海を失った世界に、暁は来る   作:ぶるぶるメタボ

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最初に異変を感じたのは海軍ではなかった。

商人たちだった。


第五話 海が死ぬ

七月下旬。

 

東京港。

 

大型コンテナターミナル。

 

港湾職員たちは異変に気付き始めていた。

 

「また遅延か」

 

荷役担当者が呟く。

 

大型コンテナ船の到着予定が次々と変更されている。

 

一隻や二隻ではない。

 

十隻。

 

二十隻。

 

それ以上だった。

 

理由は単純だった。

 

船が来ない。

 

いや。

 

来られないのだ。

 

海上自衛隊艦隊壊滅の報告は世界中を震撼させた。

 

だが一般社会への影響はまだ限定的だった。

 

ニュース番組では連日、未知の海洋生物について議論が行われている。

 

専門家たちは意見を戦わせていた。

 

未知の生物。

 

海底文明。

 

新種の生命体。

 

誰もが好き勝手な推測を語る。

 

だが海の上では、既に現実が始まっていた。

 

インド洋。

 

原油タンカー「アル・サラーム」。

 

船団を組みながらアラビア海を航行中。

 

船長は艦橋でレーダーを確認していた。

 

異常なし。

 

海況良好。

 

いつも通りの航海。

 

そのはずだった。

 

「船長」

 

通信士が振り返る。

 

「海軍護衛艦との通信が途絶えています」

 

「故障だろう」

 

そう答えた直後だった。

 

見張り員が叫ぶ。

 

「海面に何かいます!」

 

全員が窓へ駆け寄った。

 

海面。

 

数百メートル先。

 

黒い何かが並んでいた。

 

一つではない。

 

十。

 

二十。

 

それ以上。

 

水平線まで続いている。

 

赤い光が海上に浮かんでいた。

 

無数の眼のように。

 

その瞬間。

 

通信は途絶えた。

 

アル・サラームからの最後の通信だった。

 

同日。

 

南シナ海。

 

貨物船団消失。

 

翌日。

 

北大西洋。

 

輸送船団消失。

 

三日後。

 

南太平洋。

 

大型客船消息不明。

 

一週間後。

 

失踪船舶数は三百隻を超えた。

 

そして。

 

人類はついに気付く。

 

敵は日本近海だけではない。

 

ワシントン。

 

アメリカ海軍司令部。

 

巨大スクリーンに世界地図が映し出されていた。

 

赤い点が表示されている。

 

失踪地点。

 

襲撃地点。

 

目撃地点。

 

最初はまばらだった。

 

しかし報告が増える度に赤い点は増えていく。

 

太平洋。

 

インド洋。

 

大西洋。

 

北極海。

 

南シナ海。

 

地中海。

 

黒海。

 

世界中の海に。

 

会議室は静まり返っていた。

 

誰も言葉を発しない。

 

発せなかった。

 

理解してしまったからだ。

 

「……世界規模だ」

 

誰かが呟く。

 

それは報告ではなく絶望だった。

 

深海の怪物は一地域の脅威ではない。

 

一国家の問題でもない。

 

海そのものを支配していた。

 

八月。

 

世界中の海運会社が運航停止を発表し始めた。

 

保険会社は危険海域を拡大。

 

一部航路では保険契約そのものが打ち切られた。

 

船を出せば帰ってこない。

 

そんな状況で航海を続ける企業はいない。

 

最初に消えたのは贅沢品だった。

 

輸入食品。

 

海外ブランド。

 

嗜好品。

 

人々は多少不便を感じるだけだった。

 

まだ楽観していた。

 

しかし。

 

その一か月後。

 

状況は変わる。

 

ガソリン価格が高騰した。

 

食料価格が上昇した。

 

工場が部品不足に陥る。

 

物流網が目に見えて弱っていく。

 

スーパーの棚から商品が減り始めた。

 

テレビでは専門家が冷静な説明を続けている。

 

「供給の一時的な停滞です」

 

「政府は十分な備蓄を保有しています」

 

「過度な買い占めは控えてください」

 

だが。

 

市民たちは本能的に理解していた。

 

何かがおかしい。

 

海が機能していない。

 

それは現代社会にとって致命傷だった。

 

世界の物流の大部分は海によって支えられている。

 

その海が失われれば。

 

世界経済そのものが崩壊する。

 

八月十七日。

 

国連緊急会議。

 

各国代表が集められた。

 

議題は一つ。

 

海。

 

それだけだった。

 

各国海軍は被害報告を提出した。

 

襲撃件数。

 

沈没艦艇。

 

失踪船舶。

 

そして。

 

敵の目撃情報。

 

その結果。

 

ある事実が判明する。

 

世界中の海域で確認されている怪物は、ほぼ同一個体だった。

 

黒灰色の外殻。

 

百メートルを超える巨体。

 

赤く発光する眼。

 

そして。

 

人類の兵器を一切受け付けない異常な耐久性。

 

同じ怪物。

 

同じ群れ。

 

同じ脅威。

 

それが世界中にいる。

 

会議室は沈黙した。

 

誰もが理解していた。

 

これは国家間の問題ではない。

 

人類全体の問題だ。

 

その夜。

 

世界各国で海運会社の運航停止が相次いだ。

 

貨物船は港に留まる。

 

漁船は出港しない。

 

遠洋航路は閉鎖される。

 

海へ出ること自体が自殺行為となり始めていた。

 

かつて人類は海を征服したと思っていた。

 

蒸気機関で。

 

鉄で。

 

石油で。

 

ミサイルで。

 

空母で。

 

海を支配したと信じていた。

 

だが違った。

 

海は人類のものではなかった。

 

ほんの数か月で。

 

海はその事実を突き付けてきた。

 

そして深い海の底では。

 

無数の赤い眼が静かに揺れていた。

 

まるで獲物を追い詰める捕食者のように。

 

まるで人類の苦しみを眺めるように。

 

後に歴史家たちは、この時期をこう呼ぶことになる。

 

『海上物流崩壊期』

 

と。

 

人類が海を失い始めた時代。

 

そして。

 

本当の絶望が始まる前夜として。

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