「さて、本題に入る前にだな……。
まずは、お二方に感謝を。
呼び出しに応じてくれたこと、それから今回の件に協力すると決めてくれたこと。
本当に感謝している。
どうかよろしくお願いする。
クロード殿、アドリーノ殿」
「こちらこそ。
ご協力できることを光栄に思いますよ、イヴァン様。
僕のことは、どうかクロード、とお呼びください」
「あ、でしたら僕もリーノでいいです」
「……いいのか?
俺は、むしろ博士と敬称を付けて呼ばせてもらうくらいのつもりで……」
「ええ~やめてください、そういう大袈裟なのは……。
お気持ちだけは受け取りますが、呼び捨てで呼んでいただく方がよっぽど気が楽です」
「そうですね……クロードの言うとおりだと思います。
僕も公爵家ご子息のイヴァン様から博士付けで呼ばれるのはちょっと……」
「……わかった。
では、その言葉に甘えて今後はクロード、リーノと呼び捨てにさせてもらうぞ。
……それで本当に構わないか?」
「ええ、もちろんです。
その方が物事がスムーズに進むでしょうから。
リーノも、いいよね?」
お兄様の言葉にリーノ様もはい、とうなずいた。
そのタイミングで、リーノ様が私にも声をかけてくださって……すごく真剣な顔で、ナタリア先輩が私を『アリスさん』と呼ぶのにつられていたけど、子爵家子息の自分が伯爵令嬢のあなたをそう呼ぶのは適当ではないでしょうか? と尋ねられた。
まあ確かに、ナタリア先輩は私と同格の伯爵令嬢だし、年上で職場の先輩だったし、ということもあったからさん付けでも違和感がなかったんだよね。
とはいってもリーノ様についても正直今更な感じもあるし、しかもクロードお兄様を呼び捨てしてるのにその横にいる私を『アリス様』っておかしくないかな?
そんなこんなで、少なくとも私的な場では今まで通り『アリスさん』で構わないですよ、ということで結論が出て、それでお互いに納得することができた。
真面目だねえ、リーノ様。
私たちがそんな話をしている間に、イヴァン様は机の上に何やら書類を広げている。
やっと今日の
「その、若様……。
実は私、結局今日何をするか説明を全然受けてないんですけど……」
「……あれ? そうだったか。
俺、お前に全然説明してなかった?」
「はぁ。いきなり城に同行しろって言われただけです」
「……あ~、二人には依頼の手紙に概要を書いて送ったんだが、お前に説明するのはすっかり抜けてたな……いやあすまんすまん」
「お兄様たちは事情を知っているみたいですが、私はまだちゃんと説明してもらってなくて……結局、今日のこの会合の目的がなんなのやら……」
「……そうだな。じゃあまずは、これを見てほしい」
イヴァン様は机の上に置いた分厚い冊子をめくり、短冊型の紙片が挟まれたページを広げる。
私はそれを覗き込んだ。
「論文……の目録ですか。
これは、イゾルディリア語?」
イゾルディリアは、ダンホイズィアより更に南。
大陸の西端にある国だ。
「さすが、フィッシャー辺境伯の令嬢だな。
普通はこれを見てすぐにどこの国の言語かを言い当てるなんて無理だぞ」
「えっ、そうなんですか?」
海路でぐるっと南回りにユルンベルクのフィッシャー港まで来れば、潮の流れがいい季節なら大陸を横断してエングリーンから船に乗るよりも早く到着する。
つまり、うちの領地と直接の取引もある国なのだ。
そりゃあ言語も知ってるよ、って感じなんだけどなぁ。
「そうなんだよ。お前、ゼノンにエングリーン語を教えたり、外国からの手紙も普通に読んだり返事書いたりしてただろ。
あれ冗談抜きで全っ然普通じゃないからな、ほんとに」
え~……そうなの?
普通だよ……うちの領地では。
「それで、この論文が、なんですか?
