20話 いってきますのキスの約束。
20話 いってきますのキスの約束。
校長の一件は、俺の与《あずか》り知らぬところで、勝手にどんどん転がり落ちていった。
停職処分だの、PTA総会だの、一家離散だの……
物騒なワードがニュースに躍るたび、
正直、ちょっとだけ胸がすく思いはあったが、
それ以上に、自分には関係のない話だという心の距離感の方が強かった。
朝食の席、味噌汁をすすりながら、俺はスマホの画面をユウガに見せる。
「なんか、校長、大変そうだな」
「どうでもいいです」
「いや、まあ俺もどうでもいいんだけどね」
★
箸を置いたところで、ユウガが不意に切り出した。
「実は私も、ダンジョン配信者になろうかと思っておりまして」
「はぁ?」
思わず変な声が出た。
寝耳に水すぎる。
「そうすれば、今以上に先生をサポートできるので」
「アホなこと言っていないで、勉強だけやっていなさい」
「私はもっと先生の役に立ちたいんです」
無駄に真剣な目をしやがって。
あんまり無茶なことを言って困らせるなよ。
俺の毛根も無敵じゃないんだぜ。
ストレスで生え際が後退したらどうしてくれる。
「俺の役にたちたい……なら話は簡単だ。東大にいって、問題なく卒業して、国家公務員二種を獲得し、バリキャリとなって、保護者である俺に、毎月5万円を仕送りしなさい。俺はその日を夢見て、お前を育てているのだからして」
「レベルを上げて、回復魔法あたりを覚えることができれば、役に立てると思います。というわけで、今日ぐらいから一緒に――」
「アホなこと言いなさんな。ダンジョン配信なんてヤクザと一緒だ。心に入れ墨が入っているバカがやるシノギ」
「さすがにヤクザと一緒ではないと思いますが……」
ユウガは、あきれた顔を浮かべてから、
「では、ダンジョン配信はあきらめます。そのかわり、毎日、出かけるときにキスをお願いします」
「ありえるか、ばか。青少年保護育成条例をナメんじゃねぇぞ」
「なるほど……ではハグでは?」
「同じぃ」
と、その瞬間だった。
ユウガが、すっと椅子から降り、フローリングの上に、あまりにも美しい姿勢で正座。
そのまま額を床につけようとする。
「お願いします、先生。先生の仕事はモンスターの討伐《とうばつ》……いつ亡くなってもおかしくはない危険な仕事。いつ最後の別れになってもいいように、せめて、ハグだけでも」
「土下座は、やめて、ほんと。このシーンを切り抜きされたら、俺、社会的に終わる」
慌てて彼女の肩をつかんで止める。
冗談でかわそうとするも、彼女の目が本気すぎて怖い。
結局、その後の話し合いの末、
――まんまと『出かけるときにはハグをする』という約束をさせられてしまった。
「……もしかして、ドアインザフェイスをつかった?」
ドアインは、最初にわざと無理な要求(配信者希望&キス)を突きつけて断らせ、本命の要求(ハグ)を通りやすくさせる交渉術。
「なんのことかわかりません。それより、先生。はやくハグしてください。学校に遅れてしまいます」
「いや、でもなぁ……コンプラがなぁ」
「家族でハグすることに文句をいうバカがいたら、『あんた頭おかしいのか』って中指立ててやれば済む話です」
「前から思っていたけど、ユウガさん、ちょっと性格が苛烈《かれつ》すぎるところあるね。気をつけなさい、そういうところ」
ぶつぶつ言いながらも、俺は根負けし、
そのまま、彼女を、一度、軽く抱きしめた。
――思ったよりも、軽い。
細い肩、薄い背中。
ちょっとでも力を込めたら、そのままぽっきり折れてしまいそうなほど、頼りない体つきをしている。
いつも、あんなに気の強いことばかり言っているくせに。
中身は、案外、脆いのかもしれない。
この子を守っていかなければいけないのだ、と、俺は、より一層強く実感した。