「ところでアリス様、その……今って、少しお時間よろしいですか?」
考えこんでしまった私はフェリシア様の言葉に慌てて顔をあげる。
遠慮がちに切り出した彼女は、少し緊張した面持ちでこちらを見つめていた。
「そのうち機会があればと思っていたんですが……可能でしたら、アリス様個人に少し伺いたいお話があって」
「ええと……私に、ですか?」
えっ、私に?
フェリシア様が私個人に聞きたいことがあるって、なんだろう……。
全然思い浮かばないけど。
「はい、そうなんです。
アリス様、あなたは……従兄が旅立つ場に居合わせた、と聞いています。
その時のことを、詳しく教えてほしいんです」
「従兄……? って、若様ですか?」
「若様……ああ、イヴァンではなくて、もう一人の従兄、ゼノンのことです」
「……ああ! ゼノン様ですか……!」
そうか、言われてみればそうだわ。
イヴァン様の従妹ならゼノン様の従妹でもあるよね。
「ええ。 こちらのエンテ領へ移ってから、王都の方の情報がやっぱり入って来にくくて……。
彼が隣国へ行った、というのも少し後から手紙で知ったんです。
ですから簡単に事情は知っているけれど、やっぱり文字で簡潔に説明されてもよくわからないことが多くて……。
可能ならその場にいたというあなたにその時のことを直接詳しく聞きたいんですが、よろしいですか……?」
「なるほど、そういうことですね……わかりました。
私でよければお話しします」
私の答えに少しほっとした様子で、彼女は私を自室に招いてくださった。
私が自室にと間借りしていた部屋のお隣だけどもね。
綺麗に整頓された部屋で……彼女の性格を表したみたいな部屋だった。
ほめたら、こちらにいる間だけの仮住まいですし……と遠慮がちに微笑んでいたけど、わ~……私の部屋は見せられないわ……。
更に領地の自宅の自室とか、もっと絶対見せられないわ……。
そんなことを考えながら、勧められてソファへと腰掛ける。
「大体の事情はお手紙ではご存じということですけれど……。
あ、そういえば手紙ってどなたからいただいたんですか?」
「ああ、それはアインホルン公爵邸のタウンハウスにいるお
……あら? ピンと来てない顔をなさっているけど……アリス様はアインホルンに使用人としてお勤めになっている……ということでお間違いないですよね?」
「一応、はい、そうです……?」
「アインホルン邸には、私のお
面識はないですか?」
うーん……、フェリシア様のお兄様なら、それってその方も若様二人と従兄弟になるはずだよね。
えぇ……? そんな人いる?
知らないんだけどなぁ。
私たちは二人そろって、お互い不思議そうな顔を見合わせた。
「名前はエドゥアルトといいます。
私と同じ黒髪で……」
「…………エドゥアルト……?
あ、もしかして
あー! それなら例の、イヴァン様絨毯うつぶせ寝事件で助けてくれた人だ!
そうね、結構若い方だな、って思った覚えがあるから年齢的にフェリシア様と兄妹と言われても納得だよ。
黒髪だったかどうかは記憶があいまいだけど、そうだったような気もするね……?
今回もこちらには来てないし普段からあまり接触はないけど、普通に公爵邸にいると思う。
「面識はほとんどありませんが、お名前を存じ上げてはおりますよ」
名前と顔が今やっと一致した程度だけどね。
顔もうろ覚えだけどね。
言われてみれば、なんかイヴァン様に対して若様と使用人って割にはなんか気安い態度だった気がするよ……従兄弟ならなるほどねぇ……。
まあ、私がイヴァン様のことそれほど敬った扱いしてるかどうかといわれたらちょっと自信のないところはある。
もう私の中であの人、雇用主っていうより近所の兄ちゃんポジションなんだよなぁ。
「あら……そうなんですね……。
おかしいな……あの人、無類の女好きなのに……。
こんなにもお可愛らしいアリス様を気に留めずいつもみたいな鬱陶しい絡み方をしていないなんて……なんだか裏があるんじゃないかしら、逆に怖いわ」
ん? え、その独り言どういうことですか?
