海は、静かだった。
ほんの少し前まで。
砲声が響いていた。
爆発があった。
怪物たちの咆哮があった。
街が燃えていた。
そして。
六人の少女が戦っていた。
それが今は。
波の音しか聞こえない。
「……本当に、終わったの?」
暁が呟いた。
天龍の腕の中で。
「ああ」
天龍は沖を見た。
「少なくとも、今はな」
水平線には。
もう。
あの赤い眼は見えない。
「……よかった」
暁の身体から力が抜けた。
天龍の胸に。
小さな頭が預けられる。
「おい」
天龍が慌てて抱き直した。
「寝るなよ。もうちょっとだけ頑張れ」
「寝てないわよ……」
「目ぇ閉じてんじゃねぇか」
「レディーは……ちょっと休憩してるだけよ……」
「はいはい」
天龍が苦笑する。
その隣。
龍田も。
両腕を塞がれていた。
「せんせぇ……」
「なぁに?」
「電、もう歩けないのです……」
「じゃあ、先生につかまっててね」
「はい……なのです……」
龍田の腕の中で。
電が目を閉じる。
反対側には雷。
「私はまだ歩けるわ!」
そう言ったのは。
数分前だった。
今は。
龍田の肩へ完全に身体を預けている。
「雷ちゃん?」
「……起きてるわ」
「そう?」
「起きてる……」
「ふふ」
「……ほんとよ……」
声がどんどん小さくなる。
そして。
一人だけ。
響は歩いていた。
「響」
天龍が呼ぶ。
「無理すんな」
「大丈夫」
「大丈夫な奴はそんな歩き方しねぇよ」
「大丈夫だよ」
響は答えた。
一歩。
また一歩。
ふらっ。
「っと」
天龍が身体を支える。
「…………」
「ほら」
「……これは」
「これは?」
「波が悪い」
「陸だぞ」
「…………」
天龍が笑った。
「意地張んな」
響は少しだけ俯いた。
「……自分で歩ける」
「分かった」
天龍は無理に抱き上げなかった。
代わりに。
空いている手を差し出した。
響がそれを見る。
「これならいいだろ?」
しばらく。
響はその手を見ていた。
そして。
小さな手で。
握った。
「……うん」
六人は。
歩き始めた。
海から。
街へ。
人類が五年前から。
ずっと出来なかったこと。
敵に追われて逃げるのではなく。
敵を退けて。
帰る。
その最初の六人だった。
街は。
酷い有様だった。
道路には瓦礫。
窓ガラスは砕け。
建物から煙が上がっている。
砲撃によって抉られた道路には。
大きな穴が開いていた。
天龍は黙って歩いた。
龍田も。
四人も。
そして。
避難所へ向かう大通りへ入った時だった。
天龍が足を止める。
「……何だ?」
人がいた。
一人ではない。
何十人。
いや。
その後ろにも。
大勢。
避難していた住民たちだった。
誰も近づいてこない。
ただ。
道の両側に立って。
六人を見ていた。
「…………」
天龍の身体が。
僅かに強張った。
龍田も。
笑顔のまま。
目だけが周囲を見ている。
無理もなかった。
二人にとって。
この人々は知らない人間だ。
そして。
人々にとっても。
六人は。
ほんの数時間前まで。
この世界に存在しなかった何かだった。
少女の姿をして。
海の上を走り。
人類の兵器が通じなかった怪物を。
沈めた存在。
誰も。
どう接すればいいのか分からなかった。
沈黙。
その中。
一人の老婆が。
前へ出た。
天龍が僅かに身構える。
老婆は。
六人の前まで来ると。
深く。
頭を下げた。
「……ありがとう」
天龍が。
目を瞬いた。
「え?」
「ありがとう」
もう一度。
「この街を……守ってくれて」
老婆の声が震えていた。
「本当に……ありがとう」
天龍は。
何も言えなかった。
その後ろ。
一人の男性が。
頭を下げた。
「ありがとう!」
女性も。
「助けてくれて……ありがとう!」
また一人。
また一人。
「ありがとう!」
「本当にありがとう!」
「君たちのおかげだ!」
気付けば。
道の両側。
何十人もの人々が。
六人へ。
頭を下げていた。
「…………」
暁が。
天龍の腕の中から。
それを見ていた。
「……なんで?」
「ん?」
「なんでみんな……ありがとうって言ってるの?」
天龍は。
少し考えた。
「お前たちが守ったからだよ」
「……暁たちが?」
「ああ」
暁は街を見る。
壊れている。
たくさん。
壊れている。
でも。
人がいる。
生きている。
「……守れたの?」
天龍の表情が。
柔らかくなった。
「ああ」
