「あの、おにいさま。
フェリシアおねえさまをしりませんか?」
「ああ。 フェリシアなら、今は博士たちを案内しているところだよ。
今に戻ってくると思うから心配しなくていい」
そうだった。そういえば、フェリシア様やお兄様、リーノ様たちには黙ってこっちに来てるんだった……今頃、私たちがいないことに気づいている頃かもしれないね。
「フェリシア様といえば。
彼女とイヴァン様はご親戚……従兄妹と伺いましたが、クラリス様とはどのようなご関係なんですか?」
「フェリシアおねえさまは、うちにお仕えしてくれています。
ぼくの専属護衛をしてくださっているんですよ」
うち? ということは、シュトルヒ公爵家の使用人、ということだよね。
まあ玄関前で、他の使用人の皆さんと同列で並んでいらっしゃったものね。
なるほど、クラリス様の専属護衛なのか。
「イルムガルト様……フェリシアの母親が、独身の頃クラリスの母親エレオノール様の専属護衛だったんだよ。
結婚して護衛の職自体は引退したけど、その後も付き合いが続いていてな」
あーはいはい、母親同士の仲が良くて元々幼馴染の関係だったんだね。
幼い頃に自分の母親がクラリス様の母親の専属護衛だったという話を聞いてから、じゃあ自分もクラリス様の専属護衛になるんだ! という信念を持ってそれを貫き通して、これまでずっと彼女と行動を共にしているみたい。
特にこちらに療養に移ってきてからは使用人の数も最低限になって、クラリス様の身の回りのお世話のかなりの部分を彼女一人で担っているのだとか。
……私と同じくらいの年齢なのにえらいなぁと言うべきなのか、その執念やばいな……もとい、すごいな、と言うべきなのか。
「……失礼します。
クラリス様、帰りが遅くなって申し訳ありません」
ノックの音に続いて間髪入れずに扉を開ける音に振り返れば、件のフェリシア様がいかにも不機嫌そうな表情で入室してくるところだった。
「お、噂をすればフェリシア。
遅かったな!」
「遅かったな! じゃないのよ、あんたがいなくなったことには気付いたけど、客人を放り出していくわけにもいかないでしょう⁉」
「そりゃそうだ。
はいはいフェリシアちゃん責任感強いねぇ」
「あんたホント馬鹿にしてるでしょ⁉」
二人の言い合いがまた始まった。
私は思わず苦笑いしそうになって慌てて表情を取り繕う。
やばいやばいイヴァン様だけが相手ならともかく、さすがに失礼がすぎる。
「おねえさま! おかえりなさい!」
一方で目の前の言い合いなんて何も気にしていなさそうなクラリス様の明るい声に顔を上げて、フェリシア様は一度イヴァン様を鋭く睨んでからクラリス様の正面に膝を落として車椅子に乗る彼女を見上げた。
「……クラリス様……、私がお傍を離れている間、体調などお変わりありませんか?」
「ふふ、いつもそうだけど……おねえさまは本当に心配性ですね。
それにぼく、今日はなんだか調子がいいのですよ」
クラリス様が嬉しそうにふわふわと柔らかく笑うと、フェリシア様の険しかった眉間がすっとほぐれた。
「……お変わりないのでしたら、よかったです。
この男にも何もされていませんか?」
そう言って、また鋭い眼光でイヴァン様を振り返る。
「おにいさまには、車いすに乗せてもらったところですよ」
「車椅子……、ですか?」
「あっ、ぼくがおねがいしてかなえてもらったところなんです!
おにいさまは悪くありませんからね」
「そうだぞ~なんでもかんでも俺のせいにするな!」
「いや、どの口が言っているのかしら。
呆れるわ」
「そもそも俺がクラリスに何かするとか天地がひっくりかえってもありえんからな!
俺のすべてはクラリスたんのためにある!」
あっ、出ちゃってる出ちゃってる。
……クラリス様ご本人は、きょとんとしてるね?
つまりわかってなさそうだから大丈夫、なのかな……?
えぇ~……? なんで私がこんなにもハラハラさせられなきゃいけないわけ……?
一方でフェリシア様はもう一度イヴァン様を無言で睨んでから、クラリス様に向き直る。
さっきの発言は無視することに決めたんだね。
うん。反応のしようがないもんね。わかる。
「でもどうして車椅子に……?
お庭でのお散歩でしたら、午前中に少しさせていただいたと思いますが……」
「クラリスは、博士たちに挨拶へ行きたいんだと。
でも、さすがにクラリスがこの寝着姿で男性の前にいくわけには行かないだろ……家族なわけでも医者なわけでもないし」
「当たり前です。
というか、その論理ならイヴァン、あなたも許されないんだけど……正直いちいち指摘するのも疲れるんだけど、あなたなんでこの部屋にいるの」
「俺は婚約者だし家族みたいなもんだから大丈夫だって。
侍女も通してくれたし。
な、クラリス?」
「……ううん……ぼくも、ほんとうは少しはずかしいですが……。
でも、ぼくはこうやってベッドに寝ていることが多いので、せっかくこうしておにいさまが訪ねてきてくださっても、そのときにお会いできないのはさみしいですね……?」
クラリス様はイヴァン様の袖口を控えめに指先で掴んで、やや上目遣いで見上げている。
「クラリス…………!」
若様~。
顔が溶けてるよ~。
「……厳密には婚約者は
でもクラリス様ご自身にそう言われてしまうと私ではどうとしようもないわ……ゾフィーさんも、そりゃあイヴァンに来られたら立場的には通さざるを得ないわよね……」
フェリシア様の呟きに、イヴァン様が一瞬勝ち誇ったような顔を向ける。
それをフェリシア様がまたギッと強く睨む。
ねえ~、この二人ずっとこんな感じなの……?
