「全記録を保存しろ」
静かな声が、司令室に響いた。
「映像、音声、通信記録、観測データ。何一つ失うな」
「了解」
「敵性個体の位置を五秒間隔で更新。六名の戦闘能力についても、可能な限り記録しろ」
「了解!」
海上自衛隊。
地下指揮所。
巨大なモニターには、一つの海岸が映し出されていた。
六人の少女。
そして。
無数の異形。
人類が現在――
『駆逐イ級』
と分類している深海棲艦だった。
五年前。
人類は、この怪物に名前すら付けられなかった。
正体不明。
由来不明。
生物なのか。
兵器なのか。
それすら分からない。
ただ海から現れ。
船を沈め。
艦隊を沈め。
人類を海から追い払った。
その後の五年間。
世界各国は残された映像や観測記録を共有し、確認された敵性存在に識別名称を与えた。
その総称が――
深海棲艦。
そして最も多く確認されている、駆逐艦に相当すると推測された異形個体。
それが。
駆逐イ級。
名前が付いたからといって。
何かが変わったわけではなかった。
弱点が分かったわけでもない。
倒せるようになったわけでもない。
人類にできたことは。
ただ。
自分たちを殺す怪物に名前を付けることだけだった。
そのイ級が今。
沈んでいた。
「敵一体、沈黙!」
オペレーターの声。
海将は感情を見せなかった。
「撃沈を確認するまで断定するな」
「了解!」
モニター。
天龍が海面を駆ける。
敵の砲撃。
回避。
反撃。
命中。
黒灰色の外殻が砕け散る。
さらに一撃。
巨体が傾いた。
海へ沈む。
「目標、海面下へ!」
「反応消失!」
数秒。
「駆逐イ級一体――撃沈確認!」
司令室の何人かが拳を握った。
だが。
歓声は上がらない。
まだだ。
敵はいる。
「左翼から三体接近!」
「二人目が迎撃!」
映像が切り替わる。
龍田。
その後方。
暁。
響。
雷。
電。
四人は先ほどまで立っていることさえ困難な状態だった。
だが。
今は違った。
龍田の指示に従い。
互いを庇い。
距離を取り。
一人で戦わない。
「暁ちゃん、今は撃たなくていいわ。敵の動きを見て」
「う、うん!」
「響ちゃん、右をお願い」
「分かった」
「雷ちゃんと電ちゃんは無理に前へ出ないで」
「はーい!」
「なのです!」
その声まで司令室に届いていた。
海将は黙って見ていた。
先ほどとはまるで違う。
強くなったのではない。
戦い方が変わった。
一体へ四人同時に攻撃していた少女たちが。
今は互いの死角を補っている。
敵の砲撃を見てから逃げていた少女たちが。
今は撃たれる前に動いている。
そして。
常に二人の年長者が。
四人と敵の間にいる。
海将が小さく呟いた。
「……まるで教師だな」
隣にいた幕僚が振り返った。
「はい?」
「いや」
海将はモニターから目を離さなかった。
「何でもない」
敵が迫る。
天龍が叫ぶ。
「暁! 今だ!」
「えっ!?」
「正面!」
暁が反射的に砲塔を向ける。
そこには。
天龍の砲撃によって体勢を崩したイ級。
「撃て!」
「うん!」
轟音。
命中。
敵の外殻が砕ける。
「響!」
「了解」
次弾。
命中。
「雷! 電!」
「任せて!」
「行くのです!」
二人の砲撃。
直撃。
巨体が沈む。
「撃沈確認!」
司令室に報告が響く。
また一体。
そして。
また一体。
海将は時計を見る。
戦闘開始から、かなりの時間が経過している。
普通なら。
四人はもう戦えない。
実際。
少し前までそうだった。
しかし。
後から現れた二人が加わってから。
明らかに被弾数が減っている。
敵撃破効率は逆に上昇。
六人。
たった六人。
それだけで。
戦線が維持されている。
「……あり得ん」
幕僚の一人が呟いた。
誰も咎めなかった。
全員が同じことを思っていたからだ。
五年前。
護衛隊群でも止められなかった。
世界中の海軍でも止められなかった。
それを。
六人が。
止めている。
だが。
海将だけは表情を変えなかった。
「敵残存数は」
