高坂穂乃果は勇者である(再編版)   作:ZENSUN

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第八話

 

 穂乃果は目を覚ますと、しばらく天井を見つめていた。

 

「……ピアノ」

 

 昨日のことを思い出そうとすると、最初に浮かんだのは音だった。

 静かな音楽室。

 窓から差し込む夕暮れの光。

 そして、美しいピアノの旋律。

 確か、その音を聴いているうちに眠くなってしまったのだ。

 

「真姫ちゃん……」

 

 名前を呟くと、なんとなく胸が暖かくなる。

 昨日出会ったばかりなのに、もう一度会いたいと思っている自分がおかしくて、穂乃果は小さく笑った。

 

「今日もいるかな?」

 

 そんなことを考えながら、穂乃果は布団から飛び出した。

 

 ◇

 

 昼休み。

 

「はい、今日の依頼はこれ!」

 

 穂乃果が机の上に何枚かの紙を並べる。

 

「……また増えていますね」

 

 海未が眉を寄せた。

 

「昨日のうちに終わったものは消したんだけどね」

 

 ことりが紙を覗き込む。

 

「図書室のお手伝いと、音楽室の備品整理。それから……校内新聞の掲示?」

「そう!」

 

 穂乃果は大きく頷いた。

 

「新聞部の人が一人で全部やるの大変なんだって!」

「なるほど」

 

 海未は紙を一枚手に取った。

 

「しかし、これは本当に部活動のようになってきましたね」

「でも、まだ勇者部じゃないよ」

「名前の問題ではないと思います」

 

 ことりがくすくすと笑う。

 

「でも、困っている人を助けるのは楽しいよね」

「そう!」

 

 穂乃果は嬉しそうに頷いた。

 

「今日もいっぱい助けるぞー!」

 

 ◇

 

 放課後。

 三人は図書室の手伝いを終えると、校内新聞を掲示するために廊下へ向かった。

 新聞部から預かった紙面を掲示板に貼り付け、曲がっていないか確認する。

 

「よし!」

 

 穂乃果が一歩下がって眺める。

 

「綺麗にできた!」

「少し右が下がっています」

「え?」

「ほら、ここです」

 

 海未が指差す。

 

「ほんとだ」

 

 ことりが端を持って調整する。

 

「これならどう?」

「完璧です」

「やった!」

 

 作業を終えて三人が廊下を歩いていると、校舎の端から何かを叩くような音が聞こえてきた。

 カン、カン。

 一定の間隔で響く、小さな音。

 

「……何の音でしょう?」

 

 海未が足を止める。

 

「行ってみよう!」

 

 穂乃果は迷わず音のする方へ向かった。

 

「ちょっと、穂乃果!」

 

 海未とことりも後を追う。

 廊下の角を曲がると、そこには一人の少女がいた。

 黒い髪。

 赤いリボン。

 小柄な身体。

 少女は脚立に乗り、壁に何かを取り付けようとしている。

 その足元には、大量の画用紙や布、それに何本もの棒が無造作に置かれていた。

 

「……何してるの?」

 

 穂乃果が声をかける。

 

「きゃっ!」

 

 少女の身体がびくっと跳ねた。

 

「ちょっと!」

 

 脚立がぐらりと揺れる。

 

「危ない!」

 

 穂乃果が慌てて脚立を押さえた。

 少女は壁に手をついて体勢を立て直す。

 

「……あんたねぇ!」

 

 少女が振り返る。

 

「急に声かけないでよ!」

「ご、ごめん!」

 

 穂乃果は素直に頭を下げた。

 

「でも、大丈夫?」

「大丈夫よ!」

 

 少女は鼻を鳴らす。

 

「これくらい、一人でできるんだから」

 

 そう言って、また作業に戻ろうとする。

 

「何作ってるの?」

「音の木祭りの飾り」

「飾り?」

「そうよ」

 

 少女は脚立から降りると、床に置いてあった布を拾い上げた。

 

「今年のクラス展示に使うの。みんな忙しいから、私がやってるだけ」

 

 穂乃果は周囲を見回した。

 確かに、作業道具はかなり多い。

 

「一人でやるの?」

「だから何よ」

「大変じゃない?」

「別に」

 

 少女は即答した。

 

「自分でやった方が早いもの」

「そっか」

 

 穂乃果は頷いた。

 

「じゃあ、手伝うね!」

「は?」

 

 少女の顔が固まった。

 

「だから手伝――」

「いらない!」

 

 即答だった。

 

「えぇ?」

「えぇ、じゃないわよ! 誰も手伝ってなんて言ってないでしょ!」

「でも大変そうだよ?」

「大変じゃない!」

「本当に?」

「本当!」

 

 少女は腕を組んで睨みつける。

 

