「ここからは――先生たちに任せなさい」
その言葉を。
暁は、どこかで聞いた気がした。
知らない人だった。
目の前にいる二人の艦娘。
名前も知らない。
会った記憶もない。
なのに。
「先生」
その一言だけが。
どうしようもなく懐かしかった。
「……せん、せい……?」
暁の口から、自然に言葉がこぼれた。
天龍が振り返る。
目が合う。
知らない子供。
そのはずだった。
だが。
ボロボロになった暁を見た瞬間。
天龍の胸に、猛烈な感情が込み上げた。
怒りだった。
破れた服。
傷だらけの身体。
壊れかけた艤装。
涙で濡れた顔。
そして。
その後ろにいる三人も同じだった。
響。
雷。
電。
名前を知らない。
誰なのかも分からない。
なのに。
「……誰が」
天龍の声が低くなる。
「誰がウチの子を……」
そこで言葉が止まった。
ウチの子。
なぜ。
そんな言葉が出た?
「……俺、何言ってんだ……?」
自分でも分からない。
だが。
暁の目が大きく見開かれた。
ウチの子。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で何かが弾けた。
「……う……」
涙が溢れた。
「うわああああああん!」
暁が泣いた。
今まで。
ずっと我慢していた。
一番上だから。
お姉ちゃんだから。
響を守らなきゃ。
雷を守らなきゃ。
電を守らなきゃ。
先生を守らなきゃ。
街のみんなを守らなきゃ。
だから。
怖くても。
泣いちゃ駄目だと思っていた。
でも。
もう無理だった。
「怖かったぁ……!」
暁は泣きながら叫んだ。
「痛かったの……!」
天龍は何も言わない。
「逃げたかった……!」
声が幼児のように戻っていく。
「でも……でも暁が逃げたら……!」
しゃくり上げる。
「先生が死んじゃうって……!」
天龍の拳が震えた。
「みんなも死んじゃうって……!」
「だから……!」
「暁、お姉ちゃんだから……!」
その瞬間。
天龍の手が暁の頭へ置かれた。
大きな手。
温かい。
暁は動きを止めた。
「もういい」
優しい声だった。
「……え?」
「もういいんだ」
天龍がしゃがむ。
暁と目線を合わせる。
「よく頑張った」
暁の唇が震えた。
「お前は十分頑張った」
頭を撫でる。
「だから」
少しだけ笑う。
「もう、お姉ちゃんでいなくていい」
暁の顔が崩れた。
天龍へ抱きつく。
「せんせぇぇぇぇぇ……!」
なぜ先生と呼んだのか。
分からない。
天龍も。
なぜこの子を抱き締めたのか。
分からない。
でも。
それでよかった。
「うわあああん!」
雷も泣き出した。
「怖かったよぉ……!」
電も。
「痛かったのですぅ……!」
響だけは泣かなかった。
いや。
泣かないようにしていた。
龍田が気付く。
「あなたも」
響が顔を上げる。
龍田は微笑んだ。
「我慢しなくていいのよ」
その瞬間。
響の目から涙が落ちた。
一粒。
二粒。
そして。
止まらなくなった。
龍田が四人を抱き寄せる。
「怖かったわね」
頭を撫でる。
「痛かったわね」
「でも」
優しく。
「もう大丈夫よ」
電が龍田の服を掴む。
「ほんと……?」
「ええ」
龍田は微笑む。
「後は先生たちのお仕事だから」
その光景を。
世界中が見ていた。
誰も声を出さなかった。
戦場。
無数の怪物。
その真ん中で。
六人の少女たちが抱き合っている。
誰も彼女たちの過去を知らない。
本人たちですら。
でも。
それを見ていた人々には。
一つだけ分かった。
あの二人は。
四人を守るために来た。
その時。
海面が爆発した。
イ級。
一体が突進してくる。
龍田の背後。
電が気付いた。
「後ろなのです!」
龍田は振り返らなかった。
「大丈夫」
優しく。
そう言った。
次の瞬間。
龍田の艤装が動いた。
轟音。
砲撃。
振り返りすらしない。
砲弾は正確にイ級へ命中した。
外殻。
破砕。
二射目。
急所。
巨体が海面へ叩き付けられる。
沈黙。
暁たちは。
口を開けたまま。
龍田を見ていた。
「……え?」
さっきまで。
四人で必死に戦っていた相手。
何度も撃って。
何度も避けて。
やっと一体倒した怪物。
それを。