暁の頭を撫でる。
「守れた」
暁は。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
ほんの少し。
笑った。
「……そっか」
その隣。
「ありがとう!」
突然。
大きな声。
雷が。
びくっ、と身体を震わせた。
若い男性が。
涙を流しながら叫んでいた。
「妹が避難所にいるんだ!」
「君たちが守ってくれた!」
「本当にありがとう!」
「…………」
雷の頬が。
赤くなる。
「そ、そう?」
「雷ちゃん、照れてる?」
龍田が笑う。
「照れてないわよ!」
「そうなの?」
「当然よ!」
雷が胸を張ろうとする。
「もっと私に頼って――」
「いたっ」
「はいはい、動かないの」
「うぅ……」
その様子を見て。
誰かが笑った。
ほんの小さな笑い。
すると。
別の誰かも。
そして。
少しずつ。
道に笑顔が戻っていった。
五年間。
海の近くでは。
失われていたものだった。
「……あの」
小さな声。
電が。
龍田の腕の中から。
人々を見ていた。
「電たちは……」
少し迷って。
「ちゃんと……お役に立てたのです?」
龍田が電を見る。
答えるより先に。
道の両側から。
声が飛んだ。
「もちろんだ!」
「ありがとう!」
「助かったよ!」
「ありがとう!」
電の目が。
大きくなる。
そして。
泣きそうな顔で。
笑った。
「……よかったのです」
響は。
何も言わなかった。
ただ。
天龍の手を握る力が。
少しだけ。
強くなった。
避難所へ着いた時。
既に救護班が待っていた。
「負傷者六名!」
「担架!」
「子供たちを優先!」
医師と救護員が駆け寄る。
「この子をこちらへ!」
救護員が暁へ手を伸ばした。
その瞬間。
ぎゅっ。
「……ん?」
暁が。
天龍の服を掴んだ。
「暁?」
「…………」
「どうした?」
暁は答えない。
ただ。
離さない。
一方。
「電ちゃん?」
龍田が見る。
電も。
龍田の服を掴んでいた。
雷も。
そして。
響も。
いつの間にか。
天龍の手を。
両手で握っている。
救護員が困った顔をした。
「あの……」
天龍を見る。
「お二人は、この子たちの……」
一瞬。
言葉を探す。
「保護者の方でしょうか?」
天龍が。
止まった。
保護者。
違う。
そのはずだ。
この四人を知らない。
名前だって。
戦場で初めて聞いた。
過去の記憶にも。
四人はいない。
なのに。
暁を見る。
自分の服を。
必死に掴んでいる。
響を見る。
手を離さない。
龍田を見る。
龍田も。
雷と電を見ていた。
そして。
天龍は。
答えた。
「……ああ」
暁が顔を上げる。
天龍は。
小さく笑った。
「俺たちの子だ」
何故。
そう答えたのか。
自分でも。
分からなかった。
でも。
間違っているとは。
思わなかった。
龍田も。
否定しなかった。
むしろ。
いつもの笑顔で。
「そういうことになりますね~」
と。
答えた。
超常の力は。
六人の過去を消した。
教師と園児だった記憶を。
世界から消した。
けれど。
それなら。
また。
作ればいい。
失われたものと。
全く同じではなくても。
今。
ここから。
もう一度。
四人の治療が始まった。
天龍と龍田も。
すぐ近くで治療を受ける。
そして。
それから暫くして。
避難所の外へ。
複数の車両が到着した。
自衛隊。
だが。
異様なほど。
慎重だった。
「いいか」
指揮官が低い声で言う。
「全員、武器は下げたまま」
隊員たちが頷く。
「絶対に銃口を向けるな」
「はい」
「相手は敵ではない」
一度。
言葉を切る。
「この街を救った人間だ」
そして。
「こちらに彼女たちを拘束する権利もない」
誰も反論しない。
「礼節を持って接触する」
「了解」
天龍が。
彼らに気付いた。
「……龍田」
「ええ」
二人の空気が。
僅かに変わる。
四人も気付いた。
「先生……?」
暁が不安そうに見る。
天龍が。
暁の頭へ手を置いた。
「大丈夫だ」
そう言いながら。
自衛官たちを見る。
その目は。
笑っていなかった。
一人の自衛官が。
前へ出る。
階級章。
それなりの地位にいる人間だと。
天龍にも分かった。
男は。
六人から数歩離れた場所で止まった。
そして。
敬礼した。
「海上自衛隊です」
天龍は黙っている。
「まず」
男は。
深く頭を下げた。