ちなみにゾフィーさんというのは、扉の前で待機していた侍女さんのお名前だそうです。
イヴァン様が来て部屋の外へ下がるまでは、この部屋でクラリス様に付き添っていらっしゃったみたいだね。
「……おにいさまとおねえさまは、ほんとうに仲がよろしいですね」
遂にクラリス様本人から怒られるかと思ったら逆の内容で私は思わずクラリス様と二人を交互に見てしまった。
ええ……? これを見て、『仲がよろしい』……?
いやぁ、私にはどう見てもそうは見えないんだけど……。
……いや、もしかして? 一周回って
……まあ、確かに、じゃれてるだけといえばそうなのかもしれないけど……。
売り言葉に買い言葉、みたいな感じで、うん。
……あ、わかった。
もしかして、だけど。
これ、いわゆる《同担拒否》ってやつじゃない?
だって二人ともクラリス様大切・可愛い・大好き、自分の方がクラリス様のことわかってるのに!
ずっと一緒にいるのに! みたいな感じでさ、その感情が正面からぶつかってるってことだよね?
お互いの、自分の《最推し》に対する態度について《解釈違い》が起こってるんだわ。
そう考えるとちょっとすっきりするというか、納得できる気がする。
「……まあ、寝着姿を見たことは不問にします。
アリス様が立ち会ってくださっていたのなら、二人きりになったわけではなさそうですし……」
……ごめん、フェリシア様。
私が部屋に来るまでの間で二人きりの時間もあったわ……。
侍女のゾフィーさんは外で待機だったし。
でも都合よく誤解してくれてるみたいだから黙っておこうかな。
イヴァン様をちらりと見るとほんの小さくうなずかれる。
話を合わせておこうってことね、了解。
心の中でサムズアップ!
会話が途切れたタイミングで、クラリス様が一度小さく咳をした。
そのまま身体を折るようにして、ゴホゴホと咳き込み続ける。
あああ、お辛そうで見ているこっちも辛いよ……。
フェリシア様が慌てて車椅子の横に跪いて、クラリス様の背中をさする。
「まずはクラリス様のお身体が優先ですよ。
今日は一度、ベッドに戻りましょう?」
「…………わかりました。
おねえさまの言うとおりにします……」
しょんぼりした表情を見てしまうと、胸をぎゅっと掴まれるような切ない気持ちになった。
きっとこれまでも、たくさんこうして……いろんなことを我慢して来た方なんだろうなあ。
クラリス様は、フェリシア様に抱きかかえられておとなしくベッドへと戻った。
その後クラリス様が座っていた車椅子をひょいっと持って一人で軽々と壁際まで移動させたフェリシア様に私は目を見張る。
細身に見えてもやっぱり騎士様なんだね、しっかり身体を鍛えていらっしゃるのかな。
一朝一夕の努力では身につかない筋力だよねえ……公爵邸の護衛騎士様たちが鍛錬や訓練を邸の裏側でなさっているところを見たことがあるけど、ああいうのを彼女もやっていらっしゃるんだろうな。
「……せっかくお客さまが来たのに……。
寝ているだけなんて、つまらないなぁ……」
ふう……という不満げなため息が、静かな部屋に響いた。
「……博士たちへのご挨拶については、とりあえず明日の朝の散歩の時間にできるよう手配いたしますので、それまでは我慢なさってください」
「そうだな……。
でもこれからしっかり身体を治したら、きっと散歩の時間以外にも起き上がれる日も増えるんじゃないか?
俺はそうなったらいいなと思ってる。
俺と博士たちは、その手伝いをするためにここに来たんだから」
「……そうですね、わかりました。
二人がぼくのことを考えて言ってくれているのはわかりますから、ちゃんと言うことをききますよ。
おにいさまもおねえさまも、いつも本当にありがとう」
その健気な微笑みをこうして実際に目の前にすると、確かにクラリス様は可愛いと思う。
うん、間違いなく、可愛い。
きっと身体が弱いからという理由からあまり外に出ていないからかもしれないけど世間ずれしてなくて、実年齢より幼くて、笑顔が儚くて……。
そして形容しがたい不思議な魅力があって。
あ~、これはまあ……守ってあげなきゃな、って思わされるよねえ……、イヴァン様も、フェリシア様も。
守りたいよね、この笑顔。わかる~。
だからこそ、イヴァン様もフェリシア様もそれぞれクラリス様にこんなにも執着しちゃうのかなぁ。
しかもその執着のベクトルが完全に真っ向正面からぶつかって《同担拒否》になっちゃってるんだもの、なかなか難儀な話だねえ。