この人は。
こちらを見ることすらせず。
倒した。
「す……」
雷が呟く。
「すごい……」
龍田が振り返る。
いつもの優しい笑顔。
「先生ですもの」
何の説明にもなっていなかった。
それでも。
四人には。
ものすごく頼もしく聞こえた。
「さて」
天龍が立ち上がる。
暁の頭を最後に一度撫でる。
「龍田」
「ええ」
「こいつら頼む」
龍田が頷く。
天龍は前へ出る。
その瞬間。
雰囲気が変わった。
暁が息を呑む。
さっきまで。
優しく頭を撫でてくれた人。
泣いている自分を抱き締めてくれた人。
その姿が。
まるで別人のように見えた。
天龍の視線の先。
イ級の群れ。
十。
二十。
その後ろにも。
水平線の彼方まで。
人類を五年間苦しめ続けた怪物。
天龍は。
それを見て。
笑った。
「なるほど」
艤装が動く。
砲塔。
魚雷。
全兵装。
戦闘態勢。
「あれが敵か」
暁が思わず叫ぶ。
「危ないよ!」
天龍が振り返る。
「ん?」
「あいつら強いの!」
暁は必死だった。
「いっぱい撃ってくるし!」
「すごく速いし!」
「暁たち、全然……!」
天龍は黙って聞いていた。
そして。
「そうか」
それだけ言った。
再び前を見る。
「じゃあ」
天龍の表情から。
教師の優しさが消えた。
軽巡洋艦。
天龍改二。
戦うための顔。
「俺が教えてやるよ」
イ級が一斉に動く。
海面を蹴る。
黒い群れが殺到する。
天龍も動いた。
暁には。
消えたように見えた。
「え……?」
次の瞬間。
数百メートル先。
天龍がいた。
イ級の真正面。
砲撃。
イ級の頭部が跳ねる。
天龍は止まらない。
横へ。
急旋回。
敵の砲弾が通り過ぎる。
「響!」
突然名前を呼ばれ。
響が身体を震わせた。
「右!」
考えるより先に。
響が右へ動く。
直後。
先ほどまで響がいた場所へ砲弾が落ちた。
巨大な水柱。
響が目を見開く。
「雷と電!」
「は、はい!」
「暁のところまで下がれ!」
二人が動く。
「暁!」
「な、なに!?」
「お前はもう撃つな!」
「でも!」
天龍が敵の砲撃をかわす。
反撃。
命中。
「休め!」
その一言。
暁は。
何も言えなくなった。
休んでいい。
その言葉を。
ずっと待っていた気がした。
天龍は戦場を見ていた。
敵。
味方。
射線。
距離。
四人の位置。
全部。
暁たちとは違う。
怖くないわけではない。
経験があるわけでもない。
それでも。
子供たちを守る。
その目的だけは。
迷わない。
「龍田!」
「なぁに?」
「左!」
「分かってるわよ~」
龍田が動く。
四人の前へ。
迫っていた二体のイ級。
砲撃。
回避。
反撃。
一体撃沈。
もう一体が突進する。
龍田の笑顔が。
ほんの少しだけ変わった。
「この子たちに」
魚雷発射。
「これ以上近付かないでくれる?」
爆発。
イ級が沈む。
世界中が。
再び言葉を失っていた。
四人だけでも。
奇跡だった。
だが。
この二人は違う。
強い。
明らかに。
戦い方そのものが違う。
そして。
暁たちも。
同じことを感じていた。
「……先生」
暁が呟く。
知らない人。
だったはずなのに。
今は。
もうそう思えなかった。
だが。
戦いは終わっていない。
一体。
二体。
五体。
十体。
沈めても。
さらに来る。
水平線。
黒い影は。
まだ途切れない。
天龍が舌打ちする。
「多いな……」
龍田も海を見る。
「さすがに二人だけじゃ全部は無理ねぇ」
暁が顔を上げる。
天龍は。
笑った。
「でも」
四人を見る。
「六人なら話は別だ」
「え?」
天龍は暁へ手を差し出した。
「休んだら教えてやる」
「何を……?」
天龍が笑う。
「戦い方だよ」
そして。
「もう一人でお姉ちゃんやる必要はねぇ」
暁は。
差し出された手を見る。
知らないはずの手。
なのに。
その手を取ることに。
何の迷いもなかった。
「……うん!」
海には。
まだ無数の敵がいる。
人類は。
まだ海を取り戻していない。
六人の艦娘だけで。
世界を救えるわけでもない。
それでも。
四人の子供たちは。
もう。
子供たちだけではなかった。
守ってくれる大人が。
ようやく。
迎えに来てくれたのだから。