フェリシア様のお兄様ってそんな方なの?
……こんなに真面目を絵に描いたような、清廉で清楚なフェリシア様のお兄様が、無類の女好き、《ウザ絡み》……?
全然想像できないんだけど……。
「……まあ、お兄のことは今はどうでもいいです。
忘れてください」
「はぁ…………」
どうでもいいんだ、忘れていいんだ……。
まあ、確かにあんまり知らない人のことをここで話されてもねぇ……興味なくはないけど、ゼノン様の話から逸れちゃうもんなあ。
「それで、本題のゼノンの話なんですが……。
その……私には、あの子が自分から貴族の身分を捨ててでも国外へ行く、という決断をしたということがやっぱり信じられなくて……あ、貴族籍を残してあることは知っていますが、それでも実質捨てていったような状態ですよね?」
「そうですね。
こちらの国へ帰ってくるかどうかがわからない状態ですから、そう言って差し支えないと思います」
まあ……そうだね、言いたいことはすごくわかります。
私も、あの強烈な一日のことがなくて、それまでのゼノン様と接していただけだったらそう思ったかもしれない。
「その……まさかとは思うんですが、ゼノンが無理やり連れ去られたのではないのか……なんて、そんな悪い方向につい考えてしまって。
自分でも、それはさすがに突拍子のない考えだとはわかっているんですが……」
ああ〜……。
でもあのルイーズ様なら、場合によっては問答無用で人攫いくらいはしそうな迫力はあったよね。
そんじょそこらの人じゃ、あのテンションで向かって来られたら太刀打ちできないでしょ。
特にゼノン様って、寡黙で気が弱いイメージだったしなぁ……。
「そうですね……ゼノン様を役者にと勧誘した歌劇団オーナーの態度は確かにかなり強引ではありましたし、当初はゼノン様もだいぶ戸惑っておいででしたよ」
「そうなんですね。
そのオーナーとはどういったお方なんですか?」
「エングリーン王国のアルエット侯爵家のご令嬢です。
正確にはオーナーは彼女自身ではなくて、彼女のお父上のアルエット侯爵だそうですが。
ただ彼女がご自分で、他国興行の間は歌劇団の運営については任されていると仰っていましたよ。
同時に芸術家としてしっかりとした実績と審美眼をお持ちの方です」
「そう、なのですね……。
……芸術家、というのは?」
「ええ、ゼノン様が少し前から、ええと……大衆向け小説をご愛読なさっていたことはご存じですか?」
一瞬『少女向け恋愛小説』って言いかけたけど、無難に『大衆向け小説』って言い変えたよ。
ちょっとね、少女とか恋愛とか言うと、フェリシア様にどう受け止められるか反応が読めないからね……。
「そうなのですか?
まあ、あの子は元来物静かで内気な性質だから……読書をしている姿を想像しても、あまり違和感はありませんね」
「……あ、一応これは内緒にしてほしいんですけど……」
「内緒? どういうことでしょうか?」
「それがですね、その令嬢……ルイーズ様は、ゼノン様が愛読なさっていた小説を執筆した作家本人だったんですよ。
ただ、彼女は若い貴族令嬢という立場で執筆活動をするとやっかみを受けるということで、身分や性別、年齢を非公開にして活動なさっている方なんです」
「なるほど、そういう事情でしたら……承知しました。
口外しないとお約束します。
それにしても……そんな偶然があったんですね。
それはきっと、ゼノンにとって運命の出会いだったんでしょう」
まあ……完全に偶然とは言えないかもなあ。
そもそも歌劇の演目の原作者がゼノン様が気に入ってる小説の著者だっていうことに気づいたカロリーナ奥様が、ゼノン様をその歌劇に連れていくことを決めたんだから。
いやでもね、歌劇を見に行ったらその演目の原作者が現れる……とかね、それくらいまでなら『驚いたよね~』くらいで済むかもしれないよ。
でもね~、その原作者がティナお義姉様の友人の年若いとびきり破天荒なご令嬢で、しかもゼノン様をいきなり役者にスカウトしてくるとか……そこまでの事態になるだなんて誰が想像できるの? って話じゃん。
「ゼノン様はその場で随分とそのご令嬢と打ち解けられて、『役者に挑戦してみてはどうか』という言葉も素直に真正面から受け止められたご様子でした。
その結果、ご自分の意志でその道を目指すことを決意なさったようですよ」
「……ありがとうございます、かなり詳しく状況がわかりました。
……やっぱりその場にいた方から、実際に話を聞くのが一番ですね。
……その話の通りあの子が自分で納得してその道を選んだのなら、私は応援してあげたいです」
狭い狭いこの国の貴族社会という区域の中で、見た目がいいというだけで自分の気持ちとは裏腹に目立ってしまって生き辛かったゼノン様。
見た目のよさや公爵家子息という身分のせいでいい意味でも悪い意味でも特別扱いされない隣国の劇団での生活で、きっと彼は自由に羽ばたいているはず。
もちろん苦労がないわけではないだろうけれど、それでもね。
「でも、でもですよ?
