その事実を、人類が知るまでに。
そう長い時間は必要なかった。
「撃って!」
暁の声。
四つの砲声が重なる。
砲弾が海面を飛び。
先頭のイ級へ命中する。
黒灰色の外殻が砕けた。
巨体が傾く。
赤い眼が消える。
そして。
また一体。
海へ沈んだ。
歓声が上がった。
海岸から。
避難所から。
司令部から。
そして。
映像を見守る世界中から。
倒せる。
あの怪物を倒せる。
五年間、人類から海を奪っていた悪夢を。
あの四人なら。
だが。
誰も気付いていなかった。
いや。
気付きたくなかった。
四人しかいない。
世界の海を埋め尽くした怪物に対して。
たった四人。
「次!」
暁が叫ぶ。
「右から来るよ!」
雷が砲塔を旋回させる。
発砲。
命中。
だが浅い。
イ級が突っ込んでくる。
「雷!」
響が割り込む。
砲撃。
至近距離。
イ級の頭部が砕ける。
「やった!」
雷が笑う。
ほんの一瞬。
次の砲弾が飛んできた。
「危ない!」
爆発。
雷の身体が宙を舞った。
「雷!!」
海面へ叩き付けられる。
右側の艤装から煙が上がっていた。
服は裂け。
腕から血が流れている。
「いたい……」
その声は。
あまりにも幼かった。
世界中から歓声が消えた。
「雷!」
電が駆け寄る。
その背後。
新たなイ級。
「電、後ろ!」
響の叫び。
間に合わない。
砲撃。
爆発。
電も吹き飛ばされた。
「きゃああああっ!」
小さな身体が海面を転がる。
「電!」
暁が走る。
だが。
さらに砲撃。
今度は暁。
爆風。
身体が海面へ叩き付けられた。
息ができない。
耳が聞こえない。
痛い。
怖い。
「……いや……」
暁の目から涙が流れた。
もう嫌だった。
帰りたい。
先生のところへ。
幼稚園へ。
みんなで遊んでいたあの場所へ。
でも。
もう戻れない。
それが何となく分かってしまった。
「暁……!」
響が暁を起こす。
響自身もボロボロだった。
頬には傷。
片方の艤装は動かない。
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃない……」
暁は泣いた。
「痛い……」
「怖いよ……」
響は何も言えなかった。
自分も怖かったから。
雷が泣いている。
電も泣いている。
誰一人。
勇敢な兵士などではなかった。
ただの子供だった。
世界中が。
その事実を思い出した。
東京の避難所。
誰も声を出さない。
ワシントンの軍司令部。
将官たちは画面を見つめている。
ロンドン。
港湾労働者たちが俯く。
そして。
日本。
戦場から離れた病院。
二人の教師も映像を見ていた。
「もうやめろ……」
男性教師が呟く。
「逃げろ……」
知らない少女たち。
そのはずだった。
なのに。
「頼むから……逃げてくれ……」
涙が流れていた。
理由が分からない。
女性教師も泣いていた。
「どうして……」
胸が苦しい。
画面の中で。
電が泣いている。
その姿を見るだけで。
胸を抉られる。
雷が倒れる。
息ができなくなる。
響が暁を庇う。
身体が勝手に震える。
「私……」
女性教師が呟いた。
「この子たち……」
男性教師が振り返る。
「知ってる気がする……」
「……俺もだ」
でも。
名前が出てこない。
思い出がない。
顔を見ても。
記憶には何も浮かばない。
なのに。
心だけが。
叫んでいる。
知っている。
大切な子たちだ。
守らなければならない子たちだ。
「行こう」
男性教師が立ち上がる。
まだ身体には包帯が巻かれている。
「どこへ?」
女性教師は聞きながら。
既に分かっていた。
「海だ」
二人は病院を出た。
海岸。
四人は限界だった。
弾薬。
体力。
集中力。
何もかもが尽きかけている。
それでも。
イ級は来る。
一体。
二体。
十体。
その後ろにも。
水平線を埋め尽くすほど。
「無理だよ……」
雷が泣いた。
「こんなの……全部倒せないよ……」
電も震えている。
「怖いのです……」
響は黙っていた。
そして。
暁は。
後ろを見た。
街。
先生がいる。
たくさんの人がいる。
小さな子供もいる。
自分たちが逃げたら。
あれが全部。
壊される。
「……逃げられない」
「暁?」
「だって……」
涙を拭く。
「暁たちが逃げたら……」
声が震える。
「先生たちが死んじゃう……」
三人は黙った。
「みんなも死んじゃう……」
暁は立ち上がった。
足が震えている。
怖い。
本当は逃げたい。
それでも。
「暁、お姉ちゃんだから……」
砲塔を上げる。
「みんなを守らなきゃ……」
響が立つ。
雷も。
電も。
四人は再び並んだ。
泣きながら。
震えながら。
それでも。
怪物たちの前に。
その姿を。
世界中が見ていた。
誰かが叫んだ。
「もういい!」
避難所だった。
「逃げてくれ!」
別の誰かも。
「誰か助けてやれよ!」
「子供だぞ!」
「誰か!」
世界中で。
同じ願いが生まれていた。
誰か。
あの子たちを助けてくれ。
その頃。
二人の教師は海へ向かっていた。
身体はまだ完全には回復していない。
それでも。
止まれなかった。
理由など分からない。
記憶もない。
ただ。
行かなければならない。
そんな気がした。
そして。
二人の前に。
小さな存在が現れた。
「……え?」
妖精。
二人は足を止めた。
