39話 見知らぬ天井。
『先生は私のこと好きですか?』
夢を見ている時、『これは夢だ』とわかる瞬間がたまにある。
今が、まさにそう。
輪郭《りんかく》のぼやけた白い空間の中、
ユウガの声だけが、やけにくっきりと響いていた。
「正直、好きじゃない部分が結構あるな」
『好きな部分もある……と。ならこの先の人生も一緒にやっていけそうですね』
「……笑える話だ。死に際に見る夢としては、最低の部類だが」
『大丈夫……ダークリングごときじゃ、あなたの心は砕けない』
「お前、俺のナニ知ってんねん……あと、なんでダークリングのこと知ってんねん。やっぱ、夢ってムチャクチャだなぁ……」
その声を最後に、視界が、ゆっくりと白く溶けていく。
★
気づいた時には、意識が浮上していた。
まぶたの向こうに、白い天井が広がっている。
消毒液の匂いと、遠くで規則正しく鳴る機械音。
「……見知らぬ天井……」
ぼんやりと呟《つぶや》きながら、体を起こそうとする。
――全身に、鈍い痛みが走った。
「っつぅ……」
顔をしかめながらも、なんとか上体を起こす。
視界の端で、白いカーテンの隙間から、複数の人影が動いた。
「先生、大丈夫ですか?」
時空旅団の一人……クラス委員長をしていた琥珀《こはく》が、真っ先に声をかけてきた。
姿勢よく椅子から立ち上がる仕草一つとっても、いいところのお嬢様らしい所作の美しさが滲んでいる。
俺は、全身の痛みに耐えながら、
「大丈夫なわけがないんだが……すさまじい痛み……これ、死んどいた方が楽だったな」
軽口を叩くと、人影の後ろの方から、クラスのムードメーカーだった坂田が、ひょいと顔を覗かせた。
「えぐほどボロボロでしたが、先生の生命力が半端じゃなかったようで……なんか、すげぇ回復しています」
「あ、そう……そんなに生命力が強い自負はないんだがね……」
どうにか、いつもの調子で返す。
話を聞くと、どうやら俺は、2日ほど寝ていたらしい。
――2日。
マジか……
限定タイムリーパーである俺にとって、この『2日』は、かなり重大な意味を持つ。
裏面ATMのルール上、一昨日《おととい》にはタイムリープできない。
つまり、このケガをした瞬間まで戻って、やり直すことは出来ないということだ。
……厄介……
「先生、助けてくれてくださり、本当にありがとうございました」
琥珀が、深々と頭を下げる。
「おかげで死なずにすみました。文字通り、先生は命の恩人です」
続けて、周りにいた教え子たち全員が、同じように頭を下げてきた。
ちなみに、極悪女王『猛田カルマ』だけは、
奥のベッドに腰かけて、スマホをいじっていた。
さすがだぜ。
あいつに、『まともな人の心』とかはない。
もはや、人間じゃないと言っていいだろう。
……などと思っていると、
猛田はベッドから飛び降りて、
「じゃあ、オレ、帰るから」
そう言いながら、ドアの方に向かい、
最後に、一度、俺の方にシャフ度の顔を向けて、
「先生、キモいだけじゃなく雑魚なんだから、無理すんなよ……ふぁーあ」
あくびをしながら、そう言って、そのまま去っていった。
「おい。誰か、あいつ、殺してきてくれ。俺の怒りも、いい加減、有頂天に達した」
俺は、反射的に、教え子たちに、そう命令を出してしまった。
曲がりなりにも命を助けてもらっておいて、あの態度はなんだ。
俺が煮えくり返るはらわたと向き合っていると、
琥珀が、頭を下げながら、
「申し訳ございません、先生。でも、アレはああいう生き物なので……」
琥珀だけではなく、ほかのメンツも、
『猛田だからしゃーない』というあきらめの顔でため息をついていた。
猛田は、転移する前から、クラス内では、
『性格の悪さに全振りした魔改造涼宮ハ〇ヒ』みたいなポジションだった。
スペックが高いのは認めるが、性格が終わっているから誰も近づかない……という、厄介な腫物《はれもの》。
と、そこで、坂田が、興味津々といった様子で身を乗り出してきた。
「ところで、先生、どうやったんですか? 空間魔法を使ったのはわかるんすけど……限定空間の中で、どうやって、あの強大な鬼を倒したんすか?」
「えーっと……それはだな……」
「先生のレベルは50……俺ら以外の中では最強クラスに強い方ですが……あのモンスターの相手はできないはずなんすけど」
「あぁ……えぇ……あのモンスターは、お前らの攻撃で、すでに死にかけていたんだよ。見た目以上に弱っていた。俺はボコボコにされながらも、なんとか逃げ回って……で、気づいたら、向こうも倒れていた……それだけだよ」
息を整えながら、俺は続けて、
「もちろん、こっちも、いくつか切り札は使った。お前らと違って、俺は、ダンジョンが出現した時から潜っているから……回復や攻撃のアイテムもそれなりにもっているんだよ。古参の底力をナメるなと言いたい」
「そうでしたか……本当に助かりました。マジで先生には感謝っす! あざっす!」
坂田が、屈託《くったく》のない笑顔で言い切る。
その後ろで、それまで一言も発していなかった暁宮《あけみや》ジュリアが、静かに一歩、前に出た。
「……ありがとうございました」
感情の読めない声で、彼女は続けた。
「このお礼は、いつか、どこかで」
そっけなく、それだけ言い残すと、暁宮も病室を出ていった。
猛田と暁宮は、どっちも『高性能だけどマイペースすぎる』と評判の美少女。
両者とも、とっつきにくい変人だが、
暁宮は、まだ『最低限の道徳』と『かわいげ』がある分マシ。
猛田だけはマジで許さない。
★
ちなみに、今回の件で、だいぶバズった。
命がけで、スーパースターたちを守った、元教師。
――その功績が、一気に全国区になっていく。
病室のベッドの上、俺は、震える指でスマホの登録者数を確認する。
「登録者が……1万人を超えた……マジか……これは、もう安泰の数字だろ……」
半年前、同接8すら奇跡だった俺が、ここまで来た。
これまで積み重ねてきた地道な努力が、たった一晩の乱入で、まとめて花開いたような感覚だった。
★
教え子たちが帰ったあと、入れ違いのように、一人の来客があった。
きっちりとしたスーツ姿。
眼鏡の奥の目が、こちらを見定めるように、静かに動いた。
「はじめまして。『ダンジョン対策協会』の者で、綾大路明香《あやのおおじめいか》と申します」
名刺を差し出しながら、彼女は淡々と名乗る。
まったく隙のない、温度の低い雰囲気。
教師をしていた頃、こういうタイプの保護者と何度か話したことがあるなぁ……
とか、そんなことを思っていると、
「猛田さんたちを守ってくれて助かりました。礼をいいます」
彼女は、軽く頭を下げてから、続けた。
「彼女たちは人類の宝。失うわけにはいかない」
「……はぁ」
「その功績をたたえて」
綾大路は、まっすぐにこちらを見据えて、こう続けた。
「あなたを、協会専属の公式S級ダンジョン配信者として正式にスカウトさせていただきます」