きなのでもない。

 

 旅の途中で出会った、名もない人の頼みを聞く。

 

 困っている人を見れば助ける。

 

 自分が危険な目に遭うと分かっていても、誰かのために剣を抜く。

 

 そういうところが好きだった。

 

「……勇者、かぁ」

 

 穂乃果はゲーム機を膝の上に置き、画面を眺めながら呟いた。

 

 クリア後のスタッフロールが流れている。

 

 壮大な音楽が部屋の中に響いていた。

 

 その音を聞きながら、穂乃果はぼんやりと天井を見る。

 

「勇者って、すごいよね」

 

 当たり前のことを口にする。

 

 もちろん現実には、魔王なんていない。

 

 剣を持って世界を旅する必要もない。

 

 困っている人を助けたからといって、誰かが経験値をくれるわけでもない。

 

 それでも。

 

 穂乃果は思った。

 

 勇者みたいなことなら、現実でもできるんじゃないか。

 

 例えば、道に迷っている人を助ける。

 

 重そうな荷物を持っている人がいたら手伝う。

 

 困っている友達がいたら相談に乗る。

 

 そんなことなら、自分にもできる。

 

「……あれ?」

 

 そこで、ふと頭に浮かんだ。

 

 一人の少女。

 

 長い髪。

 

 真っ直ぐな姿勢。

 

 何をするにも真面目で、曲がったことが嫌いで、少し融通が利かなくて。

 

 でも、誰かが困っていると放っておけない。

 

「海未ちゃん……」

 

 思わず笑みがこぼれた。

 

「なんか、勇者って海未ちゃんみたい」

 

 口に出してみる。

 

 すると、ますますそう思えてきた。

 

 海未は運動ができる。

 

 勉強もできる。

 

 礼儀正しい。

 

 責任感も強い。

 

 怒ると怖いけれど、それだって結局は相手のことを考えているからだ。

 

「うん。やっぱり海未ちゃんだ」

 

 穂乃果は一人で納得する。

 

 そして、そこから先は早かった。

 

「……勇者部」

 

 ぽつり。

 

 穂乃果は起き上がった。

 

「勇者部……」

 

 もう一度。

 

 今度は、少し大きな声で。

 

「勇者部!」

 

 何だか妙にしっくりくる。

 

 勇者になる部活。

 

 困っている人を助ける部活。

 

 ゲームの中の勇者みたいに、誰かから依頼を受けて、それを解決する。

 

 考えてみれば、学校には色々な部活動がある。

 

 運動部。

 

 文化部。

 

 それなら、勇者をする部活があったっていい。

 

「うん! いい!」

 

 穂乃果はベッドの上でガッツポーズをした。

 

「明日、海未ちゃんとことりちゃんに話そう!」

 

 今すぐ電話したい。

 

 今すぐ二人に伝えたい。

 

 そう思ってスマートフォンへ手を伸ばす。

 

 そして画面を見た。

 

「…………」

 

 時刻は午前二時三十三分。

 

 穂乃果の動きが止まる。

 

「……明日、学校」

 

 現実が戻ってきた。

 

 しかも月曜日。

 

 つまり平日。

 

「……寝なきゃ」

 

 急に眠くなった。

 

 穂乃果は慌ててゲーム機の電源を切る。

 

 机の上に置く。

 

 スマートフォンを充電器につなぐ。

 

 電気を消す。

 

 そして布団へ潜り込む。

 

「勇者部……」

 

 目を閉じても、まだその言葉が頭の中に残っている。

 

「絶対、海未ちゃん喜ぶよね」

 

 きっと海未なら賛成してくれる。

 

 ことりもきっと笑ってくれる。

 

 三人で困っている人を助ける。

 

 それは、とても楽しそうだった。

 

「……楽しみ」

 

 そう呟いた直後には、もう眠っていた。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

「穂乃果!」

 

「うぇっ!?」

 

 目覚まし時計より先に聞こえてきた声に、穂乃果は飛び起きた。

 

 窓の外には見慣れた幼馴染がいる。

 

「海未ちゃん!?」

 

「何度呼べば起きるんですか!」

 

「今起きた!」

 

「それは見れば分かります!」

 

 時計を見る。

 

 遅刻確定。

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

 穂乃果は慌てて着替え始めた。

 

「だから昨日も早く寝るように言ったでしょう!」

 

「昨日はゲームしてたんだよ!」

 

「何をしていたか聞いているのではありません!」

 

 海未の説教を聞きながら、穂乃果は鞄に教科書を詰め込む。

 

 そこで、ふと思い出した。

 

「あっ!」

 

「何ですか!?」

 

「勇者部!」

 

「……は?」

 

「今日、お昼に話そう!」

 

 海未は眉間を押さえた。

 

「朝から何を言っているんですか」

 

「大事な話なの!」

 

「分かりましたから、まず学校へ行きますよ!」

 

 海未に腕を引かれながら、穂乃果は笑っていた。

 

     ◇

 

 昼休み。

 

 いつもの場所。

 

 いつもの三人。

 

 穂乃果はパンを片手に、昨夜から温めていた話をようやく切り出した。

 

「というわけで、勇者だよっ! 勇者!」

 

「は?」

 

 海未の箸が止まった。

 

 ことりも、ぱちぱちと瞬きをする。

 

「だから勇者!」

 

「いえ、それは聞こえています」

 

 海未は眉をひそめた。

 

