64話 60人分の命を251万円で購入。
祈りは、いつもと同じように、届いた。
血の匂いも、死体の山も、アシュラの静かな殺意も、
そのすべてが、視界から消えていった。
気づけば、俺は、いつもの狭《せま》い空間にいた。
「……入れた……よかった……」
声が、震える。
安堵のあまり気絶しそうになった。
荒い息を繰り返しながら、
「……『9階層からは裏面に入れません』とか『アシュラが次元ロックを使っています』とか、そういういやがらせがなくて本当によかった。……その可能性も、普通にあったから……実は、死ぬほどビビってたんだ……」
心のどこかで、ずっと恐れていた。
祈りが届かなかったら。
もし、逃げ道が封じられていたら――
そう考えるだけで、指の震えが止まらなかった。
だが、不幸中の幸い。
やり直すことができる。
俺は、どうにか、まともに動かない足を引きずって、
ATMの前まで、たどり着く。
すがりつくように、ATMをよじのぼり、
「……タイムリープ費用……251万円、か」
表示された数字を見て、思わず、乾いた笑いが漏れた。
「初期に比べれば、コストが、むちゃくちゃ上がったな……」
最初は100万円で飛べていた。
それが、今では、251万。
「――けど、たったこれだけで、60人分の命を買えると思うと……死ぬほど安いな」
坂田の絶叫。
ジュリアの静かな最期。
猛田の声と、あの表情。
死にゆく教え子たちの顔が、脳裏の髄にこびりついてる。
「腐っても俺はお前らの担任だからな……助けてやるよ……今度こそ……」
誰に聞かせるでもない誓いを、静かな空間に落とす。
俺は、震える手で、必要な金額を支払った。
★
目を覚ますと、そこは、見慣れた白い天井だった。
消毒液の匂い。
規則正しく響く、機械の音。
病院のベッド。
――思い出す。
前日の午前中は、まだ入院していて、そこから軽い検査を受け、午後に退院した。
そのまま、ダンジョンへ向かい、クロノスフィアリングと、ミシャンド/ラ召喚の指輪を、手に入れた。
つまり、本来であれば、
この時間帯には、まだ、指輪は、手に入れていないはずなのだが。
「……指輪が、ある……」
左手を、ゆっくりと持ち上げる。
蒼く輝く指輪と、時計の紋様を纏《まと》った指輪。
その二つが、確かに、そこにあった。
「……記憶と、経験値と……そして、裏面で手に入れたアイテムは……タイムリープしても、引き継がれる、ってことか」
と、そこで、
病室の扉が、軽い音を立てて開いた。
買い物袋を提げたユウガが、部屋に入ってくる。
「先生、起きていたんですね」
そう言いながら、こちらへ、近づいてきた。
「そろそろ起きるころだと思い、一階のコンビニで、パンと牛乳を……」
言葉が、途中で止まる。
「ん? そんな指輪、していましたっけ?」
めざとく、俺の左手に気づくユウガ。
鋭い視線が、指輪に、まっすぐ突き刺さる。
「……あ、ああ……これは……アイテムボックスに入れておいたやつだ」
「なぜ、それを、急に……これから検査もあるというのに……」
アホを見る目。
保護者をそんな目で見るんじゃないよ。
……いや、案外、男親というのは、中学生女子から、こういう目で見られるのがデフォルトなのかも……
「指にシルバーまきたくなることぐらい、誰にだってあるだろ。俺は思春期なんだから」
「38歳ですよね」
冷ややかな一言。
「そこらの中学生なんかよりも、こじらせた38歳の方が、よっぽど尖った思春期の中をさまよっているんだよ」
そう言いながら、俺は、ユウガからパンと牛乳を受け取った。