翌日の放課後。
「だから、依頼箱は絶対あったほうがいいと思う!」
穂乃果は教室の机を二つ並べ、その上に広げた画用紙を指差した。
「依頼箱ですか……」
海未は少し困った顔で、その横に置かれた段ボール箱を見る。ことりが用意したらしい箱には、白い紙が貼られていて、そこには大きく『勇者部 お悩み相談箱』と書かれていた。
「勇者部って、何をする部なのかまだ誰にも分からないんだから、まずは知ってもらわないと!」
「それで依頼箱なのですね」
「うん! 困ってる人が紙に書いて入れてくれたら、私たちが助けに行くの!」
「……名前を書かずに入れられるようにしたのは、ことりです」
「だって、誰かに相談するのってちょっと恥ずかしいこともあるから」
ことりは箱の投入口を確認しながら答えた。
「なるほど」
海未は頷く。
「それなら、相談しやすいように設置場所も考えたほうがいいでしょうね。人目につきすぎる場所では、かえって利用しにくいでしょうし」
「じゃあ、廊下の端っこ?」
「そこでは誰も気づきません」
「難しい……」
三人で悩み始める。
昨日までは部員を二人集めることしか考えていなかった。けれど、実際に活動しようとすると、思った以上に決めることが多い。
活動場所。
依頼の受け方。
活動時間。
誰が何をするのか。
そもそも、生徒会から正式に認められていない以上、勝手に学校中へ箱を置くわけにもいかない。
「まずは、生徒会に確認してからにしましょう」
海未が結論を出した。
「えー……」
「当然です」
「でも、また絵里さんに会うの?」
「昨日会ったばかりでしょう」
「だって、なんか怖いんだもん」
穂乃果が頬を膨らませる。
昨日、生徒会室で向けられた絵里の視線を思い出していた。
怒っているようにも見えた。
けれど、それだけではなかった。
あの時、穂乃果が「勇者」と口にした瞬間だけ、絵里の表情が変わった。
その理由は分からない。
「でも、許可をもらわないと始められないよ」
ことりが穏やかに言った。
「……そうだね」
穂乃果は渋々頷いた。
「じゃあ、明日お願いしよう!」
「明日ですか?」
「今日はもう遅いし!」
「今からでもいいのでは?」
「心の準備が!」
「昨日も同じことを言っていませんでしたか?」
「昨日よりちょっとだけ成長したの!」
「どこがですか」
海未が呆れ、ことりが笑う。
そんな三人のやり取りを、廊下の向こうから見ている少女がいた。
「……何やってるのよ、あいつら」
矢澤にこだった。
アイドル研究部の部室へ戻る途中、聞き覚えのある声がしたので足を止めただけだった。
昨日のライブ以降、穂乃果たちは何かと部室へ顔を出してくる。
別に来るなとは言っていない。
だから追い返す理由もない。
それでも、こう毎日のように来られると、さすがに少し調子が狂う。
「勇者部……ねぇ」
にこは小さく呟いた。
昨日までなら、ただの変な部活名だと思っていた。
けれど、あの三人が本気でやろうとしていることは分かっている。
人を助ける。
困っている人の力になる。
言葉だけなら、悪くない。
むしろ、にこが嫌いな考え方ではなかった。
「……まあ、勝手にすればいいけど」
そう呟いて、にこは部室へ入っていった。
◇
それから数日。
勇者部の活動は、思ったようには進まなかった。
依頼箱を置く許可はまだ下りない。
部員も増えない。
顧問を引き受けてくれる教師も見つかっていない。
「勇者部って、難しいんだね……」
放課後の教室で、穂乃果は机に突っ伏した。
「そもそも正式な部になっていないのですから、活動にも限界があります」
海未は提出用の書類を整理しながら答える。
「でも、何かできることはあるよ」
ことりが窓の外を見る。
「学校の中だけじゃなくて、普段の生活で困っている人を助けるとか」
「それなら、部活じゃなくてもできますね」
「じゃあ勇者部じゃなくてもいいってこと?」
「そういう意味ではありません」
海未が苦笑する。
「活動の目的は、部の名前がなくても変わらないということです」
「……そっか」
穂乃果は顔を上げた。
「じゃあ、できることからやればいいんだ!」
「その通りです」
海未は頷いた。
「では帰りに、商店街の掲示板を確認してみませんか? 地域の困り事が貼られているかもしれません」
「それだ!」
穂乃果が立ち上がる。
「行こう!」
「まだ帰りの支度が終わっていませんよ」
「今やる!」
穂乃果が慌てて鞄へ荷物を詰め始める。
その様子を見て、ことりは微笑んだ。
勇者部はまだ正式な部活ではない。
けれど、三人の中ではもう始まっている。
そんな感覚だけは、少しずつ強くなっていた。
◇
一方、その頃。
西木野家では、一日の業務を終えた当主が遅い時間まで書類に目を通していた。
医療関連を中心とした西木野家の事業は広い。
病院。
研究施設。
医療機器。
そのほかにも、表には出ない複数の案件がある。
当主ともなれば、学校に通う孫娘の周辺で起きた出来事まで、逐一確認している余裕はない。
机の上には、いくつもの報告書が積まれていた。
その中の一冊を手に取ったところで、秘書が入ってくる。
「旦那様。先日の樹海化事案について、未確認だった報告をまとめてあります」
「先日の?」
「はい。学校周辺で発生したものです」
当主は書類を受け取った。
樹海化。
その単語を見ただけで、表情が僅かに変わる。
報告そのものは、特別珍しいものではない。
発生時刻。
区域。
避難状況。
被害状況。
そして、内部に取り残された者の確認。
ページをめくっていく。
やがて、一つの項目で手が止まった。
『一般生徒一名が樹海化区域内へ侵入』
「……一般生徒?」
「はい」
「名前は?」
「高坂穂乃果」
当主の指が止まった。
「……高坂穂乃果、か」
報告書に添付された写真へ視線を落とす。
そこには、どこにでもいる普通の女子生徒の姿が写っていた。
樹海化区域へ侵入。
その後、園田海未と合流。
区域外へ脱出。
負傷なし。
それだけなら、単なる幸運とも考えられる。
「その後は?」
「通常通り登校しています。現在のところ、本人に異常は確認されていません」
「そうか」
当主は写真から視線を外した。
「この報告が上がってきたのは?」
「三日前です」
「三日前……」
「表の案件が重なっておりましたので、確認が遅れました」
「構わん」
当主は書類を閉じる。
だが、すぐには机へ戻さなかった。
「他に何かあるか?」
「学校内で、部活動の設立申請があったようです」
「部活動?」
「はい。名称は――勇者部」
当主の目が再び書類へ向く。
「設立者は?」
「高坂穂乃果です」
「……そうか」
短い沈黙。
樹海化区域に入り込んだ一般生徒。
無傷で帰還した少女。
そして、その少女が今度は「勇者」という名前を掲げて活動を始めようとしている。
偶然なのか。
それとも。
当主は再び報告書を開いた。
「学校側には、余計な干渉をするな」
「はい」
「ただし、この件については情報だけ集めておけ」
「高坂穂乃果について、ですか?」
「ああ」
当主は写真を見つめる。
「まだ何も分からん」
そう言って、書類を閉じる。
しばらく考えたあと、ふと何かを思いついたように口を開いた。
「……真姫を……」
そこで言葉が途切れた。
当主は何も言わず、机の上の報告書へ視線を戻した。
夜は静かに更けていった。