「この街を守っていただいたことに、感謝します」
「…………」
「ありがとうございました」
天龍の警戒が。
ほんの少しだけ緩んだ。
「それで?」
男が顔を上げる。
「皆さんにお願いがあります」
「お願い?」
「はい」
男は。
六人を見る。
子供。
四人。
年長の少女。
二人。
そして。
六人全員に。
人類の科学では説明できない兵装。
この六人だけが。
深海棲艦を。
殺せる。
その事実が。
男の肩に。
凄まじい重圧を与えていた。
「我々と共に」
慎重に。
言葉を選ぶ。
「海上自衛隊の基地まで来ていただけないでしょうか」
暁が。
天龍の服を掴む。
天龍は。
すぐには答えなかった。
「何のためだ?」
「皆さんの安全確保」
男が答える。
「そして、治療」
「それだけか?」
「……事情も」
正直に。
答えた。
「お聞かせいただきたいと思っています」
天龍の目が細くなる。
「事情ねぇ」
男は。
視線を逸らさなかった。
「あなた方が何者なのか」
「なぜ深海棲艦と戦えるのか」
「その装備は何なのか」
「我々には」
男は言った。
「何も分かりません」
当然だった。
人類は。
何も知らない。
艦娘という言葉すら。
まだ知らない。
「だから来いって?」
「命令ではありません」
即答だった。
天龍が僅かに眉を上げる。
「お願いです」
男は。
もう一度。
頭を下げた。
「どうか我々に」
「皆さんのことを教えていただきたい」
沈黙。
天龍は。
四人を見る。
暁。
傷だらけ。
響。
疲れ切っている。
雷。
今にも眠りそうだ。
電。
龍田へ身体を預けている。
天龍の表情が。
変わった。
「一つ」
男が顔を上げる。
「条件がある」
「何でしょう」
天龍は。
暁の頭へ手を置いた。
「こいつらを休ませろ」
「もちろんです。基地には医療設備も――」
「違う」
天龍が遮った。
男が止まる。
「そういう意味じゃねぇ」
天龍は。
自衛官たちを見る。
そして。
はっきりと言った。
「こいつらは兵器じゃねぇ」
暁が。
天龍を見る。
「子供だ」
誰も。
口を挟まなかった。
「今日」
天龍の声が低くなる。
「こいつらは十分戦った」
「これ以上」
「何かさせるつもりなら」
男を睨む。
「俺たちは行かねぇ」
その隣。
龍田が。
にこりと笑った。
「私も同じです~」
穏やかな声。
「この子たちに無理をさせるようでしたら」
笑顔のまま。
「お断りしますね?」
「…………」
自衛官の一人が。
僅かに顔を引きつらせた。
数時間前。
その笑顔の少女が。
巨大なイ級を。
砲撃で沈める映像を。
彼ら全員。
見ている。
指揮官は。
ゆっくり頷いた。
「約束します」
天龍が見る。
「四名の治療と休息を最優先します」
「そして」
「皆さんを拘束する意思もありません」
「安全についても」
「我々が責任を持って保証します」
天龍は。
暫く。
男を見ていた。
嘘を言っているようには。
見えない。
そして。
暁が。
小さく服を引いた。
「先生」
「ん?」
「この人たち……悪い人?」
天龍が。
少し考える。
「……たぶんな」
「たぶん?」
「世の中、絶対ってのはねぇんだよ」
暁には。
よく分からなかった。
龍田がくすくす笑う。
「でも」
天龍は。
もう一度。
自衛官を見る。
「話くらいは聞いてやる」
男の表情が。
僅かに緩んだ。
「ありがとうございます」
天龍は。
暁を抱き上げる。
「行くぞ」
「どこに?」
「海軍の基地だとよ」
「かいぐん?」
暁が首を傾げる。
「船がいっぱいあるところ?」
天龍が。
少しだけ困った顔をした。
五年前。
その船の多くは。
海から消えた。
「……まあ」
暁の頭を撫でる。
「行けば分かるさ」
車両の扉が開く。
六人が。
乗り込む。
天龍。
龍田。
暁。
響。
雷。
電。
この日。
人類と。
艦娘。
二つの存在が。
初めて。
正式に。
向き合おうとしていた。
人類は。
まだ知らない。
彼女たちが。
何者なのか。
なぜ。
深海棲艦を倒せるのか。
その力を。
どこで手に入れたのか。
そして。
その力を得るために。
六人が。
何を失ったのか。
何一つ。
知らない。
だが。
知ることになる。
人類が。
五年間。
どれほど願っても。
手に入れることのできなかった力。
深海棲艦を。
殺す力。
その奇跡には。
あまりにも。
重い。
代償があることを。