「本当に、釣書が多いですね……。
皆さん、ゼノン様の奥ゆかしい性格をご存じでないんでしょうか……」
さすがに私も、後ろ向きすぎる性格とか雰囲気がどんよりしてるとかは言わなかったよ。
内心でそう思ってても、まさかそんなこと口には出せないからね。
「……俺のこの性格を知っていて尚、婿に来てほしいという輩もいる」
「えっ、そうなんですか?」
「……仕事は何もせずともよい。
ただ邸にいて綺麗な人形のように微笑んでいて、孫にその美貌を受けついでくれ、とな」
彼は、これはさすがに面と向かって直接言われたわけではなくて、『そう言われているぞ』っていう情報を知らされたんだけどな、と付け加えた。
……いや、うん。
酷いな。
理屈はわかるよ。
とても大人しい性格で綺麗な顔をした男だよ。
自分の娘の婿にして家に閉じ込めて、傀儡にして言うことを聞かせて実権は自分が保持したままにするなり、もしくは実娘に渡すなり、なんでもできるわけだ。
そして孫に美貌が受け継がれたらラッキー、ってこと……?
……完全に種馬扱いだなぁ……。
まあ、貴族の結婚なんて本来はそんなもの、といえば、それはまあ、そう。
でも今はさ〜、もうそういう時代じゃないんだよね!
貴族も恋愛結婚がかなり多くなってきているし。
家同士の契約で愛のない結婚をした後に、どちらか片方が
だから今は結婚する当事者たちの気持ちを優先すべし、みたいな風潮が結構強くなってきてるんだよね。
うちのお兄様なんて、伯爵家嫡男なのに婚約者は平民だもんな~まあ、お義姉様はちょっと普通の平民ではなくてだいぶ特殊なケースではあるけどね……。
もちろん、恋愛結婚したからって結局浮気だの離婚だのそういうのがなくなるわけじゃないし、家同士の取り決めというかお見合いがスタートでもその後ちゃんとうまく行っている夫婦だってたくさんいるんだけどね……。
まあ、どの国、どんな時代でも男女の機微ほど難しいものはないってことか。
「アリスさん、手が止まっていませんか?」
ナタリア先輩に微笑まれて、私は考え事を切り上げた。
「あっ、すいません!
集中します‼」
「まだ封はしない状態で渡してくださいね。
私が最終チェックをしますので」
ニコラス様が、これまたにこやかに笑いかけてくれた。
そんな私たち三人の横で、当のゼノン様は執務机で何をなさっているのだろう……。
ニコラス様のチェックが通ったものに署名はしているみたいだけど、ずっとその作業にかかりきりというわけではなさそうだし。
私はふとそんなことが気になって、ゼノン様の方に視線を向けた。
……ん? ちょっと待って。
私の見間違いじゃなかったらそのゼノン様が広げてるそれ、その背表紙のタイトル……。
『運命に愛された華』ってそれ、去年くらいに平民の間ですごく流行った恋愛小説じゃない……?
「……どうかなさいましたか?」
私の視線に気づいたナタリア先輩が声をかけてくださる。
「いえ、あの……若様がご覧になっているそれ……」
ゼノン様の肩がびくりと揺れた。
あれ、指摘しちゃいけないやつだったかな。
いやでも内容はあれって確かほんとに綺麗な純愛もので、恋愛描写はものすごく健全な内容だったはず……?
むしろどっちかというと
いや、ほら恋愛小説ってものによってはちょっと恋愛描写が際どいやつもあるから、そういうのだとちょっと気まずいかもしれないけど。
さすがに部屋に女性の使用人がいる横でやらしい本読んでたらそれは完全に《セクハラ》案件でしょうよ。
顔がよかろうが関係ないよ、訴えるよ。
「……若様は、今度騎士団で他国からの使節団の警護を担当なさるとか。
そのため、その国の言語について予習なさっておられるのですよ」
「……ああ! それ、エングリーン語の原書の方ですか。
……ああ……そうか、『運華』って最終巻はまだ原書でしか発刊されてなくて、ユルンベルク語の翻訳版が出てないんでしたっけ……私も続きが待ちきれずに、原書で読んでしまいましたけど」
「……」
「…………」
「……」
「…………え、なんですか?」
完全に動きが止まってしまった三人……ゼノン様にナタリア先輩、ニコラス様の三人分の視線を受けて、私はたじろいだ。
「……あの、アリスさんは……エングリーン語の原書を読めるんですか?」
「えっ、エングリーン語ですか?
普通に読み書きと簡単な会話くらいなら……。
あれ、もしかして……これって普通じゃないです……?」
「普通ではありませんよ、アリスさん。
全然普通じゃありません」
ニコラス様、二回言ったよ。
そんなに驚くことだったかなぁ……だって、隣の国の言語だよ……?
「……そういえばそうでした。
アリスさんはフィッシャー辺境伯領でお育ちでしたからね……海洋貿易の窓口となっている領ですから、外国語も自然と身に付いた、ということなのでしょう」
「あぁ……確かに、それはあるかと思いますね。
フィッシャー伯爵家でも船を所有していますし、それを使ってエングリーンへ行ったり、ということもまあまあ頻繁にしていましたから……」
「外国にですか⁉ すごいです、どんなところに行ったんですか?
もしかして、エングリーン王国以外にも行ったことがあるんですか……⁉」
ナタリア先輩が食いついた。
ええ〜……薄々気づいてはいたんだけど、やっぱり王都育ちの人たちって、あんまり外国へ行ったり外国語を知ってたりしないのかなぁ……?
