奥様とゼノン様が招待を受けて観劇へと足を運ばれたその当日、私は奥様たちと同じ劇場にいた。
といっても公爵家使用人としての職務で奥様たちにご同行したわけではなくて、クロードお兄様とティナお義姉様の二人と一緒に観劇させていただけるよう取り計らってくださったの。
使用人としてのお仕事は奥様のご配慮でお休みをいただいてね。
本当に奥様は優しいよなぁ、ありがたい話だよ。
ちなみにバルバラおばさまはもう王都を発ってしまわれているそうで、ティナお義姉様だけ今日のためにこっちへ残ってくださっているみたい。
イロンデル商会は歌劇団の
劇場のスタッフが一人案内役としてついてくれて、私とお兄様も一緒に最上級席の中でも更に特別な半個室のバルコニー席へと案内してもらった。
開幕前には廊下を挟んだ場所にある専用の控室も使わせてもらえたおかげで周りに気を遣わずにお互いの近況を話すことができたし、二人の元気そうな顔や相も変わらず仲良さそうな姿を見て安心することもできたし。
ただ、……妹の目の前で始終イチャつくのはほんとどうかと思うけどなあ。
私としてはどう反応したらいいかわからない場面も結構あったので、まあ……できれば二人だけのときにやってほしいかな……。
当然のように装いも二人で揃えてあるし、ほんと仲が良くってそれは結構なことなんですけどね。
歌劇自体もね、ほんとにすごかった。
内容が濃くてぎゅっと詰まっていて、なんだか小説を何冊も読み切ったような満足感。
ストーリーがすっごくよかったのはもちろんなんだけど役者さんたちも皆ほんとに上手だったし、なんならユルンベルク語もほとんど違和感がなかった。
ほんとに皆さんエングリーンの方なの? すごいな。
「二人とも、ゆっくりしてるとこ悪いんだけどちょっとついてきてもらってもいい?」
閉幕後の余韻に浸っているところで、ティナお義姉様の言葉に顔を上げる。
お義姉様は既に席から立ち上がり、商会付きの侍女が彼女のドレスの裾や髪を整えているところだった。
「あ、もしかしてカロリーナ奥様へご挨拶へ行くの?」
「ああ〜そうそう。
私もお母様とお父様の名代として奥様にはご挨拶しとかなきゃだけどさ、もう一人ちょっと奥様に会いたいって人がいて紹介してくれって言われてるんだよね。
私の友人だから二人にも紹介しときたいと思ったんだけど、あの子遅いな、なにやってんの……?
ああ、やっと来た来た!」
「《お待たせいたしましたわ~マルティーヌさん‼》」
劇場の、特にこちら側は特別待遇の客……いわゆる《VIP》ばかりが集まるエリアなんだよね。
裾を引きずる豪華なドレスに惜しみなく宝石をちりばめたアクセサリーを身につけて、使用人たちを大勢引き連れている貴婦人やご令嬢も少なからずいる。
そんな中においても、
燃えるような朝焼けの色の髪の毛を頭の高い部分に左右二つに結っていて、そこから顔の横へと垂れる髪の毛はしっかりと巻かれている。
いわゆるドリル縦ロール。
そしてなにより着ているドレスがすごい。
異国風の光を反射する滑らかな深紅の生地には、青、緑、金色、白と目に鮮やかな色糸でびっしりと刺繍が施され、要所要所を飾るのはリボンではなくて金糸を織り込んだ太さのあるロープのような紐……騎士様のマントとかについてる
その紐が複雑な花のような形に編み込まれ縫い付けられていて、一般的なドレスとは一線を画した独特の雰囲気を醸し出していた。
あれ、本で見たことあるけど結構遠い国の様式だよね……?
でも、その国のドレスはスカート部分がもっとすっきりタイトでスリットが入る形状だったはず。
スカート部分はクリノリンの形にふんわりと広がったこちらやエングリーンでもよく見る様式そのままに、異国風の生地や刺繍飾りは上半身から綺麗に繋がっている。
異国から既製品を買い付けてきたわけではなくて、わざわざ様式を取り入れて作らせたものなんだろうね。
いかにも唯一無二のいでたちをした、個性の光るド派手な美女だった。
きっちりとアイラインの引かれた目元はいかにも意思が強そうだ。
「《も~! 何してたの、ルイーズちゃん!》」
「《申し訳ありませんわ、今日中に
ルイーズ様は到着するなり、ティナお義姉様とエングリーン語でやりとりを始めた。
きっとルイーズ様はこの劇団の関係者の方なんだろうね。
この劇団はエングリーン王国に母体があると言っていたし、さっき
「《万が一にでも公爵夫人がお帰りになってはいけませんものね。
……急ぎましょう!》」
「《そうだね》」
二人は顔を見合わせて頷くと、すぐに部屋を出て廊下を急ぐ。
ルイーズ様は、早足で廊下を歩きながら私とお兄様を振り返って言った。
「《……そちらが、マルティーヌさんの婚約者様のクロードさんと、その妹君のアリスさんですわね?
