「……イヴァン様、少し変わったお方でしょう?
びっくりなさいましたか?」
廊下での先輩の言葉に、咄嗟にどう返していいものか言い淀む。
ええ、そうですね! 変わった方ですね‼ って言ってもいいものですかね、この場面で……。
「悪い方ではないんですよ……私たち使用人にも気さくで、とてもよくしてくださいますから」
まあ、確かにそんな印象だったかな……ただ結婚相手としては実際どうなんだろ、まだ判断できないけど。
そもそも婚約について完全に向こうからお断りされちゃったわけだけどねえ……。
「……着きました。
こちらはご次男様のゼノン様の執務室です。
……もうお部屋へ入られているようですね……」
少し緊張した面持ちの先輩の言葉に、私も無言で頷いた。
「ゼノン様は、イヴァン様とはまたちょっと違った意味で変わった方なので驚かないでくださいね。
彼も、悪い方ではないんです、ないんですけど……」
いや、ちょっと待ってなんでそこでそんなに表情を曇らせて言葉を濁すかな?
めちゃくちゃ不安になるんだけど……!
と内心焦っている間に、先輩は一呼吸してから扉をノックした。
「若様、ナタリアです。
少しよろしいでしょうか」
「…………ああ、入れ」
「失礼いたします……」
扉を開けると、執務室の机に青年が一人腰かけていた。
机上になにか書類のようなものを広げている。
間取りはイヴァン様の部屋と兄弟で同じかな……?
ただちょっと雑然としていた向こうと比べて、こっちの部屋は物が少なくて片付いている感じがする。
イヴァン様に比べて、綺麗好きな方なのかも。
あ、でも文官ではなく武官……騎士様だそうだし、物の絶対数が少ないだけで本や書類があまりないだけかもしれないね。
で、なるほど、こちらが次男のゼノン様か……。
奥様譲りの絹のようなサラサラの長い銀髪を肩の前でゆるくひとつにまとめていて、胸元まで垂らしている。
物憂げに頬杖をついて伏し目がちにこちらへと視線を向けたその姿は、まるでそこだけ恋愛小説の挿絵を切り取ったみたい。
大変な美丈夫だ……うっ……なんか周りに花が舞ってるような幻覚が見える……。
すごい、目の保養……。
「…………」
さて。
その超美丈夫がさっきから無言でずっとこっち見てるんですけど。
ええ……? もしかして、私、何か気に障ることをしたのだろうか……?
長男のイヴァン様があまりにも気さくだったからか少し緩んでいた緊張の糸が、もう一度ギリギリと引き絞られて行く。
「若様、明日から働いてもらう新しい使用人をご紹介するため伺いました。
アリスさん、ご挨拶をお願いします」
「……若様、お初にお目にかかります。
フィッシャー伯爵家が長女、アリス=フィッシャーにございます。
こちらで使用人としてお世話になることとなりました。
どうぞよろしくお願いいたします」
「………………」
すごい見られてる。
え、何、すごい見られてるんだけど……?
といっても、ここで何かを言って失敗したら失礼になったりしないだろうか? 怖すぎる……!
冷や汗が高速で額と背中を伝って行くのがわかる。
「………………使用人?」
「はい、そうですわ。
今日は領地から王都に到着したばかりですから、ご挨拶だけです。
明日から私が仕事を引き継いでいく予定です」
「……ああ、そうか。
なるほど。
だからまだその服、なんだな……」
「服……?
ですか?」
「……ああ。
使用人は皆、その……なんというんだ、そういう服を……」
言って、ナタリア先輩の方へ視線を向ける。
ナタリア先輩は、ああ、と小さくつぶやいてから紺色のシンプルなワンピースドレスと、白いエプロンの裾を広げながらカーテシーをして言った。
「この、お仕着せのことでしょうか」
「……そうだ。
だからそれを着ていない者を使用人と紹介されたので、少し……混乱しただけで…………」
ああ、なるほどね。
確かに私はまだ移動用の楽なデイドレスのままだった。
いきなり知らない人、それもドレスを着た令嬢が部屋に来たから驚いた、ってことか。
こいつ何者だ? ってことね。
で、使用人だとわかって安心した、と……。
「…………すまない、また母上がどこかで見つけてきた
独り言のようにつぶやいた表情は、正にうんざり、と言うのに相応しいものだった。
これまで度重なってそういうことがあったんだろうね。
美術品の彫刻のように整った綺麗な顔の眉間に、深く皺が寄っている。
「……そうですね、イヴァン様はもう少しお上手にあしらっていらっしゃいますので……。
奥様も、半ばお諦めのように見えますね。
その分、若様へのご心配のお気持ちを強くお持ちなのでしょう」
「……はぁ……俺を、話の上手い兄上と同じと思わないでほしい……。
令嬢たちの相手をさせられるのは、本当に苦痛なんだ。
そんな気はないのに、いつも酷く幻滅させてしまったり妙に怖がらせてしまってばかりで…………」
……互いに、嫌な思いをするだけなのにな。
そう小さな声で呟いたゼノン様の横顔には、深い苦悩が刻まれているように見える。
う~ん、なるほど……相当ご苦労なさっているんだね……。
嫌というほど伝わってくるよ。
「だからお前もそういう手合いではないかと思って……。
……じろじろと見て不快にさせてしまっただろうか?
もしそうなら、……どうか、許してほしい」
「い、いえ、そんな、勿体ないお言葉です」
「……改めて。
……俺はこの公爵家の子息、イヴァン兄上の弟でゼノン=フォン=アインホルンだ。
王立騎士団へ勤めている。
文官として優秀な兄上と俺では、頭の出来が違うからな」
うわ、早速自虐《ぶっこんで来た》よ……。
イヴァン様が優秀な方、というかなんか世渡り上手っぽい?
