翌日から、勇者部の活動は大きく変わった。
「穂乃果、そちらを持ってください」
「こっち?」
「逆です」
「あ、こっちか!」
「それは昨日も説明しましたよ」
「ごめん!」
ステージに使う機材を運び。
「ことりちゃん、これどこ?」
「そこじゃなくて、こっち」
「分かった!」
衣装や小道具を整理し。
「穂乃果! そこ踏まない!」
「えっ!?」
「それ、飾り!」
「ご、ごめん!」
そのたびににこが頭を抱える。
しかし、不思議なことに作業は進んでいた。
三人が加わったことで、明らかに人手が増えたからだ。
海未は手際よく作業を分担し、ことりは衣装や舞台装飾について細かな部分まで気を配る。
そして穂乃果は――
「これ、持っていけばいい?」
「そう!」
「分かった!」
とにかく動いた。
考えるより先に動くため失敗も多い。
それでも、人が嫌がる仕事を率先して引き受けるので、結果として作業量は確実に減っていった。
そんな三人を眺めながら、にこは少しずつ考えを変えていた。
最初は、ただの手伝いだと思っていた。
ところが。
勇者部が加わってから、準備が明らかに楽になった。
予定していた作業も、一つずつ片付いている。
それでも。
肝心の問題は残ったままだった。
「……歌う人が足りない」
にこが呟く。
穂乃果が振り返る。
「まだ足りないの?」
「裏方はね。だけど、ステージに立つ人間は別」
「だったら――」
穂乃果が自分を指差した。
「私が出る!」
「却下」
にこは即答した。
「なんで!?」
「アイドル研究部のライブだからよ」
「でも、人数が足りないんでしょ?」
「そうだけど!」
「じゃあいいじゃん!」
「よくない!」
にこは頭を抱えた。
「そもそも、あんた歌えるの?」
「歌えるよ!」
「踊れる?」
「たぶん!」
「たぶんって何よ!」
「練習すればできる!」
「……」
にこは黙った。
穂乃果の目は本気だった。
冗談で言っているわけではない。
誰かの困りごとを見つけたときと同じ顔。
自分が必要なら、やる。
それだけだった。
「……海未」
「はい?」
「あなたは?」
海未は少し驚いた。
「私ですか?」
「穂乃果だけ出すわけにもいかないでしょ」
「それは……」
海未は穂乃果を見る。
そして、にこを見る。
「必要なのであれば、お手伝いします」
「ことりは?」
「私もいいよ」
ことりは穏やかに笑った。
「みんなでやった方が楽しそうだし」
「……あんたたち」
にこは三人を見回した。
ステージに立つこと。
それは、ただ作業を手伝うのとは意味が違う。
人前に出る。
失敗すれば、自分たちだけでなくアイドル研究部にも迷惑がかかる。
それでも三人は迷っていなかった。
「……分かった」
にこが言った。
「ただし、半端なことは許さないからね」
「うん!」
「練習もちゃんとすること」
「はい!」
「衣装も必要よ」
「ことりちゃんにお願いしよう!」
「私?」
「だって得意でしょ?」
ことりは少し困ったように笑った。
「じゃあ、頑張ろうかな」
「よし!」
穂乃果が拳を握る。
「勇者部、ステージデビュー!」
「だから勝手に名前をつけないで!」
にこの怒鳴り声が響く。
しかし、その声には以前ほどの苛立ちはなかった。
むしろ。
少しだけ楽しそうだった。
◇
練習が始まると、現実は思った以上に厳しかった。
「穂乃果、そこ早い!」
「えっ!?」
「次の動きは一拍待って!」
「一拍ってどれくらい!?」
「音を聞けば分かるでしょう!」
「海未ちゃん、それ私には難しい!」
「では覚えてください!」
「鬼!」
ことりが笑いながら二人を見る。
「でも、穂乃果ちゃん。さっきより上手になってるよ」
「本当!?」
「うん」
にこも腕を組んで眺めていた。
まだ粗い。
動きも揃っていない。
歌だって、決して完成しているわけではない。
それでも。
少しずつ形になっている。
そして何より。
穂乃果は楽しそうだった。
誰かに頼まれたからやる。
困っているから助ける。
その結果として、自分もステージに立つ。
それは穂乃果にとって、特別なことではなかった。
ただ、誰かと一緒に何かをする。
それだけだった。
◇
練習を終えた頃。
にこが机の上に置かれた譜面を見つめていた。
「……やっぱり曲が問題ね」
「曲?」
穂乃果が覗き込む。
「今ある曲だけじゃ足りないのよ」
「作ればいいんじゃない?」
「簡単に言わないで」
「誰か作れる人はいないの?」
「そんな都合のいい人――」
にこが言葉を止める。
ことりが少し考えてから口を開いた。
「……いるよ」
「誰?」
「西木野さん」
穂乃果の目が見開かれた。
「真姫ちゃん!」
「知ってるの?」
「うん!」
穂乃果は嬉しそうに笑った。
「真姫ちゃん、ピアノすっごく上手なんだよ!」
「それなら話は早いじゃない」
にこが言う。
「お願いしてみましょう」
「私、行ってくる!」
穂乃果は即座に立ち上がった。
「ちょっと、待ちなさい!」
にこの制止も聞かず、穂乃果は走り出す。
「穂乃果!」
海未が追いかけようとする。
しかし、ことりが笑った。
「大丈夫だよ」
「……何故です?」
「穂乃果ちゃんだもん」
海未は少し考えてから、諦めたように息を吐いた。
「……そうですね」
廊下を走る穂乃果の足音が遠ざかっていく。
その先にあるのは、音楽室。
そして、そこには。
赤い髪の少女がいる。
西木野真姫。
穂乃果が初めて彼女のピアノを聴いた日から、二人の関係は少しずつ変わり始めていた。
ただし。
穂乃果がこれから訪ねていく理由と、真姫が彼女を受け入れる理由は、まだ同じではない。
穂乃果は、ただ一緒に音楽を作りたいと思っている。
真姫はまだ知らない。
この申し出が、自分自身の意思で誰かと音楽を作るという、新しい関係の始まりになることを。
そして西木野家にとっても。
穂乃果という少女が、単なる「樹海に紛れ込んだ不可解な一般人」では済まなくなっていくことを。
今はまだ。
そんな未来を知る者はいなかった。
ただ、廊下の先へ走っていく穂乃果の足音だけが、静かな校舎に響いていた。