65話 俺は、女をいたぶるのが趣味だからなぁ。ぐぇっへっへ。
軽い検査を受けて、午後には退院。
ここまでは、前と同じ。
だが、今回、俺は、ダンジョンには向かわず、そのまま、まっすぐ家に帰った。
やるべきことが、変わったから。
リビングのソファに腰を下ろし、スマホを取り出す。
画面に表示された綾大路《あやのおおじ》の名前を見て、一度、深く息を吸ってから、通話ボタンを押した。
「――もしもし」
『閃さんですね。退院おめでとうございます』
抑揚《よくよう》の少ない声。
挨拶もそこそこに、綾大路は、こちらの用件を待つでもなく、すぐに、本題を切り出してきた。
『体調も戻ったようですし、明日にでも、9階層に向かいたいのですが』
その提案に対して、俺はかぶせ気味に、
「絶対に行くな」
声に、力を込める。
スマホを持つ手に、無意識に、力がこもった。
『……なぜですか?』
わずかに、戸惑いの色が滲む声。
「会って話したい。どこか、場所をとってくれ。できれば、人目のない場所。誰かに聞かれたくない」
『……わかりました。少々お待ちを』
15秒ほど、時間をあけてから、
『――【花房《かぼう》】という料亭をご存知ですか』
「知らん。この俺様の人生に、料亭が関与する機会が一度でもあったと思うか。下級庶民をナメるなよ」
『……でしたら、住所は後でラインに送ります。19時でいかがです?』
「了解」
『個室を押さえておきます。あなたの名前で伝えておけばいいですか? それとも協会名義の方が?』
「……その辺の面倒な『大人的な対応』は全部そっちでやってくれ。俺のことは、『オカンがいないと何もできない中学生』だと思ってくれていい」
『……わかりました。では、後ほど』
通話が切れる。
数秒も経たないうちに、スマホが、短く震えた。
ラインに届いた地図アプリのリンクと、店名、そして『19:00 個室、桐』という一文。
――と、そこで、視界の端に、じっとこちらを見つめる、ユウガの姿があった。
腕を組み、口元を、わずかに、への字に曲げている。
「人目のつかない場所で、綾大路さんと二人きりになって、なにを?」
冷ややかな声。
「決まっているだろ。ぶん殴って拷問してくるんだよ。俺は、女をいたぶるのが趣味だからなぁ。ぐぇっへっへ」
「で?」
まったく取り合ってくれない。
俺の最大の必殺技、中身のない言葉でケムにまく話術『ファントムトーク』が、彼女には通じない。
教師時代も、頻繁にこの技を使い、校長や先輩や同僚から大いに嫌われたものだ……
「……9階層の件で話があるんだよ。明日にでも行くとか言っているから、その辺のすり合わせをな」
「電話ですむでしょう」
「そうもいかない事情ってのもあるんだよ」
「……」
ユウガは、それ以上、何も聞いてはこなかった。
ただ、まっすぐに、こちらを見つめる目だけが、何かを探るように、じっと据わっている。
「すぐに帰るよ。戸締りだけ、しっかりしておいて」
それだけ言い残して、俺は、家を出た。
★
指定された場所は、通りから一歩入った、静かな路地の奥に佇む『アホみたいに高そうな料亭』だった。
黒々とした木の門構え、丁寧に手入れされた植木。
訪れる人間の格を、無言のうちに選別してくるような、そんな空気が漂っている。
「俺の人生では、絶対になじみのない場所だな……こんな場所で、無理して高い金払うぐらいなら、回る寿司に行きたい……」
低俗な感想を漏らしつつ、暖簾《のれん》をくぐる。
女将らしき和服姿の女性に案内され、長い廊下を、何度か曲がる。
案内されたのは、一番奥にある、一番広い部屋だった。
障子《しょうじ》越しに、庭の灯籠《とうろう》の明かりが、ぼんやりと滲んでいる。
通された座布団に腰を下ろし、出された温かいお茶に、一口だけ口をつける。
その部屋に、俺と綾大路、二人きり。
「ここは、政治家も利用する場所なので、盗聴等の心配は皆無です」
座布団に、姿勢よく腰を下ろしながら、綾大路が、静かに切り出す。
「――それで? なぜ、9階層にいくことを反対するのですか?」