高坂穂乃果は勇者である(再編版)   作:ZENSUN

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第四話

「……で、どうする?」

 

 昼休み。

 

 穂乃果は机の上に広げた一枚の紙を眺めていた。

 

 昨日、生徒会から突き返された部活動申請書。

 

 正確には、申請そのものを拒否されたわけではない。

 

 部員が足りない。

 

 顧問も決まっていない。

 

 正式な活動として認めてもらうには、まだ越えなければならない条件がいくつもある。

 

 だが。

 

「私は、もう始めちゃっていいと思うんだけどなぁ」

 

 穂乃果が言った。

 

「何をです?」

 

 海未が尋ねる。

 

「勇者部」

 

「……まだ正式に認められていませんよ」

 

「うん」

 

「でしたら、部活動として活動することはできません」

 

「じゃあ、部活動じゃなければいいんだよ」

 

 海未が固まる。

 

「……どういう意味です?」

 

「困ってる人を助けるの」

 

「それは昨日も聞きました」

 

「だったら、部活として認められるのを待つ必要ないよね?」

 

 穂乃果は笑った。

 

「勇者部って名前を使わなければいいんだもん」

 

 海未は頭を抱えた。

 

「屁理屈です」

 

「そうかな?」

 

「そうです」

 

「でも……」

 

 ことりが穂乃果の言葉を受ける。

 

「私は、いいと思うな」

 

「ことりまで……」

 

「だって、困っている人を助けること自体は悪いことじゃないでしょう?」

 

 海未は二人を見る。

 

 確かに、その通りだった。

 

 部活動として認められていなくても。

 

 誰かに頼まれて、その人の手助けをする。

 

 それだけなら、何の問題もない。

 

「……具体的には何をするつもりですか?」

 

「それを今から考える!」

 

「考えていないのですね」

 

「えへへ」

 

「褒めていません」

 

 穂乃果は気にせず立ち上がった。

 

「よーし! まずは学校の中で困っている人を探そう!」

 

 ◇

 

 最初の仕事は、拍子抜けするほど簡単なものだった。

 

「この荷物を運んでくれる?」

 

 教師に頼まれた教材の運搬。

 

「もちろん!」

 

 穂乃果は二つ返事で引き受けた。

 

「穂乃果、全部持とうとしないでください」

 

「え?」

 

「重いでしょう」

 

 海未が半分を受け取る。

 

「私はこっち持つね」

 

 ことりも残った荷物を抱えた。

 

 三人で運べば、さほど苦労することもない。

 

 廊下を歩いていると、穂乃果が笑った。

 

「これって勇者っぽくない?」

 

「ただの荷物運びです」

 

「でも、人助けだよ?」

 

「……まあ、そうですね」

 

 海未は少しだけ笑った。

 

 次は、廊下の掃除だった。

 

 清掃当番の生徒が体調を崩してしまい、その場所だけ掃除ができていないらしい。

 

「任せて!」

 

 穂乃果は雑巾を手に取った。

 

「穂乃果ちゃん、そこ濡れてるから気をつけて」

 

「分かった!」

 

 床を拭く。

 

 窓を拭く。

 

 机を運ぶ。

 

 大したことではない。

 

 誰か一人でもいれば、すぐに終わるような仕事ばかり。

 

 それでも。

 

「ありがとう」

 

 最後にそう言われると、穂乃果は嬉しそうに笑った。

 

「どういたしまして!」

 

 それを見ていた海未は、少しだけ考えた。

 

 勇者という言葉には、本来もっと大きな意味がある。

 

 命を懸ける。

 

 敵と戦う。

 

 誰かを守る。

 

 そんなものを想像してしまう。

 

 けれど。

 

 誰かのために何かをするという意味では。

 

 今、穂乃果がやっていることも同じなのかもしれない。

 

「海未ちゃん!」

 

「何です?」

 

「あっち!」

 

 穂乃果が廊下の先を指差した。

 

 一人の生徒が、何かを探している。

 

「どうしたんですか?」

 

 海未が声をかける。

 

「あ……えっと、鍵を落としちゃって」

 

「どんな鍵?」

 

「家の鍵……」

 

 生徒の顔が青ざめている。

 

「一緒に探そう!」

 

 穂乃果が即答した。

 

「え?」

 

「大事なものなんでしょ?」

 

「う、うん……」

 

「じゃあ探そう!」

 

 結局、三人はその生徒と一緒に校舎中を探し回った。

 

 教室。

 

 廊下。

 

 階段。

 

 昇降口。

 

 そして――

 

「あった!」

 

 穂乃果が声を上げた。

 

 階段の隅。

 

 小さな鍵が落ちていた。

 

「よかった……」

 

 生徒が胸を撫で下ろす。

 

「ありがとう!」

 

「ううん!」

 

 穂乃果は笑う。

 

「見つかってよかったね!」

 

 その生徒が去っていく。

 

 穂乃果はその背中を見送った。

 

「……ね?」

 

 海未を見る。

 

「何です?」

 

「これ、楽しいよ」

 

 海未は返事をしなかった。

 

 ことりが穂乃果を見る。

 

「うん」

 

「誰かが困ってて、それを助けて、ありがとうって言ってもらえる」

 

 穂乃果は嬉しそうだった。

 

「私、こういうの好きかも」

 

 海未は穂乃果の横顔を見る。

 

 昨日まで。

 

 勇者部という名前が、ただの思いつきに見えていた。

 

 だが今は違う。

 

 穂乃果は本当に、人を助けようとしている。

 

 たとえそれが小さなことでも。

 

 たとえ誰にも知られなくても。

 

 誰かの困りごとを見つけたら、放っておけない。

 