うーん……植物学者の論文ですね。
……特定の植物……酷似した見た目、在来種の……ええと、分布地帯? の、変化……毒性の可能性……?」
「……もうほとんど説明の必要なくないか?」
「いや、論文の内容はわかってもこれをなんで若様がお持ちなのかはわかりませんよ」
「……まあ、確かにそうか。
今アリスが言ったとおり、その論文はイゾルディリア王国の植物学者の物だ。
在来の植物『ミルサ』と見た目が酷似した新種の植物『ミルセリア』が最近発見された、という内容だな。
その『ミルセリア』は、経口摂取することで中毒症状が出る可能性があるらしい。
その具体的な症例も載っているんだが……それがな。
俺の婚約者クラリスが、ずっと苦しんでいるその症状に似ているんだ」
お。イヴァン様、今俺の
記憶をさかのぼれば半年前の春のこと、私が公爵邸へ来た初日にイヴァン様は、はっきりと『お前と婚約する気はない』と仰った。
その理由は、自分には歴とした婚約者がいるから。
そして噂では、その婚約者には何かしらの
その問題って何なのかなってずっと気になってたんだけどね。
症状ってことはつまり、その方は身体のお加減が悪い方で……旦那様と奥様がイヴァン様とその方の婚約にご反対なさっているのもそれが理由なのかな?
そこまで考えて、私はふと思い出す。
もしかして……イヴァン様が絨毯寝落ち事件の時に寝言で言ってた『クラリスタ』、あれってもしかしてクラリス様のお名前なんじゃない……?
クラリス……クラリスタ……クラリス
「……あの、本当に深刻なお話をなさっているときにこんなこと申し上げるのは失礼かと重々承知なんですが、若様、私、どうしても気になることがひとつあるんです……」
「……なんだ、言ってみろ」
「…………若様って、もしかして……婚約者様のお名前に、普段から
「なっ⁉ おま、どうして、えっ⁉
ちょ、ちょっとこっち来い‼」
いや慌てすぎでしょ。
私は襟首を引っ掴まれる勢いで……いや、実際にはそんなことされてなくて引っ張られたのは袖だけど。
私が男だったら襟首だったかもしれないかなってくらいの雰囲気と勢いで、部屋の壁際まで連れてこられた。
「どこで⁉ いや、誰にそれ聞いた⁉」
必死なのはわかるし、小声で話したいからなんだろうけど、若様、近いよ、顔が近い。
ほぼ《壁ドン》だよ。
…………こんなにもときめかない《壁ドン》あるんだね……。
それにしてもお兄様たちはぽかんとしてるだけなんだよな……あっちはあっちで、危機感というものがないのかな……? 呑気か?
……まあ、変に騒がれるよりはいいのかなぁ……。
「……いえ、自分で聞きましたけど」
「は⁉ お前何言って……」
「あの、若様が絨毯にうつぶせで寝ていらっしゃったときですよ。
ご自分でおっしゃってましたよ、寝言で」
「…………はぁ~…………。
あの時か…………そうか、寝言…………あぁ~……」
身体から力が抜けたように、イヴァン様は壁から手を放す。
深く目を閉じて、眉間を指で押さえながら呻くように言った。
「………………他言、しないでもらえると、助かります…………」
「あ、はい…………それは、はい……」
敬語になってるよ……?
ねえ、若様、大丈夫そう?
しかし、ふ~ん……涼しい顔して内心は可愛い可愛い婚約者様の名前に
たん付け……ちゃん付けでもまあまあ気持ち悪いのに、更にドッと火力が上がるよね……きっとそれくらい婚約者が可愛いからなんだろうけど、私だったら自分の婚約者が自分をそう呼んでると知ったら……うーん……ちょっと、引くかな。
だってさぁ、なんかデュフフとか言ってそうだもん。
「……何の話をしてるんだろうねえ?」
「…………多分、首を突っ込まない方がいいやつですよ。
触らぬ神になんとやら、です」
「そうだね。世の中、知らない方がいいこともあるから」
お兄様たちのほのぼのとした声が聞こえて来る。
どうやら二人はイヴァン様の様子を見て、深く追求しないことにしてくれたみたいだ。
私としては、別にイヴァン様の恥ずかしい性癖が暴露されても全然痛くもかゆくもないんだけど、全部を説明することになると芋づる式に例の寝落ち事件のことにも話が及びそうだから……あれについてわざわざお兄様に説明するのは、ちょっとだけ気まずいかもしれない……。
あと、それについてお兄様が好意的に受け取ったらいやだな、っていうのもある。
どうする? 『いいなあそれ。 僕も婚約者のこと、たん付けて呼ぼうかな~』とか言い出したら……。
ありそうなんだよ。ありそうなの。あの二人なら!
二人がお互いに『ティナたん♡』『クロードたん♡』って言い合ってるところをうっかり想像してしまって、私は瞬時に深く後悔した。
勝手に想像しておいてなんなんだけどね、ものすご~く……、胸やけが……。
うっ……後悔…………。