そういう雰囲気はなんとなく感じたけど、やっぱり兄弟で比べられたりしているんだろうか。
この常に漂う地の底から這ってくるようなどんよりした陰鬱な雰囲気はそのせいなのかな。
美形なのに勿体ないな……なんて、美形に生まれたらそれはそれで大変なこともあるんだろうけど……。
「よ、よろしくお願いします。
それで、その……。 早速ではありますが、ひとつお伝えしておきたいことがございます」
さっき奥様に婚約者候補を連れてこられてうんぬんというゼノン様のお話を聞いてしまった以上は、ねえ……。
私も奥様に言われたことをこのまま黙っておくのは、さすがに申し訳ない気がして……。
「伝えたいこと……? と、いうのは……?」
『何事か』と言いたげに少しだけ目線を上げたゼノン様に、私はこれまでの経緯をかいつまんで説明した。
公爵夫妻に、私は基本は使用人として雇われてはいるが、同時に二人の若様の婚約者候補でもあると告げられたこと。
若様、そして私のお互いの合意があれば、以後私を婚約者として遇することになること。
イヴァン様にはその話はもう既にきっぱりと断られたこと。
説明が進むごとに、ゼノン様にため息が増えていき、また顔色がうんざり具合を深めて行く。
「…………事情をそちらから開示してくれたことに、心から感謝しよう」
疲れ切った表情だけど、これは私に対してじゃなくて奥様に対して呆れている、っていう感じだよね?
一応私に対しては感謝って言ってるし。
それはわかっているんだけど、でもなんかこう……美形にこういう表情されると、
「お前の名前は、アリス嬢……と言ったか?
念のため聞くが……お前に、俺の婚約者となろう、という心づもりはあるのか?」
「その……正直に、お答えしても……?」
「構わない。
この場での発言は不敬には問わないと約束する」
「…………そうですね……」
身分も立場も格上の公爵家子息に『不敬に問わない』なんて言われてちょっと驚いたけど。
それが本当なのなら、私もちゃんと応えるよ。
「…………まだ、わかりませんね」
「……わからない、というのは?」
「ええと、私としては、いえ、
かといって、若様たちのお気持ちを無視してまで私の立場を押し通すつもりは毛頭ございません。
もちろん、お仕えする中で私自身が若様に対してお慕いする気持ちをよっぽど強く持つようになれば話は変わってくるかもしれませんが、そちらについては今の段階ではまだなんとも申し上げられませんね」
「…………なるほどな。よくわかった。
兄上との婚約はないものとしても、俺との関係は少し
「…………」
……様子見……、ね。
私からゼノン様に対して、だなんてとんでもなく不敬な表現な気もするけど、まあ、つまりはそうですよね……。
正しい正しい。肯定はできないから無言になるしかないけど!
冷や汗止まらないわ……。
「では、申し訳ないがこの場で言っておこう。
俺は…………お前を愛することはない」
苦悩の滲む表情で言い放たれたその言葉。
もし私が彼に心を寄せる可憐な令嬢なら、ショックで倒れてしまう場面なのかもしれない。
そうでなくても、そんなこと言われたら普通は傷つくしがっかりすると思うよ。
でもね、私の胸は今、そういう乙女らしい感傷とはまったく違う気持ちで満たされていた。
……だって、すごい……‼
そんな恋愛小説の《テンプレ》みたいな台詞を実際に口にする人、本当に実在するんだね⁉
だめだ、今にも吹き出しそう。
いや、さっきゼノン様から『不敬には問わないと約束する』と言われたにしてもさすがにいくらなんでも失礼だし、平静を装わなきゃいけないんだよ。
彼のここまでの話を聞いて、表情を見て……きっとこんなこと言いたくて言ったわけじゃないんだろうというのもわかるし。
でも、でも……これは無理!
だってねえ……あのさ、恋愛小説で冷徹な旦那様が初夜で言いがちな《テンプレ》台詞と《完全一致》してるんだもん‼
やばい、待って……おもしろすぎるんだけど‼
小説だと、大抵その後その冷徹旦那様が改心して溺愛がはじまるんだよね!
あ、もしくは旦那様より《ハイスペックイケメン》が現れてヒロインを掻っ攫っていって《ざまぁ展開》になるのもあるかな?
どちらにしてもその辺りが鉄板だよね⁉
そういう小説、これまでにすっごくたくさん読んだ‼
任せて!
私、そういうのにはすごく詳しいんだから‼
結局はナタリア先輩が機転を利かせて、うつむいてしまった私を『体調が悪そうですね』と引きずるようにして部屋から退出させてくださったの。
それについてはすごく助かったし、ナタリア先輩にも本当に申し訳ないことしたとは思うんだよ?
でもさぁこんなの、正直に全部説明できないもんね⁉
いやぁ……。
小説を読者として読んでるときには作中でああいう《テンプレ台詞》が来たら『おっ、きたきた‼』ってなもんだったけど、まさか自分が現実にこの耳で聞くことになる日が来ようとはね……。
人生何があるかわからないものだわ。
とんでもない《実績解除》しちゃった。
でもさ、《テンプレ台詞》からの《溺愛展開》なんて、万が一でも自分の身に降りかかるかも……って想像するだけで…………もう、無理。
正直、ほんとに絶対遠慮したい!
『何故かイケメンに執着されて溺愛されちゃいました♡』なんて台詞を言う自分を想像したら……あ~! 無理‼ だめだ、鳥肌が立っちゃう‼