「問題は、どうして昼休みの冒頭から突然その話題になるのかということです」

 

「昨日ゲームをしてて思ったの!」

 

「ゲーム……?」

 

「うん!」

 

 穂乃果は嬉しそうに身を乗り出す。

 

「勇者って、困っている人を助けるんだよ!」

 

 ことりが小さく頷く。

 

「そういうゲーム、多いよね」

 

「そうそう! それで思ったの」

 

 穂乃果は海未を見る。

 

「勇者って、なんか海未ちゃんみたいだなって!」

 

「……私が?」

 

「うん!」

 

 海未は数秒、何も言わなかった。

 

「なぜですか」

 

「だって強いし!」

 

「それは勇者の条件なのですか?」

 

「優しいし!」

 

「……」

 

「正義感もあるし!」

 

「……」

 

「それに何より、かっこいい!」

 

「そんなわけないでしょう」

 

「えー!」

 

「私は普通の人間です」

 

 海未はそう言った。

 

 穂乃果は頬を膨らませる。

 

「でも似てるもん」

 

「似ていません」

 

「ことりちゃんはどう思う?」

 

「え?」

 

 突然振られたことりは少し困ったように笑った。

 

「うーん……」

 

 海未を見る。

 

 そして穂乃果を見る。

 

「……ちょっと分かるかも」

 

「ことりまで……」

 

 海未が肩を落とした。

 

「それでね!」

 

 穂乃果は待っていましたとばかりに話を続ける。

 

「私たちも勇者になろうよ!」

 

「なれません」

 

「即答!?」

 

「勇者というのはゲームの中の存在でしょう」

 

「じゃあ、勇者部!」

 

「……部活?」

 

「そう!」

 

 穂乃果は両手を広げる。

 

「困っている人を助けるの!」

 

 依頼を受ける。

 

 困っている人のところへ行く。

 

 そして三人で解決する。

 

 体育や運動関係なら穂乃果と海未。

 

 勉強や細かい作業なら海未とことり。

 

「それで、依頼を解決したらクエストクリア!」

 

「ゲームが基準なのですね……」

 

「だって、その方が勇者っぽいじゃん!」

 

 ことりが楽しそうに笑う。

 

「でも、勇者部って面白そう」

 

「ことり!」

 

「えへへ」

 

 海未は二人を見比べる。

 

 穂乃果は本気で楽しそうだった。

 

 ことりも、穂乃果に付き合うつもりらしい。

 

「……はぁ」

 

 海未はため息をついた。

 

「部活にする必要があるのですか?」

 

「ある!」

 

「即答ですか」

 

「依頼を受けて解決するなら、部活の方が格好いい!」

 

「理由がそれですか」

 

「うん!」

 

「……馬鹿ですね」

 

「うぇぇ……」

 

 穂乃果が露骨にしょんぼりする。

 

 ことりが苦笑する。

 

「まあまあ、海未ちゃん」

 

 海未は再びため息をついた。

 

「……本当に仕方のない人ですね」

 

 そう言いながらも、完全に否定することはできなかった。

 

 穂乃果が思いつきで何かを始めるのは、今に始まったことではない。

 

 いつもなら、そのうち飽きる。

 

 そう思っていた。

 

 けれど。

 

「それで、部長は穂乃果ちゃん?」

 

 ことりが聞く。

 

「もちろん!」

 

 穂乃果は即答した。

 

「……なら、私は反対です」

 

「なんで!?」

 

「あなたが部長では、まともに活動できるとは思えません」

 

「ひどい!」

 

「まず、昨日出された課題は終わっているのですか?」

 

「…………」

 

 穂乃果の視線が泳ぐ。

 

 海未は察した。

 

「まさか」

 

「えーっと……」

 

「穂乃果」

 

「はい」

 

「今日の放課後、残ってください」

 

「えええええ!?」

 

 ことりが笑いをこらえる。

 

「穂乃果ちゃん……」

 

「だってゲームが……」

 

「ゲームをするなとは言いません」

 

 海未は静かに言った。

 

「ですが、やるべきことを放り出してまで遊ぶのは感心しません」

 

「……はい」

 

 穂乃果は肩を落とした。

 

 その様子を見て、ことりは微笑む。

 

 いつも通り。

 

 穂乃果が騒いで。

 

 海未が叱って。

 

 ことりが間に入る。

 

 三人にとっては、何も変わらない昼休み。

 

 少なくとも、この時はそう思っていた。

 

 穂乃果はまだ知らない。

 

 自分が口にした「勇者」という言葉が、この世界ではゲームの中だけの言葉ではないことを。

 

 海未は知っている。

 

 その言葉が、自分自身と結びついていることを。

 

 ことりも知っている。

 

 その言葉が、南家という自分の家と切り離せないことを。

 

 けれど二人とも、それを穂乃果に話すことはなかった。

 

 だから穂乃果は、ただ笑っていた。

 

「ねえ海未ちゃん!」

 

「何ですか?」

 

「勇者部、絶対作ろうね!」

 

 海未は一瞬だけ穂乃果を見つめた。

 

「……まずは、あなたが今日の課題を終わらせてからです」

 

「そこから!?」

 

 ことりが笑う。

 

 三人の昼休みは、いつものように過ぎていった。

 

 まだ誰も知らない。

 

 この何気ない「勇者部」という言葉が。

 

 やがて三人の人生を、大きく変えていくことを。

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