 それが穂乃果なのだ。

 

「……では」

 

 海未が言った。

 

「これからも続けましょうか」

 

「え?」

 

「正式な部として認められるかどうかとは別に、です」

 

 穂乃果の顔が明るくなる。

 

「本当!?」

 

「ええ」

 

「ことりちゃんも?」

 

「もちろん」

 

「やったぁ!」

 

 穂乃果が両手を上げる。

 

「勇者部、活動開始!」

 

「だから、まだ正式な部ではありません」

 

「細かいことはいいの!」

 

「細かくありません」

 

 三人の笑い声が廊下に響いた。

 

 ◇

 

 その日の放課後。

 

 海未は一人で校舎を歩いていた。

 

 今日は穂乃果たちとは別れた。

 

 少し用事があったのだ。

 

 廊下の角を曲がったところで。

 

「園田さん」

 

 声をかけられた。

 

 振り返る。

 

「……絢瀬さん」

 

 そこに絵里がいた。

 

「少し話せるかしら?」

 

「はい」

 

 二人は人気のない場所へ移動した。

 

「勇者部」

 

 絵里が口にした。

 

 海未の表情が少し硬くなる。

 

「昨日のことですか?」

 

「ええ」

 

「穂乃果は、もう活動を始めています」

 

「そう」

 

 絵里は小さく息を吐いた。

 

「やっぱりね」

 

「何か問題が?」

 

「問題があるから言っているのよ」

 

 絵里は海未を見る。

 

「止めてほしいの」

 

「……穂乃果を?」

 

「勇者部を」

 

 海未は黙った。

 

 絵里の声には、昨日とは違うものがあった。

 

 怒りではない。

 

 嫌悪でもない。

 

 焦り。

 

 あるいは、恐れ。

 

「どうしてですか?」

 

「あなたなら分かるでしょう」

 

 絵里はそう言った。

 

「……何をです?」

 

「勇者なんてものに、憧れを持つべきじゃないってことを」

 

 海未の目が細くなる。

 

「私は、そうは思いません」

 

「あなたも――」

 

 絵里はそこで言葉を止めた。

 

 海未を見つめる。

 

「あなたも、お姉さんを失っているのでしょう?」

 

 空気が止まった。

 

 海未は何も言わなかった。

 

 園田茜。

 

 海未の姉。

 

 園田家の誇り。

 

 剣聖と呼ばれた少女。

 

 そして――もう、この世にはいない。

 

「……ええ」

 

 海未は答えた。

 

「姉は亡くなりました」

 

 絵里は何も言わない。

 

「だからこそ、あなたも分かるはずよ」

 

「何がです?」

 

「勇者になるということが、どういうことなのか」

 

 海未は静かに絵里を見た。

 

「分かっています」

 

「なら――」

 

「ですが」

 

 海未が言葉を遮る。

 

「姉は、最後まで逃げませんでした」

 

 絵里の表情がわずかに変わる。

 

「それを私は誇りに思っています」

 

「……」

 

「姉が何を見て、何を思い、最後に何を選んだのか。私はすべてを知っているわけではありません」

 

 海未は手を握った。

 

「それでも、姉が最後まで戦ったことを恥じるつもりはありません」

 

「海未……」

 

「だから、穂乃果を止めるつもりもありません」

 

 絵里は黙った。

 

「穂乃果が何をしようとしているのか、私はまだ分かりません」

 

 海未は続ける。

 

「ですが、今日の穂乃果を見て分かったことがあります」

 

「……何?」

 

「穂乃果は、誰かを助けたいと思っている」

 

 それだけだった。

 

 荷物を運ぶ。

 

 掃除をする。

 

 落とし物を探す。

 

 どれも、命を懸けるようなことではない。

 

 勇者と呼ぶには、あまりにも小さい。

 

 けれど。

 

「それを、私は否定したくありません」

 

 海未は真っ直ぐに絵里を見る。

 

「だから協力します」

 

 絵里はしばらく何も言わなかった。

 

「……そう」

 

 やがて、小さく答える。

 

「分かったわ」

 

 それだけ言って、絵里は踵を返した。

 

 海未もその背中を見送る。

 

 その向こう。

 

 廊下のさらに先には、誰かの気配があった。

 

 希だった。

 

 いつからそこにいたのかは分からない。

 

 ただ、二人の会話を聞いていたようだった。

 

 海未は気づいていない。

 

 希も何も言わない。

 

 絵里だけが、一瞬だけ希を見る。

 

 視線が交わる。

 

 そして。

 

 何もなかったように、二人はそれぞれ別の方向へ歩き出した。

 

 ◇

 

 翌日。

 

 穂乃果の机には、昨日より多くのメモが置かれていた。

 

「これ、どうしたの?」

 

 ことりが尋ねる。

 

「昨日助けた子が、友達に話してくれたみたい」

 

 穂乃果が嬉しそうに答える。

 

「また手伝ってほしいって」

 

「なるほど」

 

 海未もメモを見る。

 

 荷物運び。

 

 忘れ物探し。

 

 掃除の手伝い。

 

 どれも小さな頼み事だ。

 

 けれど。

 

 穂乃果は嬉しそうに笑っている。

 

「今日も頑張ろう!」

 

 海未とことりが顔を見合わせる。

 

「そうですね」

 

「うん」

 

 三人は教室を出た。

 

 正式な部活ではない。

 

 部員もまだ三人。

 

 名前すら、生徒会には認められていない。

 

 それでも。

 

 穂乃果の周りでは、少しずつ何かが変わり始めていた。

 

 それはまだ、誰にも気づかれないほど小さな変化だった。

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