「正確な算出は困難です」
「推定でいい」
「沿岸部だけでも少なくとも数十。沖合にはさらに多数」
「……そうか」
やはり。
六人だけでは無理だ。
撃沈できる。
これは間違いない。
だが。
無限に戦えるわけではない。
疲労する。
負傷する。
装備も損傷する。
そして敵は多い。
圧倒的に。
人類が突然、戦争に勝てるようになったわけではない。
ただ。
初めて、敵を倒せる存在が現れた。
それだけだ。
その違いを。
軍人である彼は理解していた。
その時だった。
「……?」
オペレーターの一人が画面へ顔を近付けた。
「どうした」
「敵の動きが……」
海将が視線を向ける。
「何だ」
「少々お待ちください」
レーダー表示。
衛星情報。
沿岸監視装置。
複数の情報が照合される。
数秒。
「……これは」
オペレーターの声が震えた。
「報告しろ」
「敵前衛集団……速度低下」
司令室が静かになる。
「理由は」
「不明」
「六名の攻撃によるものか?」
「判断できません」
海将がモニターを見る。
イ級。
さっきまで六人へ殺到していた群れ。
その動きが。
止まっている。
海面。
天龍も気付いた。
「……ん?」
龍田が隣へ来る。
「どうしたの?」
「あいつら……」
六人が見る。
敵。
赤い眼。
無数の異形。
だが。
来ない。
「先生……?」
暁が不安そうに天龍を見る。
天龍は答えない。
敵から目を離さない。
罠かもしれない。
「全員、構えたまま」
龍田の声も変わる。
「油断しちゃ駄目よ」
四人が頷く。
一秒。
二秒。
三秒。
長い。
異様な静寂。
そして。
一体のイ級が。
向きを変えた。
「……え?」
雷が呟く。
もう一体。
さらに一体。
次々と。
六人に背を向ける。
司令室。
「敵集団転進!」
オペレーターが叫んだ。
海将が立ち上がる。
「待て」
画面を見る。
「再確認しろ」
「確認中!」
「罠の可能性は」
「現時点では不明!」
「後続集団は!」
「同じです!」
別の隊員が叫ぶ。
「沖合の敵集団にも転進を確認!」
司令室がざわめく。
だが。
海将は信じなかった。
いや。
信じられなかった。
「追跡を継続」
「了解!」
「全センサーで監視!」
「了解!」
イ級が。
離れていく。
一体。
また一体。
沖へ。
深い海へ。
六人から。
街から。
五年間。
人類が逃げ続けてきた怪物が。
初めて。
人類に背を向けていた。
「距離、拡大!」
「敵砲撃停止!」
「市街地への新規攻撃ありません!」
「沿岸から離脱しています!」
海将の呼吸が。
少しだけ速くなる。
「……再確認しろ」
「確認しています!」
「まだだ」
「海将?」
「まだ勝利と判断するな」
自分自身に言い聞かせるようだった。
そんなはずがない。
五年間だ。
五年間。
一度も。
敵は退かなかった。
人類が退いた。
人類が逃げた。
人類が捨てた。
人類が諦めた。
いつだって。
そうだった。
だから。
そんなはずが。
「敵前衛、沿岸戦闘区域より離脱!」
報告。
「後続集団も沖合へ移動!」
報告。
「市街地への砲撃、完全停止!」
報告。
「敵集団――」
オペレーターが息を呑んだ。
そして。
振り返る。
「撤退しています」
誰も。
何も言わなかった。
静寂。
聞いたことのない報告だった。
敵が。
撤退。
その言葉を理解するまで。
全員に数秒必要だった。
そして。
若い隊員が。
ぽつりと。
呟いた。
「……勝った?」
海将が彼を見る。
若い隊員は慌てた。
「申し訳ありません!」
だが。
海将は叱らなかった。
再びモニターを見る。
そこには。
六人がいた。
暁。
響。
雷。
電。
そして。
まだ人類側が名前すら把握していない二人の艦娘。
傷だらけ。
装備も損傷している。
誰一人として。
無傷ではない。
その向こう。
敵は。
去っていく。
防衛対象。
市街地。
保持。
敵による砲撃。
停止。
敵戦力。
複数撃破。
六名。
生存。
敵集団。
撤退。
軍事的に。
これを何と呼ぶ?
