翌日。
「……増えてる」
穂乃果は、机の上に並べられた紙を見て呟いた。
昨日までは数枚だった。
それが今日は、十枚近くある。
「昨日の話が、思った以上に広まったみたいですね」
海未が一枚を手に取る。
「『体育倉庫の整理を手伝ってほしい』……」
「こっちは『図書室の本を運んでほしい』だって」
ことりも紙を眺める。
「こっちは……『相談したいことがあります』?」
「相談?」
穂乃果が首を傾げる。
「何の相談だろう?」
「それは書いた本人に聞かなければ分かりませんよ」
「そっか!」
穂乃果は立ち上がった。
「じゃあ、行こう!」
「待ってください」
海未が穂乃果の肩を掴む。
「全部ですか?」
「うん!」
「今日一日で?」
「うん!」
「授業がありますよ?」
「……あ」
穂乃果が固まった。
ことりが笑う。
「穂乃果ちゃん、学校に来てるんだからね」
「そうだった……」
海未はため息を吐いた。
「まず、今日できるものからです」
「はーい」
それでも穂乃果の顔は嬉しそうだった。
自分たちを必要としてくれる人がいる。
その事実が、何より嬉しかった。
◇
放課後。
三人は体育倉庫へ向かった。
「これ、全部ですか?」
扉を開けた海未が目を丸くする。
中には、古いボールや跳び箱、マットなどが所狭しと並んでいる。
「うわぁ……」
「これは、なかなか大変そうだね」
ことりが苦笑する。
「でも、やろう!」
穂乃果は迷わなかった。
「困ってるんだもん!」
三人は作業を始めた。
使わなくなった道具を分ける。
壊れているものをまとめる。
残すものを整理する。
穂乃果は重いものを運び、海未は整理し、ことりは細かいものをまとめていく。
「穂乃果、無理をしないでください」
「大丈夫!」
「さっきから同じことしか言っていませんよ」
「だって大丈夫なんだもん」
穂乃果が笑う。
その笑顔を見て、海未も小さく笑った。
作業を始めてから、しばらくして。
「ありがとう」
体育委員の生徒が頭を下げた。
「これで次の授業に間に合います」
「よかった!」
穂乃果が笑う。
「じゃあ、次!」
「……まだあるんですか?」
海未が嫌な予感を覚える。
穂乃果が手にしている紙を見る。
「図書室!」
「やはり……」
◇
図書室。
「思ったより多いね」
ことりが積み上げられた本を見る。
「これを全部、運ぶんですか?」
「そうみたい」
「……分かりました」
海未は腕まくりをした。
「やりましょう」
「海未ちゃん、やる気満々だね」
「ここまで来たら中途半端にはできません」
三人は本を運び始めた。
何往復しただろう。
最後の一冊を棚に置いたところで、穂乃果がその場に座り込んだ。
「つかれたー!」
「お疲れ様」
ことりが笑う。
「でも、楽しかったね」
「うん!」
穂乃果は満足そうだった。
そのとき。
「あの……」
図書室の入口から声がした。
三人が振り返る。
一人の女子生徒が立っている。
「あ、昨日の……」
昨日、鍵を探していた生徒だった。
「どうしたの?」
穂乃果が立ち上がる。
「昨日は本当にありがとう」
「いいよ!」
「その……」
少女は少し迷ってから、口を開いた。
「また、お願いしてもいいかな?」
「もちろん!」
穂乃果は即答した。
「何?」
「私じゃなくて……友達なんだけど」
少女は少し困ったように言った。
「最近、学校に来てない子がいるの」
「学校に?」
「うん」
海未の表情が変わる。
「体調が悪いのですか?」
「それが分からなくて……」
「先生には?」
「話したけど、大丈夫って言われて」
「でも、心配なんだね」
穂乃果が言った。
少女は頷いた。
「その子、前は毎日学校に来てたのに……急に来なくなって」
「……」
