七月十二日。
人類は初めて敵へ攻撃を行った。
そして初めて理解することになる。
自分たちが相手にしているものが、これまで地球上に存在したどの脅威とも違う存在であることを。
フィリピン海。
海上自衛隊護衛艦隊は目標海域へ到達していた。
先日の哨戒機が撮影した怪物。
その再確認と、可能であれば撃沈。
それが今回の任務だった。
艦橋には緊張感こそあったが、悲壮感はない。
未知の怪物とはいえ、生物である以上は倒せる。
そう考えるのが当然だった。
人類はこれまで幾度も未知の脅威と戦ってきた。
そして勝ってきた。
今回も同じだと誰もが信じていた。
「目標確認」
オペレーターの報告が響く。
前方海面。
そこにいた。
黒灰色の巨体。
百メートルを超える異形。
複数の赤い光が不気味に明滅している。
その姿は映像で見た時よりも遥かに異様だった。
生物のようであり。
兵器のようでもあり。
そのどちらでもない。
まるで悪夢から抜け出してきた存在だった。
だが命令は変わらない。
「攻撃開始」
その一言で海戦が始まった。
イージス艦から対艦ミサイルが発射される。
続いて二発。
三発。
四発。
合計八発。
白煙を引きながら飛翔する誘導弾は、正確に目標へ吸い込まれていった。
そして。
命中。
轟音。
閃光。
巨大な爆炎が海上を覆う。
海面が揺れ、衝撃波が艦隊を叩いた。
数秒後。
黒煙だけが残る。
誰もが息を吐いた。
終わった。
そう思った。
「……目標確認」
監視員が言った。
その声は震えていた。
黒煙の向こう。
赤い光が見える。
一つ。
二つ。
三つ。
無数。
そして異形の巨体が姿を現した。
無傷だった。
誰も理解できなかった。
「損傷は?」
艦長が尋ねる。
観測員は映像を拡大した。
何度も確認する。
だが結果は変わらない。
「損傷……確認できません」
沈黙。
誰も言葉を発せなかった。
八発の対艦ミサイル。
現代の艦艇なら撃沈されている。
大型商船ですら跡形もなく吹き飛ぶ。
だが目標は立っていた。
最初から何もなかったかのように。
「追加攻撃!」
砲撃開始。
護衛艦の主砲が火を噴く。
続いてCIWS。
無数の砲弾が異形へ降り注ぐ。
命中。
命中。
命中。
しかし。
何も起きない。
外殻に火花が散るだけだった。
傷一つ見当たらない。
「あり得ない……」
誰かが呟いた。
その声には恐怖が滲んでいた。
砲撃は続く。
それでも結果は同じ。
まるで存在そのものが兵器を拒絶しているかのようだった。
海中から魚雷が放たれる。
潜水艦による攻撃だった。
二本。
四本。
六本。
魚雷は正確に命中する。
海中で巨大な爆発が起きる。
海面が盛り上がり、水柱が空高く噴き上がった。
だが。
爆発が収まった海面から現れた異形は。
やはり無傷だった。
その瞬間。
艦橋の空気が変わった。
勝てる。
ではなく。
勝てない。
という認識へ。
「全兵装効果なし」
オペレーターが報告する。
声がかすれていた。
「目標に損害を与えられていません」
その事実が重くのしかかる。
人類が誇る兵器群。
ミサイル。
砲撃。
魚雷。
それら全てが通用しない。
そんな存在はこれまで一度も現れたことがなかった。
そして。
異形が動いた。
海面が爆発した。
そう見えた。
巨体が一瞬で加速したのだ。
百メートルを超える怪物が、信じられない速度で艦隊へ迫る。
「接近!」
「速い!」
「迎撃!」
再び砲撃。
だが意味はない。
弾幕を無視して突っ込んでくる。
まるで自分が無敵であることを知っているかのように。
衝突。
護衛艦の船体が悲鳴を上げた。
数千トンの鋼鉄が捻じ曲がる。
甲板が裂ける。
艦体中央部が潰れる。
人類の兵器は深海の怪物を傷付けられない。
だが。
怪物は人類の兵器を容易く破壊できた。
「総員退避!」
警報。
悲鳴。
炎上。
海へ投げ出される乗員たち。
戦闘はもはや戦闘ではなかった。
一方的な蹂躙だった。
その時。
ソナー員が絶叫した。
「新たな反応!」
艦長が振り返る。
「数は!?」
返答はすぐには来なかった。
オペレーターが信じられないものを見るような顔をしていたからだ。
「多すぎます……」
「何?」
「数え切れません!」
海底。
そこには無数の反応があった。
十。
二十。
五十。
百。
さらにその先にも。
高速で移動する巨大な影。
全てが先ほどの怪物と同じサイズ。
同じ速度。
同じ異常性。
海面が盛り上がる。
一体。
また一体。
さらに一体。
黒い巨体が次々と姿を現した。
赤い眼。
異形の外殻。
巨大な身体。
水平線の彼方まで続く怪物の群れ。
その光景を見た瞬間。
誰もが悟った。
最初の個体は孤独な怪物ではなかった。
群れの一匹だった。
ただそれだけだった。
絶望はそこで終わらなかった。
群れの先頭にいた個体が、ゆっくりと首を巡らせる。
そして。
まるで嘲笑うように。
人類の艦隊を見下ろしていた。
攻撃など効かない。
抵抗など意味がない。
そう告げるように。
その日の戦闘で護衛艦隊は壊滅した。
だが最も恐ろしかったのは損害ではない。
戦闘記録の最後に記された一文だった。
『敵に有効打を確認できず』
その報告は世界中へ送信された。
アメリカへ。
中国へ。
ロシアへ。
イギリスへ。
各国海軍首脳部は沈黙した。
未知の敵。
圧倒的な数。
そして。
人類の兵器が一切通用しないという事実。
その夜。
世界中の海軍が初めて理解した。
これは海難事故ではない。
怪獣災害でもない。
戦争ですらない。
人類は今。
自分たちでは傷一つ付けられない敵と対峙しているのだと。
そして海の底では。
無数の赤い光が静かに揺れていた。
まるで次の獲物を探すように。