本当に一人で、それも隣国でやっていけているのかしら……そう思うと、やっぱり心配で」
「そうですね、お気持ちはわかります」
特に彼を幼い頃から知っていたらそう思うだろうねえ。
無理もないと思うよ。
「もちろん、すべてがゼロからです。
役者としての稽古を基礎から叩き込むという話でしたし、それと並行して彼の場合はエングリーン語の勉強も必要です。
それでもやる、とゼノン様がご自身で決意なさったようですから……旦那様もイヴァン様も、最終的にはそのお気持ちを尊重なさった、と伺っておりますよ」
「……そう、なのですね……あのゼノンが……。
まだ少し信じられないけれど、それでも信じてあげたいという気持ちも同時にあります。
彼がそうやって一歩を踏みだしたのなら、私も負けられませんね」
フェリシア様は軽く拳を握った。
彼女の目に決意の光が灯る。
「クロード博士が取り寄せてくださった本は全部読んで、私もたくさん勉強しました。
クラリス様のためにも、今度こそ奥様をお諫めしてみせます。
もちろん、私一人の力ではなくて、奥様と長い付き合いのある母様の力は借りるつもりではありますが……」
えっ、あれ全部読んだの?
結構な量があったと思うけど……真面目だなあフェリシア様。
まあ、それくらい今回の事態について責任を感じてるってことだよねえ……。
でも、フェリシア様だけのせいじゃないじゃん?
ちょっと真面目すぎるというか……がんばりすぎてはいない? 大丈夫かな。
「ゼノンの劇団は、またこちらの国で公演をしたりするんでしょうか?」
「そうですね。
こちらの国で興行を成功させた実績もありますし、次にこの国で公演する際はカロリーナ奥様が馴染みの劇場と一緒に支援に回る手はずになっているようですから、きっと遠くないうちにその機会があるかと思いますよ」
「じゃあ、きっとまたゼノンに会える機会がありますね。
その時には私、あの子にちゃんと謝れるかしら……」
言って、彼女は目を伏せる。
長いまつ毛が頬に影を落とした。
「……あっ、すいません、つい余計なことを言ってしまいました!
……ごめんなさい、今のは忘れてください」
誤魔化すように浮かべた微笑みが痛々しい。
私は思わず、彼女の手を握っていた。
「あの……もし差支えなければ……私でよければ、愚痴でもなんでもお聞かせください。
この際ですから、胸につっかえていることがあるのなら全部話してしまいましょう?
もちろん他言はいたしませんから」
言いたくないなら無理にとは言わないけどさ?
でも、フェリシア様がとてもお辛そうなんだもの。 放っておけないよ。
「…………その、あまり気持ちのいい話ではありませんが……それでもよければ……」
「全然構いませんよ」
「…………ありがとうございます」
言うと、フェリシア様はひとつ深呼吸をした。
私はさっき思わず握ってしまった手を一旦放して座りなおした。