高坂穂乃果は勇者である(再編版)   作:ZENSUN

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第十話

 翌日から、勇者部の活動は大きく変わった。

 

「穂乃果、そちらを持ってください」

 

「こっち?」

 

「逆です」

 

「あ、こっちか!」

 

「それは昨日も説明しましたよ」

 

「ごめん!」

 

 ステージに使う機材を運び。

 

「ことりちゃん、これどこ?」

 

「そこじゃなくて、こっち」

 

「分かった!」

 

 衣装や小道具を整理し。

 

「穂乃果! そこ踏まない!」

 

「えっ!?」

 

「それ、飾り!」

 

「ご、ごめん!」

 

 そのたびににこが頭を抱える。

 

 しかし、不思議なことに作業は進んでいた。

 

 三人が加わったことで、明らかに人手が増えたからだ。

 

 海未は手際よく作業を分担し、ことりは衣装や舞台装飾について細かな部分まで気を配る。

 

 そして穂乃果は――

 

「これ、持っていけばいい?」

 

「そう!」

 

「分かった!」

 

 とにかく動いた。

 

 考えるより先に動くため失敗も多い。

 

 それでも、人が嫌がる仕事を率先して引き受けるので、結果として作業量は確実に減っていった。

 

 そんな三人を眺めながら、にこは少しずつ考えを変えていた。

 

 最初は、ただの手伝いだと思っていた。

 

 ところが。

 

 勇者部が加わってから、準備が明らかに楽になった。

 

 予定していた作業も、一つずつ片付いている。

 

 それでも。

 

 肝心の問題は残ったままだった。

 

「……歌う人が足りない」

 

 にこが呟く。

 

 穂乃果が振り返る。

 

「まだ足りないの?」

 

「裏方はね。だけど、ステージに立つ人間は別」

 

「だったら――」

 

 穂乃果が自分を指差した。

 

「私が出る!」

 

「却下」

 

 にこは即答した。

 

「なんで!?」

 

「アイドル研究部のライブだからよ」

 

「でも、人数が足りないんでしょ?」

 

「そうだけど!」

 

「じゃあいいじゃん!」

 

「よくない!」

 

 にこは頭を抱えた。

 

「そもそも、あんた歌えるの?」

 

「歌えるよ!」

 

「踊れる?」

 

「たぶん!」

 

「たぶんって何よ!」

 

「練習すればできる!」

 

「……」

 

 にこは黙った。

 

 穂乃果の目は本気だった。

 

 冗談で言っているわけではない。

 

 誰かの困りごとを見つけたときと同じ顔。

 

 自分が必要なら、やる。

 

 それだけだった。

 

「……海未」

 

「はい?」

 

「あなたは?」

 

 海未は少し驚いた。

 

「私ですか?」

 

「穂乃果だけ出すわけにもいかないでしょ」

 

「それは……」

 

 海未は穂乃果を見る。

 

 そして、にこを見る。

 

「必要なのであれば、お手伝いします」

 

「ことりは?」

 

「私もいいよ」

 

 ことりは穏やかに笑った。

 

「みんなでやった方が楽しそうだし」

 

「……あんたたち」

 

 にこは三人を見回した。

 

 ステージに立つこと。

 

 それは、ただ作業を手伝うのとは意味が違う。

 

 人前に出る。

 

 失敗すれば、自分たちだけでなくアイドル研究部にも迷惑がかかる。

 

 それでも三人は迷っていなかった。

 

「……分かった」

 

 にこが言った。

 

「ただし、半端なことは許さないからね」

 

「うん!」

 

「練習もちゃんとすること」

 

「はい!」

 

「衣装も必要よ」

 

「ことりちゃんにお願いしよう!」

 

「私?」

 

「だって得意でしょ?」

 

 ことりは少し困ったように笑った。

 

「じゃあ、頑張ろうかな」

 

「よし!」

 

 穂乃果が拳を握る。

 

「勇者部、ステージデビュー!」

 

「だから勝手に名前をつけないで!」

 

 にこの怒鳴り声が響く。

 

 しかし、その声には以前ほどの苛立ちはなかった。

 

 むしろ。

 

 少しだけ楽しそうだった。

 

 ◇

 

 練習が始まると、現実は思った以上に厳しかった。

 

「穂乃果、そこ早い!」

 

「えっ!?」

 

「次の動きは一拍待って!」

 

「一拍ってどれくらい!?」

 

「音を聞けば分かるでしょう!」

 

「海未ちゃん、それ私には難しい!」

 

「では覚えてください!」

 

「鬼!」

 

 ことりが笑いながら二人を見る。

 

「でも、穂乃果ちゃん。さっきより上手になってるよ」

 

「本当!?」

 

「うん」

 

 にこも腕を組んで眺めていた。

 

 まだ粗い。

 

 動きも揃っていない。

 

 歌だって、決して完成しているわけではない。

 

 それでも。

 

 少しずつ形になっている。

 

 そして何より。

 

 穂乃果は楽しそうだった。

 

 誰かに頼まれたからやる。

 

 困っているから助ける。

 

 その結果として、自分もステージに立つ。

 

 それは穂乃果にとって、特別なことではなかった。

 

 ただ、誰かと一緒に何かをする。

 

 それだけだった。

 

 ◇

 

 練習を終えた頃。

 

 にこが机の上に置かれた譜面を見つめていた。

 

「……やっぱり曲が問題ね」

 

「曲?」

 

 穂乃果が覗き込む。

 

「今ある曲だけじゃ足りないのよ」

 

「作ればいいんじゃない?」

 

「簡単に言わないで」

 

「誰か作れる人はいないの?」

 

「そんな都合のいい人――」

 

 にこが言葉を止める。

 

 ことりが少し考えてから口を開いた。

 

「……いるよ」

 

「誰?」

 

「西木野さん」

 

 穂乃果の目が見開かれた。

 

「真姫ちゃん!」

 

「知ってるの?」

 

「うん!」

 

 穂乃果は嬉しそうに笑った。

 

「真姫ちゃん、ピアノすっごく上手なんだよ!」

 

「それなら話は早いじゃない」

 

 にこが言う。

 

「お願いしてみましょう」

 

「私、行ってくる!」

 

 穂乃果は即座に立ち上がった。

 

「ちょっと、待ちなさい!」

 

 にこの制止も聞かず、穂乃果は走り出す。

 

「穂乃果!」

 

 海未が追いかけようとする。

 

 しかし、ことりが笑った。

 

「大丈夫だよ」

 

「……何故です?」

 

「穂乃果ちゃんだもん」

 

 海未は少し考えてから、諦めたように息を吐いた。

 

「……そうですね」

 

 廊下を走る穂乃果の足音が遠ざかっていく。

 

 その先にあるのは、音楽室。

 

 そして、そこには。

 

 赤い髪の少女がいる。

 

 西木野真姫。

 

 穂乃果が初めて彼女のピアノを聴いた日から、二人の関係は少しずつ変わり始めていた。

 

 ただし。

 

 穂乃果がこれから訪ねていく理由と、真姫が彼女を受け入れる理由は、まだ同じではない。

 

 穂乃果は、ただ一緒に音楽を作りたいと思っている。

 

 真姫はまだ知らない。

 

 この申し出が、自分自身の意思で誰かと音楽を作るという、新しい関係の始まりになることを。

 

 そして西木野家にとっても。

 

 穂乃果という少女が、単なる「樹海に紛れ込んだ不可解な一般人」では済まなくなっていくことを。

 

 今はまだ。

 

 そんな未来を知る者はいなかった。

 

 ただ、廊下の先へ走っていく穂乃果の足音だけが、静かな校舎に響いていた。

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