答えなど。
最初から決まっていた。
海将が帽子を取った。
五年間。
一度も使えなかった言葉。
使う資格がないと思っていた言葉。
「……勝利だ」
誰かが息を呑む。
海将はもう一度。
今度は。
はっきりと言った。
「本戦闘――」
声が震えそうになる。
それを押さえる。
「我々の勝利だ」
一瞬。
沈黙。
そして。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!」
司令室が爆発した。
拳を突き上げる者。
机を叩く者。
隣の人間と抱き合う者。
泣き崩れる者。
誰も止めなかった。
海将も。
止められなかった。
五年間。
負け続けた。
仲間を失った。
艦を失った。
海を失った。
誇りすら失いかけた。
それでも。
今日。
初めて。
勝った。
海将は俯いた。
その肩が。
小さく震えていた。
海岸。
「……行っちゃった?」
電が呟く。
天龍はしばらく敵の去った方向を見ていた。
「みたいだな」
「ほんとに?」
雷が聞く。
「もう来ない?」
「今はな」
天龍が答える。
暁は。
その言葉を聞いた瞬間。
力が抜けた。
「わっ」
天龍が慌てて抱き止める。
「おい!」
「……もう……戦わなくていい?」
小さな声。
天龍は暁を見る。
そして。
笑った。
「ああ」
頭を撫でる。
「終わりだ」
暁の目から。
また涙が出た。
でも。
今度の涙は。
怖かったからではなかった。
「……よかったぁ……」
雷が座り込む。
電も。
響も。
龍田が四人を抱き寄せる。
「みんな」
優しく。
「お疲れさま」
四人は。
もう何も言えなかった。
そのまま。
先生たちに寄り掛かった。
その映像も。
世界へ流れていた。
敵が。
海へ帰っていく。
六人が。
残っている。
街が。
残っている。
世界中で。
人々が理解し始める。
東京。
歓声。
ニューヨーク。
歓声。
ロンドン。
泣きながら抱き合う人々。
パリ。
北京。
シドニー。
ニューデリー。
国も。
言葉も。
立場も。
関係なかった。
五年間。
同じ敵に。
同じ海を奪われていた人々が。
同じ映像を見て。
同じ言葉を叫んだ。
「勝った!」
だが。
海将は知っていた。
戦争に勝ったわけではない。
海を取り戻したわけでもない。
敵はまだいる。
世界中に。
数え切れないほど。
六人だけで。
世界を救えるわけでもない。
そもそも。
彼女たちが何者なのか。
なぜ深海棲艦を倒せるのか。
身体に装着された。
あの未知の兵装は何なのか。
なぜ最初に四人が現れ。
その後さらに二人が現れたのか。
誰が。
何のために。
彼女たちへ力を与えたのか。
何一つ。
人類は知らない。
そして。
海の向こうに。
何がいるのかも。
人類は。
まだ知らない。
それでも。
この日だけは。
この一日だけは。
喜んでもよかった。
五年間。
人類の歴史から消えていた言葉。
勝利。
その二文字が。
ようやく。
人類のもとへ帰ってきた。
人類はまだ。
海を取り戻していない。
戦争は終わっていない。
敵の正体すら。
分かっていない。
それでも。
この日。
人類は初めて――
勝った。
続きはありますがとりあえず今日の投稿はここまでとします。次の投稿は早ければ明日にでも行うので気長にお待ちください。(読んだ感想を書いて下されば今後の励みになりますのでお願いします。)