「私、何かしてあげたいんだけど、どうすればいいか分からなくて」
穂乃果は少し考えた。
そして。
「じゃあ、会いに行こう」
「え?」
「その子のところに」
海未が穂乃果を見る。
「穂乃果」
「だって、困ってるんでしょ?」
「ですが、ご本人がそれを望んでいるとは限りません」
「……そっか」
穂乃果は考え込む。
助ける。
そのことばかりを考えていた。
けれど。
助けられる側が、助けてほしいとは限らない。
「じゃあ……」
穂乃果は少女を見る。
「その子が何をしてほしいのか、聞いてみるのは?」
「……」
「私たちが勝手に決めるんじゃなくて、その子がどうしたいのか」
海未が静かに頷く。
「それなら、いいでしょう」
「ありがとう!」
少女の顔が少し明るくなる。
「明日、その子のところに案内するね」
「うん!」
少女が帰っていく。
穂乃果はその背中を見送った。
「……ねえ、海未ちゃん」
「何です?」
「人を助けるって、難しいね」
「そうですね」
「ただ手伝えばいいってわけじゃないんだ」
海未は少しだけ驚いた。
穂乃果が自分からそんなことを言うとは思っていなかった。
「だからこそ」
海未は言った。
「考える必要があるのでしょう」
「うん」
穂乃果は頷いた。
「明日、その子にちゃんと聞いてみよう」
◇
その日の夕方。
生徒会室。
「……また増えましたね」
絵里が机の上に置かれた報告書を見る。
「昨日より多いね」
向かいに座っていた希が答える。
「勇者部を名乗って活動しているわけではないようだけど」
「ええ」
絵里は紙をめくる。
荷物運び。
清掃。
落とし物探し。
図書室の整理。
どれも問題のある活動ではない。
むしろ、学校にとってはありがたいことだった。
「……これだけなら」
絵里が呟く。
「止める理由はないわね」
「そうやね」
希は笑った。
「でも、えりちは気になってる」
「当然でしょう」
絵里は窓の外を見る。
校庭。
そこでは、穂乃果がことりと一緒に歩いていた。
海未も少し遅れてついている。
「高坂さんは、自分が何をしようとしているのか分かっているのかしら」
「さあ」
「……」
「でも」
希が言った。
「少なくとも、今のところは悪いことをしてへん」
「それは分かっているわ」
「なら、もう少し見ててもええんやない?」
絵里は黙った。
「見ているだけでいいの?」
「今はね」
希は穏やかに笑う。
「人って、何を考えてるかは言葉より行動のほうが分かるから」
「……」
「高坂穂乃果が、本当に何者なのか」
希は窓の外を見る。
「もう少し見てみようよ」
絵里も視線を戻した。
「……分かったわ」
ただ。
その言葉とは裏腹に。
絵里の胸の奥には、まだ消えない不安が残っていた。
◇
帰り道。
「今日はいっぱい助けたね」
穂乃果が言う。
「ええ」
海未が答える。
「でも、明日はもっと大変そう」
ことりが笑う。
「学校に来ていない子のお話だね」
「うん」
穂乃果は空を見上げた。
夕暮れの空。
赤く染まった雲の向こうに、太陽が沈んでいく。
「その子、何で学校に来なくなったんだろう」
「それは、明日聞けば分かりますよ」
「うん」
穂乃果は頷く。
「ちゃんと、その子の話を聞こう」
海未はその言葉を聞いて、微笑んだ。
勇者とは何なのか。
まだ分からない。
強くなることなのか。
敵と戦うことなのか。
誰かを守ることなのか。
けれど。
少なくとも今の穂乃果にとって。
勇者とは――
目の前で困っている誰かを、放っておかないことだった。
「明日も頑張ろう!」
「はい」
「うん!」
三人の声が、夕暮れの道に響いた。
その小さな活動は。
やがて、三人だけでは手に負えないほど大きなものへと変わっていく。
けれど今はまだ。
誰も、そのことを知らなかった。