正直、私個人でいえばここユルンベルクの王都へ来るより、隣国エングリーン王国へ遊びに行ってる回数の方が絶対多いと思う。
ティナお義姉様も普通に普段からユルンベルク語を話してくれてそのまま接してるから忘れがちだけど、彼女もエングリーンに籍があるしねえ……。
うちは家族を含めて周りが皆そんな感じだったからこれまで普通だと思ってたけど、もしかしてうちって普通じゃないのか……?
「それより、アリス嬢。
その……この小説は、お前も読んだのか……?」
「あ、はい、若様。
『運華』……すいません、つい
エングリーン王国でもユルンベルク王国でも、去年くらいにすごく流行してましたよね。
ユルンベルク語の翻訳版も時間差で刊行されてますが、完結巻である最新刊はまだ原書しか出てないんじゃなかったですか?」
「そう、そうなんだ。俺も続きが気になって……。
その……、だな。
……ちょっと、来てくれないか……」
言うと、ゼノン様は私を執務机まで手招きする。
小説の脇にはエングリーン語の辞書。
小説本文にも辞書にも、びっしりと線が引かれメモ書きがされている。
とても真剣に勉強をなさっているのが伝わってきた。
「ここ……なんだが。
どうしても意味がわからなくて。
この場面で『泳ぐ』というのは、話が繋がらなくないか……?」
「ああ……このシーンですか……。
……あ〜、この単語は確かに直訳すると『泳ぐ』ですが、前後の単語との組み合わせで慣用句的に『遠くに泳いでいきたい』つまり『もう付き合いきれない』とか、もう少しくだけて言うと『やってられないわ!』みたいなニュアンスになるんですよね……ここでは、そちらの意味ではないかと思います」
「…………。
……はぁ、なるほどな。」
「《泳ぐ》でなくて、《遠く》の方で辞書を引いたら、慣用句として載っていませんか?」
「…………。……本当だ、載っているな…………」
ゼノン様は辞書をめくり、指で字を追ってから……私が指摘した慣用句についての記述を見つける。
羽根ペンにインクをつけて横線を引き、真剣な顔でうなずいた。
彼の瞳の奥側の方で、何かが小さくきらりと光った気がした。
「あの……アリスさん……」
「はい?」
今度はニコラス様に手招きされる。
手渡されたのは、エングリーン語で書かれた手紙だ。
「こちら、エングリーン王国からの使節団の方からの、茶会のお誘いなのですが……」
「…………う~ん、この部分はお誘いの定型文ですね……。
それほど強い表現ではありませんし、『可能なら是非』くらいの気安い雰囲気ですよ。
丁寧にお断りすればよっぽど角はたたないかと思います」
「では、こちらは……」
「…………」
私は、今度は釣書を受け取って眉を寄せた。
こっちは南の海に接するエングリーン王国ではなく、北の森を越えた先にあるベールンゲン王国の公用語、ベールンゲン語で書かれている。
しかし、その内容は……なんだかこちらを下に見ている感じが文面から漂ってくる。
なんというか、尊大で……嫌な圧を感じるな。
意訳するなら、『婿にしてやってもいい』みたいなニュアンスかな?
「お相手はベールンゲン王国の筆頭公爵家ですか……なるほど、それでこんなに尊大なわけですね。
まあ、身分を気にする高貴なお方々は
私は手紙をニコラス様にお返ししながら言った。
「……こちらはご当家から直接お返事をせず、王城の外務局へとご相談なさった方がいいかもしれないです。
外務局には私よりよほど外国語に精通した専門家がいらっしゃるはずですが、もしその方々も私と同じようにこの文書があまりに礼を失していると感じるなら……これは外務局から外交ルートを通じて正式に抗議なさった方がいい案件じゃないでしょうか」
「…………やはりそう思われますか……。
私ももちろん自分で訳しましたがどうにも違和感がありまして、どうしたものかと思っていたところです。
やはり旦那様からしかるべき部署へ相談していただいた方がよさそうですね」
「あの……。
ねえ、アリスさん……。
アリスさんって、こんなとこにいていい人材じゃなさすぎません……?」
「ど、どういう意味ですか……⁉
やっとこの公爵邸での生活に慣れたところなのに……先輩!
ここに置いてください……!
見捨てないで……!」
私だって本気でやめさせられると思っているわけではないんだけども、少し演技じみた所作でナタリア先輩に縋り付く。
彼女も笑いながらそれに応えてくれた。
「いえいえ、追い出すとかではなくてですね。
それだけ外国語に精通しているなら、それこそ外務局のような外交を司る部署へ文官として勤めるとか、もしくは個人で翻訳業をなさるとか……色々と可能性はありそうですけれど……」
「いや、それは困る」
ゼノン様の言葉に、私達は驚いて固まった。
「アリス嬢には……この公爵邸にいてもらわなければ困る」
えっ、なにそれどういう意味ですか……?
ま、まさか……『お前を愛することはない』からの《テンプレ展開》からの《溺愛ルート》に入ったってこと?
じゃあ、私、愛されちゃう……⁉
……まあ、……ないよな。ないだろうけど。
「まだ少し、この小説についてわからないところがあるんだ。
可能ならその内容を詳しく教えてほしい……!」
「あっ。あっ、はい」
案の定やっぱり人間辞書扱いだったわ。
ですよね。知ってた。