「私はこういうの得意なの。あんたたちに手伝ってもらわなくても、ちゃんとできるんだから」

 

 海未が穂乃果の肩に手を置いた。

 

「穂乃果。本人がそう言っているのですから、無理に手伝う必要はないでしょう」

「うーん……」

 

 穂乃果は少女を見る。

 少女は明らかに「帰れ」と言っている顔だった。

 

「じゃあ……」

 

 穂乃果は一歩下がる。

 

「困ったら言ってね!」

「だから困ってないってば!」

 

 少女が怒鳴る。

 穂乃果は笑った。

 

「うん!」

「……何でそこで笑うのよ」

「だって、元気そうだから」

「意味分かんない……」

 

 穂乃果たちが立ち去ろうとした、そのときだった。

 少女が再び脚立に乗った。

 壁の高い位置に飾りを取り付ける。

 片手で棒を押さえ、もう片方の手で紐を結ぼうとする。

 だが。

 

「……届かない」

 小さく呟いた。

 脚立をもう少し動かそうとする。

 その瞬間。

 

「危ない!」

 

 穂乃果が駆け寄った。

 

「ちょっと!」

 

 少女が抗議するより先に、穂乃果は脚立を押さえた。

 

「これなら届く?」

「……」

「ほら、やってみて」

「……」

 

 少女は何も言わなかった。

 少しだけ迷った後、再び作業を始める。

 今度は安定していた。

 紐を結び、飾りを固定する。

 

「……できた」

「やった!」

 

 穂乃果が嬉しそうに声を上げる。

 

「だから、別にあんたのおかげじゃないわよ」

「でも、脚立押さえてたよ?」

「……それくらいなら、まあ」

 

 少女は小さく呟いた。

 穂乃果は気にせず笑う。

 

「じゃあ、もう一個も押さえるね!」

「まだやるの!?」

「うん!」

 

「……ほんとに図々しいわね、あんた」

 

 そう言いながらも、少女は脚立を動かさなかった。

 

 ◇

 

 しばらくして。

 作業は思ったより早く終わった。

 

「……終わった」

 

 少女が壁を見上げる。

 色とりどりの飾りが並び、殺風景だった廊下が少しだけ華やかになっている。

 

「すごい!」

 

 穂乃果が目を輝かせる。

 

「これ、一人で作ったの?」

「まあね」

「すごいよ!」

「……」

 

 少女は少しだけ視線を逸らした。

 

「これくらい普通よ」

「でも、私はできないよ」

「それはあんたが不器用だからでしょ」

「ひどい!」

「事実じゃない」

 

 少女は笑った。

 ほんの一瞬だけ。

 それから、すぐにいつもの表情に戻った。

 

「……じゃあ、私はもう行くから」

「うん!」

「……何よ」

「名前聞いてない!」

「ああ……」

 

 少女は少し面倒そうに答えた。

 

「矢澤にこ」

「にこちゃん!」

「ちゃん付け?」

「うん!」

「馴れ馴れしいわね」

「よろしくね、にこちゃん!」

「……はいはい」

 

 にこは手を振って歩き出した。

 数歩進んだところで、ふと振り返る。

 穂乃果たちはまだそこにいた。

 穂乃果は笑っている。

 海未は呆れたような顔をしている。

 ことりはそんな二人を見て笑っている。

 にこはしばらくその光景を見つめた。

 ――変な奴。

 それが、最初に浮かんだ感想だった。

 頼んでもいないのに近づいてくる。

 断っても勝手に手伝う。

 それなのに、こちらが少しでも助かったと言えば、まるで自分のことのように嬉しそうに笑う。

 

「……ほんと、変な奴」

 

 もう一度呟いて、にこは歩き出した。

 

 ◇

 

「ねえ、穂乃果ちゃん」

 

 帰り道。

 ことりが尋ねる。

 

「にこちゃん、また会えるかな?」

「会えるよ!」

 

 穂乃果は即答した。

 

「なんで分かるんです?」

 

 海未が尋ねる。

 

「だって、同じ学校だもん!」

「それはそうですが……」

「それに!」

 

 穂乃果は振り返った。

 

「にこちゃん、絶対いい人だよ」

「……そうですね」

 

 海未は苦笑する。

 まだ出会ったばかりだ。

 何を考えているのかも、どんな人間なのかも分からない。

 それでも。

 今日、穂乃果がまた一人の少女と出会った。

 それだけは確かだった。

 そしてその頃。

 校舎の別の場所では、にこが一人で歩いていた。

 

「……高坂穂乃果、ね」

 

 小さく呟く。

 なぜだか、あの笑顔が頭から離れなかった。

 それが何を意味するのか。

 にこ自身にも、まだ分からなかった。。

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