妖精は二人を見ていた。
不思議そうに。
いや。
恐れるように。
「……どうして?」
妖精が呟いた。
「何が?」
男性教師が聞く。
妖精は答えない。
あり得ない。
記憶は消えている。
関係も消えている。
世界から。
あの四人がかつて存在した痕跡は消えている。
なのに。
この二人は。
四人のところへ向かっている。
「覚えてないはずなのに……」
妖精の声が震えた。
女性教師が胸を押さえる。
「覚えてない」
そして。
「でも……」
涙が流れる。
「助けなきゃいけない気がするの」
妖精が息を呑んだ。
人間。
記憶を奪っても。
存在を消しても。
それでも。
誰かを大切に思った心は。
完全には消えない。
「……人間って」
妖精が小さく呟く。
「怖いなぁ……」
だが。
少しだけ笑った。
「もしかしたら……この二人なら」
妖精が二人を見る。
「助けたい?」
答えは同時だった。
「助けたい」
「助けたいです」
「方法があるよ」
二人の表情が変わる。
「でも」
妖精は告げる。
「代償が必要」
そして。
四人にしたものと。
全く同じ説明をした。
家族。
友人。
同僚。
人生。
自分が誰だったのか。
その全てが。
世界から消える。
誰も自分を覚えていない。
写真も。
記録も。
思い出も。
自分が存在していた場所に。
穴だけが残る。
二人は。
黙った。
当然だった。
意味が分かるから。
四人とは違う。
大人だから。
その代償が。
どれほど恐ろしいのか。
理解できてしまう。
男性教師の頭に家族が浮かんだ。
女性教師も。
両親。
友人。
これまでの人生。
全部なくなる。
怖かった。
即答などできなかった。
そして。
男性教師が聞いた。
「……あの子たちも?」
妖精を見る。
「あの四人も……これを払ったのか?」
妖精は。
静かに頷いた。
「うん」
それだけだった。
男性教師は目を閉じた。
女性教師は口元を押さえた。
分かってしまった。
あの子たちは。
この代償を払って。
自分たちを助けた。
誰なのか思い出せない。
名前も分からない。
でも。
あの子たちは。
自分たちのために。
世界から消えた。
そして今も。
戦っている。
子供たちだけで。
男性教師が目を開けた。
「……契約する」
女性教師も。
「私も」
妖精が二人を見る。
「本当に?」
男性教師は笑った。
怖かった。
それでも。
「先生だからな」
女性教師も頷いた。
「子供たちだけを戦わせるなんて……」
涙を拭く。
「そんなこと、できません」
妖精は。
初めて。
人間という生き物を。
少しだけ理解した気がした。
「契約成立」
光が生まれた。
四人の時より。
遥かに強い光。
二人の身体を包み込む。
記憶が消える。
存在が書き換わる。
人間だった二人が。
世界から消える。
そして。
代わりに。
二人の艦娘が現れた。
一人。
鋭い眼差し。
巨大な艤装。
圧倒的な力を秘めた軽巡洋艦。
「……天龍」
もう一人。
柔らかな笑み。
だが。
その背後に宿る力は。
決して穏やかなものではない。
「龍田」
妖精が目を見開いた。
最初から。
完成している。
未熟な姿ではない。
二人の覚悟。
背負ったもの。
子供たちを守るという意思。
それら全てが。
与えられた力を限界まで引き出していた。
天龍改二。
龍田改二。
二人は顔を見合わせた。
そして。
同時に海の方角を見る。
理由は分からない。
でも。
分かる。
あそこに。
自分たちの子供たちがいる。
「行くぞ」
「ええ」
海面へ。
二人が飛び出した。
一歩。
次の瞬間。
爆発的な加速。
海面が弾ける。
二人の姿が遠ざかる。
人間の目では追い切れない速度で。
子供たちのもとへ。
海岸。
暁はもう。
立っているだけで精一杯だった。
響が膝をついている。
雷の艤装は半壊。
電も息を切らしている。
そして。
目の前。
イ級。
巨大な砲口が。
四人へ向けられた。
「……みんな」
暁が前へ出る。
「暁?」
「下がって」
「でも!」
「暁がお姉ちゃんなんだから……!」
泣いていた。
怖くて。
震えて。
それでも。
三人の前に立った。
「今度は……暁が守る番よ……」
イ級が発砲。
巨大な砲弾が飛ぶ。
暁は目を閉じた。
怖い。
先生。
助けて。
その瞬間。
轟音。
だが。
痛みは来なかった。
暁が。
恐る恐る目を開ける。
砲弾が。
空中で砕けていた。
「……え?」
そして。
自分たちの前に。
誰かが立っている。
二人。
見たことのない艦娘。
一人は刀のような兵装を構え。
もう一人は。
静かな笑顔を浮かべていた。
その背中を見た瞬間。
四人の胸に。
説明できない感情が溢れた。
知らない。
名前も知らない。
会ったこともない。
はずなのに。
安心した。
泣きたくなるほど。
懐かしかった。
天龍が振り返る。
ボロボロの四人を見る。
その瞬間。
理由も分からず。
胸が締め付けられた。
「……よく頑張ったな」
暁の目から。
涙が溢れた。
龍田も四人を見る。
笑顔。
優しい。
どこかで。
何度も見たことがあるような。
そんな笑顔。
そして。
龍田が言った。
「ここからは――」
四人の前へ出る。
無数のイ級を見据える。
「先生たちに任せなさい」
時間が。
止まったように感じた。
先生。
その言葉に。
四人の心が。
強く震えた。