こんなドタバタしている中でしっかりとご挨拶できず申し訳ありませんわ、わたくしルイーズ=アルエットと申します。
エングリーン王国の侯爵家の娘ですの。
どうか気軽に、ルイーズとお呼びになって!》」
貴族同士の初顔合わせといえば、お互いに紹介者がいて、上位者から名乗って、深々とカーテシーをして……と堅苦しい挨拶が常だよね。
なのにこの、こうしてドタバタと廊下を移動しながらの自己紹介だなんてあまりに型破りで笑ってしまう。
もちろん奥様へ早くご挨拶にいかなきゃいけないという状況がそうさせているんだけど、でもこの格式にとらわれない感じや無駄なことをしない感じね、私は嫌いじゃないなぁ。
いわゆるあれだ、ルイーズ様って《おもしれー女》ってやつかも。
それはまあだって、あのティナお義姉様が友人と評する人物だからなぁって考えたら納得しちゃうよ。
ティナお義姉様の、人でもモノでも
よくそんなの見つけてきたね⁉ って驚かされることばかりなんだもん。
「《あら、そういえばお二人はエングリーン語はおわかりかしら。
ユルンベルク語の方がよろしくて?》」
「《ルイーズ様、お気遣い不要です。
私もお兄様もエングリーン語はわかりますので》」
「《そうでなくては、僕の愛しい花嫁をエングリーンから迎えることができませんからね》」
「《あら、言われてみれば確かにそうですわね!
マルティーヌさんの旦那様になられる方がエングリーン語をおわかりでないわけがございませんでしたわね、失礼いたしましたわ!
わたくしもユルンベルク語は多少嗜んでいるのですけれど、少し細かい部分には自信がないんですの》」
「《そうなんですね。
奥様とのお話の際に、お困りになるようでしたら私がお手伝いいたしますよ》」
「《あら、本当にエングリーン語もお上手ですこと。
そう言っていただけて助かりますわ》」
「《私もサポートに回るからなんでも頼ってね~ルイーズちゃん!》」
「《ええ。もちろん頼りにしておりますわ、マルティーヌさん!》」
あ~そうだね、私よりよっぽどたくさんの言語に精通してるティナお義姉様がいる以上、私やお兄様は出番がないかもしれない。
そんな会話をしながら、私たちはドレスでできるギリギリの大股、ギリギリの早足で廊下を進む。
「《到着しましたわ!》」
息を切らせて扉の前に仁王立ちするルイーズ様。
立ち止まったタイミングで、いつの間についてきていたのか私たちの後ろからスッと出てきた彼女の侍女らしき方が髪の毛やスカートの裾などの身なりを簡単に整えた。
扉の前にアインホルン公爵家の紋章をつけた護衛騎士様がいらっしゃるし、カロリーナ奥様はまだいらっしゃるみたいだね、よかった……。
ご帰宅前にこの控室で少し休憩なさっているのかな?
まずティナお義姉様が一歩前に進み出て、優雅なカーテシーを披露する。
「イロンデル商会長の名代として参りました、マルティーヌ=イロンデルですわ。
アインホルン公爵夫人とご子息に、ご紹介さしあげたい者をお連れした……と、お伝えになって」
ドアの前で控えている騎士がルイーズ様とティナお義姉様の顔を見てすぐにうなずき、公爵家の紋章を付けたもう一人の騎士に何かを耳打ちした。
二人の顔を見て判断したということは、あの方は劇団で雇われてる騎士様なのかな?
ノックの後部屋へと消えた騎士が、少し経ってから中から扉を開いてくれる。
ティナお義姉様、ルイーズ様に続いて部屋へ入ると、カロリーナ奥様がソファから立ち上がりながら赤くした目元をハンカチで押さえている様子が見えた。
「……マルティーヌさん。
今日は本当にありがとう。
とてもいいものを拝見させていただいて、私、なんてお礼を言ったらいいかしら……」
……そうだね、今日の演目は恋愛がメインのテーマだったとはいってもサブテーマとして親子の情愛が結構重ために描かれてたもんね……。
息子を二人お育ての奥様には刺さったのかもしれない。
特に、今日は立派になったご子息のゼノン様にエスコートされてこの場に来ているわけで。
そう考えると感動もひとしおだろうね。
「とんでもないお言葉ですわ。
公爵夫人様のお気に召したようでなによりです」
ゼノン様は、その隣で少し困ったような表情を浮かべていた。
まあ……歌劇に感動して、という理由はわかるにしても、母親が号泣してる横だとおろおろしちゃうよね。
わかるわかる。
それはゼノン様だけじゃないよ。
「公爵夫人様、今日はこちらの劇団のオーナーからもご挨拶をさせていただいても……」
よろしいですか、の語尾を言えず、ティナお義姉様は言葉ごと息を飲み込んだ。
そのある意味異様といえる光景を目にすれば、誰だって、きっとそう。
ゼノン様を夢見るような熱い瞳で見つめながら、ルイーズ様が彼の目の前に跪いている。
ちょ、え、何やってるのルイーズ様。