海未の長い説教が終わった頃には、昼休みも残りわずかになっていた。
「うぇぇぇ……終わったぁ……」
追加された課題をどうにか終わらせた穂乃果は、机に突っ伏した。
「自業自得です」
「海未ちゃんは厳しすぎるよぉ……」
「普段からちゃんとしていれば、私だって何度も同じことを言いません」
「まぁまぁ、海未ちゃん。早くしないと時間なくなっちゃうよ?」
ことりにたしなめられ、海未は小さくため息をついた。
「……仕方ありませんね」
そう言って海未が机の上に置いたのは、一枚の書類だった。
部活動の活動許可申請書。
そこには三人の名前と、必要な事項が記入されている。
部の名称。
――勇者部。
活動内容。
――人助け等。
海未は改めて書類を見つめた。
「本当に、これを提出するのですか?」
「もちろん!」
穂乃果は元気よく答える。
「だって、勇者部を作るんだもん」
「しかし……」
海未は言葉を濁した。
最初は、勇者部という発想そのものに反対だった。
そもそものきっかけがゲームだったこともある。
だが、穂乃果が本気なのだということは、もう分かっていた。
だから海未は一つだけ条件を出した。
部長は穂乃果。
自分が始めたことなら、自分で責任を持つ。
それが条件だった。
「それに、海未ちゃんとことりちゃんも一緒にやってくれるんでしょ?」
「……まあ」
「うん」
ことりが笑う。
「だったら大丈夫!」
穂乃果は申請書を抱えた。
「よーし、生徒会室へ行こう!」
◇
放課後。
校舎内は、部活動へ向かう生徒たちの声が響いていた。
運動部の活動する校庭や体育館とは違い、廊下は比較的静かだ。
三人は生徒会室へ向かって歩いていた。
「うぅ……なんか緊張するよぉ」
「生徒会に部活動の申請をするだけでしょう」
「でも、生徒会長って怖そうじゃん」
「偏見です」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
ことりが二人のやり取りを聞いて笑う。
やがて、生徒会室の扉が見えてきた。
穂乃果が足を止める。
「……よし」
小さく息を吸う。
そしてノックした。
「どうぞ」
中から返事が聞こえた。
「失礼します」
三人が生徒会室へ入る。
「どうしたん?」
最初に声をかけてきたのは、柔らかな雰囲気の少女だった。
「部活動の申請と許可をもらいに来ました」
海未が申請書を差し出す。
「なら、生徒会長に直接渡すとええよ」
少女が促した先。
そこには一人の少女が座っていた。
金髪。
整った顔立ち。
生徒会長らしい凛とした雰囲気。
絢瀬絵里だった。
「これね」
絵里は申請書を受け取った。
目を通していく。
部員の名前。
活動内容。
そして――
「……勇者部?」
その声が、わずかに低くなった。
穂乃果が答える。
「うん!」
「これはなに?」
「部設立の申請書です」
海未が答える。
「それは見れば分かるわ」
絵里は申請書を机に置いた。
「私が聞いているのは、この勇者部という名前と活動内容よ」
「人助けです!」
穂乃果が胸を張る。
「困っている人を見つけて、その人を助けるの」
「……」
絵里は穂乃果を見つめた。
その目には、先ほどまでにはなかった鋭さがあった。
「ふざけているの?」
「ふざけてないよ!」
穂乃果は即座に答えた。
「私は本気だもん」
「そう」
絵里は短く答える。
「でも、認めるわけにはいかないわ」
「どうしてですか?」
海未が尋ねる。
「そもそもね。同好会であっても最低五人の部員が必要なの」
「ですが、現在五人以下でも活動している部もあると聞いています」
「そうね。でも、設立時にはどの部も五人以上いたはずよ」
冷たい。
だが、間違ったことは言っていない。
海未は言葉に詰まった。
「あと二人……」
穂乃果が申請書を見る。
「あと二人いればいいんですよね?」
「あくまで申請できる最低人数というだけよ」
絵里は淡々と続けた。
「当然、先生方による審査もあるわ。活動目的や活動内容によっては却下されることもあるし、顧問を引き受けてくださる先生がいるかどうかも分からない」
穂乃果を見る絵里の目には、明らかな拒絶があった。
だが、その理由は海未にも分からない。
ただ一つ。
絵里が「勇者」という言葉に反応した。
それだけだった。
「……分かりました」
穂乃果は頭を下げた。
絵里が少し意外そうな顔をする。
もっと食い下がってくると思っていたのかもしれない。
「行こう」
穂乃果は海未とことりを促した。
三人が生徒会室を出ていく。
扉が閉まった。
しばらくして、希が口を開く。
「……随分ときつかったね」
「必要なことを言っただけよ」
「そう?」
「そうよ」
絵里は申請書から視線を外さない。
希はそんな絵里を見ていた。
何かを言おうとして――やめる。
今はまだ、その必要はない。
そう判断したようにも見えた。
「まあ、あの子らなら諦めんやろね」
「……そうでしょうね」
絵里が小さく答えた。
それ以上、二人は何も言わなかった。
◇
「良かったのですか?」
生徒会室を出た海未が尋ねる。
「うん」
穂乃果は答えた。
「たぶん、今何を言っても認めてもらえないと思う」
「私もそう思うなぁ」
ことりも苦笑する。
穂乃果は怒っていた。
人数や規則のことではない。
勇者部を、最初からくだらないものとして扱われたことが悔しかった。
確かに、きっかけはゲームだった。
理由だって子供っぽいかもしれない。
それでも。
誰かを助けたい。
誰かの役に立ちたい。
そう思った気持ちだけは、本物だった。
だから海未もことりも一緒にやってくれる。
穂乃果はそう思っている。
「では、まずは部員集めから始めないといけませんね」
海未が言った。
「ううん」
穂乃果は首を横に振った。
「え?」
「いきなり勇者部に入ってくださいって言って、入ってくれる人なんていないと思う」
「それは……そうかもしれませんが」
「だから、まずは困っている人を探そう」
海未は少し考えた。
なるほど。
先に実績を作る。
その上で勧誘すれば、少なくとも話を聞いてもらえる可能性は高くなる。
普段は無計画で、何事も勢い任せの穂乃果。
だが、一度やると決めたときの行動力は侮れない。
「それで、どうやって困っている人を探すんです?」
「え?」
「そこまでは考えていなかったのですね」
「……」
穂乃果が誤魔化すように笑った。
「やっぱりポスターとかチラシ配るしかないんじゃないかな?」
ことりが提案する。
「だよねぇ」
「しかし、校内でポスターを張るとなると、また生徒会に申請しなければなりません」
「部員募集ってことなら許可してもらえるかも」
「依頼募集まで書くと、また何か言われそうですね」
「じゃあ、とりあえず部員募集ってことにしよう!」
穂乃果が笑う。
「できることはなんでもやろう!」
三人はそんな話をしながら廊下を歩いていった。
まだ誰も知らない。
この日、穂乃果が作ろうとしている小さな部活動が。
やがて、自分たちの知らなかった世界へつながっていくことを。
今はまだ、それでいい。
穂乃果の世界は、まだ穂乃果のすぐそばにある。
海未がいて。
ことりがいて。
そして、これから少しずつ新しい人間関係が生まれていく。
その最初の一歩は、ただ一つ。
困っている誰かを探すことだった。